三十二の二 急襲して殲滅

文字数 3,286文字

「ドロシーが出発の直前に騒いだからだ」
 俺は言い訳を口にする。

「それは桜井もだろ。あの護符は誰が持っている?」

 オフロードバイクは、鹿みたいに林のなかを疾走する。狭い樹間をすり抜ける。岩を飛び越える。その都度思玲が胸を押しつける。スリルあるし、前に座ってよかったと思うけど、それどころではない。
 紙垂型の木札。タクシーのなかでは川田が握っていた。その後は……俺を岸へと引き上げたときも手にしていたよな。貪に飛び蹴りしたときは、遠くてよく見えなかった。記憶が消された以降は、所在など誰も確認しなかった。川田が手にしてなかったのは間違いない。
 おそらく川田は、天空の護符を日暮里のどこかに落としたか捨てた。
 でも俺は冷静だ。

「ニョロ子、護符を探してくれるかな? もしかしたらドロシーが持っているかも」

 飛び蛇が自信なさげに首を傾げた。身はひとつなのだから、何でも覗き見しているわけではない。それでも消える。

「このまま向かおう。峻計は油断している。七葉扇だけで倒せる」

 しがみついたままの思玲に告げる。もうニョロ子を斥候にできない。だったらなおさら急ぐだけ。
 思玲がまた脇腹をつねる。

「無理だ無理。私など露店で売れ残った糖葫蘆(タンフールー)だ。螺旋を使わねば、あいつの扇に即座に溶かされベタベタだ。結界に籠るだけだ」
「黒羽扇はドロシーが消した。リンゴ飴にはならないよ」
「あん?」
「そのニュアンスで伝わった。つまり峻計は怖くない」

 でも楊偉天が手にしていた凶悪な杖――楊聡民の杖を受け継いだ。所有者の力を強大化する忌むべき魔道具。きっとあの杖のが怖い。あれだって九郎が確保したのに、ドロシーがゴルフ場で捨てやがった。まったくあの女は……。

「哲人の会話には、良くも悪くも

香港娘ばかりでてくるな。心のうちでもそうでないか?」
 思玲が背後で言う。
「このままで向かいたいのだな? わかった。どうせ私はマツバランだ。花咲かせることなくいずれ朽ちる」

 あいつへの告白はたぶからすためだよ。なんて言いかえすより。

――どうせ私は野良猫さ

 フサフサを思いだしてしまった。

「ス、思玲(スーリン)は大樹だよ。やがて花も実もたっぷり咲かせる」
「陳腐だな。ヤッパ急げ」
『お前の指図は受けない。だが充分に急いでいる。それと、ハンターの気配はない』

「現在地を見せてくれないかな」

 鹿のアイコンへと頼むと、カーナビ画面に変わった。でも拡大されすぎで、よく分からない。バイクは両岸が崖になった沢をひとまたぎする。速度計は234キロだと? 景色が瞬間でスピードに麻痺している。時刻は13:05。

『ここからは少しだけ緩める』
 鹿アイコンが言う。

 シーズンを終えようとする桃畑葡萄畑。左手の景色がたまにひろがる。盆地の(へり)に入った。速度が190キロに落ちようがもうじきだ。ニョロ子はまだ現れない。

『ハンターの気配はないと思う。イウンヒョクと黒乱(フンナン)の気配もだ』
 葡萄棚の下でボディを傾けながらヤッパが告げる。声に緊張を帯びだしている。

「黒乱も来るのか。つまりデートに連れ歩いたのか?」
「ウンヒョクの式神?」
「ああ。戦場では九郎よりは使える」

 思玲はそれ以上説明する気がないようだ。ニョロ子からの情報がないと不安になる。壮信はすでに傀儡にされただろうか。俺は曜日の感覚をなくしたままだけど、母は仕事だろうか? 帰宅してあいつと鉢合わせしたら……。

「峻計が俺の家に入るとどうなる?」
 思玲に尋ねる。

「そっちには(うと)い。鹿に聞け」
『私こそ何も知らない。主人にうかがうか?』

『いまトイレだぜ。異形は火伏せの神の怒りを喰らう。人には左程効果がない』

 麻卦さんがモニターにアップで単純明快に教えてくれた。だったら策ができた。

「峻計をバイクで俺の家に跳ね飛ばす。思玲は七葉扇で術を当てまくる。俺は弟を救出する。あいつが出てきたら、また轢いてやる」

 どう考えても成功しそうもない作戦。ニョロ子が護符を持ってくるまで待つべき。

「急襲だな。しかも昼間は人の時間。やってみるか」
 でも思玲は賛同する。
「だが囮が必要だ。九郎がいたら最適だったのに」

「俺がなる」

 だって俺しかいない。失敗すれば殺される。成功しても殺される。成功があり得るのか。そもそも影添大社の式神が協力してくれるはずない。残念だけど作戦自体が成り立たない。

