四十六の二 獣人お勧めの強き樹木です

文字数 6,012文字

 珍奇。とか劉師傅が言っていたよな。駅前屋上で、忌むべき記憶が残ったままの横根をそう表現した。龍の力によるものとも言った。……あれはコザクラインコのおかげだった。今回も夏奈のせいに決まっている。

「しばらく覚えているが、霞んでいくはずだ」
 俺は思玲へ心の声で告げる。

「ファジーな態度は女相手だけにしろ。具体的な時間を述べろ」
 思玲がにらむけど、こいつの兄弟子も曖昧だった。

「松本。七実にどう答えるか教えろ。そして瑞希が来るなら日暮里に戻るぞ。はやいとこ木を探す」
 川田がご丁寧にも人の声で言う。

「動物霊がいませんでしたかー。お二人は黙って見つめあわないでくださいよ~」
 七実ちゃんがのんびり言い、「瑞希って誰ですか? 川田君はなんで木の上にいたの?」
 きつい声に変わる。

 入れ替わりどころか、思いきりニアミスじゃないか。どうにせよ、彼女を巻き込まない。横根もこっちへ戻さない。

「七実ちゃんを気絶させて」思玲へと頼む。
「やむを得ないな」彼女も同意するけど、

「そんなことをしたら、ここの木は味方にならない」
 川田が人の声できっぱり言う。
「松本。七実にどう答えるか教えろ。そして瑞希がいるなら日暮里に戻るぞ」

「お前は黙れ!」
 思玲が川田に怒鳴り、心の声にチェンジして「妙案が浮かんだ。ドロシーに瑞希とこいつの記憶をまとめて消してもらう」

 七実ちゃんを影添大社に連れていくだと?
 思玲のたてた作戦でうまくいったものがあった記憶はないが、これは危険すぎる。

「俺達の邪魔をしないでほしい」
 俺は七実ちゃんへ怖い顔を作る。逃げてくれ。

「はい? 私は知り合いの友人に質問をしただけですが? あなた達こそ何らかの手段で意思疎通し目論んでいるようですね。たしかに、そんな方々の邪魔はしたくないですし、会話もしたくありません。でも昨日あなたが話したことが事実ならば……私と……陸斗君だけで話をさせてください」

 七実ちゃんが矢継ぎ早に言う。この人は苦手だ。

「俺はこの女と二人きりになれるのか?」
()たすな。川田は私と木を探しにいく。哲人が日向と話する」
「わかった」
 川田が道を駆けだす。

「走るな! 人に衝突したら死なせてしまうぞ!」

 俺に丸投げして追いかける思玲も常人の速さでなかった。日向七実が唖然と見送る――。

「待ちなさい!」

 走って追いかけだすではないか。……この人は川田が好きだ。大切に思っている。だからだろう。そしてこの人は昨日俺の話を信じてくれた。

 こんな世界にいて猜疑心だらけになってしまった。ただただ真摯に伝えろ。

「いまの川田のスピードを見ただろ! 追うな! あいつは人ではない!」

 周りに人がいようが知ったことか。大声で怒鳴る。
 七実ちゃんが立ち止まり振りかえる。

「だったら、なおさら追わないといけない!」

 すげえ。この人は俺の話を信じて、なおも逃げない。川田をなおも慕っている。
 俺は彼女のもとまで歩く。

「明日まで待ってほしい。必ず本来の川田に戻っているから」
「だったら、なんで私を呼んだのですか? ここで会ったのは偶然ではないですよね?」
「わからない。でも俺達と関わってはいけない」

 この出会いがたまたまであるはずない。でも導きであるはずもない。言えることはただひとつ。

「人が死んだ。何度も見せられた。橋の落下は事故でない。俺達が関わってしまったからだ」

 言ってから気づく。これも横根が立ち去ろうとした一因だ。辛すぎる記憶から逃げるため……。でも記憶はよみがえった。それならば……きっと彼女はあの橋へ向かい、弔いの祈りを捧げるだろう。

