三の四 龍肝

文字数 4,238文字

「日本人、横柄すぎないか? 私達は特別にあなたを茶会に参加させた。特別にだ」
 末席に近い男が腕を組んで言う。

「人を寄こせですって? しかも王思玲を?」
 ルビーと呼ばれた女性も机に乗りだした。

「深圳って隣町ですよね? そこへのお供なんて下っ端の仕事です」
 思玲が両手を広げる。「なので私が――」

「お前を解放するはずないし、孫は論外だ。だがルビーを貸してやる。彼女は広州出身だ。彼女のおかげであそこと友好を保っている」
 梁勲がむすっと告げる。
「日本で関わった者の話は聞き終えた。ミスター麻卦をアグネスがホテルまで案内する。孫も出ていけ。王思玲は残れ。私の後ろにいる奴は茶を沸かせ。お前は孫と王思玲を交互に見ているだけだろ。警護失格だ」

「本日は良きビジネスのうえに、素晴らしい集いに参加させていただきありがとうございました。松本君、行こう」
 麻卦さんが立ち上がる。俺の顔を見ながら付け足す。
「心配するな。もっと頼りになる方々に依頼する。そこはやり残した仕事があるらしく、正式な依頼を待っている。そんじゃ香港のみなさん、再見」
 俺の肩を叩こうとしてつるりと滑る。部屋を出ていこうとする。

 頼りになる方とは……上海不夜会の長である沈栄桂。でも彼女が狙うのは龍ではない。使い魔のボスであった藤川匠だ。月神の剣を輝かす悪の優男……。

「上海と関わるならば私達との縁は切れるぞ」
 その背中へと周婆さんが言う。

「龍を倒さないとならないんだよ。人の目に見える龍だ。何百年も前の邪悪な魔導師の生き返りもだ」
 麻卦さんが振り返る。
「漫画の世界の話じゃないんだぜ。俺達だってあの国の政府

公認の団体などと関わりたくない。でもな、あんたらが力にならないならば、俺らがやるしかないだろ。……そりゃ俺らには、とてつもない力を持つ若い子がいる。何より折坂がいる。宮司だって奴を実戦に使うのを拒まないだろうな」

「大和獣人を使うのか? ひゃひひは……」
 周婆さんが入れ歯を入れなおす。
「龍とあれが戦えば町が消滅するぞ」

「それならあなたが来てくれよ。梁大人と二人でくれば簡単に終わるだろ」

 麻卦さんの言葉に、また落ち着かない空気が漂いだした。

「老大大は異形を狩らぬのを知らないのか? そして私は老いた。封じた異形どもを制御できないかもしれない。なのに引き継げる若手が現れない。それでもいいのか?」

 梁勲の押し殺した声に部屋はさらに沈黙。麻卦さんまでもだ。
 香港の魔道士達は異国で死にすぎた。これ以上の血を流すのを望んでいない。それは申し訳ないほどに理解できる。俺だって家族を巻き込みたくない。
 でも、だったら、

「だったら思玲を返してください。他は望みません」
 俺が叫ぶ。

「私も強い。私は魔道団を代表して日本へ行きたい」
 ドロシーまで叫ぶけど。

「ドロシーは傷を治そうよ」
 俺は小声で言う。

「……その台湾娘はそんなに強いのか? ケビンよりもか?」
 末席の男が眼光鋭く俺を見る。

 おそらく弱い。でも。

「はい。傷を負った彼と手合わせはしませんけど」
 思玲がきっぱり言う。

「王思玲は巨大すぎる敵と何故に戦いたいのだ?」
 梁勲が彼女へと聞く。

「そりゃ、やり残したことのためです」
「その後は?」
「台湾に帰ります。師傅の墓をこしらえたら、しばらくのんびりしたいです」
「本意でなかろうとお前は若返ったよな? 魂が削られているのは覚悟しているか?」

 俺はあらためて思玲を見つめる。若くて綺麗な思玲を。

「じつはもう一人若返ったのがいます。自分はどうでもいいですけど、そいつだけは何とかしてやりたくて……梁大人や周婆さんならばご存知ですか?」

 十二三歳の容姿に戻ってしまった横根瑞希のことだ。

「思玲ちゃんはそのために戦うのではないのか? どっちにしろ長話はやめてくれ。俺はマジでいくからな」
 麻卦さんがドアへと向かう。

「ひゃひゃひゃ、玲玲よ、魂を回復させる術は知っている。だが伝承じゃ。試せば毒に当たり死ぬと思うぞ」
 周婆さんが笑う。
「龍の肝を口にするなどやめておけ」

 俺は立ったまま周婆さんの口もとを見る。どういう意味だ? いや分かるけど……貪を倒して、その肝を喰らえば思玲や横根は本来の姿に戻れるのか? ……カラスのままのドーンはどうだ? 獣人のごとき川田は? 人に見えぬままの俺は?
 数年で老衰を迎えるらしい夏奈は?

