十一の二 前夜祭の始まり
文字数 2,666文字
「あいつらだけは何があっても食い殺すが、警戒して降りてこない。だから俺は隠れるぜ。さっきの神社で合流だよな」
リクトは言うなり林に飛びこむ。人も異形も恐れる気配が消える。こいつはひそむすべも覚えた。
目のまえに土蛸が巨岩のようにぬっとでてきて、極めて驚かされる。
「灰風達と大鴉の戦いを見ましたが、鴉の一羽は速く鋭く、もう一羽は結界をまとっています」
シノへと複眼を向ける。
「お二人は林にお逃げください。私はこいつと囮になりつつ社に向かいます」
なんで俺もだよ。……まずまずの案かも。タコのくせに賢い奴だ。
「だから? 社はもうすぐだ」賢いはずのドロシーが告げる。「松本、行こう」
俺の手を握り駆けだそうとする。人のぬくもりが伝わる。ついさきほどまで泣きじゃくっていたくせに……。俺はその手を振りはらう。
「八も林に逃げろ」最善の策を思いついた。「俺だけ囮になる」
俺は空高くへと浮かびあがる。薄雲に星は見えない。人の明かりが遠く見える。
「化けカラスども! 松本哲人だ!」
俺は空へと叫ぶ。……リクトと同じだ。こいつらの存在を知り、俺もうずいている。妖怪のくせにアドレナリンを感じる。
「お前らなんか何度でも倒してやる!」
そうだよ。俺は奴らを何度も倒した。だから奴らは俺を狙う。
*
まず声が聞こえた。
「あれっ? 小さいな。……カカカッ、でもあいつだ」
おさなげな声。姿は見えない。
「流ふぁーん! タカをいじめるのは終わり。人間もどきがキジムナーだよ!」
なにを言ってやがる……。ついで風を感じる。
「竹林、まだつつくな!」落雷のごとき声。「護符があるかもしれない」
風が俺を遠巻きに巡る。俺を警戒している。
「そうだ! 俺には護符がある――」
叫んでから思う。あきらめて彼女達が狙われるかも。
「嘘だ! 俺はなにも持ってない!」
「あいかわらず姑息な野郎だな。引っかかるか」
風が下へと去っていく。「こいつはあいつに任せる。まず猛禽の野郎を消す」
「大燕は見かけた?」
空間が邪気なく尋ねてくる。「穴熊がいなくなって残念だね。カカカッ」
笑いが遠ざかる――。
きわめて拍子抜けだが、目視できなければどうにもならない。
静かすぎる山。ヨタカだけが鳴いている。お婆ちゃんに教えてもらったから、この鳴き声は知っている。……俺の相棒のカラスはどうした? 別れてから長すぎる。
「ドーン!」
叫んでも、こだまは帰ってこない……。
ドーンならば大丈夫と勝手に思いこんでいた。不安がずしりと背中に乗って、首の痛みを思いだす。
「哲人か!」
思玲の声がかすかに聞こえた! 憂いがひとつ消えた。
「林に隠れて!」叫びだけ返す。
お天宮さんはどこだ? ……人に見えぬ街灯がぽつぽつと林道を照らしていく。ドロシーは林に逃げなかった。――その明りへと大タカが降りていく。人が背に乗っている。
「哲人!」
後方の薄らぐ明りのなかで、フサフサが手を振る。少女を肩車するおばさんは、笑顔で走れるほどに元気そうだ。その上空で大タカが風によろめく。人が落ちかける。
「ドーン!」
俺はすべてを追い越して、術の明りのさきを目指す。杉林が雑木林となり、森と化す手前に赤い屋根を見つけた。
「ドーン」
俺は石鳥居の上に立つ。
「哲人……」弱々しく声がした。「罰 が当たった。助けて」
ご神体からだ。急な山道の上をふわりと進む。……小さな石祠のまえにカラスが転がっていた。人の目に見えぬしめ縄で、ぐるぐるに巻かれている。
「つついて漁ったら怒りだした」
ご神体をゴミ袋みたいに扱うな。あきれる場合ではない。祠へと手を合わせる。
――俺のだいじな友達です。どうかお許しください
腕ぐらいあるしめ縄をほどこうとする。びくともしない。カラスごと持ちあげようとしたら、縄のさきが蛇のように威嚇してきた。
「……ドーン、すごく怒っている」
護符どころではない。
「もうすぐ香港の魔道士が来る。どうにかしてもらおう。思玲とフサフサも来るし」
フサフサがいざこざを起こさなければいいのだけど。俺が築いた信頼関係が瓦解する。思っているそばから掃射音が聞こえた。
「痛くはないのだろ? もう少し待っていて」
ドーンに言い残す。
***
駐車場を兼ねた狭い広場に着地する。まだ誰もいない――。ばさりと大タカが降りてきて、風圧に転がされる。
その背から若い男が飛びおりる。起きあがった俺に気づく。
「挟撃のつもりか!」
振るった扇から、青い光が矢のように幾重も飛んでくる。立て続けに食らって地面に打ち伏される。シノの光よりはるかに痛くて目がくらむ……。おが屑のように柔らかい土が衝撃を吸収してくれた。ここにクワガタの木が立っていた。
「カカカ、あんな光も避けられない」
闇から楽しげな声がした。「流範、キジムナーは護符をもってない」
この声は竹林。護符がないのがバレた。
「人間もどきだろ!」
風切り音が向かってきた。俺の手前で巨大なタカが風へと首を振るう。大カラスが神社へと激突する。……熊ほどもあるカラス。こいつが流範か?