 そして俺に言いたかったことは、『記憶を残して罪を抱えたままで生きていけるの?』

「言葉がうわずっていますよ」
 日向七実は立ちどまっている。
「松本君からも川田君からも、犠牲者への愁いは漂ってません。むしろ活き活きとしている。悲壮なのは、土色の顔の彼女だけです」

 ……こっちかよ。横根瑞希が俺に告げたかったこと。思玲に退場を勧めた理由。

 なにも知らないくせにと怒鳴ったっていい。心を決壊させて泣きわめいたっていい。でも俺はどちらもしない。七実ちゃんの洞察が真実だから。
 独鈷杵を人に向けたときから、俺も川田と同じで人でなくなっていたから。……人殺しだから。こっちの世界では。

「川田達と合流する」
 俺は彼女の横をすり抜ける。走りやしない。

「力になります」

 七実ちゃんは追いかけてくる。もはや追い払えない。彼女こそ部外者なのに、俺へと、横根が伝えたかったことに気づかせてくれたから。

 松本君こそすべて忘れて人の世界に戻って。

 ***

 トイレを過ぎた温室の手前で思玲が立っていた。

「どうした? 顔色が悪いぞ」
 追いついた俺へ言う。七実ちゃんを空気のように扱っている。

「思玲よりマシ……この木?」

 観光客達がスマホを向ける先に巨木があった。低い柵と背高い灌木に守られているようで……存在感がある。ここの看板のひとつかも。

(クスノキ)だ。周りは椿(ツバキ)。川田は楠の根もとにいる」
「この木から作れそう?」

 いまの俺にはわからない。異形にならないと……、玄武でなく座敷わらしに。朱雀と向かいあう満月系聖獣でなく、か弱くて助けを求める新月系の弱小妖怪に。

「私は川田を信じる。なので哲人はここで見張ってくれ。スタッフが来たら追い払え。まずは、ここにいる方々の注意をひいてくれ」

 思玲の手に扇が現れる。茶色い地味な扇がひろがる……思玲が魔道具を手に隠していた。

「これが噂の弱くて優しすぎる驚蟄扇だ。ゆえに怖い。はやく気をひけ」

 説明を端折られるのには慣れているから、俺は反対側を向き、空へと指さし叫ぶ。
「あ、オスプレイだ!」

 その場にいた誰もが振り向いただろう。都心の緑の上の青空を眺めただろう。米軍機どころか、まだ龍も満月も浮かんでいない空。
 振り向くと思玲はいなくなっていた。姿隠しの結界に包まれて、大クスノキのもとへ向かった。

「消えましたね」
 テレパシーはやめて~、などと騒いでいた七実ちゃんがつぶやく。

「見ていたの?」心の声で言い「見ていたの?」人の声で言いなおす。

「はい。なにかやりそうな予感がしたから。……あの木ですね? 川田君もそこにいますか?」
「あなたもそこに向かうのなら、俺は阻止する。訴えられるようなことをする」

 静かに伝える。魔道具を作るのは神聖な儀式だ。邪魔してはいけない。思玲と川田だけで済ますべきだ。

「だったら教えてください。瑞希って誰ですか?」
「同級生。祈りの資質があって、俺達を何度も助けてくれた白猫」
「この木は俺が不要(プヤウ)らしい」
「わあ!」

 知らぬ間に足もとに川田がいた。

「……這ってきたの」
「四つ足が一番ひそやかだ。サポートが必要らしい。七実が手伝ってやれ」
 しゃがんだ川田がクスノキを眺めたままで言う。

 俺と七実ちゃんは顔を見合わせる。……思玲の苦渋の決断だ。本来ならば、補佐したのは横根だったろう。だけど彼女はいない。祈りを重ねた横根の心は誰よりも憔悴したのだから。

「丸見えだけど行ってあげて」
 七実ちゃんへ頭を下げる。

「陸斗君のためでもありますね」
 彼女はうなずく。周囲の目を気にすることなく、ツバキのなかにもぐる。

 ……二人きりのときは下の名前で呼んでいたのかな。

「川田は人に戻ったら、あの人が彼女でいてくれる」
「だったらやっているのか?」
「たぶん間違いなく」

 アポなしで部屋に行って、入れてもらえなかったことがある。

「わかった。俺は人に戻る」
 動機はなんであれ、川田がまた宣言してくれた。
「だが瑞希も俺の女にしたい。松本のように二人を食いものにしたい」

 ……祭りが近づいているからか、川田は多弁だ。思玲達はまだ現れない。係員も現れない。川田がいるから誰も立ち止まらない。俺はスマホを見る。時刻は13時32分。充電しないとな。

