十九の一 忌むべき世界の八人

文字数 4,218文字

 上空にいるらしい琥珀と九郎の姿は見えない。風軍もだ。思玲がたまに天珠で連絡を取る。

 五人乗りの大型四駆に七人とカラスが乗るときつい。川田とドーンが荷台でも狭い。小柄な体がさらに小さく(幼く)なった横根が隣だろうと窮屈だ。でも触れても滑らなくなった。
 思玲が運転、大蔵司が助手席。思玲のすぐ後ろの座席に夏奈、そこから俺、横根、ドロシーの順に座っている。
 横根は黒ずんだ紅色の杖を握りしめている。ドロシーの血のおかげで、横根は再び俺が見える。俺の言葉も

。こっちの世界に長く居すぎるから、その表現が正しいと感じる。

「瑞希さんといても、少しだけ平気になった」
「よかった」
「だね」

 ドロシーの言葉に俺と横根は心をこめず相槌をうつ。本心は、こんな世界にいたくない。一刻も早く逃げだしたい。みんなで……。

 冷たい戦争。夏奈の隣を選んだ俺へのドロシーの感情を感じる。
 シャワーを浴びた夏奈はいい匂い。夏奈のさらさらな肌とも触れ合っている。でも言葉は交わさない。誰もが言葉少ない。杖を返せと夏奈も横根には言わない。
 見た目十七歳少女の(日本国内)無免許運転で、大型四駆は夕方の混雑の中を日暮里へ向かう。

「哲人。やっぱり聞くぞ。打ち明ける」

 百鬼の時間。思玲は運転だけに集中できていない。
 ドロシーは相手がレジェンドだろうと、俺達のために敵へまわすだろう。だとしても俺は「はい」と答える。

「ドロシー。白虎について教えてくれ。私と哲人が狙われている」
「……韓国の暴雪に? 現存する唯一の四神獣。白虎は森の王。本来の大きさは丘そのもののサイズ。姿を変え、姿を消し、悪しき存在を抹殺する。冥界を行き来できるので神出鬼没。知恵は人以上なのに、怒りに染まれば獰猛になれる。そんなのに?」

 そんなのばかりだ。

「みたいだね。二日前、間一髪だった」
「実はな、哲人がな」
 思玲が端折って説明しだす。


「楊偉天を倒した報いが、王姐のせいで哲人さんにまで向けられた。理不尽だ」
 ドロシーは一聞けば十を知る。
「キム老人に直接会って謝罪すべきだけど、そしたら負けになる。哲人さんを狙う悪しき異形を返り討ちにしよう。満月になれば自発的に冥界へ引っ込むから、それまでに済ます」

 彼女こそ物騒すぎる。そもそも勝てるのか? ……明日にでも空飛ぶ車で韓国に向かうしかないな。幸いにも思玲はへつらうのが得意だ。年寄り受けもいい。

「冥界ってどこ?」ドーンが尋ねる。
「人が知り得ぬ場所だ。暗闇で何もないらしい」思玲が適当に答える。
「なぜ冥界に潜むの?」大蔵司も聞いてくる。

「四神獣で一番凶暴な白虎。その夜は誰も制御できないし勝てないから。ここにいるメンバー揃っても」
「私も入っているんだ」

 大蔵司が笑う。横根は神妙だ。川田は荷台で寝ている。

 ***

「チッ、こほん」

 ドロシーの舌打ちと咳払いで目を覚ます。妖怪だろうが寝てしまい、夏奈と寄りそっていた。

「ドロシー起きていたんだ。案外おとなしいね」
 大蔵司が異形の言葉で声かける。静かな一団……。

――これだったら治せるかも。ほらね

 出発する直前。
 杖に血を垂らしたドロシーの手首は、煙に包まれ瞬時に癒えた。傷が残ったままの左手薬指を、大蔵司は咥えるように舐めた。ドロシーの顔を見つめながら。
 傷が消えた彼女は感激したけど、横根は嫌悪を浮かべていた。さすがに俺だって気づいてる。誰よりも強いから露骨。誰よりも美麗だから露骨。こいつは自分に自信があるから露骨だ。

