五の二 旅立ち

文字数 3,746文字

 記憶?
 異形になれば復活すると言っていたよな。なのになにも思いだしていない。思いだせと、妖怪である俺に働きかける……。

「話が違うじゃないか」
 信じた俺がおろかだった。「俺は記憶なんか戻らず子供の妖怪になった」

 しかも猫は人になり、子犬は人の言葉を喋るし、ドーンはカラスに……。

「でも自分の姿は見えるんだろ。カカッ、だったらよしとしね? どうせ一筋縄でいくはずねーし」

 カラスが天井すれすれの俺の頭に戻る。この小回りの効き方は異形だからか? ドーンだからか?

「もう少し低く」と俺に言ったあとに、
「フサフサは俺が人だったときに無視しやがったな。俺の名はドーン。あんたのことは白猫ちゃんから聞いているぜ。猫に戻りたいのならば、その箱を持てるか試せよ。前足で持つんだからね」

 白人女性が俺の頭上へと小馬鹿に笑う。
「お前さんも人だったのだね。ずいぶん小柄だけど、カラスになるとみんな生意気になるのかね。私を馬鹿にしないでおくれ」
 狭い空間をのしのしと歩く。木箱に手を伸ばし、ひょいと持ちあげる。
「人の真似など簡単だね。くわえるより、はるかに楽さ」

 おとなの女性が凝縮された箱を片手で軽々かよ。そういえば、スーリンは大人に戻らなかったが猫にもならなかった。魔道士としての術は戻ったのだろうか?
 目を向けると、女の子はまた扇を円状にひろげて見つめていた。

「カカッ。だったらすぐにでも行くじゃん。瑞希ちゃんの道しるべに沿って、哲人の故郷に」
 ドーンであるカラスが笑う。

 あの手紙には、母の故郷や実家からは遠く離れたお寺の名前が記されていた。記憶が戻ればその意味が分かると思っていたのに。

「そうだな」女の子が扇を閉じる。「ならばリクトにひもをつけないと……。かなりむくれているな。ひもは夜になってからにするか。哲人、連れてはきてくれ」

 フサフサである白人女性が鼻を鳴らした。

「あんたはさっきから指図ばっかりだね」
 スーリンへと悪そうな笑みを浮かべる。
「ただの人間の女のガキになったくせに。でかいときから気にいらなかったよ」

 フサフサが木箱を放り投げる。駆けだしたと思ったら、次の瞬間にはスーリンの首を片手で持ち上げていた。……こいつは猫でも人でもない。猛獣だ。
 カラスがフサフサへ飛びこみ、片手ではらわれる。首を絞められた女の子が宙ぶらりんでもがく。顔が紅潮する――。

「やめろ!」

 俺もフサフサの巨体へと浮かびながら突進する。はらおうとする手をかいくぐり、スーリンを掴む手に噛みつく。フサフサが腕を振り、俺もスーリンも吹っ飛ばされる。

「哲人までやめておくれよ。こんなのただの挨拶さ。殺しはしないよ」
 フサフサが青色の目で俺を見おろす。
「しかし、なんで人間は生きものを閉じこめるのかね。そりゃ犬どもなら大歓迎だけど、この子はまだ幼いじゃない」

 そう言うと、フサフサはぴちぴちの短パンで臀部を振りながらユニットバスへと向かう。
「坊や、怯えないでよ」とドアへ体をかたむけ――、内側へと押し倒しやがった! なんてことを。修理代はいくらに……。

「な、なんだ。お前は」

 フサフサに押し入られ、子犬のしり込みした声が聞こえる。白人女性の姿をした異形がリクトを抱えて現れる。

「犬であろうが妖怪変化であろうが、これくらいのときはかわいいものだね」
 子犬にほおずりしたあとに、俺達をにらみつける。
「これからどうするのだい? あいつを迎え撃つにしても、強そうなのは私とこの子だけだろ。哲人、土着のお札はどこだい?」

 何事もなかったように話しかけてくるが、お天狗さんの木札のことだよな。それはこっちの世界で獅子奮迅の活躍をしたそうだが、屋上で炭となり消えてしまった。
 ゲホゲホとスーリンが立ちあがる。横に転がるカラスを見る。

「和戸、羽根は折れてないだろうな。やられた真似か」
 スーリンはフサフサをにらみあげる。
「どんなに粋がろうが、貴様だけでは猫に戻れぬぞ。私も貴様を猫に戻す責任がある。気にいらなくても私達に従え!」

 巨漢女性を一喝したあとに、女の子は首もとを抑えながらユニットバスに消える。ドーンが俺の頭に戻る。

「松本……、助けてくれ。もう九郎を食おうとしないから」

 フサフサの胸もとから、リクトの弱弱しい声がする。
 大ツバメと追いかけっこをしていたのではなかったのか。
 スーリンはすぐに戻ってくる。

「和戸のスマホと哲人の財布は消えていた。手もとにないというのに、お前達は物欲が強すぎるな。……和戸の財布は小銭だけだし用をなさぬ」
 スーリンが俺に目を向ける。
「だが哲人の財布から抜いておいた二万七千日本円は残った。これだけあれば、我々とともにお天狗さんまで行けそうか?」