 たぶらかす男。もはや否定できないけど。

「そしたら二人から愛想を尽かされるよ」
「……松本も桜井とドロシーに逃げられるのか?」

 おっしゃるとおりだよ。鬱憤のかたまりだった俺は女癖が悪くて、高校時代のカノジョ達は去っていった(もちろんまだ健全な交際だった)。
 でもね、今回はね、逃げられたら一人は龍になる。もう一人は魔女になる。

「そうなる前に終わらせる」
 二人を人の世界に戻す。そして夏奈は俺のキスを忘れる。ドロシーは俺を覚えている。

「だったら今夜までだな」
 川田はツバキの藪を見ている。かすかでない獣の匂いを漂わせながら。

「……川田も、それまでに人へ戻らないとならない」
「どうやって?」

 九尾狐の玉で。
 陰辜諸の杖で。
 貪か暴雪の肝を喰らって。
 どこにあるのか分かっているのは。

「影添大社に頭をさげて」
「さっき言っていた杖のことか。無理だと思う。そしたら折坂はとっくに人になっていた」

 俺は落ち着かなくなってクスノキを見あげる。……違和感の原因は、川田の語りのかすかな知性。

「それはないよ。だって影添大社を守れなくなる」
「だから我慢していたのか。やはりハラペコとは違う」
「どういう意味?」

「ムジナはずっと本物の人間になりたがっていただろ?」
 川田はをツバキを透くように見るままだ。
「すごいのが出来上がったみたいだが、それでも思玲は敵味方のなかで一番弱い。誰よりも心だけは強いが、死は遠ざからない」

 露泥無が主を裏切った理由。恐るべき玉を奪ったわけ。それよりも。
 ずっと見かけない漂う影。死に近いものに親しむ魂の抜け殻達を見かけなくなった。それは、俺やドロシーよりも死に近い人が現れたから?
 わからない。じきに人の時間が終わる。それまでに片づけられることを済ませ。

 ガサガサとツバキの枝をかき分ける音がして、二人が現れた。よろよろの思玲は七実ちゃんに支えられている。二人とも髪を乱雑に短く刈っていた。魔道具に捧げたのだろう。
 七実ちゃんが川田へはにかむ。思玲の手には何もなかった。

「役に立たぬお前達には見せぬが、椿(ツバキ)(クスノキ)に力をいただいたので、春南剣(チュンナンジェン)と名づけた。銘打たねばならぬほどの代物だ。では戻るとしよう」

 ***

 川田がタクシーの助手席に、後部座席の真ん中に七実ちゃんが座る。魔道具の誕生のために思玲を信じて、髪を捧げてくれた彼女を追い払えるはずない。彼女から逃げだしてくれない限り。

「もう一度だけやり直すじゃん。ねっ、ねっ、友達からでいいから」

 ドーンがスマホへ必死に話しかけていた。平和な世界にいる。安堵より妬ましい。
 ニョロ子が俺の膝に現れて首を横に振る。露泥無探しは今かららしい。

「進捗の報告にわざわざ来たんだ。ありがとう」
 これだけあちこちに顔だせば、なんでも覗いているわけだ。
「見逃したイベントを教えてあげる。思玲は魔道具を作った。でも、もったいぶって披露してくれない」

 ニョロ子は残念そうな顔を冗談ぽくしたあとに、俺の顔をじっと見る。

「頼むことに変更はないよ。露泥無を探し……その前に瑞希と雅の状況を見てきて」

 うなずくと同時に消える。

「いまから行く場所に~、瑞希って人がいるのですか?」

 俺と思玲に挟まれた七実ちゃんが聞いてくる。
 彼女を挟んだ二人は無言のまま。心の声も交わさない。

「俺からも聞きたい。瑞希は影添大社に戻っているのか?」

 川田の人の声に思玲が舌を打った……?

