十一の一 心の奥底

文字数 4,558文字

「さすが師傅だ。家を吹き飛ばすほどのトラップだらけで、目ぼしいものにほぼ手をつけられなかった。簡単でいいので朝飯を用意してくれ」
 思玲が顔を覗かせる。
「私物をまとめて三十分後にでる。能天気(夏奈のこと)と大蔵司を呼んで……二人だけで何を話していた?」
 眼鏡の縁をあげながらにらんでくる。

「昔話を聞かせてもらいました。たいした内容では」
「ばあや、言うべきでない話はするな。私はあなたに何も思ってないゆえ、喋って肩の荷を軽くしようと思うな。哲人は詮索するな。はやく二人を呼んでこい」

 俺の話を半分もきかずに、年ごろの思玲が自分の部屋だったところへ向かう。
 妖怪のくせに知らぬ間に座っていた俺は立ちあがる。

「思玲は強いです。俺達こそ守られてきました」
 非力すぎる小学生になろうと一緒にあがいてくれた。

「それは誰よりも鍛錬を積んだからです。……強い以上にやさしい。だけどそれを隠している。玲玲は秘密主義です。幼いころから人に見えぬものと過ごしてきたのだから、人に打ち明けるのをためらうようになったのでしょう」

 あり得るかもな。陳佳蘭から辞去し、夏奈と大蔵司を呼びにいく。……言われるまでもなく思玲だって守るに決まっている。守られるのだから守る。

 *

「松本が呼びにきたよ」
「どこどこ? あいかわらず全然見えねーし、ははは」

 二人は木陰に立って楽しそうに会話していた。まだヘリコプターの残骸から煙が漂っているのにだ。

「なにを話していたの?」大蔵司にしか尋ねられない。

「ちょっと不良だった中学高校時代のことを教えた。お化けや霊が見えりゃ(すさ)ぶよね。……桜井は私ぐらい馬鹿っぽく見えるけどあの大学なんだ。すごくね?」
「従姉妹の第一希望を一緒に(記念に)受けた。ちなみに俺も同じ大学だけど学部は違う」

 人に聞こえぬ声で教えるけど、模試でのマックス偏差値より15も高い大学に受かったのは龍の資質ゆえだろうか。あの学部はマークシートだけだったとしても。

「あんたはそんな感じだね。勉強オンリー。喧嘩など見るのもいや」
「そんなことはないけど、勉強は人一倍した自負はある(第一志望落ちたけど)。部活とも両立させた」
「むかつきそうだから終わり。――桜井。松本も同じ大学だってさ」
「お化けも入学できたんだ、ははは。私は四校も受験して、あそこしか受からなかった。浪人不可だったからラッキーだった、ははは」

 A判定を落ちた俺とE判定を合格した夏奈。二人は巡りあうように導かれていた。そんなはずはない。だったら夏奈は、中学時代に俺の実家付近に遊びにきていた。そして橋の欄干に手を置いて並んで立ち話をした。
 三人は母屋に入る。

