十二の一 頼るべきは

文字数 2,708文字

「どこへ消えた! 追うぞ!」

 思玲に詰め寄る。桜井夏奈は藤川匠のもとへ行った。あの杖には、おもいきり罠が仕掛けられていた。

「……解せぬ」
 この女は今さら考えこんでいる。

「動け! 追うんだよ!」
 思玲の手を引っ張る。

 愚かだった。こいつの思いつきに何度も何度も何度も痛い目にあってきたのに、またも従ってしまった。

「瞬間移動。魂を運べば生きた体もついてくる……。知ってはいるが、どんな魔道士だろうとそんな術は不可能だ。人である限り、物理的摂理に反せない。それを藤川匠はできるというのか?」
「麻卦がやっただろ! なにより目の前からいなくなった! たったいま!」

 夏奈が奪われた。取り返さないとならない。
 思玲が俺の前にまわりこむ。

「興奮するな!」

 その声とともに、雷が股間から脳天を貫く――。
 こ、この女は、おもいきり、金玉を蹴りあげやがった。眼球がひっくり返りそう。吐き気が胃どころか大腸からこみ上がる……。
 妖怪だろうがうずくまってしまう。脂汗ってこんなにも流れるものなのか。

「異形の身で良かったな。それしき夜を待たず復活する」
 思玲が俺を見おろす。
「土壁を捕らえて聞きだす。拷問は嫌いだが時と場合による。大蔵司がとどめを刺してなければいいが」

 思玲が駆けだす。悶絶する俺を置いて……。

 ***

 内股歩きになってしまう。
 崖では向こう岸へと大木がひとつ倒れていた。根もとが焦げている。思玲はこの上でも走りそうだが、俺は這いつくばって進む。股間が痛い。
 下藪が刈られて道みたいになっている。後から来る俺のためかも……。
 本来の姿でも異形でも、喧嘩や戦いでたっぷり怪我を負ってきた。これはベスト3に入る痛みだ。遺伝子を残すために一番大事なものを潰されたのだから、異形でなければ卒倒してもおかしくない。
 魔道士の祈り――。ドロシーの癒しが欲しい。ドロシーの唇……。
 夏奈を取り返せ。さもないと俺は誰とも顔をあわせられない。

 *

 車は無傷だった。地面に吸い殻が二つ。大蔵司がフロントグリルに寄りかかり、三本目の煙草をくわえていた。つまり思玲の読みはことごとくはずれ。

「まいったな。でも私や思玲の責任じゃない。台湾旅行を認めた宮司に責任がある……わけないや」
 大蔵司は青ざめていた。
「龍使いのゼ・カン・ユ。つまりブルードラゴンが目的だよね」

「藤川匠だ。単に桜井の体が目当てかもしれぬ」
 思玲は大蔵司と向かい合い腕を組んでいる。「土壁を探すしかない」

「どうやって?」

 大蔵司の問いに思玲は黙る。

「俺が見つける」

 その声に大蔵司が口笛を吹く。思玲が舌を打つ。
 こいつらは分かっている。俺が見つけだせることを。

「やめておけ。連中の仲間入りするぞ。七魄だ」
 思玲がにらむ。「ハラペコを頼る。大姐に――」

「時間が大切だ」
 俺は冷静に告げる。ほんとうはこの十代眼鏡女を怒鳴り飛ばしたいけど、教育を受けたばかりだ。
「書ではない。彼らに聞いてみる」

 そう言って二人から離れる。彼女達は否定しない。遠ざかる俺を見守るだけ。……手の打ちようがない。そもそも日本に帰る手段だってない。嵌まる一方だ。

 *

 股間が痛い。下痢になりそう。まだ吐きそう。
 荒れた林道が右に曲がり、思玲と(怖い)大蔵司が見えなくなる。おそらく魄はメッセンジャーボーイをしてくれる。交換条件によっては。

「六魄」

 俺は彼らを呼ぶ。待っていたかのように、六つの罰させられた魂の乗り物が俺の前に並ぶ。
 俺の心に呼応するのだから、彼らはまさに人であった。感情乏しき顔。マントのように黒い影をまとっている。
 一人の老いた男。二人の男。一人の若い男。一人の女。一人の若すぎる女。

「桜井夏奈を連れ戻せるか?」

 俺は林道にしゃがんで彼らに尋ねる。命じない。命じてはいけないと察している。

「どこにいる?」
 老いた男が言う。

「お前が見つけたなら手助けできる」
 男も言う。

 俺は曲がり角を振り向く。彼女達は見えない。まだ冷や汗が滴る。
 生きてなき者達に聞くしかないのか。

「死者の書を持っている。それをめくれば知ることができる」
 シャツに手を入れる。「夏奈を見つけだせる」

 忌むべき書をとりだす。六魄達は俺がめくるのを待っている。ひも解くのを待っている。

「桜井夏奈はどこにいる?」

 その言葉とともに古びた書をめくる。
 千年の昔から記されていたかのように日本語が綴られる。


桜井夏奈。龍の資質。気ままな雌龍。災いの根源


 知りたくないことを何故に教える?

「それじゃない。桜井夏奈はどこだ?」


野犬は台湾。
貪欲な龍は日本。
鴉である夢魔は大陸。
下僕は待ちかまえていた。
野犬が娘を隠し持つ。野犬は貪欲な龍を待つ。鴉を待つ。揃えば誰も手出しできない。雌龍を望むもとへ連れていく


「野犬はどこだ……土壁はどこだ?」

「あのものならば見つけられる」
 女が言う。

「容易に」
 男が言う。

「おなじ(たぐい)に堕ちた同士だから」
 幼すぎる女が言う。

 俺は手にした書に目を落とす。


魄が知っている。だが魄は、影を添わせる社のものを避ける。彼らの王としか動かない。


 記された言葉。……やはり思玲ではない。彼らが逃げるのは影添大社の陰陽士。
 俺は馬鹿じゃない。この書は――死者達は俺を導いている。話を盛っている。話を築いている。そうだとしても。

「私達も乗り物になれる」
 男が言う。

「野犬を狩るのを手伝える」
 若い男が言う。

「見返りは、器だけの私達へ中身を注いでくれ」
 女が言う。

「もしくは器を割ってくれ」
 老いた男が言う。

「そうすれば私達は解放される」
 英語で伝える男が言う。

「そういうこと」
 幼すぎる女があどけなく笑う。

「分かった。急ごう」
 なにも分かってない俺が答える。

 野犬がおぞましき人と化した。それを終わらせれば夏奈は戻ってくる。ロタマモを倒せば横根が帰ってきたように。
 配下の使い魔にできて、主の藤川匠にできないはずない。それだけのことだ。そしてフクロウもコウモリも倒された。繰り返すだけだ。

夏奈夏奈夏奈夏奈……

 俺は金玉の痛みを忘れだしている。死者の書をシャツの中にしまう。魄が俺を囲む。俺を包む。震える冷たさに覆われる。なのに心地よい。
 俺を闇へと連れていく。




 時間の観念がないままに、再び明かりがよみがえる。

「うわ! 脅かすな……さっきの連中と違うな」
 野犬の声がした。「うほ、松本哲人を連れてきたのか。……ボスじきじきにおでましだ」

 鬱蒼とした森の中で土壁が笑う。その手におぞましい矛――火焔嶽が現れて、六魄が逃げるように消える。矛の先の人の手が開いては閉じる。

「野犬を退治にきた」
 俺の手に独鈷杵が現れる。




次回「松本哲人対土壁」
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