三十七の一 人の値段

文字数 2,312文字

4.2-tune


 登山の人達はなにもなかったように帰路につく。
 俺達は登山口の駐車場で琥珀を待つ。日没まで一時間ちょっとの午後六時。山間だから翳りはじめている。新月の夜――、時間切れが近づいている。
 ドーンと横根には伝えた。二人とも同意してくれた。本物の川田こそいてくれたら。手負いの獣は睾丸の裏を掻くだけだった。


「なぜ、はやく言わぬ」
 少女が腕を組む。雅の件は思玲にだけ伝える。
「それを聞けば、あの死にぞこないはマジで死ににいくだろうな」

 俺とおなじことを考えた。

「知っているのはハラペコだけ……。魔道団の連中には伝えるな。私達でなんとかする」

 思玲ならそう言うに決まっていた。でも意見は一致した。ケビン達には教えない。

「俺だけでなんとかするよ」
 俺の責任だし。いまの思玲は子どもだし。

 夜が近づく林から、リュックを抱えた琥珀が浮かんできた。あの中に滅魔の輪より怖いものが隠されていると知らずに。

 *

「哲人のスマホが外ポケットで鳴っていたから、代わりにでてやった」
 琥珀が言う。それはプライバシーに関わる問題だ。
「京ちゃんだった。シノは無事に到着して、九郎は香港に旅立った」

 安全運転だっただろうな……。大蔵司と電話番号のやり取りなんかしていない。

「哲人が車で寝ているあいだに交換しておいた」
 しれっと言う。
「まさかピンコードが、本当に『3901』だと思わなかったからな」
 にやにやしやがる。

「その数字はなんですか?」
 濡れたタオルを頬にあてたドロシーが、透きとおった横根に聞きやがる。

「語呂でサクライ。夏奈ちゃんの苗字だよ」

 答えるなよ。赤面レベルだ。

「ところで」と、琥珀が思玲へとあらたまる。「冥神の輪は本物と確認されました。しかし片方だけなので、当初の金額は払えないとのことです。片側だけだと三十万とのこと」

 七十万ドルの半分は三十五万ドルだよな。琥珀が俺を見る。

「だから哲人の取り分は五万に減額だ。車の内装代を差し引いた額を支払うそうだ」

 こっちはさらに計算が合わない。現実味のない話だから、どうでもいいや。

「台湾魔道士の最後の一人であられる思玲様に、日本より正式な依頼が来ました」
 琥珀が少女に向きなおす。
「輪をもうひとつ取り戻したら、あらためて四十万。死者の書が八十万。麗豪と法董を引き渡せば一人六十万。……殺しても六十万」

 この依頼のおおもとは、おそらく南京の寺院。

「すべて承知したと返事しておけ」女の子が言う。「それと、ここに迎えを寄こさせろ。支払いは魔道団だ。ましなドライバーにしてもらえ」

 命ずる思玲の頭に蚊柱が立っている。

「御意」
 琥珀が俺のスマホを操作しだす……。なんで人間のもので電話できる。
「京ちゃんだからだ。電波越しに異形の声を受けとる。感だけは、恐れ多くも思玲様に匹敵する」

 だったら自分のを使え。余計な通話料はかからないだろうな。

「私にも無理だ。あの娘は素知らぬ顔して化け物だ」
 思玲が顔の前をはらいながら言う。

 大蔵司の血のおかげで、思玲もすっかり元気になった。彼女の虫歯が治るかも試させられたが無理だった。おそらくあの血が義憤を感じたときに、その力を発揮するのだろう。
 あの血はいずれ薄らぐよな。なんだか乗っ取られそうで怖くなる。成人男性の体内の血が5リットルとして(雑学知識だ)、輸血された量は800ミリリットルだから…、16%も彼女のじゃないか!
 ちなみに俺は七葉扇を握らせられたが、なにも感じなかった。力がある者は、触れればその魔道具の力も分かるらしい。つまり俺は大蔵司の血があっても魔道士の力はないままだ。思玲がたまに扇を握りしめ、見つめていた理由も知れた。

「麗豪を捕えたのは魔道団だ。日本に引き渡すなり、香港にテイクアウトするなり好きにしろ」

 思玲が頭上もはらいながら言う。雷に打たれ人除けの術を直撃した麗豪は後ろ手に縛られて、トイレ裏の林に転がされている。露泥無が覆い、川田とドーンが監視している。というよりは無駄話をしている。
 琥珀が電話を切る。

「僭越ながら、張がいるのを伝えました。一時間ほどで迎えがくるそうです」
 小鬼はようやく主と俺以外に顔を向ける。
「ドロシーともお別れだ。あまり話せなかったな」

 彼女もケビンと一緒に日暮里の影添大社に向かうことになった。シノと合流して関西空港に行き、魔導団の専用機で帰国する。

「風軍がもうじき来る。私はあの子に乗って帰る。私のリュックがないとあの箱は運べない」

 ドロシーは納得しないし、俺だけを見る。……夏奈はまだ海中だろうか。

「梁大人が独断でしたことだ。俺達下っ端に正式な命令は来ていない。それにこいつらはリュックサックなどなくても行く」
 包帯だらけのケビンが口を開く。彼は四玉の箱の重さを知らない。

「私には雅を倒す責任がある」ドロシーは食いさがる。

 ケビンが暮れ行く空を見あげる。
「ならば魔導団の一員として、人のいない闇に一人でひそめ。こいつらに頼るな。邪魔になるな」

 ケビンの言葉にドロシーがうつむく。……時間が過ぎていく。俺達はそろそろ動かないとならない。

「横根、行こう」

 俺の声に彼女はうなずく。透けた体のままで、ドロシーをちらりと見て立ちあがる。俺と一緒にドーン達のところへ向かう。

「琥珀、背荷物をよこせ」

 思玲が言う。リュックを使い続けるつもりか? ドロシーは文句を言わない。

「間違ってもお手を入れぬように」琥珀が捧げる。

 リュックを持った少女が、蚊柱を従えてついてくる。琥珀も浮かんであとを追う。……ドロシーが言いたげな顔をしている。俺の横へと小走りする。握られかけた手をポケットに入れる。




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