三十八の一 真夏の萌黄色
文字数 3,120文字
「この木だったかな。違うかもしれぬが、これもなかなかだろ?」
深夜の公園で思玲が立ちどまる。
彼女と並んで、名前も知らない樹木を見上げる。
「どんな木を探しているのですか?」
「強くてやさしくて若い木だ。こんな町中では杞憂だが、もちろん木霊がついてないものだ。もと座敷わらしの哲人なら、見れば分かるだろ」
木霊がなんであるかは知らないけど、そういう樹木ならば分かるかも。おそらく俺はまだ、か弱くやさしい妖怪変化だと木々から見られている。今だって、それを感じる。
「だったら逞しそうですけど」この木はちょっと若すぎる。「あっちのはどうですか?」
「厚朴 ?」
俺が指さした小高い木を見る思玲は不服そうだ。地面に刺さった小さな看板を見て、これがホオノキだと樹木にうとい俺は初めて知った。
たしかに朴葉味噌に使う葉っぱだ。大きくて扇の代わりにもってこいだ。
「すこし年を取りすぎだな。葉がでかいからで決めたではあるまいな」
思玲が疑わし気に俺を見る。
「時間がない。ここは哲人を信じよう。……どの葉がいいかな? やはりあれだな。ちょっと位置が高いな。哲人が座敷わらしのままだったら浮かんで取れたのに。すまぬが土台になってくれ」
マジかよ。むしるつもりかよ。……俺達のために傷ついた思玲の頼みだから仕方ない。
彼女はしゃがんだ俺の肩に腰をおろす。どこか痛いのか中国語で悪態をつく。俺はゆっくりと立ちあがる。物の怪に肩車させた人間なんて、そうもいないだろう。
「もっと左に寄ってくれ。……届かぬな。やはりあっちの木にするか。おろしてくれ」
そっとしゃがむ。彼女がまた悪態をつきつつ足を伸ばす。
「無理やり取るより、お願いするほうが」
俺の提案を、思玲が小馬鹿に笑う。
「木霊もつかぬ樹木に頼めと言うのか。さすが、もと座敷わらしは言うことが違うな。そんな手法は古来の書物にも書かれてないが、それならお前がやってみろ」
ひさびさに彼女の言いまわしを聞かされた。そんなだから珊瑚の玉を使いこなせないのだ、とはもちろん口にはださない。
「分かりましたよ」
俺はむっとしながらも目をつぶる。心の中で樹木に願う。
――この人は、こう見えてもやさしくて強い人です。あなたと同じくらいに。すこしだけでいいので、彼女と俺達に力を貸してください
目を開けて、樹木を見上げる。……無数の葉が舞い落ちてきて、俺達の前に小さな緑色の山を作る。最後に枝についたままの若い葉が、くるくるとプロペラのように落ちてくる。
葉達の上に着地して、七枚の小ぶりな葉を四方にひろげる。
――ありがとうございました
俺は感謝の意をホオノキに伝え、思玲を見る。彼女はあんぐりと口を開けていた。
「やはり眼鏡がないと気づけぬか。しかし、よき木だな。遠慮せずに使わしてもらうぞ」
思玲が葉達の前にしゃがむ。手を合わせる。
「我はかくも力なきゆえ、空と大地をつなぐものに助けを請う――」
清らかな呪文が歌声みたいに響く。……まわりの樹木も聞きいりだしている。
「我が差しだすは恥ずべきものに非ず。とこしえなる繋がりを求むるものなり」
思玲がおのれの髪をつまむ。もうひとつの手の爪で髪をなぞる。剃刀があたったかのように、髪は葉の上へと切れ落ちる。それを何度もくり返す。
「――願わくは、我が力となりたまえ」
呪文が終わる。力を尽くしきったように、彼女は両手を地につける。その前で、彼女の長髪がホオノキの葉の上で消えていく。
一番上の日輪のような枝葉が術に包みこまれる。その上へと、まわりの樹木の霊気が降りてくる。
「……あふれそうですよ」
俺はつぶやく。思玲は返事をしない。肩で息をしながら、ホオノキの葉があった場所を見つめるだけだ。
