四十四の三 足掻けよ俺
文字数 2,217文字
この手を離せば桜井は龍になる。意識など飛ばさない!
俺は感覚なき左手で彼女を覆いなおし、右手で剣を支えにこらえる。疾風を感じる。杖にした剣を天へと向ける。
剣はなおも煌々と輝き、風が俺を迂回する。剣をおろす……。しかし、魔道士も護符もいなくなるなり、この展開はなんだよ。
「川田君はフェンスを破って下に落ちた。……流範、許せない」
横根がぼそりと言う。
彼女の言うとおり、子犬はどこにもいない。
白猫はドーンのもとへと駆ける。
ハシボソガラスは溶けはじめていた。横根が、くわえた護布をドーンへかける。俺へとあきらめに似た笑みを向けて祈りを始める。
俺は剣を杖に歩きだす。流範にやられた腕も背骨も顔も痛い。異形でなければ集中治療室、ぐえっ、桜井にみぞおちをえぐられた。落ち着いてと、少々強めにぶん殴る。
……みんなを人に戻さないと。剣を持てるのは、人の形をした俺だけだから。横根達のもとへ向かう。東の空の靄が消えていく。
――カカカッ、生きかえってから何度目だ。もう老祖師には頼まねえ。峻計。俺はじきに消えるぞ
上空で焔暁がうそぶく。俺はつまずき顔から落ちる。体を引きずり二人へと向かう。
――私は相打ち。手羽もモツもグッチャグチャ。……あなたと私、どちらも死ぬことないわよね
カラスどもの声はもう聞きたくない。……夏奈、さっきはごめんな。返事など返ってこない。代わりにえぐられる。
――だったら俺だ。あのくそみたいな剣で足を消されたからな。永遠に飛び続けないとならない。経験しているから屁でもない。達者でな
――ありがとう。ここに来て羽根を休ませて
足のない大カラスが、透けて転がる大カラスへ降りていく。どうせ、おぞましいことを始めるのだろ。俺は目など向けない。
よっしゃ、白猫と朱色の布に合流できた。そしたら桜井をもうすこしだけ抑えて、川田を探さないとな。
「おそすぎる。朝になるぞ」
その声に振り返る。入口にジジイが立っていた。胸もとに大ぶりな首飾りが見える。……今までの老人どもは、あんなものを持っていなかった。あれが鏡で、こいつが本物の楊偉天……。
「流範よ。昇の死体を消し去りなさい。落ち着いて儀式ができない。……峻計。また先走り、さらには焔暁を踏み台に生きながらえたか。ならば、あのおぞましき人の姿に変わるがいい」
「……餌になれとでも?」
峻計である大カラスが薄らぐ闇に舞いあがる。
「ご命令といえども、私は懐かしき空をあとすこし飛びたいと存じます。どうぞ儀式をお始めください。私どもでこいつを処分します」
あいつらが俺を一瞥だけする。
「この若者は青龍と心がつながっている。封じる鎖でなく、龍にすがられている。……ヒヒヒ。恨みを晴らしたいのなら、死なぬ程度にしなさい」
楊偉天が胸もとの鏡を裏がえす。
「神殺の鏡 の導きが薄らいでいる。――貪よ、すべてを連れてきなさい」
鏡の裏に彫刻された魔物の顔が息を吸いこむ。俺の体を引き寄せる。駐車場で思玲達を引きはなしたのは、鏡の仕業だったのか。
俺は剣をコンクリートに突き刺す。両手でつかみ必死に耐える。……四玉の箱はすでに楊偉天の足もとにある。緋色の布に包まれたドーンは抵抗もなく、楊偉天のもとへ流される。
「松本君!」
白猫が地面に爪をたてながら、後ろ向きのまま俺の横をすり抜けていく。俺は片手を伸ばし前足を握る。胸もとへと抱き寄せる。
裂けたシャツを挟んで、横根の人としての魂とつながる。
『瑞希ちゃん?』
桜井の人としての心が横根に気づく。俺の中でもがいていた牙と爪がとまる。