 俺の周りの女を誰もこいつに渡さない。横根も、横根の服を着たドロシーも。夏奈には興味なさげだけど……。指を吸う大蔵司を、思玲は見て見ぬ振りしていた。夏奈は俺に言いたげだった。俺はうなずくだけだった。

「王姐、とめて」
 ドロシーがいきなり言う。青い顔をしていた。

「酔ったか?」
「いいえ。素敵な横根さんとでも長時間隣にいると……」
「ははは。人間嫌いだ、おっかね」

 夏奈だけが笑う。ドロシーは無視する。
 車は路肩に寄り、俺と横根が席を交替する。ドロシーと肌を合わせる。

「私はいまの哲人さんより、人である哲人さんのが好きだ」

 彼女は七人に宣誓するよう口にする。

ブウウウウ

 川田が屁をこいて窓が全開になって、宣言は宙ぶらりんのまま消える。

 *

 高速を避けたので、けっこう時間がかかる。

「八人で向かっているのは教えてあるの?」

 俺は大蔵司に尋ねる。ほぼずっと一緒にいるが、彼女が影添大社と連絡を取ったのを見かけていない。

「私にも敬語を使え。まだというか、いきなり連れていく。電話越しで怒られたくない」
「すげ、ははは」
 夏奈にだけウケた。

「絶対に入れてもらえねーし。また公園だし」
 最後部でドーンがぼやく。

「どっちにしろ鴉は無理だ。いまの瑞希と桜井ちゃんもだろうな」

 大蔵司の感覚だと、こっちの世界に触れている女子二人も異形扱いなのだろう。多少は正しい。

「あそこに戻る理由がよく分からないけど……」

 横根が口ごもるけど、おそらく全員分かっていない。ほかに道がないから、大蔵司が十億円の損失を起こした件を一緒に謝る。そしたら何かが変わるかも。

「火急の問題はヘリコプター。続いて川田。さらに和戸と哲人。そして瑞希と桜井か」
 思玲が運転しながら話す。「だが邪悪な者どもが関わろうとしている。その件をじっくりと影添大社と話しあうべきだな」
「邪悪って誰だろ、ははは」

 夏奈だけが笑う。
 ドロシーが俺の手を探りだす。

「ゼ・カン・ユの生まれ変わりに決まっている。そして夏奈さんは洗脳されている。自分が龍の生まれ変わりと思い込まされている。それを解くことが大事」

 俺の手に手を重ねて、ドロシーが静かにでも強い口調で告げる。……その考え方もあったか。だったら夏奈はただの人だ。龍の資質を持って生まれた単なる人だ。

「真実は、瑞希ちゃんが持っている杖が知っている」
 夏奈が乗りだして俺の隣の二人を覗く。「ドロシーちゃんも握ってみなよ、ははは」

「トラップが仕掛けてある。魔道士はよくて吸いこまれる」
 思玲が即答する。
「そして、その杖が語るものこそ信じてはならぬ。桜井も多少は気づけ。さっきから馬鹿笑いばかりして馬鹿丸出しで空気を乱しているんじゃねえ! お前のために動いているのを忘れるな!」

 ついに暴発してしまった。こうなると怒涛が始まる。

「お前は龍にされるのだぞ。みなと別れる。人であった記憶もなくす。化け物になってこき使われる。そんな術を仕掛けた者を慕うな!
藤川匠は楊偉天だ。私達が倒すべき敵だ! その妨げになる。惑わされるな! 目を覚ませ!
瑞希も和戸も川田も説得しろ。とくに川田。俺は関係ないと荷台で寝ているな! お前こそタイムリミットが近いのだぞ。その夜が来たら誰も抑えられねえんだよ。
……折坂……上海……香港。奴らに狩られるぞ。誰も守れないからな!」

