隠遁者
文字数 1,796文字
5-tuneⅢ 四神獣達のヒートアップ
4.90-tune
小鬼と大燕は慌ただしく去った。せっかくの来客だというのに、異形相手に遊べない。
「台湾の式神ですか?」
私はキム先生へと声かける。
「王思玲を覚えているか?」
寝間着姿の先生が振り向く。「忌むべき世界に存在できる少女。あの娘の手下だ」
十年は過ぎただろうか。先生のお供で台湾にでかけた際に見かけた。目覚めはじめたおのれの力に怯えていた。話す機会はなかった。
「楊偉天が死んだ」
先生が唐突に言う。「おのれの弟子と式神に殺されたらしい。言いたくはないが、天罰だな」
先生は表情を変えない。怒りも安堵も浮かばない。
「あの方とは古い付き合いと存じています」
私は言葉を選ぶ。「もし仇を討とうと思うのならば――」
「そんなものは必要ない」ときっぱりと言われる。「楊ははるか昔に去った。老いた偉天は別人と化した」
キム先生は母屋へと足を引きずり歩む。私はかわいらしい異形達が向かった南の空を見る。
彼らが現れた方角から曙光があがる。鶏が鳴く。
****
数日が過ぎた。私の秋は深まっていく。
キム先生に呼ばれて、私は急いで山を降りる。森深くのみすぼらしい一軒家に、またも異形が尋ねていた。
来客とは言えないが……、有能な奴だ。私にさえ感づかせなかった。
「台湾の残存らしい。――蛇よ。暴雪 にも教えてやれ」
先生は怒っている。「私をだました娘をな」
飛び蛇の記憶が、視覚と聴覚となり私に飛びこむ。こいつらはおのれの記憶を弄れない。すべて真実だ。……見覚えある張麗豪が死んだ。邪悪そうな大陸の僧も死んだ。そして楊偉天も。
王思玲は術もつかえぬ少女となった。だが雌狼が付き従う……森の女王め。少女はおとなになる。その横に壊れた箱が転がる。つくられた四神獣の気配。私は楊偉天へと憤慨する。
先生が私を見つめていた。急いで感情を消す。
「年がいかぬ娘であろうとゆるせぬ。飛び蛇よ、楊の最後を見せてやれ」
キム先生が異形相手に人の言葉を話す。本気で怒ったときの癖だ。
楊偉天は泥にまみれ、とどめを刺されることなく死んだ。蒼い狼だけが冷徹な目で見届ける。別のシーンに変わる。老人はキム先生の名を呼んだ。非業の死を空へと嘆いた。
「当然の仕打ちだ。同情するではない。だが最後の最後に、ようやく私にすがってくれた。ならば仇を討たないとならない」
飛び蛇が宙でうねる。さらに伝えたいことがあるらしい。おそらくそれは私も知りたい。
「楊大翁を倒したものか?」私が尋ねる。
飛び蛇が伝えだす――。単なる若い男。こいつにあの人が倒されるとでも? 飛び蛇は視覚を伝え続ける。
座敷わらし。人間に戻る。そしてまた異形。ひそめた力。青龍が従う……麗しき雌龍。
私ですら納得する。あの老人がなにかにそぞろになれば、この者ならば倒せる可能性はある。たとえば、死者の書に心奪われたならば。
――松本哲人、哲人、松本、哲人さん? 松本君!
さまざまな声。飛び蛇が男の名を伝える。
私はキム先生を見る。先生も私を見ていた。
「日本の一般人だ。私が始末するわけにはいかない。だが、お前が単独で襲うのならば、影添大社は金で目をつむらせる」
出奔しろと仰せか。私は安堵する。キム先生は老いて病は重い。それに、先生は偉大であるゆえに妖術をつかわない。
臥龍窟と鳳雛窩。螺旋の光。山神の護符。憤怒の法具。
善である先生では奴らに勝てない。悪鬼となれるものでないと。
「いずれの日か、また配下として迎えいただければ幸いです」
私はかしずく。その日まで長くかかるはずないが。「……もし、ウンヒョク殿と会ったならばいかがしましょう」
キム先生が顔をしかめる。
「いい加減に許しを請えと言っておけ。他のものには手をだすな。お前の獲物は、王思玲と松本哲人のみ」
先生が空咳をする。母屋へと消える。
人を殺めるのはひさしぶりだ。娘達を蹂躙した軍隊を、若かった先生とともに抹殺して以来だ。あの時から先生は隠匿の生活に入った――。
飛び蛇はまだ居残っていた。
「道案内などいらない」
私は巨体を立たせる。「私を追えるか? 気配なき暴雪を」
飛び蛇は感情を見せぬまま去る。私は森へと入る。山と一体になる。目指すは日本。
西の守護である白虎が東で報いを与えるとはな。
私は皮肉に笑う。
