十五の一 あてなきリスタート
文字数 3,242文字
ひとつの玉は黒色に透けたままらしい。俺から飛びだした光は玉へと戻り、思玲が蓋を閉ざしたとのことだ。
「箱をちょっとだけ壊してみないかい。スーリンがちょっと大きくなるかもね」
フサフサの案は、みんなに一蹴された。
術の存在を知ったドロシーが、箱を遠巻きに見ている。緋色の護布越しといえ、彼女は持ちあげようとした。一歩間違えれば、彼女はあのとき吸いこまれていた。
***
俺はいたって冷静だ。内側では、怒りと焦りがふつふつしている。抑えないとドロシーに襲いかかる。知っていることをすべてさらせと。
だから俺は冷静に務める。四玉の箱と短機関銃を入れたリュックを背負う。護符はおなかに入れておく。手負いの獣に散々しゃぶられたのに、傷もついていなかった。
横根はどこだ、桜井はどこだ? 記憶は戻るなりプレッシャーを与えてくる。それでも俺は冷静だ。親友であった猟犬を見おろす。
「川田。日が昇ってまた沈むのは、まだずっと先だよな」
だから俺達はいそがない。
「川田じゃない。俺はリクトだ」
川田はそう言うだけだ。
俺達の背後が明るくなる。
「アチチ!」
黒猫であった女の子が悲鳴をあげる。彼女の背中をあぶった肥大した光がおさまっていく。
「そんなの基本の術だろ。なんで制御できない?」
ドロシーは言いかえそうとして、うつむくだけだ。
「銃を、だしとかね? すぐに撃てるのがよくね?」
ドーンが彼女に言う。
「分からないの? ずっと見てきた人に聞いて」
ドロシーは、にらんだままの顔を俺に向ける。
俺はドロシーを信頼しているし、おそらく彼女も俺を。にらまれたのは、ドーンの質問のためだ。そして彼女とずっと一緒にいたけど、武器をしまった理由は分からない。
「制限をかけた術など、棒と同じだからだ。実戦で使って分かっただろ」
思玲が小馬鹿に笑う。
「その棒だと相手を制する術はだせない。かといって、あの銃でも敵を圧することはできぬ。あれはMP5だったな(なんで分かる)。術が銃からの理屈は分からぬが、もう少し出力をあげられないのか?」
ドロシーは提灯の明かりをシノの足もとに向けながら、
「改造したのは私だけど、調整は祖父の許しとパソコンがないとできない。スマホを誰かに壊されたから」
ぽつり言う。意を決したように、少女に目を向ける。
「王姐、さっきの扇は素晴らしかった、です。スマホのお詫びに、もう一度だけ触らせてもらえますか」
目が輝いてやがる。この状況下で。
「あれは気の迷いだ。二度と渡さぬ。スマホを壊したのはフサフサだ。文句は奴に言え」
思玲はそっけなく答える。
「行くぞ。斥候を買ってでたフサフサを、いつまでも一匹にしていることこそ危険だ」
女の子はすたすたと暗闇を歩きだす。ドーンが低く飛んで追い越す。
「へへ、魔道具を他人に触らせるはずないよね。シノ、時間を教えて。パパの形見の腕時計、なくしちゃったから。へへ……」
ドロシーが棒立ちのままの同僚へと聞く。
「23時15分」
シノが力なく言う。
「あれを失っても笑って済ませられるんだ。私より、アンディより、あなたは薄情なほどに強い。こっちの世界では」
ドロシーは聞こえないふりをする。闇に映える端正な横顔。シノもならんで歩きだす。……日没が十九時として、新月まであと二十時間。
「行くよ」
見当もつかないけど、横根を救うために。そして夏奈も。山の気配ばかり探っている川田をうながす。
*
「あれを借りよう」
ドロシーがつとめて明るく言う。思玲も同意しやがって、庭先の運搬車の荷台にまっさきによじ登る。どこかで乗り捨てるしかないなと、俺は思うしかできない。平和な集落だからって、今後は鍵をさしたままにしないように願う。
ドロシーが運転し、シノが助手席に乗る。荷台にドーンと露泥無も乗りこむ。ディーゼルの匂いを懐かしく感じる。
「ハラペコは降りろ。ドロシーと内密な話がある」
