四十六の一 過重労働な式神

文字数 5,299文字

「もう一度焔曉に会いたいよお」

 竹林が涙声ですがってくる。この聴覚は難問だし苦手だ。

「そう言われてあいつはどうした? ……哲人から命じろ」
「そう頼まれて峻計はどう答えたの?」

 信号待ちのタクシーのボンネットに乗ったニョロ子へ、フロントガラス越しにお願いする。

「あきらめな。焔曉の足を斬ったのは松本哲人。奴の足と首をもぐことだけ考えろ」

 あまり聞きたくない聴覚が車内に飛び込んだ。

「雅が思玲に会いたいと言っているのか?」

 川田の問いかけにニョロ子が首を縦に振る。

「川田はすごいな」俺は感嘆するけど、

「気づかぬほうがおかしい。なので俺が代わりに瑞希を守る」
 動きだしたタクシーから降りようとする。

「やめろ間抜けやめろ! こいつは寝ぼけたみたいですね。ドアは壊れていませんよ」
 思玲が人の声で騒いだあと「瑞希が安全だと思うならば、雅は自己責任で植物園に来い。そうニョロ蛇に命じろ」

「だって。……ドーンはマジで安全なの?」

 思玲から根拠の説明もなくそう言われている。なので雅は横根を守るそうだけど。

「私達よりはるかに安全だ。飛び蛇を送る必要すらない」
「信じるよ。それで雅はなんで思玲に会いたいの?」
「知らぬ。おのれの式神に聞け」

「我が主と二度と会えないかもしれない。同じ群れのよしみだ。私の頼みを聞き、伝令してくれ」

 秋田新幹線の屋根から大宮駅の屋根に飛び乗り、腹部の傷を舐める雅。埼玉も不吉なぐらいに青空だ。
 聴覚と視覚を残してニョロ子が消える。

「なにも告げずに行きやがったか。主に似てワークホリックな式神だ」
 思玲が毒づく。

 またニョロ子は俺だけに伝えたようだ。思玲に聞かせるのを避けたのか。

「ボスにだけ見せたが俺でもわかる。雌狼は、思玲が今夜死ぬと思っているのだろ」
 川田が感情をこめずに言う。
「松本。右目が痛い。良くないことが起きそうだ」

 助手席から振り返ると、川田はあるはずない片目を押さえることなく鼻をほじくっていた。タクシーが植物園正門の前で停まる。

「なので思玲は一人で戦うな。はやく降りろ」
 鼻くそがついた手で思玲の肩を押す。

 ***

 もちろん全員で戦うけど、入園料がひとり五百円もする。

「忍びこもう」
「しみったれるな」

 こいつらのせいで現実感なき莫大な借金を背負わされた俺は、なにかで預かった大金の一部をリュックサックからだす。
 とりあえず左回りする。池の向こうに深い林が見える。……晴れた日曜日の正午前。悲惨な事故がすぐ近くであったとしても、客がいないはずない。シートを手にした家族連れもいる。それでも樹木のが多い。この植物園は、俺が受験に失敗したところの関連施設だからな理由でもなく、単にいままで来たことはない。
 平和ないつかドロシーを案内したいな……。横根のずるいずるいがよみがえる。

「川田、サングラスは?」
「なくした。だがスマホとこれはある」
 ポケットからはみ出た天宮の護符を指でさす。

「落とすと困るから手に持っていな」
「なおさら危険人物に見えるだろ」
「だったら思玲が持つ?」

 俺を守る木札を。
 ちょっとだけ間があった。

「今後の私は自分のために戦う。なので用をなさぬ」
 太陽の下では顔色の悪さが際立つ彼女が言う。
「悠長にはできない。三人で別れて探す」

 思玲個人の戦い。あいつへの私怨……。どうせたどり着く場所はおなじだけど。

「一周三十分と書いてあるから固まって――」
 パンフレットを見る俺の前にニョロ子が現れる。

「私は一時(いっとき)だけ主のもとへ向かう。それを伝えてくれ」

 駅ホームの片隅で、人の目に見えぬ雅が舌を垂らし片脚で頭をかきながら告げる。ニョロ子相手だからだらしない姿だけど、そのまま視覚で伝えられた。

「瑞希は?」川田が聞き、無視される。「松本が聞いてくれ」

「横根は?」

 待ってましたとばかりに視覚が広角になり横へ移動する。課金系動画発信者より有能な撮影技術……電車を待つ彼女が見えた。赤羽駅だ、乗り換えか。

「ニョロ子ありがとう。すこし休む?」
 血はあげないけど。

 ニョロ子が浮かんだまま首を横に振る。
 だったらこの子にしてもらいたいことは……、

・峻計の居場所を探し、先制攻撃する
・藤川匠の居場所を探り、先制攻撃する
・露泥無を探し、とりあえず話を聞く
・雅が来るならば、横根の傍らへチェンジしてもらう
・ドーンの様子を見てもらう
・九郎はどこにいる……は、どうでもいいか