『麻卦様には松本の命に従えと言われた。非力ながら先陣を切らせてもらう』
 ヤッパはやる気充分だ。『死してカッスに会うだけだ』

「わかった」

 そう答えるしかない。もう逃げられない。見捨てられるはずもない。生き延びたら異形になろう。
 ヤッパが国道にでた。ここから我が家までチャリでも十分だ。

「イウンヒョクと合流すべきかも」
 俺はなおも逃げ道を探る。

「二十四歳のオヤジに虎狩り以外で力を借りぬ。私が本来の歳に戻ろうとだ」
 二十五歳だった思玲は豪胆だ。出発前と話が違う。俺は震えだしている。

『スタンバイしろ』と鹿アイコンが言う。
 俺は後悔しだしている。

「よいか。峻計は姿を隠している」
 思玲が言う。「なので直感を頼れ。攻撃を受けることなく、あいつの気を引け」

 なんて難度の高いデコイだ。気を惹くことなく攻撃されそうだ。
 見えない大型オフロードバイクが温泉ランド脇を駆け抜ける。曲がれば自宅だ。
 俺はギリギリで思いだす。思玲の作戦に従って、ろくなことが起きたためしがない。

「やっぱりヤッパに乗っている。一緒に突撃しよう」
「怖気づくな。哲人らしくない」
『私は松本に従う。敵はどこだ?』

 速度を緩めることなく左折する。何千回と通った道。我が家に車は停まっていない。母は家にいない。

「ストレートフィーリングだ!」思玲が叫ぶ。「哲人に任せろ。峻計を轢き殺せ!」

 同時にハンドルに重みが加わる。この鹿は戦場につくなり思玲に従いやがった。ならば期待に応えてやる。あいつがいる場所は……玄関の真ん前だ!

「うおおお!」
 実家へとハンドルを左に曲げる。アクセルをまわす。我が家へとお化けバイクを突っ込ませる。

「ぐえ!」

 カラスの悲鳴が聞こえた。見えないバイクが玄関扉を押し倒す。

「ぐわああああ」

 異形の絶叫。土間で、体を燃やしながら峻計が姿を現す。
 思玲が結界をぬぐい去る。姿を現した紺碧のバイクが峻計を踏みにじる。
 思玲が飛び降りる。狭い玄関の前で片膝を立てる。七葉扇が円状に広がる。

「これは我が心!」
 孔雀色が飛び出づる。「心! 心! 心!」

「ひ、ひいいい」
 思玲の術が当たるたびに、峻計が痙攣する。

「心! 心! 心!」
「お、おのれ」

 転んだままの峻計が蜃気楼と消える。術の光が玄関の三和土(たたき)を削る。

「なんだよ、俺んちで、事故かよ」
 二階から壮信が顔をだした。「バイクに乗ってるの兄ちゃん?」

「逃げろ!」弟へと叫ぶ。

「え?」

 その一言を残して、壮信が白目になる。階段から落ちかけて、見えないものに受け止められる。
 抱えたままで峻計が姿を現す。漆黒のチャイナドレス。

「みずから争いで穢したな。最善を求めるなら、火伏せの怒りで弱った私を外で待ち伏せるべきだった」
 十字の傷を顔中央に負った峻計に、一連の攻撃で応えた様子がなかった。
「弟君、かわいい顔で寝ている場合でないわよ。ここはもう護札の守りがないのだから」

 あいつが壮信の頬をさする。壮信が目を開ける。傀儡の眼差し。

「あなたは小学校を襲撃するはずだった。子どもを殺しても『本人が奥底で望んでいたのでしょう』と、私は匠様にしらを通す」
 あいつが邪悪な笑みを浮かべる。
「でも私がお兄ちゃん達を片付けてからにしましょうね。ご褒美に私の体を楽しまさせてあげるから。お兄ちゃんよりずっとイケてる」
 俺達を見下ろしながら弟の頬を舌で舐める。その手に杖が現れる。ゆっくりと掲げる。
「殲滅してやる」
 そして降ろす。

 階段の上から、漆黒で二対で特大の蛇が螺旋を巻きながら飛んでくる。

「我、か弱き力であろうと護るべきものあり」

 思玲が素早く扇を振るう。出来立ての片面の跳ね返しごと、俺も思玲も紺碧のバイクも路上へ吹っ飛ばされる。




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