二十八の四 絶対に離さない

文字数 2,171文字

 大蔵司が口笛を吹く。

「妖魔を捕らえるとは、さすがは香港の魔道士ですね」
 大蔵司が寄ってくる。身分を否定するどころじゃない。
「あと数分で結界は消えるから、てっきり逃げられると思っていました」

 露泥無からの天珠があったから、彼女の心をロタマモは読めなかった。ゆえにあせり、俺に捕らえられた。
 見えない爪が俺をひっかく。見えないくちばしが俺をつつく。弱すぎる。
 そのくちばしから推測して、羽根の感触をたどり、俺の手は奴の首にたどり着く。

「逃がすなよ、逃がしたら二度目はない」
 琥珀もやってくる。全身に浴びた流範の血は消えていく。
「お前はゼ・カン・ユの側近中の側近だろ。横根瑞希の魂はどこだ?」

 俺には見えないなにかを避けながら、大蔵司が俺の横に片膝を落とす。

「善き者には、もちろん無償です」

 彼女が俺の体に手をかざす。痛みが消えていく?
 獣人が俺へ襲いかかろうとして、バックした車に跳ねられる。結界にぶつかり、さらにはじき飛ばされる。流範は地面で痙攣するだけだ。血がひろがり消えていく。

『ホホ……。彼女の居場所は私しか知らないかもな。私を殺せば、彼女は永遠に闇に閉ざされるかもしれない』
 見えないロタマモは、俺の手のなかでなおも笑う。

「断言しろ」俺は言う。「闇に閉ざされると断言しろ」

 こいつの虚言にまどわされない。フクロウからの返事はない。

「横根の魂はお前が持っている」
 俺は絞める手に力を加える。
「儀式は今夜だ。藤川匠はお前に託す」

『ホ、なにをもって――』
「もう喋るな」人である俺が命じる。

 指へとすべての力を込める。見えないフクロウがさらに暴れる。奴の声帯がつぶれた。もはやヒューヒューと情けない音をもらすだけだ。その音さえもついえる。

「泣いてやがる」琥珀が笑う。「梟さん、やっぱり哲人は怖かったな。もはや羽虫にもなれないぜ。ははは、完全に消滅だ」

 ロタマモがあがく。断末魔が俺をはじき飛ばそうとする。主の名を叫ぼうとしている。俺はのしかかるように押さえこむ。見えないフクロウが動かなくなる。

「まだ離すな」琥珀はもう笑っていない。「体が残っている」

「あと五秒くらいです」
 大蔵司は冷静に見おろしている。
「三、二、一…」

 見えないなにかが消えて、体が前かがみに地面へとくずれる。俺は指をほどきながら立ちあがる。あのフクロウが消えた場所になど手をあわせない。

 *

 十字のしめ縄がかすんでいく。風をちょっとだけ感じた。流範であるはずない。ただのそよ風だ。生き延びた獣人はうずくまり、俺達を震えながら見ている。

「ご心配のとおり穢れたよ」
 琥珀が俺へと護符を手わたす。
「心を消さないと、仲間だったものを倒せるはずないだろ。偽りだったとしてもな」

 護符が穢れるからと、琥珀を怒鳴ったわけではない。俺は地面に転がる風の残骸を見る。流範は正午の太陽に照らされたままだ。黒い血が地面に流れて、蒸発するように消えていく。

――もしもし、影添大社の大蔵司です。遅れて申し訳ございません

 軽自動車のハッチバックを日陰にして、日本の魔道士らしき女が電話をしている。

「流範も人間だった」俺は琥珀に言う。
「だから?」琥珀が俺の目を見る。「ドロシーがよく言うだろ。だから?」

 分かっている。終わりにしないと。

――それがですね、皆様のお連れとお会いしまして。場所は分かりませんが、人間と小鬼です

「羽根は両方つぶしたからな。こうも太陽に照らされていたら、復活しようもない」

 琥珀がうごめく流範を見おろす。人間である俺にだって日差しは容赦ない。両膝に手をつく。せめて木に寄りかかりたい。のどが干あがっている。血の抜けた体に力は残っていない。

「もうとどめを刺す必要など――」
「だったら、じっくり死なせるのだな」

 どちらも選べない。でも横根を探さないと。

――あなたはお嬢ちゃん? ふたりはね、さっき梟を消したんだ。いまはね、誰が大鴉にとどめを刺すかでもめている。どっちも強そうだったよ。そうじゃなきゃ真っ昼間から現れないよね。なめちゃったんだよ、きっと

 大蔵司が荷台に腰掛けながら俺を手招きする。ふらふらとたどり着いた俺へと、端に寄ってスペースを開ける。腰かけた途端に目がまわる。彼女に寄りかかってしまう。

――電話にでるの無理っぽいね。うん。そろそろ倒れる。でも輸血はいつも車に積んであるから、RHがマイナスでなければ心配しないでね。陰陽士と呼ぼうね。日本の魔道士イコール陰陽士。分かった? お代なんて安くしとくよ

 大蔵司は俺を受けとめている。

「この国にも力のある奴がいたんだな」
 琥珀は流範の上に浮かんだまま言う。「もういいや。哲人、護符をよこせ」

 琥珀にやらせるわけにはいかない。俺が終わらせないといけない。
 また立ちあがる。太陽は無慈悲にすべてを照らしている。穢れた護符を握ったまま、うち捨てられた大カラスに向かう。俺の腕を裂き、顔を焼き、背骨を砕いた、人であった異形を見おろす。

「流範……」
 声が続かない。黒いボロ布のかたまりの前で崩れ落ちる。

 流範は俺に片目を向けるだけだ。太陽に赦しを請いたい。琥珀が困惑した顔をそらす。はやく終わらせないと。

「松本君……」

 背後からの声に振りかえる。ロタマモが消えた場所に、横根瑞希が立っていた。




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