 有能な飛び蛇が四匹ぐらい欲しい状況だ。ニョロ子に四匹分働いてもらうしかない。

「よさそうな木を探させろ」
 思玲がペットボトルの水を飲みながら言う。

「いや。まずは露泥無を探して。ついでにドーンの状況も」

「和戸はともかく、そっちは難問だな」
 幼い思玲が腕を組む。ピンポイントで使える視覚でないか。

「私を勝手に使うな。しかし愛らしい娘だったな。哲人が少女に目覚めず済んでよかった」

 たしかに俺はこの子の着替えシーンを視覚で見せられているけど、それよりは峻計の入浴シーンのが悔しいことにうずいた。

「のろい。俺はさきに探す」

 川田が歩道をはずれて木々のなかに向かってしまった。一人にさせるのは危険だ。
「でも峻計や藤川を探すのもハードだよね。それもしてもらわないとならないから、がんばって探して」

 ニョロ子がウインクして消える。

「見事な酷使だな。式神に対する愛を感じない」
 ペンギンを香港まで往復させた思玲が言う。

「式神に逃げられる人に言われたくない」と言いかけてやめる。思玲だけには、そんな言葉をかけてはいけない。それにもうひとつの式神には…………でも、琥珀にはまだ会いそうな気がする。

「いつかたっぷりと休ませてあげるよ」
 俺も周囲の目を気にせず、道からはずれて川田を追いかける。



「予想よりは緑が深いな。木霊の気配は皆無。だからここを選んだのか?」
 いまさら思玲が聞いてくる。

「近いからなだけ」
「やはり適当か。ここは孤狗狸が祀られている」
「……お稲荷さんのこと?」
「おそらく。基本無害だがハラペコに頼るようで好まぬ」
「その呼び方もやめわあ!」

 池の横を抜けて林に入るなり、面前に大男がぬっと現れた。

「松本、どんどん痛くなる。ここはよくない場所だ。俺は帰りたい」
 右目があった場所を押さえながら言う。

「川田が言うならば従うべきかもな」
 思玲が隣に来て言う。……息が切れている。術を使ったわけでもないのに。ずっと俺より強靭だったのに。だから銀丹もらえば良かったのに。

「思玲がそう思うならば当然そうすべきだ」
 俺はきつい言葉をかけないとならない。
「でも魔道具がない思玲はリタイアだ。とても戦えない」

「……やっぱり誰よりもドライだな」
 思玲が俺の横をすり抜けて林の奥へ向かう。
「川田も逃げるな。だが人がいる場所で戦うな。その時は自分の死を選べ。真に受けるなよ」

 彼女から夏奈やドロシーと同じシャンプーの匂いがした。俺は思玲を追う。川田が俺の背後に続く。やけに貼りついてくる。怯えているみたいで俺まで怖くなる。

「思玲を見習え」
 川田と自分を叱咤する。

 ***

『沈さんは式神に乗って帰ったよ。デニーさんが部屋に来て、ドロシーにニヤニヤべったり。私は空気』
「二人は何しているの?」
『術か何かの話だって。人の言葉で喋るから、全然わかんね。哲人は早く帰ってきて』

 スマホを切られる。なおも夏奈は中国語が理解できぬようだが、ひとり龍でいた時間が長いからだけで、学習能力の個人差ではないだろう。……デニーめ。アラサー手前の分際で十代に近寄りやがって、通報してやろうか。
 冗談だし、彼も夏奈を守ってくれているのだろう。そもそも俺が二人を置いてきた。
 それでもリュックサックの外ポケットから天珠をだしタップする。雑音のあとにデニーがでやがった。

『彼女とてザーザー万能でなザーザー使える人は少ザーザーこの天珠は貴重ザーザー返してもザーザー』
「あなたの声だって雑音だらけですよ。それじゃ」

 俺の声を聞き取れたか知らないけど天珠を切る。俺からこれを返してほしいようだけど、どうせドロシーには渡したままだろう。……手先が器用で知恵ある異形と通信した天珠。賑やかだった琥珀も九郎もいない。

「やだ、やめてよ。こっちに来ないでよ」

 飼い猫らしきが向こう側で騒いでいる。藪を抜けたら、すぐに塀にたどり着いてしまった。その先は民家なので別ルートで戻る。林を歩くのにも慣れてきた。

「そこそこの木ならばあるが、そんなものは必要ない」
 歩道に戻ったところで、汗だくの思玲がペットボトルの水を飲む。
「だがそろそろ不審者がいると通報がいきそうだ。お前達はもっとしっかり探せ」
 空になったペットボトルを林に捨てやがる。