 運転しながら振り向かずに早口で怒鳴りつづける。

「ざけんなよ!」
 夏奈が運転席のシートを蹴った!
「気づいていないのは思玲だろ。いんや、みんな気づいていない。川田君もみんな、ここから逃げだす方法はひとつだけだろ」

「運転手に飛びかかったらダメ!」
 隣に座る横根が夏奈に抱きついた!
「みんな辛いし、思玲の口が悪いのは最初からだし、……だけど夏奈ちゃんは怒っちゃいけないよ、絶対に」


「我慢している。みんながいるから」
 先ほどの騒ぎが嘘みたいに夏奈がぽつり言う。
「でも、みんな気づく。じきに気づかせてくれる。……その時に認めてよ」
 横根越しに俺を見つめる。

 ドロシーは俺にのしかかるほど張りついている。視線は夏奈にしがみつく横根の手もと。意図せず真横にきた忌むべき杖から必死に逃れている。

「……もう嫌だ」
「思玲、車を停めろ」
 川田の声がドロシーのつぶやきを消した。「俺と松本と松本の女はここで降りる。行き先は分かる」

「松本の女? ははは、その言い方おもしろい」
「桜井黙れ。京はどう思う?」
「そんなの思玲に任せるし」
「ならば川田の意見に従おう。おそらくたぶん大丈夫だろう」
「俺は? 俺も降りるぜ」
「和戸は好きにしろ」
「ふ、笛は私が持っている。私は夏奈ちゃんといるよ」

「……降りようか」
「へへ」

 俺も川田の意見に従う。俺の手を血がにじむほどにずっと握っているドロシーも。

 *

 三人は六義園で降車する。大蔵司が言うには、歩いても三十分かからないらしい。

 憶測に決まっているけど、俺達は藤川匠の思惑の上を転がっている。香港に行ったのも、台湾に行ったのも、土壁を倒したのも。露泥無がいなくなったのもそうかもしれない。
 奴の思い通りに動かないのは、川田。それと、なおもイレギュラーで予測不能なドロシー。そう感じてしまう。
 俺は……俺と思玲は、関わる奴ら全員の一番の駒だ。みなが好きなように動かそうとしている……。
 ちょっと思考がマイナス入ってきている。夏奈の態度を見ていたら当然だ。台湾の最後から、夏奈の頭は藤川匠オンリーだ。

「たくさん飛んだから、もう寝るよ」

 小さくなった風軍が降りてきて、タクシーを拒否したドロシーの肩にとまる。
 三人は歩きはじめる。サングラスをかけた川田が先頭で道案内する。俺は川田に張りつく。白虎を恐れて。
 ドロシーは松葉杖でついてくるけど、

「川田さんと呼べばいいよね?」
 いまさら尋ねる。

「ああ。もうリクトじゃない」
「あなたは私と哲人さんの味方だ」
「いまは全員の味方だ」
「ワンダフルだ。はやく人に戻れるといいですね」
「松本の女もな。瑞希の持っている汚い棒はもう平気だ。お前の血が罠を消した」

 なぜに気づける?

「ドロシーと呼んでください。それに私は人ですよ」
 杖の件にコメントせずに彼女が笑う。すれ違う男性にじっと見られ、嫌悪を浮かべる。

「お前の体はな」
 川田が笑いかえすはずない。
「その時が来たら、俺は龍の女よりお前を助ける。瑞希もこっちに来たから言えるが、人なんて糞喰らえだ」

 その時って何だろう? いつだろう?
 会話も続くはずない。季節に関係なく、妖怪だろうが嫌な汗をかいてしまう。ドロシーの松葉杖がアスファルトを叩く音が痛ましい。

 *

 あっという間に日暮里かと思ったら西日暮里だった。でも十数分で八人は再合流する。
 そしたら影添大社との交渉開始だ。でも薄々気づいている。俺は抗えぬ流れに乗った木の葉なだけかも。打破するきっかけが欲しい。




次回「影に添うでなく」
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