四十五 三十七時間後
文字数 1,944文字
「起きたほうがいいよ」
呼びかけられて、俺ははっと目を覚ます。……ここはどこだ? 屋上か? やけに荒れているけど、俺はここでなにをしていた?
「君は忘れて、僕は思いだす」
俺を起こした人間がぽつりと言う。同年代みたいだけど知らない奴だ。朝日を背にしているから、まぶしくてよく見えない。
「夏奈からの連絡なんて何年ぶりだったかな。……メールの時代で止まったままの二人か。チェックなんてするはずない。しかも僕は昔の仲間と関係を切るため、電話番号を変えていた。そうでなければ、すぐに来れたのに」
独り言を言っている。
コンクリートの上で大の字になっていた俺は起きあがる。服はほとんど汚れていない。……きっと、ドーンと飲んで、下戸のドーンのぶんまで酔っぱらって、こんなところに入りこんだのか。きっとそうだ。情けない。
「君の犬だろ。連れていきな」
こいつは黒色の子犬を抱えていた。近くで見ても知らない顔だ。俺より背が低くて長髪で、アイドル系の顔立ちだ。
俺の犬と言うのならばそうなのだろう。ぼうっとしたままで眠る子犬を受けとる。その片側の目は潰れていた。
「他の怪我は治してあげた。目だけは受けいれているから無理だった」
淡々と言われる。「こいつらがそいつの大事な友達をもらったから、せめてものお詫びだよ」
……どう受け答えしていいか窮してしまう。これは演劇部の朝練かな? そういえば俺は演劇部だっけ? いや、違う。4-tuneっていうテニスサークルのメンバーだ。
俺はなんだか疲れているな。疲れすぎて頭がはっきりしない。
「同時に騒ぐな。この箱は災厄だろ。人が封印されている」
寝起きの俺に背を向けて、こいつは一人で喋る。
「僕はまだ異界へと言葉を発せられない。なのに人へと関われない。……救うことから始めてみるか」
こいつはなにかを見おろしている。俺はぼうっと見るだけだ。
「ロタマモ、小言を言うな」
独り言を続けながらなにかを拾う。
「サキトガ、昔の名前で呼ぶな」
こいつは大きな刀を片手で持ちあげる……。つまり模造刀だな。朝日を受けたのか、刀がやけに輝く。
「剣はもらっていくよ。代わりにこれをあげる」
俺はロッカーの鍵を手渡される。
「スマホは僕が預かる。衣服は彼女に残しておく。玉は……、欲しいけど彼女の魂と同一だから」
「なんですか、これは?」
俺はようやく声を発する(敬語だけど)。こいつはさわやかに笑いかえす。
「はやく帰りな。すべて忘れてね。……黒猫なんて不吉だろ」
俺の質問に答えずに、また背を向ける。
「あと50秒ぐらいで目を覚ますってさ。――女の子は自業自得だ。あとは自分でなんとかするだろ」
見知らぬ男は剣を肩に乗せて階段から消える……。
彼女とか女の子って誰だ? 俺はあらためて屋上を見わたす。入り口のドアは内側へと折れ曲がっていた。囲むネットもあちらこちら……。たしかに逃げたほうがよさそうだ。廃ビルだろうが、俺のせいにされたくない。
それより何時だ。子犬をおろしスマホを取りだす。……なぜだかふたつもある。ポケットにまぎれこんだ焦げた木の端くれを捨てながら、まず一台をだしてみる。
見なれない機種だ。溶けたようなデザインのカバーが格好いいが、いくらなんでも酔っぱらいすぎだ。警察に届けないとならない。
念のため電源ボタンを押すと、画面に俺が映った。顔か虹彩の認証かな――。ドライヤーみたいな熱を感じる。
「うわっ」
冷気や衝撃も感じて、おもわず放り投げる。
なのに熱くも冷たくもない。地面に落ちたスマホからは、異国の呪文めいた声が流れている。その脇で捨てた木っ端が粉々になる。風に吹かれたように消えていく。
ぼろぼろの炭だったのだな。ポケットを裏がえして洗濯しないとな。
いまだお経みたいなのを唱えるスマホを拾いなおす。電源を消してポケットにしまう。自分のスマホを取りだす。
「て、哲人だよな」
人の声がしてびっくりする。散乱した瓦礫の中で、ドーンが赤い布をかけて座りこんでいた。
「哲人の目、もう青くないじゃん。だ、だから人間だよな。俺達、戻れたんだな。……み、みんなは? 川田は? 桜井は? 瑞希ちゃんは?」
そいつらは誰だよ? まだ酔っぱらっていやがるな。
なぜだか首が重くなる。あらためて時間を確認すると、日曜(?)の朝五時だった。どれだけ発散したのか知らないけど、疲労の限界だ。
俺は呑気に眠る子犬を抱きあげる。夏休みだろうがバイトと勉強、それと女の子が生活の主軸だ。さっきの奴が言うように、みんな忘れよう。幸運にも今日のシフトは遅番だ。
「とりあえず帰ろうか。ていうか、逃げよう」
俺は友人の口ぐせを真似て、笑いながら手を差しだす。
朝から太陽がでかいな。今日も暑くなるな。
次回……
呼びかけられて、俺ははっと目を覚ます。……ここはどこだ? 屋上か? やけに荒れているけど、俺はここでなにをしていた?