「思玲、わざとそう呼ぶのだろ。いいさ。好きに呼べよ」
露泥無がうんざりとした顔をする。「でも僕はどかない。なぜなら大姐からの使命だからね。願わくは、僕を大姐と思ってお扱いいただきたい」
「生意気な口はやめておくれ」
合流したフサフサが道から手を伸ばし、露泥無の頭をはたく。彼女の眼鏡が飛ぶのを見て、上空に浮かぶ俺はひんやりとする。ドーンが慌ててくわえて、彼女に戻す。
露泥無はフサフサをにらみかえすだけだった。おそらく異形であるこの女の子よりフサフサのが強い。この子がマッスルな男や虎に変身できない限り……。できたりして。警戒だけはしておこう。
「俺も乗るぜ」川田が荷台へと跳躍する。「高いところにいれば、カラスが来たら届くかもな」
浮かぶ俺へと笑う。俺はコメントしない。夏奈はどこだ。桜井はどこだ。思玲、はやく聞きだせ。拒否されると、俺だと暴走する。
異形と魔道士を満載した農耕車は、アスファルトの道にでる。後方からの車が抜きさる。向こうの世界の存在が遠ざかっていく。
「この国の魔道士に助けを求めるのか? 言っておくが、私達は一文無しだ」
女の子が運転席に聞く。まだ浄財が残っているが言う必要ない。
「へっ、奴らに私達を助ける力などない」
ドロシーは下り坂なのにアクセルを踏んでいる。
「怪我人を匿ってもらうだけ。つまり私も」
シノが続く。「あそこに期待の若手が入ったと聞く。だったらなんで私達がここで魔物と……」
「あの社は真の姿を見せようとしない。――怪我人の搬送はどうする? お前達にしても、もはや人の世界に関われぬだろ。電車になど乗るなよ」
いつまで雑談しているのだ。俺の視線に女の子が気づく。目つきが悪いから、にらまれていると感じてしまう。
「荷台に乗るより、浮かぶのが楽なのか?」
必要ないことを尋ねてくる。
「首の傷に響きそうだから。それより――」
俺はうながし、少女はうなずく。
「ケビンはどこだ?」思玲はまずそれを聞く。
「松本はすでに知っている。だから隠さず言う」
ドロシーは運転しながら言う。
「私達はあなたを捕捉する指令を受けてきた。それと別に、台湾の異形を抹殺し、楊偉天を連行する任務の本隊も来ている。隠密にね。……ケビンは、遅れて到着した彼らと合流した。いまだ誰とも連絡は取れない」
彼女は、悄然とスマホに打ちこむだけのシノをちらりと見る。シノが心を失って当然だ。
「龍はどこだ?」思玲が間髪おかずに聞く。
「噂だと、いまは九州地方がお気に入りらしい。でも我々は龍を捕らえるために来たのではない」
つまり夏奈は九州にいる。……遠すぎる。ドロシーは淡く照らされた車道だけを見ている。
「もう一人の女の子のことは、なにも知らないから聞かないで。話題にすらなっていない」
お天宮さんをでるまえに、彼女達に横根の手紙を見せてある。シノが読みあげ、ドロシーは無言のまま多くを納得した。
「琥珀を呼び戻したい」
俺は対向車のライトに目をかざしながら頼む。戦力になるかどうか不明だけど、閉じこめられたままなんて不憫すぎる。
「私のスマホを壊してよく言うね。あれかパソコンがないとどうにもならない」
ドロシーが浮かぶ俺を見あげる。「車が増えてきた。へへ。もっと速い車を――」
「それはやめよう」
ドロシーが望むことをきっぱりと拒む。
知らない人を問い詰めることはできない。できないことを頼むこともできない。
舗装された道を、運搬車は眠気を誘うペースで下界を目ざす。露泥無でさえあくびをする。
「大姐はどこだ?」
思玲が自分のほっぺたをつねったあとに尋ねる。
「どこにいても、すぐそばだ」
露泥無が崩れかけた姿勢をただす。
「大姐は殲だけを連れてきた。あの怪鳥は生まれつき結界をまとい、M2.2で飛ぶ。しかも触れたものにも両方の結界をまとわせる。さらには耳がいい。ついでに波動を放つ。つまり僕が悲鳴をあげれば、殲は大姐を乗せて音速の二倍で現れる」