『ごめんね。あの時も本当にごめん。私が100パー悪かった』
その一言を残して、桜井は俺からでていこうとする。
「やめろ!」
俺の魂は二人の手をそれぞれ握りしめる。俺の実体は小鳥と猫をかかえ、楊偉天に背を向けて剣の柄をつかむ。儀式などさせない。なにがあろうがどの手も離さない。
――ふふ。もっと頑張らないと
峻計が笑いながら俺の手をついばむ。柄から手が離れるが刃を腕で抱える。それが肌に食いこもうが俺は耐える。
――龍が生まれそう。老祖師、もう空にも結界しようよ
竹林が真上にいる。コザクラインコが小腹の足しに襲いかかる。俺は彼女の魂の手をさらに強く握りしめる。龍になどさせない。
――俺と焔暁のかたきだ
流範が俺の頭に片足を乗せ、後ろ爪でただれた目を突き刺す。されるがままの俺に代わり、白猫が外へと飛びかかる。
俺は人の手を強く握りかえし、横根を引き戻す。
ともに戦い散ろう
剣が訴える。その力を娘を御するためだけに使うなと。
うるさい。俺はまだ散らない。
――松本君、もうみんな無理かも
横根が言う。俺はまだあきらめない。血を失った左手で横根の手を握り続ける。桜井は空だけを見ている。その手も絶対に離さない。
この風がおさまったら、ドーンを連れ戻し、川田を探す。そして全員で人に戻る……。俺は消えてもいいや。みんな、箱を壊せなかった俺のせいだから。
――松本君、もういいって
ふいに桜井が振り向き、俺の肩に頭を乗せる。顔をあげて、さみしく切なげな笑みを浮かべる。彼女の指が俺の手をすり抜けて、桜井が遠のく。
一瞬の逡巡のあと、彼女は空へと向かう。その手招きにこたえ、箱の中からかすかな青い光が青い小鳥を追う。
「なぜだ。みずから選んだのか」
楊偉天の声がする。
「り、龍が生まれてしまうぞ。青龍ではない。荒ぶる龍が……」
次回「曙光」
俺は感覚なき左手で彼女を覆いなおし、右手で剣を支えにこらえる。疾風を感じる。杖にした剣を天へと向ける。
剣はなおも煌々と輝き、風が俺を迂回する。剣をおろす……。しかし、魔道士も護符もいなくなるなり、この展開はなんだよ。
「川田君はフェンスを破って下に落ちた。……流範、許せない」
横根がぼそりと言う。
彼女の言うとおり、子犬はどこにもいない。
白猫はドーンのもとへと駆ける。
ハシボソガラスは溶けはじめていた。横根が、くわえた護布をドーンへかける。俺へとあきらめに似た笑みを向けて祈りを始める。
俺は剣を杖に歩きだす。流範にやられた腕も背骨も顔も痛い。異形でなければ集中治療室、ぐえっ、桜井にみぞおちをえぐられた。落ち着いてと、少々強めにぶん殴る。
……みんなを人に戻さないと。剣を持てるのは、人の形をした俺だけだから。横根達のもとへ向かう。東の空の靄が消えていく。
――カカカッ、生きかえってから何度目だ。もう老祖師には頼まねえ。峻計。俺はじきに消えるぞ
上空で焔暁がうそぶく。俺はつまずき顔から落ちる。体を引きずり二人へと向かう。
――私は相打ち。手羽もモツもグッチャグチャ。……あなたと私、どちらも死ぬことないわよね
カラスどもの声はもう聞きたくない。……夏奈、さっきはごめんな。返事など返ってこない。代わりにえぐられる。
――だったら俺だ。あのくそみたいな剣で足を消されたからな。永遠に飛び続けないとならない。経験しているから屁でもない。達者でな
――ありがとう。ここに来て羽根を休ませて
足のない大カラスが、透けて転がる大カラスへ降りていく。どうせ、おぞましいことを始めるのだろ。俺は目など向けない。