やがて術の煙が静かに消え去り、葉達は新たなものへと生まれかわる。
「哲人……、日本の樹が私なんかを認めた。私などが魔道具を作ってしまった」
思玲が扇を持ちあげる。萌黄色の面が円状にひろがる。思玲は唇をそっと当てたあとに、ぱしりと閉じる。立ちあがる。
「峻計に苦汁を飲ませた白露扇 をも越えるだろう。……七葉扇 と呼ばせてもらう」
思玲が扇をかざし、亮相のポーズを取る。彼女の顔に覇気が戻る。
「おのれが頼りとする魔道具に名づけるのはしきたりだ。哲人、行くぞ」
散切りなボブヘアになった思玲が再び歩きだす。俺はホオノキとまわりの樹木に、彼女の分まで一礼して追いかける。
***
「髪が短くなり、抜かれた場所が目立ってないか?」
思玲が気にするので、彼女の頭に顔を寄せる。たしかに親指ぐらいの範囲で毛髪がまばらになっていた。
「完全に抜けているわけではないので、言われなければ気づきませんよ」
正直な感想を伝える。
「それよりも劉師傅から色々と聞いています。思玲に伝えておくべきこともいくつかあります」
小走りの彼女へと話しはじめる。
「楊偉天は何度倒しても復活したみたいです。魂が現れなかったらしい」
「……もはや化け物だな」
思玲はそうつぶやくだけなので、俺は話を続ける。
「手長と多足が来るらしいです。どういう奴らですか?」
草野球で使われる規模の野球場のバックネット裏に到着する。……陰でなにかがうごめく。
「名がすべてを語っている。手長は猩猩 、多足は大百足 。メイドインジャパンの異形だ」
地面でなにかが思玲を見ている……。珊瑚をもたない彼女に引き寄せられている。
「そいつらが鍵を握るようなことを言っていましたが」
百鬼の刻にそぞろになりながら、俺はたずねる。
思玲は足もとに伸びた陰を思いきり踏んづける。
「師傅なら容易に倒せるが、私では苦戦で済まない。そうおっしゃりたいのだろ。とはいえ、連中は知性のかけらもないから、どうせ護符の餌食だな」
……陰は逃げていった。俺も落ち着こう。
師傅の話はそんな安直なことかな? 俺と思玲は球場を囲む柵に沿って進む。女の生首が前方を転がり、かなり驚かされる。思玲は気にもしない。俺も伝えることに専念する。
「図書館の魔物が逃げたみたいです。楊偉天の配下になるかも」
「瑞希が人に戻った顛末を話してないだろうな? 海神の玉の件はまだばれてないか?」
上司に失策が露見することだけを気にしやがる。
「ばればれでしたが、とりあえずは不問にするそうです」
もうひとつだけ伝えないとならないことがある。
「川田が子犬になったときに劉師傅と揉めてしまって……。師傅は護符を受けて血を吐きました」
思玲が立ちどまる。振り向き俺を凝視する。
「……和戸からはそこまで聞いてなかった。なぜはやく教えぬ」
さすがにドーンでも言いよどんだか。
「さきほど会ったときは元気そうでした。パンチだけで俺を倒したり、空を飛んだり……」
「師傅はお前になにか告げなかったか?」
思玲が怪訝そうに俺を見つめる。「剣を持たせようとしなかったか?」
まさにそのとおりの振る舞いをした。
「しましたけど持てませんでした。ただ剣は俺を認めてくれたみたいで、おかげで桜井が許されたのです」
彼女は俺から目を離さない。無表情のままで見つめ続ける。ここで彼女との戦いになるかも。なぜだか、そんな予感がする。そしたら、また護符を捨てよう。
「……剣をいまだお持ちならば案ずることもなかろう」
ようやく思玲が答える。「他にも告げられただろ。私を盾にしろとか」
別れ際にたしかに言われた。それを言うのはさすがに気が引ける。
言いよどむ俺へと、彼女は舌打ちする。
「さもあらんな。私でも半人前の女魔道士よりお前を選ぶ」
思玲が俺から目をはずし、闇空を見上げる。