波動……。琥珀をまた思いだす。あのスマホも。あの待ち受けも。
次回「考察は武器」
「箱をちょっとだけ壊してみないかい。スーリンがちょっと大きくなるかもね」
フサフサの案は、みんなに一蹴された。
術の存在を知ったドロシーが、箱を遠巻きに見ている。緋色の護布越しといえ、彼女は持ちあげようとした。一歩間違えれば、彼女はあのとき吸いこまれていた。
***
俺はいたって冷静だ。内側では、怒りと焦りがふつふつしている。抑えないとドロシーに襲いかかる。知っていることをすべてさらせと。
だから俺は冷静に務める。四玉の箱と短機関銃を入れたリュックを背負う。護符はおなかに入れておく。手負いの獣に散々しゃぶられたのに、傷もついていなかった。
横根はどこだ、桜井はどこだ? 記憶は戻るなりプレッシャーを与えてくる。それでも俺は冷静だ。親友であった猟犬を見おろす。
「川田。日が昇ってまた沈むのは、まだずっと先だよな」
だから俺達はいそがない。
「川田じゃない。俺はリクトだ」
川田はそう言うだけだ。
俺達の背後が明るくなる。
「アチチ!」
黒猫であった女の子が悲鳴をあげる。彼女の背中をあぶった肥大した光がおさまっていく。
「そんなの基本の術だろ。なんで制御できない?」
ドロシーは言いかえそうとして、うつむくだけだ。
「銃を、だしとかね? すぐに撃てるのがよくね?」
ドーンが彼女に言う。
「分からないの? ずっと見てきた人に聞いて」
ドロシーは、にらんだままの顔を俺に向ける。
俺はドロシーを信頼しているし、おそらく彼女も俺を。にらまれたのは、ドーンの質問のためだ。そして彼女とずっと一緒にいたけど、武器をしまった理由は分からない。
「制限をかけた術など、棒と同じだからだ。実戦で使って分かっただろ」
思玲が小馬鹿に笑う。
「その棒だと相手を制する術はだせない。かといって、あの銃でも敵を圧することはできぬ。あれはMP5だったな(なんで分かる)。術が銃からの理屈は分からぬが、もう少し出力をあげられないのか?」
ドロシーは提灯の明かりをシノの足もとに向けながら、
「改造したのは私だけど、調整は祖父の許しとパソコンがないとできない。スマホを誰かに壊されたから」
ぽつり言う。意を決したように、少女に目を向ける。
「王姐、さっきの扇は素晴らしかった、です。スマホのお詫びに、もう一度だけ触らせてもらえますか」
目が輝いてやがる。この状況下で。
「あれは気の迷いだ。二度と渡さぬ。スマホを壊したのはフサフサだ。文句は奴に言え」
思玲はそっけなく答える。
「行くぞ。斥候を買ってでたフサフサを、いつまでも一匹にしていることこそ危険だ」
女の子はすたすたと暗闇を歩きだす。ドーンが低く飛んで追い越す。
「へへ、魔道具を他人に触らせるはずないよね。シノ、時間を教えて。パパの形見の腕時計、なくしちゃったから。へへ……」
ドロシーが棒立ちのままの同僚へと聞く。
「23時15分」
シノが力なく言う。
「あれを失っても笑って済ませられるんだ。私より、アンディより、あなたは薄情なほどに強い。こっちの世界では」
ドロシーは聞こえないふりをする。闇に映える端正な横顔。シノもならんで歩きだす。……日没が十九時として、新月まであと二十時間。
「行くよ」
見当もつかないけど、横根を救うために。そして夏奈も。山の気配ばかり探っている川田をうながす。
*
「あれを借りよう」
ドロシーがつとめて明るく言う。思玲も同意しやがって、庭先の運搬車の荷台にまっさきによじ登る。どこかで乗り捨てるしかないなと、俺は思うしかできない。平和な集落だからって、今後は鍵をさしたままにしないように願う。
ドロシーが運転し、シノが助手席に乗る。荷台にドーンと露泥無も乗りこむ。ディーゼルの匂いを懐かしく感じる。
「ハラペコは降りろ。ドロシーと内密な話がある」
「思玲、わざとそう呼ぶのだろ。いいさ。好きに呼べよ」