 帰省中の交友費も加味しておろした俺の金を。しかも、こいつらを俺の故郷に行かせるのか? 勘弁してほしいが……、片道の普通電車代なら俺とスーリンは子供料金、フサフサだけ大人料金。余裕で足りる。

「カカッ、哲人は支払う必要ないじゃん」
 俺の計算を告げると、手荷物のドーンがうけやがる。「人の目に見えねーし」

 俺はユニットバスへと向かう。急ぐと体が勝手にふわりと浮く。ドーンは慣れたように頭上でバランスを取っている。破壊されたドア越しに洗面台の鏡を覗く。カラスだけが宙に浮かんでいた……。

カシャッ

 振り向いた俺へと、スーリンがスマホを向けていた。

「落ちこむな。このカメラは異形を写せる。アルバムに保存する前ならば見れるぞ」

 そんなの見たくもない。俺は覚悟を決める。

「それより準備だろ」
 覚悟を決めた俺は強い。全員を見まわす。
「フサフサは箱を持っていて。それが壊れると猫に戻れないらしいから、さっきみたいに投げないで。リクトは段ボールで我慢して、スーリンちゃんが運ぶ。トンネルがあるから、ドーンも段ボールで昼寝していて」

 ドーンの不平を聞こうともせず、
「荷物は必要最低限だな」スーリンも動きだす。
「私のおとなの衣装もあきらめて、眼鏡だけにするか。川田のカードは役に立たなくなったし(ドーンが暗証番号を試したら一度でロックがかかった。おそらく川田という人は、すでに番号を二度間違えて放置していた)、フーポーのスマホぐらいか。こっちの世界ではバットも包丁も意味ない。振りまわしたら十倍返しだ」

 もっと必要なものがあるだろ。俺は荷物をひろげられたままの勉強机を見る。
 瑞希ちゃんの手紙(マジかよ、判読できる)、浄財の二万円(異形になると、たしかに浄財だと分かる)、草笛(ぐしゃぐしゃのもあったが、だいぶ前に思玲が捨てた)をポケットにしまう。
 部屋の鍵を手にした途端、それは消える。俺のスマホもつかむなり消えた……。本来の自分に関わるものは所持できないのか。教えておけよ。

「人間はやっぱり忙しいね。目がまわりそうだよ」
 そう言いながらも、フサフサが箱をひょいと持ちあげる。
「野良猫などいつ死んでも仕方ない身の上だ。かと言って、猫に戻って死にたいから付き合うさ。お天狗さんってところにいけば、あのお札がまた手に入るのかい?」

 子犬と箱を両脇に抱えた白人のおばさんが、俺に期待の目を向けてくる。

「その前に寄るところがある」
 薄ぼんやりだけど、さきほどの夢でひさしぶりに会えた。あの手紙にも『大峠の山の神』と記されていたし、墓参りにこそ行きたい。そうだ、雷型の木札……。

「なんでもいいさ。正直言って、ちょっと面白くも感じてきたからね」

 白人女性がふくよかな顔で笑う。今の状況は、カラスになったドーン、座敷わらしになった俺、人になった野良猫、荒くれた子犬、そして、

「術は使えそう?」
「まだだ」

 俺の問いに女の子はきっぱりと言う。つまり大人であった普通の女の子を加えた、想像だにしない五人(匹)での里帰りだ。

「結界も光もだせないのかよ。テンションさがってきたけど」
 カラスがぼやく。
「思玲はただの女の子のまま、哲人の記憶は戻らず。俺は箱に押しこめられる。……カカッ、夏奈ちゃんなら『全然OK』とか言いそうだね。とりあえず俺は空で待ってる」

 ドーンはドアから外へ飛んでいく。こいつは飛ぶためにも、この世界に戻ってきたのかも――。外に意識を向けたからか、

ホホホ

 呼ぶような笑い声が聞こえた。……誰も気にしていない。空耳か。スーリンが俺達を見まわす。

「貴様らを人のもとに連れていくなど本来なら許されぬ行為だ。問題だけは起こすな。お前達を狩るために存在する魔道士どもが追っていることを忘れるな」
 女の子はサンダルを履きながら「敵だらけだ。哲人だけが頼りだからな」

 頼られても困る。しょせん俺は、「フサフサに靴がないよ」と気づく程度の妖怪で、俺の靴を貸すしかないとがっかりする物の怪だから。

「助かるよ。人の肌は弱いから、さっきも足の裏が焼けそうだった」

 フサフサの俺への笑みが怖い。ずっと黙ったままだと思ったら、リクトはフサフサの腕を噛んでいた。この子犬も怖いし、それが平気なおばさんはさらに恐ろしい。

 真夏の太陽に照らされて、カラスがみんなを導くように駅へと飛んでいく。女の子が先頭に立って歩く。とりあえずはこの五人で進むしかない。逃げるのではない。




次章「1.5-tune」
次回「各駅停車の旅」
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