三十三の四 残酷な癒し

文字数 2,065文字

 静かだ。血の色の闇は外の音を伝えない。妖魔はまだいるかもしれない。あいつらの言葉だけは信じない。入口はなおも開かない。
 家族の安否を知りたい。引き戸など壊してやる。

「リュックが切れたのを、琥珀が謝ってくれた。絶対に哲人のせいにするなだって。あの子と話せたのはそれだけ」
 ドロシーは護布をたたんでいた。
「君は異形のときとなにも変わってないけど当たり前だ。昨日の昼間は格好悪かったけどね。へへへ」

 憔悴した顔で俺を見ている。心を食いちらかされたようだ。使い魔め。

「まだ布を被っていて。そして一緒に扉を壊そう」

 そんなことしか言えない。
 動き続けないと痛みが戻る。遠くでカラスが鳴いている。

「松本に見せたいものがある。あいつがいるのならば見せてやる。……だから、まだ行かないで。こっちに来て」

 俺は彼女に従う。座るようにうながされる。おそらく二度と立ちあがれない。それでも彼女に従う。

「覗かれたからってごめんなさい。やりすぎた」
 ドロシーが頭をさげる。
 覗いたわけではない。反論したいけど、胸が痛くてどうでもいい。
「だから君に癒しを授ける。へへ、練習したことないから期待しないでね」

 ドロシーがピアスをはずす。かすみもしない赤い闇のなか、俺をじっと見る。やがて俺の首へ両手をまわす。俺の肩に顔を乗せる。

「癒しなんて言うけど、実際は麻薬みたいなもの」
 耳もとでささやく。
「痛みは忘れられる。そして戦い続けるか、死を待つだけ。……授けられた人を苦しめるだけ」
 それから心でつぶやく。顔を正面に戻す。
「これだと言葉は伝わらない。つまり気休め」
 また俺の目を覗く。
「ここから先は滅多にしない。救うわけではないから。……でも、死にかけたママはパパに授けた。人間の群れから、私を救わせるために。――言の葉は、口から伝わる。授けるものにこそ責任がある。受けとってくれるならば、私はあなたを永遠に守りつづける」

 そんな重いものを受けとれない。なのにドロシーが目をつぶり、顎を小さくあげる。……抹香のなかで、カラスの鳴き声だけが聞こえる。血の色の闇がようやく薄らぎだす。
 彼女と唇を重ねれば、癒しという名の残酷な祈りを受けとれる。受けとることが、その人を守るためならば――。

カーカー

 カラスがうるさい。俺は冷静だ。癒しを受けとるならば……、夏奈からが想像できない。横根から受けとる資格はない。思玲からは……、俺も彼女も戦士だ。ならばドロシーなら、
 そこに導きがあるのだとしたら――。

カーカー、アーアー、カーカー

 うるさすぎる。さすがに彼女が目を開けた。須臾を経て、さみしそうに笑う。

「私はあんな所業のうえに、雑言をまき散らした。そんな人間の癒しを受けるはずない」
「それは関係ない」

 相性なんかでなく、お互いがひとつになる宿命。そんな導きがあるのならば、ここで彼女を押し倒し、俺が唇を奪う。なのに、このカラスはうるさすぎだ。ムードもくそもない。

「で、でも、異形のときに怪我したらよろしく」

 なさけない言葉しか返せない。
 お堂のなかにしらけた沈黙が漂う。カラスが笑うように鳴く。

「……そうだった。見せないと」
 彼女がリュックの奥へと手を突っこむ。ビニール袋を引きずりだす。袋から紺色の衣服をだす。
「パパの形見。いつも持ち歩いている。背丈は松本と同じぐらいだったと思う。術もかけてない普通の服だけど、こっちに着替えて」

 銃弾のあとが残るシャツをひろげる。
 断る理由などない。彼女の手を借りながら、大蔵司のシャツを脱ぐ。
 大事にしまわれていた衣類の匂い。前ボタンをとめる。俺のサイズよりゆったりしているから、カジュアルな着こなしになる。

「服があろうと、君とつながりたい」

 ドロシーがシャツの胸もとに口づけをする――。うなされた夜が幻のように、快方をむかえた朝。痛みが霧散する。傷さえも治ったと思ってしまう。
 そんなはずはない。彼女は妖術など使わない。

「私は松本を信じられる。だから人としても触れあえられた」
 ドロシーが父の服を着た俺を見つめる。
「だから、いつか私も人の世界に帰して」



 彼女は小さな紙袋を持っていた。形見のシャツに包まれていたものだ。それを開ける。

「松本が人であるうちに見せておく」
 また包み紙があらわれる。またていねいに開ける。
「パパのシャツはダミー。私がこれを持っていることは、誰も知らない」

 まだ包まれている。さらにめくっても。ドロシーは何度も繰り返す。

「厳重でしょ? へへ。これを持っているのがばれたら、異形達が寄りつかなくなるから。……どこにも行き場がなくなるから」

 包みはどんどんと小さくなっていく。カラスはもう鳴いていない。

「これはママの形見。お爺ちゃんがママに渡したお守り。……人間が相手だと意味なかったけど」

 抹香と、しんとした薄闇。彼女はキャンディーほどになった最後の紙をめくる。光が飛びでる。

「いまは私のお守り。純度100の白銀弾」

 その小さな玉に、俺のなかのかすかな龍が怯える。




次章「4.1-tune」
次回「躾けあう二人」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み