二十三の三 おてんぐうさん

文字数 2,840文字

 ほんとに神さまだよ。山の神は女の人だけじゃない。子どもの姿していても神さま。よわいけど神さま。

 ぼくは早苗お姉ちゃんが大好きだから、人に見える姿になってあらわれたんだ。
 みんなには見えないよ、お姉ちゃんだけ。ほんとはお祭りの日こそ社にいないといけないんだけど、みんながお参りに来るからね、でもきれいになった早苗お姉ちゃんがこんな山奥に一人で来るなんてないから、しかたなくなんだよ……。
 こんなにきれいになったのに、背中のやけどは残ったままだよね。ぼくは山の神だから人の体も心も治すことはできないんだ。山で人を守る力はあるけど、守るだけ。守らせるだけ。傷ついてもいやしてあげられない。

 あの火事でここが燃えていたら、ぼくは消えていた。よわい神さまはいまの世で生きられないからね。だからこのお札はお礼だよ。受けとって。
 ……いらないの? じゃあ、ここに置いておくからいつでも取りにおいでよ。
 しばらく会えないよ。これってほんとはしちゃいけないことだから。じゃあね。



 お嫁さんになった早苗お姉ちゃん。ぼくにもあいさつしてくれるんだ。その人はよく知っているよ。いちばんの働きものだ。ぶこつだけどまじめ。いとめるなんて、さすがお姉ちゃんだね。でもちょっとやけちゃう。



 お母さんになった早苗お姉ちゃん、ぼくへどんなにお祈りしても、ぼくは病も怪我も治せない。守るだけなんだよ。守らせるだけなんだよ。
 子どもが死ぬなんて悲しみだよね。なのにぼくには何もできない。いっしょに泣くだけだよ。



 初孫だ。あっちの一族でもだよね。火伏せの神の正統な氏子。しかも筆頭だ。
 ほらほら、それはいちおうご神木だよ。虫が落ちてくるからって、つよい神さまにすがれるからって、けらないの。
 やんちゃだけどやさしそうな子。つよそうな子。お姉ちゃんの笑顔をひさしぶりに見れてよかった。



 早苗お姉ちゃんは病気だよ。寿命だからどうにもならない。ぼくは弱い神さまだからようやく気づけるだけ。大好きなお姉ちゃんの病さえもなおせない。もう山で守ることもできない。
 その子を守ってほしいんだね。守らせればいいんだね。
 だったらお札を思いだしてよ。お姉ちゃんじゃなくてその子がだよ。それが必要になるときに……足りないかな。

もしこの地で災禍を浴びるならば、我が名に於いて必ずや守護せん。その御霊が彷徨うことあれば、我れがこの地に招き入れん。我れこそが山の鎮守の天宮社なり。

 これぐらい誓わないと、天国へあいさつにいけないものね。
 つかれてるんでしょ、もう帰りなよ。お婆ちゃんになったお姉ちゃんと、もうじき会える。ひさしぶりに。



 七難八苦をさずかるとは思わなかったよ。お化けになって、あんな輩どもと来るとも思わなかったよ。まさかよみがえった魂をまねくなんて思えないよ。いっしょに異国の人までついてくるなんて思うはずないよ。
 この地で神獣におそわれるなんてあり得ないよ。
 でも神さまじきじきに誓ったからしかたない。……やっぱり早苗お姉ちゃんの血筋だね。一番にむちゃくちゃだ。まっさきに火へ立ちむかう。




