二十九のニ またも転回点

文字数 4,766文字

「くそくそ!」

 転がったままの麻卦さんの手にも冥神の輪が現れる。紺色の扇と交差させる。
 白銀と紺色の螺旋。ドロシーの投げた輪が跳ね返される。

「護れ!」
 緋色のサテンが現れるなり彼女の周りで旋回しだす。力を失った螺旋の光は霧散する。
 冥神の輪は彼女の手に戻る。同時に投げる。
「噠!」

「くそ!」

 麻卦さんは手にする輪を輪ではじく。衝撃で本人は転がる。両方の輪も逆方向に転がっていく。ひとつが俺のまえで横になる。
 輝かない白銀弾以外に、ドロシーに他の魔道具はないよな。つまりリミッターになるものがない。あっても破壊されるだけか。

「戦うための魔道具に鹿を閉じこめたままだな。割れたらその子も消滅しちゃうだろ。極悪妖怪め」
 両手をカニ型にして執務室長へ向ける。
(しゃあ)、殺、殺、殺、殺、殺、殺、殺、殺、殺!」

 わお、紅色の壁。破滅的密度あり過ぎ光弾群。俺もいるのに。

「台輔!」大蔵司が叫ぶ。

 目の前にピンク色の尾びれが現れる。

「痛いきゅ、でも弱いきゅ」
 悲鳴を上げながら、紅色の術を受け止めまくる。

「台輔ちゃんがここにも現れた!」
 ドロシーが両手をおろす。
「薄めの術にしてよかった。大蔵司め、また式神を盾にしたな。貴様らは藤川匠か」

「お前に結界が通用しないからだ。……桃子の毒もきかなかったな。化け物め」
 そう言って麻卦さんが冥神の輪を拾おうとする。それは意思あるように飛んでいく。ドロシーの手に戻る。

「うまくねえな。こいつは折坂にまた殺されるぞ」
「白虎もいるのだから来ないですよ。こいつらを追いださないかぎり、傍らから離れるはずない」

 大蔵司がすり足で移動を始める。ドロシーを挟み撃ちにしようとしている……。

「待てよ! みんな終われ!」
 ようやく俺は動きだす。「ドロシーは(俺がお寺で喰らって肋骨を数本折った)弱い術を(大量にだけど)選んだ。その意味を考えてくれ」

「逆さ人封!」

 大蔵司は俺の言葉を聞きやしない。しかも初披露の凶悪そうな術名――、しめ縄がうねりながらドロシーへと飛んだ!
 でもしめ縄は、師傅の護布にスライサーみたいに切断される。なにも起こさず即座に消滅した。

「大蔵司、勉強しろ。私を閉ざすことは叶わぬ」
 ドロシーの肩に護布がおりる。
「弱い“殺”を選んだのは、哲人さんと大蔵司と台輔ちゃんと鹿ちゃんを殺さないためだ。軽いから勝手にいっぱいでちゃっただけだ」

 連呼していた覚えもするが、彼女は一人だけをにらむ。

「お、俺は逃げるぜ」
 麻卦さんの手に煙草が現れる。「……いや。そしたら折坂が俺にも怒る」

「松本、ここからだしてくれ」
 川田が叫んでいる。横たわる横根とともに純白の結界に閉ざされていた。

「千葉ヤンキー、手を離せ」
「ちげーし。離すわけねーし。お前は目がいっている。またチビ天狗になる」
「チビは禁句だ! ピーナッツ女!」

 夏奈はドーンであるカラスを必死に抱えていた。つつかれた腕から血がにじんでいる。
 みんなが必死にあがこうと、先に進むどころか遠ざかっていく。

 これはすべて、誰のせいだ?

「ドロシー武器を捨てろ」
 俺のせいだ。俺が責任をとる。「さもないと俺が相手する」

 麻卦さんの冥神の輪を拾い、立ちあがる。
 いつもの静寂。俺が怒りを迎えたときの、周囲のものの緊張。
 ドロシーは俺を懸命に見ていた。

「て、哲人さんもだまされている。そいつは武蔵野大狸。星は五つ。人の姿に化ける。人ほどに物欲であふれ、それを満たすため人の世に紛れる。人をかどわかし食べるとも言われる。だが、その正体を見破れるものは誰もいない」

 執務室長が唾をのむ音がした。俺は彼を見る。
 ……この人を異形と見るのは難しい。金銭欲の権化だし、裏切られもした。それこそが妖怪の所業だ。でも人の本質だ。もっと妖怪じみた連中を、二十年の人生で見かけている。

