四十二の一 大切だったもの

文字数 4,215文字

4.1-tune


 ニョロ子が消える。ニョロ子が死んじゃう。フサフサみたいに俺を置いていっちゃう。

「踏ん張れ! あがけ!」
 俺は握ったままの木札をリュックサックに入れる――

ピキッピキッ

 ドロシーのリュックが裂けようとする。お天狗さんは怒りすぎだろ。白銀弾がむきだしになったら、俺もドロシーもニワトリもみんな死ぬだろ。
 急いで護符を取りだす。ニョロ子はまだいる。

「ドロシーこれを持って」

 コカトリスの尾羽根につかまり鯉のぼりみたいな彼女へ木札を投げる。
 彼女はたやすく片手でキャッチするけど、

「いたっ」
 木札を投げ捨てようとする。

「馬鹿野郎! 持っていろ!」
 お前の息子のものだろ。母親なら我慢しろ。発動した火伏せの護符など耐えろ。

「わかった……」ドロシーがつぶやく。

 俺はもう振り向かない。ニョロ子を抱き寄せる。毒まみれだろうと抱いてあげる。
 どんどん明るくなる空。風切音。

「俺の血を吸え。たっぷりと吸いな。肉を食べてもいい」
 言いながら蛇の胴についた毒をはらう。この子は、おのれを過信しすぎで無謀だ。その結果、昨日は俺に殺されかけて、いまここで死にかけている。
「絶対に回復して。そしてこれからは無茶しないようにな」

 透けたニョロ子が俺の腕に噛みつく。血を吸われるのを感じる。

「やっぱり哲人さんは玄武だ。毒蛇と亀の甲……紫毒が効かない」
 背後からドロシーの声がする。
「私についた毒も払って。そしたら祈りができる」

 透けたニョロ子が、俺の肌から小さくかわいい牙を離し、首を横に振った。

「拒絶された。ドロシーはニョロ子の次だから待っていて」

 もう箱根は抜けたようだ。ヅゥネは三浦海岸に沿って東京を目指す。太陽は東の空にいる。月は西にのっぺり浮かんでいる。ニョロ子は耐えている。

「横根の祈りなら受けていいかな?」

 俺の問いかけに、ニョロ子が首を縦に振る。俺の腕へと再び噛みつく。

「私は毒を浴びて、怒った木札を握っているんだよ。凍えた体のまま空を引きずられている」
「我慢しなよ。ドロシーは誰より強いのだから」

 それきり彼女は何も言わない。ニョロ子は少し体が濃くなってきたような。死ぬことはないかも。

ありがとう。さようなら

 ニョロ子は死の間際、夏奈の泣き笑顔に、俺への感情を代弁してもらった。……影添大社隣の雨降る公園が背景だった。あれはドーンの後ろ姿に向けた笑みだったのだろう。慈愛さえ感じさせる笑み……。

「コケ? コケ?」
 ヅゥネが騒ぎだした。はやくも真下に東京タワーが見える。六本木まで戻ってきた。

「えーと。ゆっくり北へ向かって。大きい川の手前でさらにゆっくりして。人に見られても仕方ない」
「コケコッコー」

 もうじきに影添大社だ。さっきみたいに横根にすがればニョロ子は生き延びる。そこには怪我を負った思玲もいるだろう。戦いに参加させるはずない川田と夏奈もいる……。
 ドロシーは黙ったままだから、ひさしぶりに振り返る。紫毒まみれの彼女は、凍えたままの蒼い顔で泣いていた。左手でヅゥネの尾羽根を握り、木札はまだ発動していて、右手のひらから煙が立っていた。

 ***

 彼女と合流して安堵した俺がいた。それまでは天珠があろうとなかろうと、心がドロシー一色で読まれる心配もなかった。なのに会うなり、かなり厳しく当たってしまった。
 やはり彼女に頼る自分がいる。でも共存だ。俺達はひとつになるのだから……。
 俺が惑うはずない。ニョロ子が意図せず夏奈の笑顔をズームで伝えても、俺の心はドロシーオンリーだ。いまだって公園で二人きりだ。

 九月の晴れた空。気温は上がりそうだけど、俺はリュックからチノパンとシャツをだして、レオタードに重ね着する。朝七時半の日暮里なんかで、ドロシーは赤いドレスのまま。異形のままの二人。
 とにかくやさしく接しよう。ちよっとだけの時間だろうと。
 俺と思玲との決着を求めた峻計。
 復活を宣言した貪。
 どちらも人殺しを公言しやがった。
 それでも今だけはドロシーのことだけ考える。

「あれから一日過ぎたね」
 ブランコに座る彼女へ言う。生き返って丸一日の二人。リュックサックを抱えた一人と、毒を自力で払った一人。

「ヅゥネちゃん大丈夫かな」
 ドロシーはずれた返事をする。

 人の目に見える馬サイズのニワトリは、イウンヒョクに影添大社へ連行された。そこには、思玲、夏奈、川田、横根、沈大姐もいる。俺達は入れてもらえない。
 殲は、爆発事故を起こしたあのマンションの屋上で休息しているらしい。ニョロ子は横根から祈りを授かり、俺の肩で熟睡している。尻尾が背中に当たって痛い。ドロシーからの傷は一向に治らない。
 唐はいない。露泥無もいない。何があったかは、横根から聞いている。仲間で会えたのは彼女だけ。それだってニョロ子のため無理やりだった。彼女も吸血鬼を倒したらしいけど浮かぬ顔だった。

「さっきはごめんね」
 ドロシーの隣のブランコに座る俺も、ずれた返事をする。子熊や川田やカラスならば、まだ人の世界にまぎれる。コカトリスは無理だ。処遇は誰かが決めるだろう。
「手のひらは治りそう?」

