二十九の二 出発進行

文字数 2,338文字

 クーラーをとめて窓を開けてもらう。それでも気持ちがわるい。タオルを借りて体にかけても寒い。じとっとした冷や汗がつねに流れる。喉が渇く。
 田舎町に場違いなドラッグストアで、経口補水液と貧血サプリを(俺の金で)買ってもらう。

「足をあげたほうがいいらしいぜ」

 スマホで調べた琥珀に言われて後部座席で横になる。狭いから足を外にだす。横根は助手席に移動した。ひさしぶりに会ったのに、彼女とろくに会話ができない。

「休んでいてよ」
 俺に負担をかけさせないためか、彼女は極力声をかけてこない。
「ずっと戦い続けているの?」

 聞かれたのはそれくらいだ。ずっとじゃないから俺は返事できない。車はまた動きだす。

「瑞希ちゃん。僕のことは信用してくれたかな?」
 琥珀がとりつくろった声をだす。
「奴らに捕まってから、どんなだったの? あ、無理して答えなくていいからね」

「……ずっと闇のなかにいた」
 横根の声がする。
「コウモリとフクロウが交互に来て、『あと何日』と笑うだけだった。『いよいよ明日だな』と言われても、なにも感じなかった。いきなり明かりが見えて、こっちに戻ってきた。……戻ってない気もする」

 大蔵司は聞き耳をたてているのか静かだ。

「あの祈りは?」
 琥珀が運転席と助手席のあいだに乗りだして聞く。

「えっ、り、流範も人間だったのでしょ。松本君だけにさせてはいけないと思って、私になにかできないかって」
 助手席の横根は俺から見えない。
「それより、みんなは元気なの? 仲間ならば、なにがあったか教えてよ」

 琥珀が、又聞きの話を伝えだす。俺もうつろに聞く。

「劉師傅はやっぱり」

 横根が言葉を吐きだした。俺の口からなにも言えない。俺はただ寒くて、だるくて、眠い……。

 寝るわけにはいかない。
 静岡に行くべきだった。夏奈を呼びたかった。でも、もはや切羽詰まったリミットはない。横根が俺とともにいるかぎり、ゼ・カン・ユだった男は力を取り戻せない。まずは横根をみんなと合流させて、いよいよ夏奈を救う番だ。そう思いこもう。
 昨夜、俺と夏奈は触れあった。心と心が奏でかけた。それでもなお彼女は、今夜、藤川匠のもとへ行くのだろうか。
 戻ってきてくれた横根の今後を考えないとならない。横根は前回の俺と似た状況だろう。使い魔によって弱った魂が、彼女を人間くずれにした。ならば箱を怯えさせれば人に戻せる。
 違うよな。だって、いまの横根は四玉と関わっていない。玉を怯えさせたところで戻れない。ならば一度白猫に……。
 鉄分の不足した頭で考えるのはやめよう。琥珀が背後を覗きこんでいるし。

「のろすぎない? うしろの車が行列になっているよ」
 琥珀の大蔵司への口調が変化している。容姿を再確認したな。

「運転中に話しかけないでください!」

 大蔵司の横顔が見える。前だけを必死に見ている。ハンドルを握る手はぎこちなく、握りすぎて真っ白だ。

「きゃあ!」横根が悲鳴をあげる。「ま、松本君の足にペンギンが」

 たしかに重みを感じるが、目を向けるのも億劫だ。どうせあいつだろ。

「てめえらが遅すぎだから、迎えに来る羽目になったじゃねえか」
 九郎が窓から転がりこむ。俺の腹の上に立つ。やめてくれ。
「ドライブを楽しんでる場合じゃねえぜ。京、窓を全部閉めろ。オニスズメバチが飛んでいた。飛び蛇の道案内でな」

 あの蜂達か。親玉がでかすぎて感覚が麻痺していたけど、無数の蜂も小鳥ぐらいあったよな。峻計を追った一団がいた。あいつは楊偉天にゆるされたから、蜂達は配下になったかも。

「台輔、窓を閉めなさい!」
 異形に名前で呼ばれた大蔵司が命ずる。
「ご覧のとおり、この子は鋼鉄の肉体なので刺されても平気です」

 窓がすごい勢いで閉まっていく。俺はあわてて足を引っこめる。運転席のうしろに座りなおす。
 気休めほど回復してきているかな。サプリのためか魔道士の薬のおかげか、もしくはトマトジュースが効いてきたのか。

「運転中に背後は見ないけど、ペンギンというと大燕の(きゅう)ちゃん?」
 大蔵司が赤信号で停車中に尋ねる。

「日本語読みで呼ぶな。――琥珀、知っているか? この車には陸海豚を封じてあるんだぜ」
 九郎がくちばしを突きだしてクーラーを作動させる。やめてくれ。
「えぐい姉ちゃんだから気をつけろよ。チチチ」

 陸のイルカがなんなのか知らないけど、この車も異形ってことか。

「九郎、しっぽが短くないか?」琥珀が言う。

「馬鹿犬がでかくなっていて届きやがった。どうせ二十年もすれば落ちて生えるものだから気にすることはねえ」

 会話の中身に友人が関与しているようだから、俺は参入しない。ピンクのイルカの車はもたもたと国道にでる。左折する……。右折すべきだよな。左は静岡方面だ。

「もたすぎる! 浜辺のアザラシかよ!」
 九郎が大蔵司の膝へと滑る。ハンドルをくちばしでくわえる。
「俺が運転してやら。京はアクセルをずっと踏んでいやがれ」

「エコでね。ガソリンが足りなくなったら台湾に請求するよ……。もしかして、みなさんも台湾?」

 エンジンがいきなり高まる。片輪を浮かしながら軽自動車が国道を旋回する。対向車のトラックのブレーキ音が聞こえる。信号待ちを終えた車達を反対車線でごぼう抜きする。対向車をセンターラインでかわす。
 助手席のシートが倒れ、横根が俺へと這ってくる。クラクションと瞬時にすれ違う。小鬼が助手席に移動する。

「京ちゃん、まだ90キロだぜ。もっと踏んでよ。ははは、海豚頑張れ!」

 琥珀の興奮した声を聞きながら、俺と横根は身を寄せてしまう。目があって、なぜか笑いあう。窓の外は流れていく。

「松本君、汗くさいよ」

 横根が半裸の胸に顔をうずめる。彼女の髪の匂いを感じる。




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