「おもしろくもない。やっぱり頭がいかれていた」
 大蔵司はドロシーに憎悪すら向けていた。

 そりゃそうだ。露泥無は人に変げしようと、ちょっとずれた中身を隠せなかった。俺は麻卦さんと香港へ行ったけど、下品で横柄な親父としか見えなかった。出会った人の誰も、怪訝な顔を向けなかった。そもそも異形だった俺は、彼と触れることができなかった。ふわりと滑った。
 この人は、人よりも人間臭い魔道士だ。忌むべき力をもって生まれただけで妖怪なんかではない。
 だとしても俺はドロシーを信じる。ここにいる者で、俺だけが彼女を信じられる。
 神獣との絶望的な戦いを、二人は互いを信じて生き延びた。俺にとって誰よりもドロシーが正しい。

 彼女へと目を向けなおす。

「君の祖父も周婆さんも思玲も、麻卦さんと顔を合わせている。雅も露泥無もだ。誰一人そんなことを言わなかった」
「へへ、私しか見抜けないからだ。大蔵司なんか狸に尻尾を振っていた」
「その正体を誰も見破れない。それなのに?」
「……なにを言いたいの?」

 それは君が魔女だから? 龍の弟だから?
 そんなじゃないと分かっている。俺だけが分かっている。

「俺はいまの君を信じられない。頼むから武器をおろして」

 みんな静まるなよ。俺と彼女しかここにいないみたいじゃないか。

「だから?」彼女は蒼白になった。「私だって魔道士だ。正義のためにここにいる。悪をのさばらせぬために、みんなを守るために……守って守られるために、故郷から弾き飛ばされて日本にいる」

 俺は彼女を愛しい。いまだって抱きしめたい。こうして二人だけでいると、夏奈よりもずっと好きになったとわかる。でも俺だって守らないとならない。

「ドロシーの正義はねじれている」
 だからそう告げる。
「そのままだと破滅する。誰も見向きしてくれなくなる。誰も守れなくなる」

「でも哲人さんは守ってくれる」

 なんで笑みを向けられるんだよ。半泣きのロンリードロシー。

「だったら麻卦さんに謝りな。それでドーンも川田もみんな助かる。いまならば、まだゆるしてもらえる。そうですよね?」
「だから、そいつは化けた異形だよ。人なんかじゃない。影添大社は魔物の巣窟だ」

「聞けよ。それは自分のことだろ」
 語気を荒げるなよ俺。「ねじれた感情を制御できない、お前こそ人じゃない」





「謝罪なんて必要ねえよ。俺達だって彼女にひどいことをした。互いに水に流すだけだ。大蔵司そうだよな」

 しばらくして、麻卦さんがそう言ってくれた。俺から冥神の輪をひとつだけ受けとる。
 ドロシーはまだ立ちすくんでいる。輪の片割れを握ったままで。

 *

 横根が目覚めると十字羯磨は消えた。川田は昼寝しだした。危うくなった現状に関わらぬように。
 夏奈はハシボソガラスをずっと抱いている。龍の力がドーンから人が抜けるのを抑えている。そうとしか思えない。

「ドロシーちゃんは悪くない。ここの人も悪くない。悪いのはあいつだけだよ。冷血め」

 夏奈が俺をにらむ。本気で怒っている。そういう奴だ。だから好きになった。いまだって二番目に。

「ううん。私が悪い。麻卦さんは人間だ。私がおかしかった。ごめんなさい」

 ドロシーはまだ青ざめている。俺と目を合わせようとしない。その手の魔道具は消えていた。

「当然だ」大蔵司は彼女への敵意を隠そうとしない。「執務室長、いつまでこいつらを居させるですか?」
 俺達への敵意も。なおも神楽鈴を手にしている。

「そりゃ王思玲を押しつけるまでだ。また電波をゆがませておけ」
 執務室長がスマホを切る。「松本君だけちょっと来てくれ。今後についてアドバイスしたい」

 祭祀場から出ていく。視線を浴びながら俺も廊下に向かう。

「人の気配が少ないだろ。だけど某庁からの出向をメインに、エリートさん達が働いてくれている。もちろんコネは除外させている。
彼ら彼女らは賢いから、本当の影添いに関わらない。ダミーだけど儲かる仕事を黙々とこなすだけだ。つまり、ここにいるものは、数人を除いて正真正銘の人間だ。宮司も、大蔵司も」
 麻卦さんが屋内にある筒型灰皿に煙草の灰を落としながら言う。