「師傅のお望みどおりに、私は哲人の盾となる。ゆえに矛も哲人に渡す。今回だけだがな」
次回「それが合図だ」
深夜の公園で思玲が立ちどまる。
彼女と並んで、名前も知らない樹木を見上げる。
「どんな木を探しているのですか?」
「強くてやさしくて若い木だ。こんな町中では杞憂だが、もちろん木霊がついてないものだ。もと座敷わらしの哲人なら、見れば分かるだろ」
木霊がなんであるかは知らないけど、そういう樹木ならば分かるかも。おそらく俺はまだ、か弱くやさしい妖怪変化だと木々から見られている。今だって、それを感じる。
「だったら逞しそうですけど」この木はちょっと若すぎる。「あっちのはどうですか?」
「
俺が指さした小高い木を見る思玲は不服そうだ。地面に刺さった小さな看板を見て、これがホオノキだと樹木にうとい俺は初めて知った。
たしかに朴葉味噌に使う葉っぱだ。大きくて扇の代わりにもってこいだ。
「すこし年を取りすぎだな。葉がでかいからで決めたではあるまいな」
思玲が疑わし気に俺を見る。
「時間がない。ここは哲人を信じよう。……どの葉がいいかな? やはりあれだな。ちょっと位置が高いな。哲人が座敷わらしのままだったら浮かんで取れたのに。すまぬが土台になってくれ」
マジかよ。むしるつもりかよ。……俺達のために傷ついた思玲の頼みだから仕方ない。
彼女はしゃがんだ俺の肩に腰をおろす。どこか痛いのか中国語で悪態をつく。俺はゆっくりと立ちあがる。物の怪に肩車させた人間なんて、そうもいないだろう。
「もっと左に寄ってくれ。……届かぬな。やはりあっちの木にするか。おろしてくれ」
そっとしゃがむ。彼女がまた悪態をつきつつ足を伸ばす。
「無理やり取るより、お願いするほうが」
俺の提案を、思玲が小馬鹿に笑う。
「木霊もつかぬ樹木に頼めと言うのか。さすが、もと座敷わらしは言うことが違うな。そんな手法は古来の書物にも書かれてないが、それならお前がやってみろ」
ひさびさに彼女の言いまわしを聞かされた。そんなだから珊瑚の玉を使いこなせないのだ、とはもちろん口にはださない。
「分かりましたよ」
俺はむっとしながらも目をつぶる。心の中で樹木に願う。
――この人は、こう見えてもやさしくて強い人です。あなたと同じくらいに。すこしだけでいいので、彼女と俺達に力を貸してください
目を開けて、樹木を見上げる。……無数の葉が舞い落ちてきて、俺達の前に小さな緑色の山を作る。最後に枝についたままの若い葉が、くるくるとプロペラのように落ちてくる。
葉達の上に着地して、七枚の小ぶりな葉を四方にひろげる。
――ありがとうございました
俺は感謝の意をホオノキに伝え、思玲を見る。彼女はあんぐりと口を開けていた。
「やはり眼鏡がないと気づけぬか。しかし、よき木だな。遠慮せずに使わしてもらうぞ」
思玲が葉達の前にしゃがむ。手を合わせる。
「我はかくも力なきゆえ、空と大地をつなぐものに助けを請う――」
清らかな呪文が歌声みたいに響く。……まわりの樹木も聞きいりだしている。
「我が差しだすは恥ずべきものに非ず。とこしえなる繋がりを求むるものなり」
思玲がおのれの髪をつまむ。もうひとつの手の爪で髪をなぞる。剃刀があたったかのように、髪は葉の上へと切れ落ちる。それを何度もくり返す。
「――願わくは、我が力となりたまえ」
呪文が終わる。力を尽くしきったように、彼女は両手を地につける。その前で、彼女の長髪がホオノキの葉の上で消えていく。
一番上の日輪のような枝葉が術に包みこまれる。その上へと、まわりの樹木の霊気が降りてくる。
「……あふれそうですよ」
俺はつぶやく。思玲は返事をしない。肩で息をしながら、ホオノキの葉があった場所を見つめるだけだ。