 *

「朝粥は今から用意だそうだ。あきらめよう」
 思玲もすでにいた。赤色のカバンを左肩にかけていた。
「ここでの用事は済んだ。ばあや、達者でな」

 この女はその言葉だけで立ち去ろうとする。
 陳佳蘭は受けいれる。車の鍵を渡す。

「必ず戻ってきてください」
「当たり前だ」
 思玲が先頭で出ていく。

「だから、みんな声にだせって言っているだろ」
 夏奈が毒づく。「でも、もうすぐ聞こえて見えるのだよね?」

 楊聡民の作った魔道具。それを手にすれば、おそらく俺が見えるのだろう。

 ***

 左ハンドルのランドクルーザー。思玲が運転し、助手席に大蔵司が座る。

「次は楊偉天の住みか。すなわち連中のアジトだ。おそらく香港が荒らし済だ」
 思玲が人の言葉で言う。

「どれくらいっすか」
「何が?」
「時間」
「二時間ちょいだ。日本語で喋ってやってるのだから省略するな」
 夏奈と思玲の会話のあとに、

「なぜ陳佳蘭は楊偉天から離れた? 劉昇のもとに向かった?」
 黒いリュックサックが尋ねる。

「ハラペコには教えぬ」

 思玲は即答するけど、そんなのは彼女が劉師傅に従ったからに決まっている。あの人からは怖いほどの情念を感じた……。
 しょせん露泥無は異形だから、人の心の奥深いものに感づけない。表面のさざ波さえも見落としそうだ。九郎や琥珀にしても――。
 琥珀は楊聡民なのだろうか? 聞けないし聞いてはいけない。……劉昇や楊威天の死を陳佳蘭に告げた賢い小鬼とは琥珀。あなた方は母と息子ですか? 聞く必要はない。彼女だって知らないだろう。

「どこかで飯食べよう。台湾系中華」
 さすが夏奈。

「混んでいるが高速道路で済まそう。……哲人と大蔵司は静かだな」
「俺は人の声で話せない。夏奈に忌むべき力を与えたくない。それしか話したいことはない」
「ここまで来てから言うな。桜井聞け、哲人がお前と語らいたくないそうだ。目を合わせたくないらしい」
「松本ってシャイだったんだ。妖怪が見えるゲームがあったよね。私も腕時計をつけるだけだったりして、ははは」
「このように桜井は乗り気だ。ジャップのくせに和を乱すなら松本はここで降りろ」

 ほんとうに降りてやろうか? あんな話を聞かされた俺は、妖怪だろうと鬱が入っている。

「大蔵司は酔ったのか? 私の運転は荒くはないが」
「静かなのは十億円を思いだしてしまったから。よくよく考えたら、責任は思玲(しれい)ちゃんにこそあるよね?」
「日本語読みするな。龍や藤川匠を倒してチャラにしてもらえ」

「藤川匠を倒す?」
 俺の横に離れて座る夏奈が困惑した声をだした。
「どういう意味? あなた達や松本哲人はたくみ君の敵なの?」

「桜井の敵は藤川匠だ」
 思玲がきっぱりと告げる。「高速道路に乗るぞ。すぐに関西服務区(サービスエリア)がある」

「妖怪が見れるだけでなくドラゴンだったときの記憶も戻ったりして」
 大蔵司がふいに振り返る。
「それは冗談だけど真実が分かるかもね」
 夏奈へとにっかり笑う。

 夏奈は不審げなままだったけど。
「匠君とは何年も会っていないし二度と会うことないかも。……私が龍だったなんて信じないけど、その道具でモンスターになったりしないよね?」

「道具ではない。あの魔道具で人を龍に為せたならば、四玉の犠牲者は少なかっただろうな……。伝承にさえなってない単なる魔道具。人を異形に変えないし、逆をする力もない杖だ。忌むべき世界を知るだけ」

 杖だったのか。秘密主義による勿体ぶった謎が一つ明かされた。
 高速道路に入り、思玲が車の窓を閉めて冷房を入れやがる。

「隙間開けて。私はクーラー嫌い」
 夏奈が不機嫌に言う。「たくみ君も苦手だって言っていた」

 俺の身に気を配るはずがない。

「桃子を封じれば、冷房もナチュラルだったのにね」
 大蔵司がぼやく。「あーあ。まいったな。まだ死にたくねーよ。逃げだしたい」

 ***

 日本で言うサービスエリアへ車線変更する。女子高生ぐらいの思玲が運転していても、咎められることなく駐車位置へ誘導される。これだけ堂々としていれば日本でもスルーかも。
 俺は車内でひっそりと女子達の帰還を待つ。四十分も待たされるとは思わなかった。

「エスニックでおいしかったね。日本よりボリュームあったし。夕飯までなにも食べられねー」

 朝飯をがっつりおごってもらった夏奈の機嫌は戻った。後部座席に乗り込み俺とぶつかり、俺がふわりと横にずれる。

「牛肉麺に点心にタピオカ茶は喰いすぎだ」
 思玲が運転席に乗る。

「私は失敗。パクチー臭いし鶏肉がそのまんまだし、とさかはダメ。思玲ちゃんは料理の説明を端折りすぎ」

 大蔵司が助手席に乗ると同時に車が動きだす。また女子三人のおしゃべりが始まる。

「私まで日本の女優かと質問されたぞ。桜井はともかく大蔵司は目を引きすぎだ」
「思玲こそきれいだし、ははは」
「桜井も松本が惚れるだけあるよ。もう少し肥えたら私も好みそう。……もう一人美人がいるんだよね。九ちゃんから聞いた」
「大蔵司は

