一の二 女子二人は石段で待っていた

文字数 3,022文字

「さっきパチンコ屋をでたところで、チャイナっぽい美人のお姉さんに道を聞かれた。でも英語で言われてもほぼほぼ聞きとれなかった」
 ドーンが川田を見上げる。駅前の用事ってパチスロかよ。

「付属上がりに聞いた時点で間違いだな」

 川田が英会話スクールのウチワを受け取りながら答える。こいつはたまにそういう口をきくから、横にいて気が詰まるときがある。

「だね。哲人みたいに特待生じゃねーし」
 ドーンが俺にやり返してくる。

「俺も特待生じゃねーし」

 何度もこまかい説明したくない。滑りどめの私大からの、受験の成績を考慮した若干名は入学費と一年次の学費が免除となり、その後の成績次第では二年次以降もという話に乗っただけだ。確定(妥協)した三月何日時点で条件のよさげな下宿先はなく、郊外のアパートから通学する一人暮らしが始まっただけだ。
 実質特待生だけど、まじめにやっているぶんには思ったほど拘束はなかった。だから今ここで、こいつらと並んで歩ける。

 ***

 石段の日陰に並んで座り、彼女達は待っていた。夏休みも開いている図書館なら涼しいだろうに、桜井がクーラーを苦手だからかな。
 桜井は紺色のTシャツに白色のチノパンといつものような恰好で、変わらず明るめのショートヘアだ。前に会ったときよりいくぶん日に焼けたな……。
 三石の予告とおりだ。木箱を膝の上に乗せている。大きめな弁当箱ぐらいのサイズで、想像していたより小さい。
 スマホをいじっていた横根が俺達に気づく。笑みを浮かべて小さく手を振る。結んだ黒髪に小ぶりな麦わら帽子をかぶせ、空色のワンピースがよく似合う。

 ぼうっとしていた桜井も目を向ける。軽く見まわし、
「なんで和戸君がいるの?」
 抑揚のない声で言ってくる。

「哲人に誘われた。夏奈ちゃん、日に焼けてるし。瑞希ちゃん、かわいい帽子だし」

「こいつとは偶然会っただけ。お土産いらないって言うから連れてきた」
 俺は即座に弁明する。
「それより台湾は楽しかった?」

「楽しかった?」
 桜井が俺に顔を向ける。……この一年数か月彼女の顔をちらちら見てきたが、能面みたいな表情は初めてだ。それでいてきれいだ。
「聞きたいの?」

 棒読みだ。そんなこと気にならない。いつもの愛らしく多彩な表情の裏に隠れていた、彼女の真顔に見とれてしまう。
 視線を感じて我に返る。横根は不安げな表情を向けていたが、目があうと顔をそらす。……冷静に考えれば、あきらかに桜井はおかしい。三石の話を思いだす。