やがて術の煙が静かに消え去り、葉達は新たなものへと生まれかわる。
「哲人……、日本の樹が私なんかを認めた。私などが魔道具を作ってしまった」
思玲が扇を持ちあげる。萌黄色の面が円状にひろがる。思玲は唇をそっと当てたあとに、ぱしりと閉じる。立ちあがる。
「峻計に苦汁を飲ませた
思玲が扇をかざし、亮相のポーズを取る。彼女の顔に覇気が戻る。
「おのれが頼りとする魔道具に名づけるのはしきたりだ。哲人、行くぞ」
散切りなボブヘアになった思玲が再び歩きだす。俺はホオノキとまわりの樹木に、彼女の分まで一礼して追いかける。
***
「髪が短くなり、抜かれた場所が目立ってないか?」
思玲が気にするので、彼女の頭に顔を寄せる。たしかに親指ぐらいの範囲で毛髪がまばらになっていた。
「完全に抜けているわけではないので、言われなければ気づきませんよ」
正直な感想を伝える。
「それよりも劉師傅から色々と聞いています。思玲に伝えておくべきこともいくつかあります」
小走りの彼女へと話しはじめる。
「楊偉天は何度倒しても復活したみたいです。魂が現れなかったらしい」
「……もはや化け物だな」
思玲はそうつぶやくだけなので、俺は話を続ける。
「手長と多足が来るらしいです。どういう奴らですか?」
草野球で使われる規模の野球場のバックネット裏に到着する。……陰でなにかがうごめく。
「名がすべてを語っている。手長は
地面でなにかが思玲を見ている……。珊瑚をもたない彼女に引き寄せられている。
「そいつらが鍵を握るようなことを言っていましたが」
百鬼の刻にそぞろになりながら、俺はたずねる。
思玲は足もとに伸びた陰を思いきり踏んづける。
「師傅なら容易に倒せるが、私では苦戦で済まない。そうおっしゃりたいのだろ。とはいえ、連中は知性のかけらもないから、どうせ護符の餌食だな」
……陰は逃げていった。俺も落ち着こう。
師傅の話はそんな安直なことかな? 俺と思玲は球場を囲む柵に沿って進む。女の生首が前方を転がり、かなり驚かされる。思玲は気にもしない。俺も伝えることに専念する。
「図書館の魔物が逃げたみたいです。楊偉天の配下になるかも」
「瑞希が人に戻った顛末を話してないだろうな? 海神の玉の件はまだばれてないか?」
上司に失策が露見することだけを気にしやがる。
「ばればれでしたが、とりあえずは不問にするそうです」
もうひとつだけ伝えないとならないことがある。
「川田が子犬になったときに劉師傅と揉めてしまって……。師傅は護符を受けて血を吐きました」
思玲が立ちどまる。振り向き俺を凝視する。
「……和戸からはそこまで聞いてなかった。なぜはやく教えぬ」
さすがにドーンでも言いよどんだか。
「さきほど会ったときは元気そうでした。パンチだけで俺を倒したり、空を飛んだり……」
「師傅はお前になにか告げなかったか?」
思玲が怪訝そうに俺を見つめる。「剣を持たせようとしなかったか?」
まさにそのとおりの振る舞いをした。
「しましたけど持てませんでした。ただ剣は俺を認めてくれたみたいで、おかげで桜井が許されたのです」
彼女は俺から目を離さない。無表情のままで見つめ続ける。ここで彼女との戦いになるかも。なぜだか、そんな予感がする。そしたら、また護符を捨てよう。
「……剣をいまだお持ちならば案ずることもなかろう」
ようやく思玲が答える。「他にも告げられただろ。私を盾にしろとか」
別れ際にたしかに言われた。それを言うのはさすがに気が引ける。
言いよどむ俺へと、彼女は舌打ちする。
「さもあらんな。私でも半人前の女魔道士よりお前を選ぶ」
思玲が俺から目をはずし、闇空を見上げる。
「師傅のお望みどおりに、私は哲人の盾となる。ゆえに矛も哲人に渡す。今回だけだがな」
次回「それが合図だ」