三十九の一 マジにさせてしまった
文字数 2,171文字
……まんまデーモンだよな。10メートルは余裕であるよな。
林に逃げこめ
生存本能がそれだけ告げる。大蔵司の血が興奮しだした。転がるように走りながら手のひらを肩にあてる。……また痛みも傷もない消耗戦だろうけど、あの魔物の声はサキトガ。
天珠も珊瑚もない。
『ゆえにお前の心は丸見え。ずいぶんと梓群に執着しちゃったな。フロレ・エスタスが嘆くぜ』
薄暮の空からの呼ぶ声。
『お前が死ぬまで87秒。梓群が228秒。横根瑞希が手もとに揃うのが、新月丁度の474秒後だ』
このカウントダウンはでまかせだ。まやかしだ。木立の深いところへとめざす。枝が刺さろうが足首を捻ろうが痛くない。残り55秒。54,53……、数えるな。……フロレ・エスタスって誰だ?
『名の意は伝わらないから教えてやるよ。この国に訳せば“花咲き乱れる夏”』
サキトガが目の前に降りてくる。
『龍の名前。桜井夏奈の古い名』
藪を踏みつぶす。
惑わされるな。56、55……。リュックサックを守らないと。
片側だけになった紐をはずし胸に抱える。四玉の箱。青龍の玉をこいつらは必要としている。ならば――
『必要ない』
サキトガである巨大な魔物の爪が俺へと向かう。とっさにリュックをかばう。でかすぎる手に持ち上げられる。痛くはないけど生温かい……。俺の血だ。
左手がリュックを抱えてちぎれた右腕も握っていた。
『たっぷりと読んでやるな。家と弟は護符が守っている。両親は四国。……大塚美術館はいいよな。俺も行ったぜ。今夜はその近くにお泊りなら、俺の羽根で二時間二十分だ』
あいつのしめつける手のなかで、俺は右腕を傷口につける。左手を上へとずらしていき傷口をさする。38.37……。夏奈、助けに来てくれ。
『都合のいい野郎だな』
闇に染まった巨大な顔へ俺を運ぶ。
『心の中がドロシー一色だ。いまさら呼ぶな』
そうであろうと夏奈は必ず来る。そういう奴だから。
「桜井い! 夏奈あ!」声にだして絶叫する。
『残り26秒。まずお前を食い殺し、横根瑞希を連れて四国に行く』
サキトガから悲憤がにじみでる。
『父親が五百二人目で、母親が五百三人目だ。……夜半には匠様のもとにたどり着く。今度こそ俺を抹殺していただき、俺の腹を裂き青龍の光をお受けとりいただく』
弟は生き残るらしい。9,8……。サキトガが口を開く。その闇のなかには、食い殺された人々の呪怨がなおも漂っていた。
「……純度100の白銀弾」
心に思う。3秒,2秒……。
「ドロシーの心を読んでいないのか?」
俺は空へと投げられる。遠い山脈の稜線がかすかに明るい。どこかでカラスが鳴いている。
林に落下する。頭だけ守る。枝葉を折り地面に叩きつけられる。すぐに体をさする。
『祖父の術でひそめた心はそれか』
巨大な魔物である闇が現れる。
『俺とお前が死んで、横根瑞希が人に戻るところだったな』
木々を左右に押し倒す。
まやかしだろうがなんであろうが聞いていられない。白銀弾をださないと。