「台湾行ってなんだか変わったな。日本語のアクセントを忘れたか?」
 川田が石段を上がり、桜井を見おろす。

「移動しよう。これをひろげられるところに」
 棒読みの桜井は無表情のまま立ちあがり、川田に木箱を見せる。

「だったら校内のコーヒーショップに行かね? 瑞希ちゃん、スマホの充電器貸して」
 ドーンが横根に笑顔を向ける。

「え? バッテリーは赤だったから持ってこなかった。コンセントに差すのならあるよ」
 横根が大きなカバンに手を突っこむ。

「じゃあ図書館のコンセント借りよ。コーヒーのタダ券二枚あるからお礼に一枚あげる」

 ドーンが二段飛ばしで駆けあがり、横根に手を突きだす。その横で桜井が木箱を抱きしめる。

「図書館は嫌いみたい」
 桜井が石段を降りてくる。まだ歩道にいた俺の前まで来る。

「嫌いって誰が?」
「テーブルで囲むのがいいかも」

 俺の問いを無視して、感情の伝わらない桜井が横をすり抜ける。

「四人までだから、和戸君は充電していればいい。来たきゃ来てもいいけど」
 彼女は日差しのなか一人離れていく。

「あいつおかしくないか?」
 川田が桜井をウチワで指さす。

「まだ疲れているのだろ。行こうぜ。ドーンもだぞ」
 俺は桜井を擁護してドーンにも気を遣い、彼女のあとを追いかける。

「なんか怖い気がする。みんなが来る前からずっと」
 日傘をひろげかけて畳んだ横根が、俺の隣に離れてついてくる。

「夏奈ちゃんも言うね」
「充電なんか俺の部屋でやれ。夕立が来たら洗濯ものをしまってくれ」
「どうせシャワーしながら手洗いした下着とかだろ。そんなの持てると思う?」
 ドーンと川田もいつものように、でこぼこに並んで歩く。

 *

 キャンパス内のコーヒーチェーン店は夏季休業だった。テラス席を三人に確保させて、俺とドーンがすこし離れた自動販売機で買い出しをする。

「全員そろわないと見せないだとさ」
 水のペットボトルを受けとりながら、財布を持ってこなかった川田が言う。

 横根がおごりのお礼をドーンに伝える(俺が金をだした)。桜井は口もつけずにお茶をテーブルへ置く。
 ドーンが素早く日かげのデッキチェアに座る。俺は陽が当たった椅子に腰かける……。温まりすぎで尻が熱くなる。ポケットに携帯カイロを入れたみたいだ。

「先着順じゃなくて四人いればいいんだって。だから和戸君がもらいなよ」
 横根がペットボトルを頬にあてながらドーンに顔を向ける。

「瑞希ちゃんは優しいね。今日はなんで学校にいるの?」
 ウチワをあおぎながら川田が言う。

「ボランティアの申しこみがここの図書館でもできるというから」

 横根は俺以上にまじめだ。川田や俺が所属できる程度にうわついていないサークルだから、彼女も顔をだし続けている。

「へえ、それって前に言っていた読み聞かせ?」
 川田が食いつきやがる。俺はその話を二度も具体的に聞かされている。

「桜井はどうして?」


 俺の振りに、彼女は暑さも感じないような態度のままで顔を向ける。
「私は退学の手続きに」
 無表情に答える。俺の心臓がぎゅんと縮みあがる。
「もうすこし考えなさいと断られた。カウンセリングルーム勧められた。それからみんなにラインした。ここだと集めやすそうだから」

 平然と言われても……、みんな静まるだけだ。

「な、なんで大学やめようとしたの?」
 俺はかろうじて声をだす。

「あと腐れはないほうがいいかなと思って。まあ、それは私の考えなわけだし、それより始めよか」

 桜井は抱えていた箱をテーブルの真ん中に置く。彼女の言動が乗りうつったかのように、ふるびた木箱が怪しすぎる。
 俺は不安になって桜井の顔を覗きこむ。すごくきれいだけど正直怖い。そんな態度がおもてにでて、傷つけ嫌われたらなんて心配する。それにしても臀部が熱い。席から立ちたい。

「ちょっと待った」
 川田がすこし裏返った声をだす。ウチワをテーブルに置く。
「やっぱり男だけでいいや。瑞希ちゃんは埼玉だよね? 遠いし帰りなよ」

 川田さえ動揺している。こいつは郊外の飲み屋でからまれたときも、先輩を差しおいて一人だけ腰が座っていたのに(酔ってはいたが)。

「私は大宮だよ」
 横根がむっとする。彼女は怒れば普段と反転するらしいが、桜井と横根を両脇に酌をさせた卒業生に俺がきれかけたときはフォローにまわってくれた(桜井は笑うだけだったが)。
「五時にボランティアの担当が戻ってくるから、まだ帰れない。でも男子がもらってよ」

「じゃあコーヒー券二枚とトレードするじゃん。今度は充電器に充電しといてね」

 さすがドーン。空気を変えようとする。……しかし尻が熱すぎる。

「この際だから四人から選ぶもありかも。そんな声も入ってきた気がする」
 桜井の棒読みのコメントが、張りつめた空気へ一気に戻す。
「その前に、みんなお守りとか持っている? あるならちょっと見せて」

 ドーンと川田が顔を見合わせた。




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