「俺も深くは関わりません。忘れろと言われれば忘れます」

「時間がないよな? 含みをきかせた言葉などいらない。俺の話だけ聞け。
松本君は公園で俺を白虎から守ろうとした。ただの人間がだ。正直に言うと、青臭くて反吐がでそうになった。女にはモテるだろうけどな。
――滅多にない美人。まだ若いのにスタイルも悪くない。しかも自分の美貌を鼻にかけない。さらには一途。そんなのに惚れられたら、どんな男も骨抜きになる。心に決めた女さえ捨てるほどにな」

「夏奈のことを言っているのですか? 二人選ぶなんてできない」

「口をはさむなよ。そりゃあっちも中身はあれだが、まだかわいげがある。しかもきっと情熱的だぜ。それこそ一撃でどんな男も溶かす……脱線したじゃないか。
とにかくドロシーって娘はかわいい。あれこそ男を狂わす。連中の言い方を使えば、取り込む。盾にする。でもそうならなかった若い男がいた。その男は極限の状態で、究極美人を切り捨てた。仲間を選んだ。その四人を守るためにだ。
それこそが青臭い。でも、そういうのを俺は大好きだ。そういう人を俺は信じられる。力になりたいと思ってしまう。欲にまみれているだけじゃないからな。それを聞いてほしかった。
もうひとつあった。俺は人間だぜ。松本君が断言すれば、みんな嫌でも信じる。では、もう一人の美人を連れてきてやる。どろんとな」

 麻卦さんが煙草の煙に包まれていなくなる。俺は外宮と呼ばれる広間へ戻る。


 横根に目線でけしかけられて、ドロシーへ話しかける。ドロシーはよそよそしく笑う。すぐに目をそらす。大蔵司がにらんでいる。川田はまだ寝ている。
 ドーンが夏奈の腕のなかで迦楼羅になる。夏奈が怒鳴るとカラスに戻る。その繰り返し。そして迦楼羅のまま。夏奈が抱きしめれば人に見えない姿に戻る。でもそこまで。
 横根が俺を見ている。白猫だった横根。陽炎のビルの屋上で、最後まで一緒にあがいた白虎くずれ。

――松本君、もうみんな無理かも

 二度と聞きたくないから目を逸らす。

「腹減った。喰い殺すぞ。俺は人間なんかじゃない」

 そんな言葉こそ聞きたくない。何もできない俺は耳をふさぐ。川田も俺にすがる目を向けるだけ。

「ドーン君はまだ人だよ」
 ドロシーが不意に言う。「だから癒しを授けてみる」

 目をつむり、夏奈が抱えた迦楼羅のくちばしに唇を当てる。

「まじ? 哲人が見てるし。ていうか妬いているし、カカカ」

 ドーンがカラスに戻る。その頭をドロシーがさする。夏奈がほほ笑む。
 俺は二人を見ている。川田がドアへと顔を向ける。

「ひさしぶりだが、哲人とドロシーは死んで生き返ったらしいな」
 思玲こそ唐突に入場してきた。
「だが二度と死ぬな」

 黒ぶち眼鏡の下のきつい眼差し。白虎に襲われたときとは違うけど、俺のポロシャツと俺のジーンズ。靴は新品。長い髪をストレートにおろして、肌から日焼けが抜けていた。
 その年齢の幼さが消えずに残っている。それなのに背高いから凛とした美しさを備えている。それだけであるはずない。おのれに課した責任。それが彼女を気高くさえ見せる。
 続いて麻卦室長も入場する。

「韓流スターはキム老人と会いたくないようで出ていった。上野界隈なんぞで遊んでばかりの奴は、こっちから契約解除してやりたかった。私的に虎狩りを続けるだろ」
 そう言って俺を見る。
「特例の特例の特例で、君達を特別に会わせてやる。影に添う肩書が宰相である俺の独断でな」

 折坂さんが入ってきた。保育園児ぐらいの女の子を、両手で大事そうに抱えている。和装姿の七五三みたいなその子は、夏奈の胸もとのカラスを一瞥する。次いで横根を見て、顔を曇らせる。

「麻卦と折坂。まずはその娘のため捧げるぞ」
 心の声で告げる。




次回「無音禰宜」
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