『どこから?』
サキトガの巨大な爪に、ドロシーのリュックが下がっていた。
「返せ!」
俺は奴へと飛びかかる。巨大なサキトガが笑う。
『こっちは崖だぜ』
宙に浮かんでいた奴の前で、灌木を折りながら無様に転がる。頭だけを抱えて落ちていく。さらに絶壁から渓流へと数メートル落下する。岩にぶつかり、沢に尻から落ちる。今度は数メートル流されて岸へと這いあがる。……痛くはないから、さすれるところはすべてさする。折れたらしい右大腿骨と左踝も復活する。
びしょ濡れだ。ここはどこだ。仲間がどこかも分からない。谷底から見あげても、雷雲の兆しなどありやしない。
もはや俺にはなにもない。ポケットにはさきほどの鷹笛……。くわえて息を吹きかける。音は鳴らなくても、カラスであるドーンに届くだろうか。
『そんな笛で俺の念波はゆがま……』
見えない爪がかすめる。痛くはないけど……、右腕がなくなった! 水になにかが落ちた音は、これまた俺の――。
あわてて傷口をさする。腕がはえてきた。もはや正真正銘の化け物だ。
『お前なあ。そんなのを使いまくると、死後が地獄じゃすまないかもな』
巨大な闇の魔物が降りてくる。
『念波がゆがんじゃったぞ。お前はもう少し生き延びるようだな』
こいつの話に聞き入るな。時間稼ぎしないと。
『聞き入れよ。時間稼ぎに教えてやるから。これは、あのお方に成敗されるまえの本来の姿。そんでお前が見てきたのは、ロタマモが命乞いしてくれて、あのお方に従ったあとのかわいい姿。もっと稼ぎたいか?』
心を端から読まれる。下流に逃げると見せかけて上流に向かう。そんなフェイントは無理だなんて考えているのもバレバレだろう。
闇がすっと寄ってきて、俺はまた持ちあげられる。そういえばリュックは、
『おかげで冷静になれた。どこかに投げ捨てたよ。お前も横根と一緒に連れていく』
サキトガが巨大な羽根をひろげる。
『生け贄がふたつだ。良かったな。匠様に拝見できるぜ』
締めつけられて抵抗できない。痛くなくてもどうにもならない。
『お前の両親はあきらめてやる』
サキトガが舞いあがる。
『横根瑞希を抵抗なく渡せば誰も傷つけない。夏梓群以外はな……。またまた呼びやがったな』
さらに締めつけられる。……巨大な影が羽音なく近づいてきた。
次回「幼き翼」
林に逃げこめ
生存本能がそれだけ告げる。大蔵司の血が興奮しだした。転がるように走りながら手のひらを肩にあてる。……また痛みも傷もない消耗戦だろうけど、あの魔物の声はサキトガ。
天珠も珊瑚もない。
『ゆえにお前の心は丸見え。ずいぶんと梓群に執着しちゃったな。フロレ・エスタスが嘆くぜ』
薄暮の空からの呼ぶ声。
『お前が死ぬまで87秒。梓群が228秒。横根瑞希が手もとに揃うのが、新月丁度の474秒後だ』
このカウントダウンはでまかせだ。まやかしだ。木立の深いところへとめざす。枝が刺さろうが足首を捻ろうが痛くない。残り55秒。54,53……、数えるな。……フロレ・エスタスって誰だ?
