四十七の三 ようやく奏でる二人
文字数 2,907文字
「このジジイ、しつこすぎ」
龍が虫の異形をにらむ。
無死も年寄りなのか。いつから存在しているのだろう。上空で向かいあうと、邪悪なセミの幼虫みたいだ。
「俺と夏奈となら倒せる。そしたら約束してくれる? 藤川匠でなく俺を選ぶって」
無死が牙を向けて飛んでくる。龍は高く飛ぶ。無死の毒液が鱗にかかり、煙が立つ。龍が吠えかえす。空から赤黒い物体が降ってくる……。
火山弾かよ。危険すぎる。無死に次々当たる。煙も立てずに平気で追ってくる。頭上の老人は結界にうずくまっている。
「たくみ君を選ぶに決まっているし」
夏奈が空で旋回する。無死が尾に噛みつく。
「昨日から、マジでこいつ邪魔」
視界が白く消える。……氷点下のブリザードだ。妖怪でも凍死レベルだ。
逃げ場がない。夏奈の頭にしがみつく。
「俺を忘れたのかよ。そりゃ思い出なんてほとんどないけど」
手足が凍っていく。しがみついたままシャツ越しに心を伝える。
陽炎のビル、緑地公園の野球場、駅ビルの屋上、小学校の校庭。二人だけの記憶なんて、異形になってからだけだけど……。木枯らしの吹くショッピングモール。交わしたハイタッチ。
それでも龍は無言だったけど、
「……横根。瑞希ちゃん」ぽつりと言う。「瑞希ちゃんがまた呼んでいる」
彼女の声は夏奈に届く。
「私は瑞希ちゃんみたいのが好きだった。でも、瑞希ちゃんは私を嫌っていた。だから、ヤバいことをしちゃった。気を引くために。あの小説、ヤバめだけど面白かったし」
横根の裏アカの暴露。吹雪が弱まる。
「横根は夏奈を嫌っていない。むしろ好きだ」
そうに決まっている。
「だから横根はここにいる。夏奈を助けるために!」
稜線上の廃村に戻ってきた。血の色の灯はふたつだけ残る。
「瑞希ちゃんは誰かが好きだった」
夏奈がつぶやく。
「香蓮もその人が好きだった。だから私は困ったんだ」
そんなモテモテなのは、おそらく俺だ。だからコメントできない。
「……あなたは誰だっけ?」
龍が頭上の俺に尋ねる。
「答えないでね。思いだせるから」
「またも人の心を感じるぞ!」
楊偉天がなおも叫ぶ。朱色の矢が、俺めがけて幾重にも飛んでくる。龍が体をねじらせ自分の身で受けとめる。
「法学部の特待生で、まじめで、ちょっと格好よくて、テニスがうまくて、でも嫌味がなくて。……お人好しなほどやさしくて、見て見ぬ振りができなくて」
夏奈は思いだしていく。
「女の噂があった。だから誘われても逃げた」
噂の出どころは、どうせドーンだ。龍が鞍部へと降りていく。吹雪が強まる。俺を思いだすのはやめたようだ。
「夏奈、でも夏奈は桜井夏奈だろ?」
震えながら伝える。それは覚えているよな。
「フロレ・エスタスじゃないよな」
廃村が光で囲まれた。朧の術ぽいけどナイター照明ほどだ。
地吹雪の広場にいるのは彼女と藤川匠、残存の獣人が二体だけ。竹林に積もる雪を結界がはじく。
ドロシーはしゃがみこみ銃を撃っている。
疲弊が上空からでも分かる。藤川匠は術の弾幕をたやすく弾く。間合いが狭まっていく。
「また瑞希ちゃんが呼んでいる。あなたは瑞希ちゃんを連れて帰って」
ふとドロシーが上空を見上げる。
「魔女見習いめ、よそ見とはな」
その一瞬に藤川匠が駆けだす。剣の一撃をドロシーは銃で受けとめて寸断される。
「お前がいずれラスボスか?」
「ひっ」
藤川は彼女の腹部に蹴りをいれる。仰向きに倒れた彼女の喉に剣先をつける。
藤川匠が龍に乗る俺を見あげる。
わけわからねーこと言うな。それはお前だろ!