 お祖母ちゃんの膝枕。握った手。どれも陽だまりみたいに、ぬくとかった。今だって……。

「なぜ私の手から松本哲人のもとに癒しの力が流れていく……。山の神め、ここも神なき山とするのか。こいつを生かすためだけに」

 暴雪の声に、痛みなきまま気を失った俺は目を覚ます。押さえられたままでもあるようで動けない。
 でも温かい。またうとうとしてしまう。

「だったら、こいつを連れ去ろう。お前に邪魔されぬ地に」

 そんな声さえ子守歌に聞こえてしまう……まぶたの裏まで紅色が充満した。
 目を開けても紅色。その光のもとで紫色が人の形に揺らぐ。彼女は立ち上がっていた。

「噠!」

 俺へと天宮の護符を投げる。血の色ほどの紅の残像。上へとカーブする。

「なんと」

 感嘆とともに、護符は見えない爪に叩き落とされる。や否や、

「噠!」

 真紅の核心地から、白銀色が回転しながら飛んでくる。

「これは慧鋒寺(フェイオンスー)が預かるもの?」
 冥神の輪が宙空にとどまる。「あの寺は女人禁制。丈夫の如く猛き心を持とうが、この宝に触れることは赦されぬ」

 冥神の輪はなおも煌々と輝いている。それを器用につまむ、隠されていた巨大な爪さえも照らしだす。

「見つけた! 喰らえ! 白銀弾(ぱいいんたん)!」

 乾いた銃声。
 白銀の光が紅色と混ざりあい、おぞましいほど。だけど林が果肉入りの苺ラテみたい。かわいくておいしそう……。ストローみたいに白銀色の筋が空を貫き消える。

「へへっ、一撃で消滅だ。布と輪っかは返してもらう」

 光は収まっていく。
 プラムカラーなチャイナドレス。ローブみたいに頭からかぶった緋色の護布。拳銃を両手で握ったドロシーが立っていた。
 彼女は精が果てたように膝から崩れる。立ちあがった俺の前で、またも吹っ飛ばされる。衝突した杉の木が倒れるほどに。

「何者だ!」
 空が轟いた。
「白銀はさらに輝いていた。しかも避ける先を狙ったな? この私が紙一重だった。かすめたら、先生を置いて私は消滅していた。貴様は神をも殺すものか! 災いをもたらすものか!」

 その声は空のうねり。浴びながら、俺はドロシーへ駆ける。彼女へと転がりこむ。意識があるはずない。かすかに紅潮した頬が蒼白に戻っていく。
 俺はドロシーを護り続ける劉師傅の布を一緒にかぶる。俺こそが彼女を護るためだ。ドロシーより先に死なない。その手に何もないとしても。

「松本哲人に隠れるな。正体を現せ」

 杉の木がいくつも倒れていく。俺達を囲むように四方で浮かび、一斉に飛んでくる。
 師傅の布は物理攻撃に護りの力は減る。あんなのを受けたら潰される。布からはみ出た足は間違いなく。だったら避けろ。

夏奈夏奈夏奈……。

 俺は生きている。ならば夏奈にすがるな。俺の力で最愛を守れ。

 俺は何度でもドロシーを抱えて立ちあがる。彼女の手は力なくぶら下がる。導きがあるのならば一直線に走れ。この子を守るのが導きならば、がむしゃらに駆けろ。
 斜め右から杉の幹が飛んでくる。俺は避ける。左からも、避ける――真っ正面から!

とまって!

 子どもの声? もつれるように足を急停止させる。目の前で、正面からと右真横からの大木がぶつかり合う。おがくずが燃えるようなきな臭さが漂う。
 俺は走りだす。ドロシーは燃え尽きた。俺に体を預けるだけ。
 見えない巨大な鎌に切断された樹木が、また宙に浮かびだす。誘う死の香り。その刹那に俺は思いだす。
 陽炎のビルの屋上。命の尽きる直前に破邪の剣を投げた劉師傅を思いだす。俺達を――思玲を守るために。
 彼が編んだ護布は新たな持ち主を選び、いまはドロシーを守ることを――俺に託している。

右だよ!

 俺は導きに従う。槍のごとき幹が交差する間隙を抜ける。苦しみなきまま肺がパンクした。それでも駆ける。その先に、姿を見せぬ敵が待ち構えていようとも。……九郎と琥珀はまだかよ。




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