よっしゃ、白猫と朱色の布に合流できた。そしたら桜井をもうすこしだけ抑えて、川田を探さないとな。
「おそすぎる。朝になるぞ」
その声に振り返る。入口にジジイが立っていた。胸もとに大ぶりな首飾りが見える。……今までの老人どもは、あんなものを持っていなかった。あれが鏡で、こいつが本物の楊偉天……。
「流範よ。昇の死体を消し去りなさい。落ち着いて儀式ができない。……峻計。また先走り、さらには焔暁を踏み台に生きながらえたか。ならば、あのおぞましき人の姿に変わるがいい」
「……餌になれとでも?」
峻計である大カラスが薄らぐ闇に舞いあがる。
「ご命令といえども、私は懐かしき空をあとすこし飛びたいと存じます。どうぞ儀式をお始めください。私どもでこいつを処分します」
あいつらが俺を一瞥だけする。
「この若者は青龍と心がつながっている。封じる鎖でなく、龍にすがられている。……ヒヒヒ。恨みを晴らしたいのなら、死なぬ程度にしなさい」
楊偉天が胸もとの鏡を裏がえす。
「
鏡の裏に彫刻された魔物の顔が息を吸いこむ。俺の体を引き寄せる。駐車場で思玲達を引きはなしたのは、鏡の仕業だったのか。
俺は剣をコンクリートに突き刺す。両手でつかみ必死に耐える。……四玉の箱はすでに楊偉天の足もとにある。緋色の布に包まれたドーンは抵抗もなく、楊偉天のもとへ流される。
「松本君!」
白猫が地面に爪をたてながら、後ろ向きのまま俺の横をすり抜けていく。俺は片手を伸ばし前足を握る。胸もとへと抱き寄せる。
裂けたシャツを挟んで、横根の人としての魂とつながる。
『瑞希ちゃん?』
桜井の人としての心が横根に気づく。俺の中でもがいていた牙と爪がとまる。
『ごめんね。あの時も本当にごめん。私が100パー悪かった』
その一言を残して、桜井は俺からでていこうとする。
「やめろ!」
俺の魂は二人の手をそれぞれ握りしめる。俺の実体は小鳥と猫をかかえ、楊偉天に背を向けて剣の柄をつかむ。儀式などさせない。なにがあろうがどの手も離さない。
――ふふ。もっと頑張らないと
峻計が笑いながら俺の手をついばむ。柄から手が離れるが刃を腕で抱える。それが肌に食いこもうが俺は耐える。
――龍が生まれそう。老祖師、もう空にも結界しようよ
竹林が真上にいる。コザクラインコが小腹の足しに襲いかかる。俺は彼女の魂の手をさらに強く握りしめる。龍になどさせない。
――俺と焔暁のかたきだ
流範が俺の頭に片足を乗せ、後ろ爪でただれた目を突き刺す。されるがままの俺に代わり、白猫が外へと飛びかかる。
俺は人の手を強く握りかえし、横根を引き戻す。
ともに戦い散ろう
剣が訴える。その力を娘を御するためだけに使うなと。
うるさい。俺はまだ散らない。
――松本君、もうみんな無理かも
横根が言う。俺はまだあきらめない。血を失った左手で横根の手を握り続ける。桜井は空だけを見ている。その手も絶対に離さない。
この風がおさまったら、ドーンを連れ戻し、川田を探す。そして全員で人に戻る……。俺は消えてもいいや。みんな、箱を壊せなかった俺のせいだから。
――松本君、もういいって
ふいに桜井が振り向き、俺の肩に頭を乗せる。顔をあげて、さみしく切なげな笑みを浮かべる。彼女の指が俺の手をすり抜けて、桜井が遠のく。
一瞬の逡巡のあと、彼女は空へと向かう。その手招きにこたえ、箱の中からかすかな青い光が青い小鳥を追う。
「なぜだ。みずから選んだのか」
楊偉天の声がする。
「り、龍が生まれてしまうぞ。青龍ではない。荒ぶる龍が……」
次回「曙光」