「やめろ!」
俺は飛び降りる。なのに龍が俺を握る。
「降ろせ! あいつは手下が死んでも顔色を変えない奴だ!」
俺の怒声に龍がびくりとする。それでも爪を離してくれない。
「……二人を戦わせないよ」
「……人間め、私のそばで呼吸するな」
「こいつはこっちの世界の住人だろうと、まだ僕は人を殺せない」
なぜなんだ? 嵐の空へも届くドロシーの声と人の声。藤川の剣は寸止めされたままだ。
「松本の理屈はおかしい。魔物とは討伐されて消滅する存在だろ。そいつらが僕を守って死ぬことを、どうして嘆く必要がある。フロレ・エスタスは別だ。僕に殉じて、ともに今の世に生まれてきたからね」
思いだした。藤川匠と夏奈は生年月日が同じ。俺なんかよりはるかな絆……。
「無死よ。儂を忘れるな」
老人は闖入する。
「もういい。すべてを殺せ。藤川を殺せ。そして松本を殺せ」
無死が地面に降りる。のそのそ歩くさまは、動く小ピークだ。木々を倒しながら広場へと登る。
藤川匠はドロシーを見下ろしている。
「よく見たらすごくかわいいね。これぞ魔性だ。僕まで魅入られるなんて思ってないよな」
「へへ、日本語は知らなかったのに、だんだん通じてきた。……殺せばいい。死ねば会える。だから怖くない」
「まだ殺せないと言っただろ。でも僕は導きの断片を見た」
藤川匠がドロシーの脇腹を蹴る。頭も。彼女は顔からぬかるみに押しつけられる。
俺も、夏奈である龍もそれを見せられる。
「夏奈、手をどかせ」
「……だめ」
藤川匠が剣をかかげる。おぞましい丘陵と対峙する。
「無死と言う名前か。根は素直でおとなしい奴だな。もっと怖い龍がいるのを知っているか?」
藤川が丘のごとき異形へと憂いある目を向ける。
「怯えずに剣の光を見ろ。いまの僕に従え」
巨大な異形が逡巡する。首を垂らす。藤川匠が乗る。頭上にいた老人が杖を向ける。
若者の刹那の動き。破邪の剣が杖を切断する。
藤川が消えゆく楊偉天をつき落とす。数メートル落下した老人は動かない。そいつはどうでもいいけど、泥に顔をうずめたドロシーも動かない。
俺は怒っている。
「無死、浮かべ」藤川匠が命じる。「松本のもとへ連れていけ」
破邪の剣が煌々と光る。
「夏奈、飛ぼう」俺が命じる。「まずは無死を倒そう」
五本の爪に挟まれた俺の手の中で独鈷杵が青く輝く。俺はかすかに悟る。藤川匠の手先を征伐するが俺への導き。
「……松本君、怖めだし」
龍が怯えている。
「あれ? 思いだしちゃったかも。ははは、あなたの名前は、松本哲人だ!」
龍から人の歌が聞こえた。俺ごと握った独鈷杵がさらにさらに青く輝く。
もっと奏でろ。輝かせ。コバルトブルーに目が焼かれそうだ。
「夏奈……」藤川匠が剣をおろす。「フロレ・エスタス……」
青龍はお前の手下でない。俺の仲間であって大事な人だ。
龍と無死が交差する。俺は爪から離れる。空中に舞い、手にしたコバルトブルーで無死の体を縦に切り裂く。俺はぬかるみへと無様に落下する。
ズドン
無死の起こした地響き。不死身のはずの巨大な異形が溶けていく。それよりも、
「ドロシー!」
俺は横たわる彼女へと這いずる。
――無死が逃げるぞ。百年は地上に顔ださない
仰向けの老人の胸もとで鏡から話しかけてくる。
――あと一撃喰らわせたら、お前は末代まで語られたのにな
知ったことじゃない。ただただドロシー。夏奈と同じぐらい、みんなと同じに大切なドロシー。
彼女は目を開けたけど。
「フロレ・エスタスよ」背後からの怒気。「受けとれ」