 破壊されていない橋から川を見おろして涙を流す横根。視覚が広角になると、同様の人が幾人もいた。彼女は手を合わせたあとに、カバンから何かをだし川へと落とした。忌むべき杖だ、持っていたんだ……。
 彼女は橋の真ん中でどっちに進むか躊躇する。すぐに前を向いて歩いていく。かたわらに雅が侍る。

 早い、早すぎる。有能すぎる。

「彼女はどこへ向かうの?」

 影添大社ビルが視覚で現れる。

「また会えるってことだな」
 助手席の川田がぽつり言う。「雅も思玲に」

「いや。ウンヒョクがあの近辺にいるはずだ。彼に瑞希を引き留めさせろとニョロ蛇に命じろ」
 思玲がドアによりかかったままで答える。窓の外を見ている。「会う必要ない」

「ニョロ子よろしく。露泥無探しも並行してお願いね」
「頑張るから任せて、へへ」

 疲れた笑みを向けるドロシーを視覚で残していなくなる。

 ***

 日暮里が近づいたところで、スマホで時間を確認する。十三時をまわってしまった。日没まで七時間ほど。

「うっ」
 影添大社の間近で七実ちゃんが口を押さえる。

「す、すみません。いきなり」
 運転手が車を停める。ドアを開けて嘔吐する。

「人除けの術だ。広範囲のうえに、かなりの高密度」
 やはり青ざめた思玲がドアから降りる。彼女だって人間だ。

「ここで降ります。すぐに立ち去ってください。……お釣りは無理そうですね」
 護符に守られた俺は三千円をトレイに置く。七実ちゃんがシートに横たわって降りられない。

「急げ。狩りの時間だ」
 やはり平気な顔の川田が七実ちゃんを引きずりだし、肩に抱える。

「待て」思玲の手に驚蟄扇が現れる。「守る力よ、我らとともに」

 プリズムがちぎれたような光がいくつか、彼女達にまとわりつく。

「弱い光だろうと跳ね返しの応用だ。この扇と私だと、こんなこともできる」
 思玲は背筋を伸ばして歩きだす。

 気絶した日向七実を背負った川田が続く。人がおらず人が起こす音も少ない日暮里を、俺も警戒しながら歩く。

「何が起きている?」思玲が聞く。

「知らん」川田が答える。「だが折坂が怒っている。覚悟しておけ」

 俺は夏奈へ電話する。つながらない。おそらく電波が歪められている。
 天珠をタップする。雑音だけ……。
 本心は逃げたい。でも夏奈とドロシーがいる。だから俺は駆けだす。川田に追い越される。

「待て。川田はここで日向を守れ」
 思玲の手に剣が現れる。細く真っ直ぐな鋼のソード。これが春南剣。……これって、
「じろじろ見るな。私などに恐れ多い破邪の剣だ。行くぞ」

 剣と扇を両手にした思玲が、やっぱり先頭で走りだす。俺も川田を置いて追いかける。……お天狗さんの護符は怯えていない。だったら折坂さんは敵でないはずだ。

 *

 影添大社玄関前の広いスペースに二人がいた。戦っていた。同時に俺達へ目を向ける。
 日本刀を持つ折坂さんは獣のような眼差し。
 神楽鈴をもつ巫女装束の大蔵司は黒髪のウィッグをかぶり、このうえなくきれいで醒めた眼差しで、口もとをゆがませる。俺達へ心の声を向ける。

「戦う気のない獣人でなく、君達の相手をしよう」
 男の声。古臭い西洋の言語……。
「我が主が到着するまえに、まとめて倒してやろう。空封(SIGILLUMDECAELO)そして地封(SIGILLUMDETERRA)

 鈴の音とともに讃美歌らしきが流れだし、俺と思玲は丸に十字のしめ縄に閉ざされる。
 長い髪を清楚に結んだ大蔵司は、堕天使イクワルに乗っ取られようと、意識というか外見が高まっているようだ。デレる木札を発動させない。




次章「4.4-tune」
次回「影添大社前死線」
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