二十の三 ダークなファンタジー

文字数 3,844文字

 藤川匠どもを誘いだせる餌。それは俺もだった。

「貴様だけは何度も殺したい。複数の死を与えたい」
 峻計も姿を現さない。声だけが存在する。
「だが叶わない。ならば精一杯に(むご)く殺すだけだ」

 あいつにとって、俺以上の仇はいない。しかも昨日、あいつの子分を倒した。それも知っているだろう。
 足もとに天珠が転がっている。切断された腕は消えている。
 俺は黙ったまま、やみくもに独鈷杵を投げる。同時に屈んで天珠を拾う――。頭のすぐ上を漆黒の光が通過した。墓石が崩れる音が遠くでする。

「まずは致命傷を与える。いたぶるのはそれから。時間はかけない。夏梓群が鷲とともに現れるまえに終わらす」
「キョキョ」

 飛び蛇の笑い声もした。見えない蛇のせいで、彼女がいることも知れてしまった。
 俺は天珠をポケットに入れる。ひとつだけの手に独鈷杵がよみがえる。投げると同時に駆けだす。みながいる公園へ逃げろ。叶わなければ殺される。

「私は白虎のように遊ばない。貪のように日和(ひよ)らない」

 駅を目指せ。人を盾にしろ。さもないと生き延びれない。
 人影が待ちかまえていた。

「こっちに来るのはいただけない。人々を巻き添えにするのならば、君を異形として成敗する」

 大ぶりな剣が天を突くように掲げられる。青白く煌々と輝きだし、所有者を照らす。
 俺の手に独鈷杵が現れる。

「藤川!」

 月神の剣の所有者へと法具を投げる。奴の目前の闇で静止する。

「やっぱりたいしたものだ。僕の結界に突き刺さった」
 その向こうで、藤川匠が茶色に染めた前髪をかき上げる。剣をおろす。
 独鈷杵は地面に落ちる。
「峻計。ちょっとだけ松本と喋らせてくれ。まだ彼は死なない。彼は自分が死んだことに気づかずに死ぬのだから」

「……なるほど」
 俺の背後で闇が答える。

 電車の音が遠い。車の音はしない。人の声も聞こえない。

「線路の向こうは――」
 藤川匠が駅の方向を剣で指す。「この国の祓いの者のテリトリーだ。この墓地ならば、虎が暴れようが峻計が騒ごうが、奴は関与しない。でも峻計や貪がビルに近づいたら、奴は豹変する。死に物狂いでだ。だから桜井夏奈を迎えにいけない」

 切断された腕の痛みはない。生えてこい生えてこいと心で念ずる。俺はとくとくと喋る藤川匠だけでなく、背後に潜む峻計どころか、天にいるかもしれぬ貪にすら注意を向ける。俺は死んだことに気づけないのならば、つねに気を張っていればいい。
 藤川匠の理屈が正しければ、死を意識しながら死なないはずだ。

「貴様に夏奈は渡さない」

「生死がかかっている。夏奈に選ばせてあげなよ」
 藤川匠は飄々と答える。
「フロレ・エスタスにだけは、僕は交換条件をだす。和戸駿を人に戻す。横根瑞希をもとの姿にする。川田陸斗も僕が責任をもって扱う」

「悔しいが、その考えを私でさえ受け入れる」
 背後で峻計が言う。「だが松本哲人と王思玲。この二人には死んでもらう。龍は泣き喚くけど、じきに受け入れる」

「すぐにだよ。松本がいなくなるなり、夏奈はすぐに僕のもとへ来る」

 こいつらは勘違いしている。夏奈はそんな

ではない。

「王思玲か……。憐れな彼女もカラスを人に戻すため、僕を受け入れる。いずれ執念深い峻計に殺されるだろうけど、僕はそこまで関与しない」

「峻計はなぜに藤川へ従う」
 俺は背後へと聞く。時間稼ぎではない。書に閉じこめられた死人のように、真実を知りたいだけだ。
「藤川に教えてやる。あいつはいつか裏切る」

「そうかもな。だけど夢魔と鴉が重なり合ったおぞましき存在である峻計。少女の魂を生け贄に復活した僕。似た者同士だ。飽きるまで配下でいさせてやる」

「ざけんなよ。峻計は人殺しだ。俺の目の前で院生を二人殺した。楊偉天の配下だった。俺達みたいな犠牲者を処分してきた。そんな魔物をゆるすな」

 思玲からはっきりと聞いたわけではないが、そうに決まっている。やはり峻計は否定しない。代わりに藤川匠が告げる。

「いまから(つぐな)えばいいだけだろ。永久に罪を背負いたいのならば、僕が始末する」
「お前だけが正しいのか?」

 俺の言葉にも藤川匠は涼しげに笑うだけ。
 もう誰も語らない。俺は聞きたいことはたっぷりある。何より倒したい。でも倒されるのは間違いなく俺だ。誰かが助けに来てくれなければ……。
 琥珀と九郎は暴雪にやられたみたいだ。思玲は韓国人とともに消えた。戻ってきてくれるだろうか。
 川田は瑞希を守る。大蔵司は宮司を守る。ドーンは非力。夏奈も力になれないし、来てはいけない。頼れるのはドロシー……。彼女だって目覚める前の藤川匠に敗れ、泥に這わされた。そもそもどうやって呼ぶ? 助けを求める?
 だったら逃げろ……挟まれた状態で? 絶体絶命じゃないか。……青い光がある。夏奈が受け取らない龍の破片。ならば殺されることない。……藤川匠は光だけを分断できる。そしたら俺は不要だ。