寺ではドロシーとニアミスだったか。あれは香港に置いてきた。じきに誰より強くなるというか瞬時に私は越されたが、独断で動きすぎる。それにビビりのくせ危険を好む。付き合わせられない」

いつか私も人の世界に戻して

 いまは夏奈だけ考えろ。
 美女三人を乗せて大型四駆車は疾走する。道は混んでいるけど渋滞ではない。空はうす曇り。日本と同じ空。景色も日本の地方道路みたい。荒い運転の車が多いけど、思玲はそうでもない。一般道でもクラクションを一度も鳴らさなかった。
 思玲は“ともかく”扱いしたけど、夏奈には他の二人にないものがある。愛嬌とか表情美人でもいうべきか、女優クラスの二人に引けを取らない。もちろん感情を消した顔だってきれいだった。傀儡にされたときに知っている。

 三人はガールズトーク。夏奈は思玲に台湾の芸能とか質問する。見た目十代の台湾女性は知識がないうえに無愛想なので、大蔵司と日本国内のネタが会話の主になった。川田の話題になり、横根の話題になる。

「京さんってLGBT?」夏奈がいきなり尋ねる。

「違うよ」大蔵司がきっぱり答える。「でも瑞希はかわいいな」

「それは何だ?」
 思玲が心の声で尋ねてくる。

「思玲には教えない」
 いじけたリュックサックがむっつり答える。俺も面倒だから露泥無に従う。

「ならば道に落と――」
 思玲が言いかけて「ふん、感じとったぞ。さすがは十代処女の私だ」

 ドキリとさせられるコメントだけど「あいつらですか?」

「蛇だ。大胆にも車内のメンバーを覗きやがった」

 峻計の手下である間諜。どこから付いてきた? 親分は呼びだし済か?
 俺はいまさらジタバタしない。ドロシーがいなくても大蔵司がいる。彼女は傷を癒す力と凶悪な結界を持っている。しかも昼間。ロタマモと同じ末路にしてやる。

「やばいほど中二病だけど、涼さんも分かったっすか?」
「バージンしか分からないみたいだね」
「私もだけど何も分からね。ははは」
「いるとすれば峻計。引き返すべきだ」

 夏奈の言葉にまたドキリすると同時に、リュックサックが異形の言葉で割り込んだ。だけど思玲は聞いていない。

「次で高速を降りる。なるべく山道を進む」

「そいつらを倒せば、ヘリを落としたのも戦場での必要経費で落とせるかも」
 大蔵司の手に早くも神楽鈴が現れる。一度だけかき鳴らして消す。「もっと怖い道具もあるけど、台湾で使うのはやめとこ。龍を倒してもプラマイゼロにされそう」

 陰陽士は道具に

をつけないのか。それで龍を倒す自信があるのか。ミラー越しに夏奈を見た気がした。

「また話が飛んでいるし。松本哲人が何か言っているの?」
「桜井が抱えているリュックがだよ」
「これが? いやいやさすがに嘘っぽ過ぎるし」

 夏奈はそう言って露泥無をより強く抱く。羨ましすぎる……。

「ただの人である夏奈がいる。逃げろ! 引き返せ!」
 夏奈が平然過ぎだから失念していた。「あいつだけであるはずない。土壁だって貪だっているかもしれない。藤川匠だって」

 そいつとだけは夏奈と合わせてはいけない……記憶なき夏奈とは。

「いや進むべきかもしれない」
 夏奈の胸もとの黒いリュックが告げる。
「土壁がいるならば町に戻れない。奴は思慮なく人の世界へ厄災をもたらす。あの狂犬だけは倒すべきだ。……とハラペコ呼ばわりされた黒猫なら言うだろうな」

 ……マジかよ。露泥無はフサフサのかたきを取ろうとしている。このムジナの心の奥底はドライに見せかけてホットだ。九郎よりも。人であったらしき琥珀よりも。




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