「灯!」
境内が白昼と化した。「松本、伏せて! 滅!」
俺の頭上を薄墨色の光が乱れ飛ぶ。空間が割れて、眼前にカラスのくちばしが現れる。ようやく俺は屈む。
「いたたた」
中型犬ほどの大カラスが上空へと逃げる。……こいつが竹林。
「あさましい大鴉め」
ドロシーが弾倉をはずしながら叫ぶ。
「我が目は結界を見抜き、我が術は結界を打ち破る!」
彼女は弾倉に息を吹きかけてセットしなおすと、神社へと銃口を向ける。大カラスはすでにいなかった。
タカが飛翔しようとして風に阻止される。流範は早すぎて視認できない……。ドロシーが背後に威嚇射撃をしつつ俺のもとへ走る。俺の手を握り起きあがらせる。
「弱い術でしょ。でもリミッターにかけないと周りの人も傷つけるから。へへへ」
切れ長の目で笑い「探していた護符は?」
首を横に振る。こんな修羅場にあるはずない。
「ふん。お札ならあそこって言っただろ」
林道の闇からフサフサが現れた。
「あの化け物カラスが飛んでいるじゃないかい。哲人、はやくお札でやっつけておくれ」
フサフサは片手でシノをつるし上げていた……。腕に傷を負っているシノの苦悶の顔を直視できない。ドロシーの握る手が強まる。
「猫! カラスは俺の獲物だ」
リクトが雑木林から飛びでてきた。
「うまそうな匂いのおかげで道草してしまった」
猟犬が大タコの足をくわえながら俺へと笑う。土蛸は地面の中をひきずられていた……。
次回「お天宮様でも譲歩する」
リクトは言うなり林に飛びこむ。人も異形も恐れる気配が消える。こいつはひそむすべも覚えた。
目のまえに土蛸が巨岩のようにぬっとでてきて、極めて驚かされる。
「灰風達と大鴉の戦いを見ましたが、鴉の一羽は速く鋭く、もう一羽は結界をまとっています」
シノへと複眼を向ける。
「お二人は林にお逃げください。私はこいつと囮になりつつ社に向かいます」
なんで俺もだよ。……まずまずの案かも。タコのくせに賢い奴だ。
「だから? 社はもうすぐだ」賢いはずのドロシーが告げる。「松本、行こう」
俺の手を握り駆けだそうとする。人のぬくもりが伝わる。ついさきほどまで泣きじゃくっていたくせに……。俺はその手を振りはらう。
「八も林に逃げろ」最善の策を思いついた。「俺だけ囮になる」
俺は空高くへと浮かびあがる。薄雲に星は見えない。人の明かりが遠く見える。
「化けカラスども! 松本哲人だ!」
俺は空へと叫ぶ。……リクトと同じだ。こいつらの存在を知り、俺もうずいている。妖怪のくせにアドレナリンを感じる。
「お前らなんか何度でも倒してやる!」
そうだよ。俺は奴らを何度も倒した。だから奴らは俺を狙う。
*
まず声が聞こえた。
「あれっ? 小さいな。……カカカッ、でもあいつだ」
おさなげな声。姿は見えない。
「流ふぁーん! タカをいじめるのは終わり。人間もどきがキジムナーだよ!」
なにを言ってやがる……。ついで風を感じる。
「竹林、まだつつくな!」落雷のごとき声。「護符があるかもしれない」
風が俺を遠巻きに巡る。俺を警戒している。
「そうだ! 俺には護符がある――」
叫んでから思う。あきらめて彼女達が狙われるかも。
「嘘だ! 俺はなにも持ってない!」
「あいかわらず姑息な野郎だな。引っかかるか」
風が下へと去っていく。「こいつはあいつに任せる。まず猛禽の野郎を消す」
「大燕は見かけた?」
空間が邪気なく尋ねてくる。「穴熊がいなくなって残念だね。カカカッ」
笑いが遠ざかる――。
きわめて拍子抜けだが、目視できなければどうにもならない。
静かすぎる山。ヨタカだけが鳴いている。お婆ちゃんに教えてもらったから、この鳴き声は知っている。……俺の相棒のカラスはどうした? 別れてから長すぎる。
「ドーン!」
叫んでも、こだまは帰ってこない……。
ドーンならば大丈夫と勝手に思いこんでいた。不安がずしりと背中に乗って、首の痛みを思いだす。