「君は忘れて、僕は思いだす」
俺を起こした人間がぽつりと言う。同年代みたいだけど知らない奴だ。朝日を背にしているから、まぶしくてよく見えない。
「夏奈からの連絡なんて何年ぶりだったかな。……メールの時代で止まったままの二人か。チェックなんてするはずない。しかも僕は昔の仲間と関係を切るため、電話番号を変えていた。そうでなければ、すぐに来れたのに」
独り言を言っている。
コンクリートの上で大の字になっていた俺は起きあがる。服はほとんど汚れていない。……きっと、ドーンと飲んで、下戸のドーンのぶんまで酔っぱらって、こんなところに入りこんだのか。きっとそうだ。情けない。
「君の犬だろ。連れていきな」
こいつは黒色の子犬を抱えていた。近くで見ても知らない顔だ。俺より背が低くて長髪で、アイドル系の顔立ちだ。
俺の犬と言うのならばそうなのだろう。ぼうっとしたままで眠る子犬を受けとる。その片側の目は潰れていた。
「他の怪我は治してあげた。目だけは受けいれているから無理だった」
淡々と言われる。「こいつらがそいつの大事な友達をもらったから、せめてものお詫びだよ」
……どう受け答えしていいか窮してしまう。これは演劇部の朝練かな? そういえば俺は演劇部だっけ? いや、違う。4-tuneっていうテニスサークルのメンバーだ。
俺はなんだか疲れているな。疲れすぎて頭がはっきりしない。
「同時に騒ぐな。この箱は災厄だろ。人が封印されている」
寝起きの俺に背を向けて、こいつは一人で喋る。
「僕はまだ異界へと言葉を発せられない。なのに人へと関われない。……救うことから始めてみるか」
こいつはなにかを見おろしている。俺はぼうっと見るだけだ。
「ロタマモ、小言を言うな」
独り言を続けながらなにかを拾う。
「サキトガ、昔の名前で呼ぶな」
こいつは大きな刀を片手で持ちあげる……。つまり模造刀だな。朝日を受けたのか、刀がやけに輝く。
「剣はもらっていくよ。代わりにこれをあげる」
俺はロッカーの鍵を手渡される。
「スマホは僕が預かる。衣服は彼女に残しておく。玉は……、欲しいけど彼女の魂と同一だから」
「なんですか、これは?」
俺はようやく声を発する(敬語だけど)。こいつはさわやかに笑いかえす。
「はやく帰りな。すべて忘れてね。……黒猫なんて不吉だろ」
俺の質問に答えずに、また背を向ける。
「あと50秒ぐらいで目を覚ますってさ。――女の子は自業自得だ。あとは自分でなんとかするだろ」
見知らぬ男は剣を肩に乗せて階段から消える……。
彼女とか女の子って誰だ? 俺はあらためて屋上を見わたす。入り口のドアは内側へと折れ曲がっていた。囲むネットもあちらこちら……。たしかに逃げたほうがよさそうだ。廃ビルだろうが、俺のせいにされたくない。
それより何時だ。子犬をおろしスマホを取りだす。……なぜだかふたつもある。ポケットにまぎれこんだ焦げた木の端くれを捨てながら、まず一台をだしてみる。
見なれない機種だ。溶けたようなデザインのカバーが格好いいが、いくらなんでも酔っぱらいすぎだ。警察に届けないとならない。
念のため電源ボタンを押すと、画面に俺が映った。顔か虹彩の認証かな――。ドライヤーみたいな熱を感じる。
「うわっ」
冷気や衝撃も感じて、おもわず放り投げる。
なのに熱くも冷たくもない。地面に落ちたスマホからは、異国の呪文めいた声が流れている。その脇で捨てた木っ端が粉々になる。風に吹かれたように消えていく。
ぼろぼろの炭だったのだな。ポケットを裏がえして洗濯しないとな。
いまだお経みたいなのを唱えるスマホを拾いなおす。電源を消してポケットにしまう。自分のスマホを取りだす。
「て、哲人だよな」
人の声がしてびっくりする。散乱した瓦礫の中で、ドーンが赤い布をかけて座りこんでいた。
「哲人の目、もう青くないじゃん。だ、だから人間だよな。俺達、戻れたんだな。……み、みんなは? 川田は? 桜井は? 瑞希ちゃんは?」
そいつらは誰だよ? まだ酔っぱらっていやがるな。
なぜだか首が重くなる。あらためて時間を確認すると、日曜(?)の朝五時だった。どれだけ発散したのか知らないけど、疲労の限界だ。
俺は呑気に眠る子犬を抱きあげる。夏休みだろうがバイトと勉強、それと女の子が生活の主軸だ。さっきの奴が言うように、みんな忘れよう。幸運にも今日のシフトは遅番だ。
「とりあえず帰ろうか。ていうか、逃げよう」
俺は友人の口ぐせを真似て、笑いながら手を差しだす。
朝から太陽がでかいな。今日も暑くなるな。
次回……