『名の意は伝わらないから教えてやるよ。この国に訳せば“花咲き乱れる夏”』
サキトガが目の前に降りてくる。
『龍の名前。桜井夏奈の古い名』
藪を踏みつぶす。
惑わされるな。56、55……。リュックサックを守らないと。
片側だけになった紐をはずし胸に抱える。四玉の箱。青龍の玉をこいつらは必要としている。ならば――
『必要ない』
サキトガである巨大な魔物の爪が俺へと向かう。とっさにリュックをかばう。でかすぎる手に持ち上げられる。痛くはないけど生温かい……。俺の血だ。
左手がリュックを抱えてちぎれた右腕も握っていた。
『たっぷりと読んでやるな。家と弟は護符が守っている。両親は四国。……大塚美術館はいいよな。俺も行ったぜ。今夜はその近くにお泊りなら、俺の羽根で二時間二十分だ』
あいつのしめつける手のなかで、俺は右腕を傷口につける。左手を上へとずらしていき傷口をさする。38.37……。夏奈、助けに来てくれ。
『都合のいい野郎だな』
闇に染まった巨大な顔へ俺を運ぶ。
『心の中がドロシー一色だ。いまさら呼ぶな』
そうであろうと夏奈は必ず来る。そういう奴だから。
「桜井い! 夏奈あ!」声にだして絶叫する。
『残り26秒。まずお前を食い殺し、横根瑞希を連れて四国に行く』
サキトガから悲憤がにじみでる。
『父親が五百二人目で、母親が五百三人目だ。……夜半には匠様のもとにたどり着く。今度こそ俺を抹殺していただき、俺の腹を裂き青龍の光をお受けとりいただく』
弟は生き残るらしい。9,8……。サキトガが口を開く。その闇のなかには、食い殺された人々の呪怨がなおも漂っていた。
「……純度100の白銀弾」
心に思う。3秒,2秒……。
「ドロシーの心を読んでいないのか?」
俺は空へと投げられる。遠い山脈の稜線がかすかに明るい。どこかでカラスが鳴いている。
林に落下する。頭だけ守る。枝葉を折り地面に叩きつけられる。すぐに体をさする。
『祖父の術でひそめた心はそれか』
巨大な魔物である闇が現れる。
『俺とお前が死んで、横根瑞希が人に戻るところだったな』
木々を左右に押し倒す。
まやかしだろうがなんであろうが聞いていられない。白銀弾をださないと。
『どこから?』
サキトガの巨大な爪に、ドロシーのリュックが下がっていた。
「返せ!」
俺は奴へと飛びかかる。巨大なサキトガが笑う。
『こっちは崖だぜ』
宙に浮かんでいた奴の前で、灌木を折りながら無様に転がる。頭だけを抱えて落ちていく。さらに絶壁から渓流へと数メートル落下する。岩にぶつかり、沢に尻から落ちる。今度は数メートル流されて岸へと這いあがる。……痛くはないから、さすれるところはすべてさする。折れたらしい右大腿骨と左踝も復活する。
びしょ濡れだ。ここはどこだ。仲間がどこかも分からない。谷底から見あげても、雷雲の兆しなどありやしない。
もはや俺にはなにもない。ポケットにはさきほどの鷹笛……。くわえて息を吹きかける。音は鳴らなくても、カラスであるドーンに届くだろうか。
『そんな笛で俺の念波はゆがま……』
見えない爪がかすめる。痛くはないけど……、右腕がなくなった! 水になにかが落ちた音は、これまた俺の――。
あわてて傷口をさする。腕がはえてきた。もはや正真正銘の化け物だ。
『お前なあ。そんなのを使いまくると、死後が地獄じゃすまないかもな』
巨大な闇の魔物が降りてくる。
『念波がゆがんじゃったぞ。お前はもう少し生き延びるようだな』
こいつの話に聞き入るな。時間稼ぎしないと。
『聞き入れよ。時間稼ぎに教えてやるから。これは、あのお方に成敗されるまえの本来の姿。そんでお前が見てきたのは、ロタマモが命乞いしてくれて、あのお方に従ったあとのかわいい姿。もっと稼ぎたいか?』
心を端から読まれる。下流に逃げると見せかけて上流に向かう。そんなフェイントは無理だなんて考えているのもバレバレだろう。
闇がすっと寄ってきて、俺はまた持ちあげられる。そういえばリュックは、
『おかげで冷静になれた。どこかに投げ捨てたよ。お前も横根と一緒に連れていく』
サキトガが巨大な羽根をひろげる。
『生け贄がふたつだ。良かったな。匠様に拝見できるぜ』
締めつけられて抵抗できない。痛くなくてもどうにもならない。
『お前の両親はあきらめてやる』
サキトガが舞いあがる。
『横根瑞希を抵抗なく渡せば誰も傷つけない。夏梓群以外はな……。またまた呼びやがったな』
さらに締めつけられる。……巨大な影が羽音なく近づいてきた。
次回「幼き翼」