背中に衝撃を受けて、俺の意識は吹っ飛ぶ。
次回「破鏡」
龍が虫の異形をにらむ。
無死も年寄りなのか。いつから存在しているのだろう。上空で向かいあうと、邪悪なセミの幼虫みたいだ。
「俺と夏奈となら倒せる。そしたら約束してくれる? 藤川匠でなく俺を選ぶって」
無死が牙を向けて飛んでくる。龍は高く飛ぶ。無死の毒液が鱗にかかり、煙が立つ。龍が吠えかえす。空から赤黒い物体が降ってくる……。
火山弾かよ。危険すぎる。無死に次々当たる。煙も立てずに平気で追ってくる。頭上の老人は結界にうずくまっている。
「たくみ君を選ぶに決まっているし」
夏奈が空で旋回する。無死が尾に噛みつく。
「昨日から、マジでこいつ邪魔」
視界が白く消える。……氷点下のブリザードだ。妖怪でも凍死レベルだ。
逃げ場がない。夏奈の頭にしがみつく。
「俺を忘れたのかよ。そりゃ思い出なんてほとんどないけど」
手足が凍っていく。しがみついたままシャツ越しに心を伝える。
陽炎のビル、緑地公園の野球場、駅ビルの屋上、小学校の校庭。二人だけの記憶なんて、異形になってからだけだけど……。木枯らしの吹くショッピングモール。交わしたハイタッチ。
それでも龍は無言だったけど、
「……横根。瑞希ちゃん」ぽつりと言う。「瑞希ちゃんがまた呼んでいる」
彼女の声は夏奈に届く。
「私は瑞希ちゃんみたいのが好きだった。でも、瑞希ちゃんは私を嫌っていた。だから、ヤバいことをしちゃった。気を引くために。あの小説、ヤバめだけど面白かったし」
横根の裏アカの暴露。吹雪が弱まる。
「横根は夏奈を嫌っていない。むしろ好きだ」
そうに決まっている。
「だから横根はここにいる。夏奈を助けるために!」
稜線上の廃村に戻ってきた。血の色の灯はふたつだけ残る。
「瑞希ちゃんは誰かが好きだった」
夏奈がつぶやく。
「香蓮もその人が好きだった。だから私は困ったんだ」
そんなモテモテなのは、おそらく俺だ。だからコメントできない。
「……あなたは誰だっけ?」
龍が頭上の俺に尋ねる。
「答えないでね。思いだせるから」
「またも人の心を感じるぞ!」
楊偉天がなおも叫ぶ。朱色の矢が、俺めがけて幾重にも飛んでくる。龍が体をねじらせ自分の身で受けとめる。
「法学部の特待生で、まじめで、ちょっと格好よくて、テニスがうまくて、でも嫌味がなくて。……お人好しなほどやさしくて、見て見ぬ振りができなくて」
夏奈は思いだしていく。
「女の噂があった。だから誘われても逃げた」
噂の出どころは、どうせドーンだ。龍が鞍部へと降りていく。吹雪が強まる。俺を思いだすのはやめたようだ。
「夏奈、でも夏奈は桜井夏奈だろ?」
震えながら伝える。それは覚えているよな。
「フロレ・エスタスじゃないよな」
廃村が光で囲まれた。朧の術ぽいけどナイター照明ほどだ。
地吹雪の広場にいるのは彼女と藤川匠、残存の獣人が二体だけ。竹林に積もる雪を結界がはじく。
ドロシーはしゃがみこみ銃を撃っている。
疲弊が上空からでも分かる。藤川匠は術の弾幕をたやすく弾く。間合いが狭まっていく。
「また瑞希ちゃんが呼んでいる。あなたは瑞希ちゃんを連れて帰って」
ふとドロシーが上空を見上げる。
「魔女見習いめ、よそ見とはな」
その一瞬に藤川匠が駆けだす。剣の一撃をドロシーは銃で受けとめて寸断される。
「お前がいずれラスボスか?」
「ひっ」
藤川は彼女の腹部に蹴りをいれる。仰向きに倒れた彼女の喉に剣先をつける。
藤川匠が龍に乗る俺を見あげる。
わけわからねーこと言うな。それはお前だろ!