「俺だと無理かも」
 ペットボトルを拾いリュックサックに入れながら答える。いまの俺は座敷わらしではない。

「思玲を呼んでいる木ならばある」
 川田がつながった赤トンボを手にしながら言う。
「邪魔者がいて、そこへ連れていけない。しかも腹が減ってきた」

 ……邪魔者。峻計ではない。強敵ならば、手負いの獣人におやつを探す余裕はないはずだ。

「トンボを食べるなよ。とりあえず歩道を進み、ただの人の真似をしよう」
「こいつがか?」
「松本は言うのが遅い。食ってしまったが、白虎よりはうまい」

 口から虫の羽根を吐きだす川田を先頭に歩道を進む。暴力の匂いただよう隻眼の大男。すれ違う父親が震える。子供が泣きだす。お爺さんが腰を抜かす。

「やっぱり林に入ろう」
「このまま進む」

 俺の前を行く思玲がきっぱり言う。川田の早歩きに食らいついて歩いている。と思ったら、いきなり立ち止まった川田にぶつかり尻餅をつく。

「硬い体だな……鼻血がでてきた。哲人、チリ紙を持ってないか?」
「あるかもしれないけど、ドロシーの私物だらけだから探せない(ちょっと覗いてはいる)。それにあの玉がふたつあって邪魔だし」
「まだ取ってあったのか? 貧乏性め、割って捨てろ」
「不夜会の所有物だよ。お礼を言って返すのが筋……その木なの?」

 川田は道脇の樹木を見上げていた。名称を記した看板もなさげな、ありふれた木。

「杉の木では割り箸も作れぬ」
 思玲が鼻を手の甲でこすりながら言う。

「俺は隠れる。お前らでなんとかしろ」

 川田が跳躍して、樹上に消える。人の流れが絶えているところでよかった。……でも川田が逃げるなにかが現れる…………前方から日向七実がやってきた。

「あれ? ほんとですか? 不思議なくらいの偶然ですね~」 

「なんでお前がいる?」
 思玲がにらむ。

「あの橋に花を捧げにきて、悲しいままだったから植物に慰めてもらいに……。デートですか? 松本君は私を着信拒否にしてませんか~」

 俺は思わざるを得ない。川田の失った目を疼かせたのは、この人だろうか? この人と偶然に会えるなんてあり得るだろうか?

「見てのとおり逢引きの最中で、ストーカー女を迷惑電話に登録させたのは私だ。この後は鶯谷のホテル街に向かうので、さようなら」
 思玲は深く考えることなくすれ違おうとする。

 日向七実は立ちふさがる。その眼差しが変わる。

「あなたは顔色が悪いですよ。悪すぎるのに無理している。恋人は気にしてないみたいだけど、医者に行きましょう」
「そんな時間はない」
「あなた達が昨日言ったことを信じるから診てもらってください。……生気がない」

 思玲は七実ちゃんを至近で見つめる。
「あなたの言うことを信じるから精神科医に行こうね。病院に閉じこもってね。昔から言われているので、心配は無用だ」

 若い男女が立ち止まる俺達を追い越す。ファミリーがすれ違う。七実ちゃんは思玲を見つめ返している。
 俺は思うしかない。退場した横根の代わりに、この人は現れたのではないかと。

「わかりました。過分なお世話でした」
 だけど彼女は歩きだす。「迷惑な私からあなた達に連絡することはありません。でも助けが必要ならば、いつでもどうぞ。川田君によろしく」

 これでいいんだと、俺は彼女の背を無言で見送る。俺達の戦いはじきに終わる。いまさら誰も引きずりこまない。
 だけど彼女の肩にかけたバッグから、懐かしき電子音がした。

「あれ?」

 日向七実が立ち止まる。ガラケーを取りだす。
 人が落ちてきて、居合わせたお婆さん三人連れが悲鳴をあげる。

「こいつが七実か? 瑞希には劣るが、いい女じゃないか」
 スマホを手に両足で着地した川田が、彼女を指さしながら俺へと言い、苦々しげの顔の思玲へ向きを変える。
「やっぱりこれは思玲が持て。松本を守ることが自分を守ることにつながる」
 天宮の護符を突きだす。

「だったらなおさら川田が持て」
 思玲はそれだけ言い腕を組む。

 日向七実は呆気にとられている。それでも言う。
「川田君ひさしぶり。瑞希って誰?」

「我が主」
 雅の声が頭上からした。
「横根瑞希は私の声が聞こえず姿は見えぬままなのに、『雅はいるの?』とつぶやきました。忌むべき記憶が戻ったようです。やはり私は彼女のもとにいます」

 混乱必至のなかで、俺は夏奈の咆哮を思いだす。まったく余計なことを。




次回「獣人お勧めの強き樹木です」
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