 ドロシーが右手のひらを向けてくる。ヅゥネの肌みたいにただれたまま。

「あのお札は弱いよ。握り潰しそうだったから、我慢するだけだった」

 ドロシーが強すぎるのだよ。そんな言葉は口にしない。でもドロシーを守るどころか攻撃する木札。原因は俺だろう。
 俺は彼女のうつむく横顔を見る。きれいだけど昼間の異形。昨夜の輝きは失せている。俺のキモさも減っていたらいいけど。
 話題を変えよう。

「俺達が最初に会話したの覚えてる?」
「ケビン達と哲人さんを脅したとき? あのときはごめんなさい」
「その前だよ。俺がまだ(大人の)座敷わらしだったとき、琥珀の電話にでた」
「そうだった。……あれで、日本はフレンドリーな異形だらけと勘違いして、遠征メンバーに志願した。チャドさん他が猛反対したけど、おじいちゃんに勝てなかった」

 俺があの電話に応対しなければ、ドロシーは日本に来なかった。

――でなよ。いくじなし

 インコだった夏奈に、おなかのなかから怒られなければ。

「あのときの保留音はスタンドバイミーだった」
「会社の待ち受け音か。聞いたことないけど、ルビーがいじっていた……ドラえもんの映画?」
「そっちじゃない。アメリカの昔の映画の歌。……ドラえもんを観たことあるの?」

 ちなみに俺は、アメリカの青春手前の友情映画しか観ていない。父親が借りたな。

「ドラえもんは大好きだった。日本に来たら景色がそのままで感動した。映画もレンタルしてもらったけど……悲しくなって途中で観るのやめた」

 うつむいてしまった。どこに地雷が隠れているかわかったものじゃない。
 歌のタイトルみたいにずっと隣にいたいね。
 それを伝えたいだけだったのに。

「変な話題をしてごめんね。とにかく今夜が終わるまで、俺は異形でいる。ドロシーは、いつでももとの姿になっていいよ」

 人である彼女を見たいから。
 ここに到着した際に、麻卦さんと会っている。

『異形の気配は強いがうわべだけだ。これならば告刀で簡単に人へ戻れるぞ。実費だけどな』

 そう聞いている。特価で一人三千万円、領収書は発行しないそうだ。
 昨夜ドロシーが吸血鬼とかを退治したのは、依頼したのではないから無償ボランティアだそうだし、貪は復活するからノーカウントだそうだ。梁勲に泣きつこう。

「もちろん哲人さんに最後まで付きあう。へへ」
 ドロシーが目をあわさずに笑う。
「藤川匠を倒せるのは、私と哲人さんだけだから」

「倒すのは奴だけでない。貪。それと峻計」

「そのあとは?」ドロシーがうつむいたままで尋ねてくる。

「決まっている。川田を人に戻す。夏奈から龍の資質を抜く」

「そのあとを聞いた」
 ようやくドロシーが俺を見る。異形のくせに疲れた顔。崩れないメイクとヘア。
 また俺へと右手を突きだしてくる。冥神の輪が現れた。
「手のひらがただれているのは、木札のせいだけじゃない。私は異形なのにこれで戦ったからだ」

 日中なのに、彼女が手にする白銀は異様なまでに輝く。異形な彼女は持ち続ける。

「また煙がでている。しまいなよ」
「これが怖いから? 哲人さんも怯えているよ」
「俺は怯えない。だからそのあとは、ずっとドロシーの隣にいる」

 ようやく言えた。だけどドロシーはまた足もとへ顔を戻してしまう。日曜朝の公園だから、散歩の老人や子連れなど結構現れる。なのに誰も俺達へ近寄らない。

「おなかすいた。眠い。中途半端な異形だからだ」
 ドロシーが言いだす。「シャワーも浴びたい。でも、この服脱げない。まだトイレは行きたくないけど、もよおしたらどうすればいいのだろ。背中のファスナーを哲人さんならはずせるかな?」

「……試そうか?」
「うん。屋上へ行こう」

 彼女はいきなり立ちあがる。

「この公園にいろと言われた」俺は言うけど、

「誰にも従う必要ない」彼女は歩きだす……浮かびだす。

 俺は急いで追いかけて彼女の隣に並ぶ。怪我した手を握ってしまう。
 ドロシーはぴくりとしたけど、

「ようやく手をつないでくれた。これで治る」
 微笑んで俺を見上げてくれる。
「いまは一緒にいてね」

「もちろん。……台輔いるよね。大蔵司に伝えておいて」
 麻卦さんへの連絡手段もないから、地中で見張っているだろう陸海豚に告げる。

「やめときなキューキュー。今日は桃子さんがいるな。問答無用で攻撃してくるな」

 心配してくれるけど、俺達に毒は効かない。知っていたら、富士山頂の空でドロシーを抱きしめていた。

「怒っている?」
「私は哲人さんを怒らない。怒られるだけ」

 ドロシーが浮かぶように道をまたぐ。自転車の老女がわざわざ停まって彼女を眺める。

「ごめんね。ゆるして」
「だから怒ってないよ。悲しかっただけ」

 ドロシーは浮かぶように非常階段を登る。俺は引っ張られるように駆け足で登る。

「俺の一番大切なのはドロシーだよ」
「……へへ、うれしいな」

 彼女が二十七時間前に死んだ場所への閉ざされたドア。ドロシーが鎖にチョップする――
 無造作というか無意識みたいだったけど、両断されたチェーン……いまのは何だ?
 聞きたくても、ドロシーは開けたドアの向こうをじっと見ている。

手放したなら、はやく逃げろ

 ようやく落ち着いた木札が訴えだした。屋上には夏奈が一人だけでいた。




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