次章「4.91-tune」
次回「ボディガード始めました」
4.90-tune
小鬼と大燕は慌ただしく去った。せっかくの来客だというのに、異形相手に遊べない。
「台湾の式神ですか?」
私はキム先生へと声かける。
「王思玲を覚えているか?」
寝間着姿の先生が振り向く。「忌むべき世界に存在できる少女。あの娘の手下だ」
十年は過ぎただろうか。先生のお供で台湾にでかけた際に見かけた。目覚めはじめたおのれの力に怯えていた。話す機会はなかった。
「楊偉天が死んだ」
先生が唐突に言う。「おのれの弟子と式神に殺されたらしい。言いたくはないが、天罰だな」
先生は表情を変えない。怒りも安堵も浮かばない。
「あの方とは古い付き合いと存じています」
私は言葉を選ぶ。「もし仇を討とうと思うのならば――」
「そんなものは必要ない」ときっぱりと言われる。「楊ははるか昔に去った。老いた偉天は別人と化した」
キム先生は母屋へと足を引きずり歩む。私はかわいらしい異形達が向かった南の空を見る。
彼らが現れた方角から曙光があがる。鶏が鳴く。
****
数日が過ぎた。私の秋は深まっていく。
キム先生に呼ばれて、私は急いで山を降りる。森深くのみすぼらしい一軒家に、またも異形が尋ねていた。
来客とは言えないが……、有能な奴だ。私にさえ感づかせなかった。
「台湾の残存らしい。――蛇よ。
先生は怒っている。「私をだました娘をな」
飛び蛇の記憶が、視覚と聴覚となり私に飛びこむ。こいつらはおのれの記憶を弄れない。すべて真実だ。……見覚えある張麗豪が死んだ。邪悪そうな大陸の僧も死んだ。そして楊偉天も。
王思玲は術もつかえぬ少女となった。だが雌狼が付き従う……森の女王め。少女はおとなになる。その横に壊れた箱が転がる。つくられた四神獣の気配。私は楊偉天へと憤慨する。
先生が私を見つめていた。急いで感情を消す。
「年がいかぬ娘であろうとゆるせぬ。飛び蛇よ、楊の最後を見せてやれ」
キム先生が異形相手に人の言葉を話す。本気で怒ったときの癖だ。
楊偉天は泥にまみれ、とどめを刺されることなく死んだ。蒼い狼だけが冷徹な目で見届ける。別のシーンに変わる。老人はキム先生の名を呼んだ。非業の死を空へと嘆いた。
「当然の仕打ちだ。同情するではない。だが最後の最後に、ようやく私にすがってくれた。ならば仇を討たないとならない」
飛び蛇が宙でうねる。さらに伝えたいことがあるらしい。おそらくそれは私も知りたい。
「楊大翁を倒したものか?」私が尋ねる。
飛び蛇が伝えだす――。単なる若い男。こいつにあの人が倒されるとでも? 飛び蛇は視覚を伝え続ける。
座敷わらし。人間に戻る。そしてまた異形。ひそめた力。青龍が従う……麗しき雌龍。
私ですら納得する。あの老人がなにかにそぞろになれば、この者ならば倒せる可能性はある。たとえば、死者の書に心奪われたならば。
――松本哲人、哲人、松本、哲人さん? 松本君!
さまざまな声。飛び蛇が男の名を伝える。
私はキム先生を見る。先生も私を見ていた。
「日本の一般人だ。私が始末するわけにはいかない。だが、お前が単独で襲うのならば、影添大社は金で目をつむらせる」
出奔しろと仰せか。私は安堵する。キム先生は老いて病は重い。それに、先生は偉大であるゆえに妖術をつかわない。
臥龍窟と鳳雛窩。螺旋の光。山神の護符。憤怒の法具。
善である先生では奴らに勝てない。悪鬼となれるものでないと。
「いずれの日か、また配下として迎えいただければ幸いです」
私はかしずく。その日まで長くかかるはずないが。「……もし、ウンヒョク殿と会ったならばいかがしましょう」
キム先生が顔をしかめる。
「いい加減に許しを請えと言っておけ。他のものには手をだすな。お前の獲物は、王思玲と松本哲人のみ」
先生が空咳をする。母屋へと消える。
人を殺めるのはひさしぶりだ。娘達を蹂躙した軍隊を、若かった先生とともに抹殺して以来だ。あの時から先生は隠匿の生活に入った――。
飛び蛇はまだ居残っていた。
「道案内などいらない」
私は巨体を立たせる。「私を追えるか? 気配なき暴雪を」
飛び蛇は感情を見せぬまま去る。私は森へと入る。山と一体になる。目指すは日本。
西の守護である白虎が東で報いを与えるとはな。
私は皮肉に笑う。
次章「4.91-tune」
次回「ボディガード始めました」