「やめろ!」
俺は飛び降りる。なのに龍が俺を握る。
「降ろせ! あいつは手下が死んでも顔色を変えない奴だ!」
俺の怒声に龍がびくりとする。それでも爪を離してくれない。
「……二人を戦わせないよ」
「……人間め、私のそばで呼吸するな」
「こいつはこっちの世界の住人だろうと、まだ僕は人を殺せない」
なぜなんだ? 嵐の空へも届くドロシーの声と人の声。藤川の剣は寸止めされたままだ。
「松本の理屈はおかしい。魔物とは討伐されて消滅する存在だろ。そいつらが僕を守って死ぬことを、どうして嘆く必要がある。フロレ・エスタスは別だ。僕に殉じて、ともに今の世に生まれてきたからね」
思いだした。藤川匠と夏奈は生年月日が同じ。俺なんかよりはるかな絆……。
「無死よ。儂を忘れるな」
老人は闖入する。
「もういい。すべてを殺せ。藤川を殺せ。そして松本を殺せ」
無死が地面に降りる。のそのそ歩くさまは、動く小ピークだ。木々を倒しながら広場へと登る。
藤川匠はドロシーを見下ろしている。
「よく見たらすごくかわいいね。これぞ魔性だ。僕まで魅入られるなんて思ってないよな」
「へへ、日本語は知らなかったのに、だんだん通じてきた。……殺せばいい。死ねば会える。だから怖くない」
「まだ殺せないと言っただろ。でも僕は導きの断片を見た」
藤川匠がドロシーの脇腹を蹴る。頭も。彼女は顔からぬかるみに押しつけられる。
俺も、夏奈である龍もそれを見せられる。
「夏奈、手をどかせ」
「……だめ」
藤川匠が剣をかかげる。おぞましい丘陵と対峙する。
「無死と言う名前か。根は素直でおとなしい奴だな。もっと怖い龍がいるのを知っているか?」
藤川が丘のごとき異形へと憂いある目を向ける。
「怯えずに剣の光を見ろ。いまの僕に従え」
巨大な異形が逡巡する。首を垂らす。藤川匠が乗る。頭上にいた老人が杖を向ける。
若者の刹那の動き。破邪の剣が杖を切断する。
藤川が消えゆく楊偉天をつき落とす。数メートル落下した老人は動かない。そいつはどうでもいいけど、泥に顔をうずめたドロシーも動かない。
俺は怒っている。
「無死、浮かべ」藤川匠が命じる。「松本のもとへ連れていけ」
破邪の剣が煌々と光る。
「夏奈、飛ぼう」俺が命じる。「まずは無死を倒そう」
五本の爪に挟まれた俺の手の中で独鈷杵が青く輝く。俺はかすかに悟る。藤川匠の手先を征伐するが俺への導き。
「……松本君、怖めだし」
龍が怯えている。
「あれ? 思いだしちゃったかも。ははは、あなたの名前は、松本哲人だ!」
龍から人の歌が聞こえた。俺ごと握った独鈷杵がさらにさらに青く輝く。
もっと奏でろ。輝かせ。コバルトブルーに目が焼かれそうだ。
「夏奈……」藤川匠が剣をおろす。「フロレ・エスタス……」
青龍はお前の手下でない。俺の仲間であって大事な人だ。
龍と無死が交差する。俺は爪から離れる。空中に舞い、手にしたコバルトブルーで無死の体を縦に切り裂く。俺はぬかるみへと無様に落下する。
ズドン
無死の起こした地響き。不死身のはずの巨大な異形が溶けていく。それよりも、
「ドロシー!」
俺は横たわる彼女へと這いずる。
――無死が逃げるぞ。百年は地上に顔ださない
仰向けの老人の胸もとで鏡から話しかけてくる。
――あと一撃喰らわせたら、お前は末代まで語られたのにな
知ったことじゃない。ただただドロシー。夏奈と同じぐらい、みんなと同じに大切なドロシー。
彼女は目を開けたけど。
「フロレ・エスタスよ」背後からの怒気。「受けとれ」
背中に衝撃を受けて、俺の意識は吹っ飛ぶ。
次回「破鏡」