「そんなものを食うつもりなど鼻毛の先ほどもありません。広東料理の食材に追加してください」

 思玲はきっぱり答えるけど……、毒か薬かしれぬものを試せるはずないよな。

「梁勲。私はもう一度言う。この娘が大好きだ。いまの話を聞いて、もっと好きになった。滅多にないことだ」
 周婆さんが隣に座る男へ告げる。

 室内が静まる。誰もが実力者の次なる発言を待っている。

「……龍は何故に静かなままだ?」
 梁勲が麻卦さんの背中に問う。「生まれ変われし男は何を狙っている?」

 麻卦さんは立ち止まったまま答えられない。俺だって知らない。それは藤川匠の頭のだけにある。奴だけが知っている。今の世に生まれ返った訳を。

決戰(キュジン)……」

 水を打ったような室内で、ドロシーの人の言葉がぽつりと聞こえた。そしてまた静寂。

「王思玲は影添大社に預ける。それでいいのだな?」
 梁勲が沈黙を終わらせる。
「その戦いに魔道団は関わらない。上海にも関わらせない。それでいいのだな? 龍はまだ微塵も暴れていないのだから」

「はい。充分です」
 梁勲の弁解じみた付け足しに、ややむかついた俺が返事してしまった。

「ドウチェ、ドウチェ。とりあえず今はそうしましょう」
 麻卦執務室長が笑みを浮かべて振り返る。
「深圳行きにルビーさんも不要です。美人だからデートならばお願いしたいですけどね」

「香港魔道団の皆様のご厚意に感謝します」
 思玲が頭を下げる。勝ち誇った笑みを消せよ。

「哲人さんは私をぜんぜん見てくれないのね」

 真横で寂しげな声がした。異形な俺に触れてくれる温かい手が――戦いを告げた手が離れる。

 ***

 茶会が終わり、ドロシーは思玲とともに自分の部屋へ向かった。彼女と一緒じゃないとあのフロアへは入れない。代わりに六魄が寄ってきた。こんなのを連れていたら絶対に思玲にどやされる。

「答エアリキト言ウカ、駆ケ引キナンダヨ。コッチノ人間ハ、マドロコシイカラナ。スベテハ孫娘ノ仕業」

 麻卦さんが上機嫌に日本語で教えてくれる。
 ドロシーが連行してきたせいで、魔道団は思玲を拘束せざるを得なかった。そりゃ楊偉天の弟子だったのだから、おいそれと解放できない。俺達はその助け舟らしいけど、すぐに引き渡すのもプライドがゆるさない。だから茶番を繰り広げたそうだ。
 横から見ている分にはそうは見えなかったけど。とくに上海との言葉への魔道団の反応は――。
 六魄達がかすむように消える。入れ替わりに雅のうなり声が聞こえた。

「結界であの国に入国するのか? やめたほうがいい。私は先日母国の空港でたいへんな目にあった」
 思玲が戻ってくるなり言う。服装はそのままで眼鏡をかけていない。小振りなバッグを肩にかけてある。
「じろじろ観察するな。これに入れてあるのはドロシーに預けていた七葉扇と、香港で入手した着替えぐらいだ。あのポシェットも記念に入れてある」

「話を振っておいて脱線するなよ。広州魔会の閭って人が来てくれる。彼女と一緒に中国へ密入国だ。異形も一緒にな」
 麻卦さんが小声になる。「じつはな、閭はもう香港にいる。ホテルにいかず彼女と合流する」

 一瞬戸惑ってしまったけど、ありがたい話じゃないか。日本に戻る時間を短縮できる。それでもやり残したことがある。

「ドロシーともう一度会いたい」
 あのまま別れるのは辛すぎる。

「彼女は更にむくれてベッドに入ったぞ。ちょっときつい言葉をかけてしまった」
 思玲が言う。
「私だってシノとケビンと会わずじまいだ。だが、いつか再会できる。ではチャイナへ向かうとするか。麻卦さんよろしくお願いします」
「思玲ちゃんは隣の席ね。冗談だよ」

 梁勲も知らぬ間にいなくなっていて、お礼も別れの挨拶もできなかった。代わりに頭上に蛇を浮かばせた周婆さんが俺達のもとに来た。

「私はあの戦いの最後の生き残りだから念押しするよ。上海には頼るな。玲玲はいつでも私のもとにおいで」

 強い目で言って本人も浮かんで去っていく。鬼が後に続く……浮かんで? 
 なんであれ、魔道士達の過去のしがらみなど関係ない。俺達はすべきことをするだけだ――思玲が俺を睨んでいる。

「青い目のままか。桜井はドラゴンのときにそれを受け取らなかった」
「眼鏡をかけなよ。怒っているかと思った」
「日本で調達する」

 彼女の言うとおりに、俺は藤川匠に青い光を分断されて、異形の記憶もない人に戻された。夏奈は受け取らないどころか俺へと返した。

「俺も標的だよね。承知しています」
「私が年を取るなり敬語が混じりだしたか。落ち着いていようが、まだ年下だからな。では行くぞ」
 行先も知らないくせに高校生の思玲が歩きだす。

 *

紅磡(ホンハム)の下見? ここからだとフェリーですぐですけど」
「日本人は心配性なんだよ。ホテルにはタクシーで行くからドントウォーリー」
「たしかにあの路線はじきに廃線になる噂ですけどね。この国には決定権がないみたいだし」

 アグネスは余計な仕事が減ったと露骨な態度で去っていく。俺達は別の者が運転するワゴン車に乗り込む。クラクションと人いきれで目が回りそう。はやくこの都市から脱出したい。


 ふるびたフェリー乗り場。露店で海産物が売っている。船には二十人ほど乗りこんだ。俺達は目立たぬように最後に入り、俺と雅は端で小さくなる。

「あの忌むべき連中も連れていくのか? お前が私と離れるなり現れるぞ」

 狼がいきなり喋ってびっくりさせられる。
 六魄のことに決まっているが、あいつらも乗船しているのか。

「思玲は気づいている?」
「もちろん。だが、あの男の式神だと思っている。私も主に聞かれるまで答えない」

「思玲ちゃんが承諾してくれたから、用心棒君にも教える」
 あの男がやってきた。チンタオビールのアルミ缶を開けながら言う。
「深圳から日本へ帰る。南京のお坊さんとはドタキャンする」

 きょとんとしてしまった。いや、寄り道が消えて、更に更にありがたい話だけど。

「……冥神の輪は?」
「もう少しだけ借りる。龍退治が終わるまでな」

 潮風を浴びながら麻卦さんが笑う。




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