「哲人か!」
思玲の声がかすかに聞こえた! 憂いがひとつ消えた。
「林に隠れて!」叫びだけ返す。
お天宮さんはどこだ? ……人に見えぬ街灯がぽつぽつと林道を照らしていく。ドロシーは林に逃げなかった。――その明りへと大タカが降りていく。人が背に乗っている。
「哲人!」
後方の薄らぐ明りのなかで、フサフサが手を振る。少女を肩車するおばさんは、笑顔で走れるほどに元気そうだ。その上空で大タカが風によろめく。人が落ちかける。
「ドーン!」
俺はすべてを追い越して、術の明りのさきを目指す。杉林が雑木林となり、森と化す手前に赤い屋根を見つけた。
「ドーン」
俺は石鳥居の上に立つ。
「哲人……」弱々しく声がした。「
ご神体からだ。急な山道の上をふわりと進む。……小さな石祠のまえにカラスが転がっていた。人の目に見えぬしめ縄で、ぐるぐるに巻かれている。
「つついて漁ったら怒りだした」
ご神体をゴミ袋みたいに扱うな。あきれる場合ではない。祠へと手を合わせる。
――俺のだいじな友達です。どうかお許しください
腕ぐらいあるしめ縄をほどこうとする。びくともしない。カラスごと持ちあげようとしたら、縄のさきが蛇のように威嚇してきた。
「……ドーン、すごく怒っている」
護符どころではない。
「もうすぐ香港の魔道士が来る。どうにかしてもらおう。思玲とフサフサも来るし」
フサフサがいざこざを起こさなければいいのだけど。俺が築いた信頼関係が瓦解する。思っているそばから掃射音が聞こえた。
「痛くはないのだろ? もう少し待っていて」
ドーンに言い残す。
***
駐車場を兼ねた狭い広場に着地する。まだ誰もいない――。ばさりと大タカが降りてきて、風圧に転がされる。
その背から若い男が飛びおりる。起きあがった俺に気づく。
「挟撃のつもりか!」
振るった扇から、青い光が矢のように幾重も飛んでくる。立て続けに食らって地面に打ち伏される。シノの光よりはるかに痛くて目がくらむ……。おが屑のように柔らかい土が衝撃を吸収してくれた。ここにクワガタの木が立っていた。
「カカカ、あんな光も避けられない」
闇から楽しげな声がした。「流範、キジムナーは護符をもってない」
この声は竹林。護符がないのがバレた。
「人間もどきだろ!」
風切り音が向かってきた。俺の手前で巨大なタカが風へと首を振るう。大カラスが神社へと激突する。……熊ほどもあるカラス。こいつが流範か?
「灯!」
境内が白昼と化した。「松本、伏せて! 滅!」
俺の頭上を薄墨色の光が乱れ飛ぶ。空間が割れて、眼前にカラスのくちばしが現れる。ようやく俺は屈む。
「いたたた」
中型犬ほどの大カラスが上空へと逃げる。……こいつが竹林。
「あさましい大鴉め」
ドロシーが弾倉をはずしながら叫ぶ。
「我が目は結界を見抜き、我が術は結界を打ち破る!」
彼女は弾倉に息を吹きかけてセットしなおすと、神社へと銃口を向ける。大カラスはすでにいなかった。
タカが飛翔しようとして風に阻止される。流範は早すぎて視認できない……。ドロシーが背後に威嚇射撃をしつつ俺のもとへ走る。俺の手を握り起きあがらせる。
「弱い術でしょ。でもリミッターにかけないと周りの人も傷つけるから。へへへ」
切れ長の目で笑い「探していた護符は?」
首を横に振る。こんな修羅場にあるはずない。
「ふん。お札ならあそこって言っただろ」
林道の闇からフサフサが現れた。
「あの化け物カラスが飛んでいるじゃないかい。哲人、はやくお札でやっつけておくれ」
フサフサは片手でシノをつるし上げていた……。腕に傷を負っているシノの苦悶の顔を直視できない。ドロシーの握る手が強まる。
「猫! カラスは俺の獲物だ」
リクトが雑木林から飛びでてきた。
「うまそうな匂いのおかげで道草してしまった」
猟犬が大タコの足をくわえながら俺へと笑う。土蛸は地面の中をひきずられていた……。
次回「お天宮様でも譲歩する」