露泥無がうんざりとした顔をする。「でも僕はどかない。なぜなら大姐からの使命だからね。願わくは、僕を大姐と思ってお扱いいただきたい」
「生意気な口はやめておくれ」
合流したフサフサが道から手を伸ばし、露泥無の頭をはたく。彼女の眼鏡が飛ぶのを見て、上空に浮かぶ俺はひんやりとする。ドーンが慌ててくわえて、彼女に戻す。
露泥無はフサフサをにらみかえすだけだった。おそらく異形であるこの女の子よりフサフサのが強い。この子がマッスルな男や虎に変身できない限り……。できたりして。警戒だけはしておこう。
「俺も乗るぜ」川田が荷台へと跳躍する。「高いところにいれば、カラスが来たら届くかもな」
浮かぶ俺へと笑う。俺はコメントしない。夏奈はどこだ。桜井はどこだ。思玲、はやく聞きだせ。拒否されると、俺だと暴走する。
異形と魔道士を満載した農耕車は、アスファルトの道にでる。後方からの車が抜きさる。向こうの世界の存在が遠ざかっていく。
「この国の魔道士に助けを求めるのか? 言っておくが、私達は一文無しだ」
女の子が運転席に聞く。まだ浄財が残っているが言う必要ない。
「へっ、奴らに私達を助ける力などない」
ドロシーは下り坂なのにアクセルを踏んでいる。
「怪我人を匿ってもらうだけ。つまり私も」
シノが続く。「あそこに期待の若手が入ったと聞く。だったらなんで私達がここで魔物と……」
「あの社は真の姿を見せようとしない。――怪我人の搬送はどうする? お前達にしても、もはや人の世界に関われぬだろ。電車になど乗るなよ」
いつまで雑談しているのだ。俺の視線に女の子が気づく。目つきが悪いから、にらまれていると感じてしまう。
「荷台に乗るより、浮かぶのが楽なのか?」
必要ないことを尋ねてくる。
「首の傷に響きそうだから。それより――」
俺はうながし、少女はうなずく。
「ケビンはどこだ?」思玲はまずそれを聞く。
「松本はすでに知っている。だから隠さず言う」
ドロシーは運転しながら言う。
「私達はあなたを捕捉する指令を受けてきた。それと別に、台湾の異形を抹殺し、楊偉天を連行する任務の本隊も来ている。隠密にね。……ケビンは、遅れて到着した彼らと合流した。いまだ誰とも連絡は取れない」
彼女は、悄然とスマホに打ちこむだけのシノをちらりと見る。シノが心を失って当然だ。
「龍はどこだ?」思玲が間髪おかずに聞く。
「噂だと、いまは九州地方がお気に入りらしい。でも我々は龍を捕らえるために来たのではない」
つまり夏奈は九州にいる。……遠すぎる。ドロシーは淡く照らされた車道だけを見ている。
「もう一人の女の子のことは、なにも知らないから聞かないで。話題にすらなっていない」
お天宮さんをでるまえに、彼女達に横根の手紙を見せてある。シノが読みあげ、ドロシーは無言のまま多くを納得した。
「琥珀を呼び戻したい」
俺は対向車のライトに目をかざしながら頼む。戦力になるかどうか不明だけど、閉じこめられたままなんて不憫すぎる。
「私のスマホを壊してよく言うね。あれかパソコンがないとどうにもならない」
ドロシーが浮かぶ俺を見あげる。「車が増えてきた。へへ。もっと速い車を――」
「それはやめよう」
ドロシーが望むことをきっぱりと拒む。
知らない人を問い詰めることはできない。できないことを頼むこともできない。
舗装された道を、運搬車は眠気を誘うペースで下界を目ざす。露泥無でさえあくびをする。
「大姐はどこだ?」
思玲が自分のほっぺたをつねったあとに尋ねる。
「どこにいても、すぐそばだ」
露泥無が崩れかけた姿勢をただす。
「大姐は殲だけを連れてきた。あの怪鳥は生まれつき結界をまとい、M2.2で飛ぶ。しかも触れたものにも両方の結界をまとわせる。さらには耳がいい。ついでに波動を放つ。つまり僕が悲鳴をあげれば、殲は大姐を乗せて音速の二倍で現れる」
波動……。琥珀をまた思いだす。あのスマホも。あの待ち受けも。
次回「考察は武器」