「松本は心の強さが武器だよな。生き延びるため必死に考える。あがこうとする」
 俺の顔色を見ていた藤川匠がくすりと笑う。
「でも終わりだ」

 ふいに藤川匠が剣を水平に払う。

「他愛ない」

 峻計が背後でつぶやく。
 藤川匠の手から剣が消える。

「いまので君は死んだ。――貪、迎えにこい」

 ……首筋が冷たい。俺は妖怪のくせに血の気が引く。一歩も動いてはいけないと感じる。

「並び立つどころか従えるものが殺した。あなた様はみずから導きを歪めた。こいつの死後は混沌となる」

 声の主が降りてくる。俺は眼球だけを動かす。
 忌々しい黒い天馬のようだ。牛馬ほどの飛龍の姿と化した貪が霊園へ着地する。

「俺様は諫言したよな。松本哲人はまだ殺すべきじゃない。そう匠様に告げたよな。雌龍を匠様でも抑えられなくなる。もう一つの“花咲き誇る夏”も」

 俺は声もだしたくない。冷や汗をかきながら、片手を顔に添える。両腕があったなら支えられたのに……。殺意の有無に関わらず身がまえろよ。いまさら後悔する。

「そしたらフロレ・エスタスを終わらせる。今度は加減せず一撃で殺す」
 藤川匠が飛龍である貪へ飛び乗る。
「その子にも会っている。泥だらけでも誰より美人で、醜悪な心だった。でも僕には分かる。ロタマモやサキトガなら尚更気づいたはずだ。あのアジア人は龍ではない」

「鏡に封じられた貪が、力ある魔道士に怯えるのは仕方ない。そもそも貪は松本にさえ怯えた。情けない」
 真横であいつの声がした。顔を向けられない。
「こいつのとどめは私に任せてください。それで導きは戻るでしょう」

「俺は楊偉天を見てきた。ゆがんだ導きは……匠様なら修正できるかもな、ゲヒヒ。では飛びたつぜ。峻計、あとは任せた」

「最後に松本へ教えてやる。霞んだ鏡がかろうじて伝えてくれたこと。――お前を倒せば、あいつらは僕に泣きつく。片目の獣さえ説得される」
 藤川匠が貪へと歩いていく。
「魔女だけが取り残される。そして強きものに成敗されて死ぬ。……次に僕が今の世ですべきことは、こいつらやフロレ・エスタスと一緒に見つけよう。じゃあな」

 主を乗せた禍々しい飛龍が闇空に消える。俺とあいつだけになる。

「思玲を救った者は誰だ? 今までならば、あの男はむしろ貴様を助けただろうな。貴様が授かった導きこそ霞んでいたな」

 あいつの声は真正面からする。俺は法具を手にだせない。そしたら俺の頭は……。

「絶望しているくせに、まだあきらめない。お前を見ていると、昔の私を思いだして反吐がでる」

 あいつが姿を晒した。漆黒のチャイナドレス。長い黒髪。おぞましい異形だと分かっていても見惚れる顔――の面影はない。少女だった思玲に天空の護符で縦に裂かれた面。
 人には無理なほどの憎悪で覆われている。

「目を背けるな」峻計は俺に命じる。「お前が最後に見る顔を焼きつけろ」

 俺は何も言えない。逃げることも媚びることも侮蔑も詫びもできない。峻計の憎しみを浴びるだけだ。
 あいつの手には杖があった。楊偉天の杖……楊聡民の杖。

「お前にしがみつく青龍の光は回収する。お前が絶望のなかで死ねば、かすかな龍も愛想を尽かして立ち去るからな。それを我が主になど渡したくないが、貪に気づかれる。仕方あるまい」

 そしてあいつの勝ち誇った笑み。杖を俺の腹部へ向ける。
 激痛。俺の腹が燃えだす。なのに俺は悲鳴も上げられない。手を離せば、藤川匠に分断された俺の首は転がり落ちる。

「どうした? いつものように憤怒を見せろ。ここから逆転してみせろ」

 あいつが杖を掲げる。杖を下ろす。俺へと黒い煙が漂う。包まれた体が崩れていく。腕も溶けて、支えを失った俺の首が落ちる。
 峻計が足で転がし向きを変え、俺は自分の体が骨となり朽ちていくのを地面から見る。

 なんていうバッドエンドだ。

「もっと苦しませたいが、梓群が現れるかもしれない。なので終わらせてやる」
 峻計が杖を掲げる。「地獄で思玲と会えたらいいな」

 峻計が杖を下ろす。また漂う黒煙。俺は屈辱に埋まる。これ以上の絶望があるものか…………ああ、紅色だ。

「哲人さん」

 ドロシーが来てくれた。パジャマ姿で恥ずかしげに笑ってくれる。

 その視覚が、かすかな希望を与えてくれた。
 だから俺は耐えられる。ならば呼び止めろ!

「夏奈ー!」 
 すがりつけ。
「桜井夏奈! 桜井夏奈! 桜井夏奈夏奈夏奈夏奈夏奈ー!!!!!」

「黙れ。偏執狂め」

 叫ぶ俺の生首が漆黒の炎に包まれる。低温で燃やされる。
 充分すぎる苦しみの末、俺という存在が消滅する。




次回「どん底までクールダウン」
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