七の二 そこまで怒らないで

文字数 3,023文字

 レトロな冬服のセーラー服で三つ編みの女子高生と、三十代ぐらいのスーツ姿の男性。二人の幽霊がゆっくりと俺達へ向かってくる。

「成仏してください。成仏してください」

 俺はまた両手を合わせる。横根も横になったまま、頭の前で前足を合わせる。

「馬鹿じゃないのかい」
 野良猫があきれていやがる。
「私が生まれる前からの怨霊に言葉が通じると思うのかい? さっきの人間まで逃げればよかった。あの女はいけ好かないけどたいそうな奴だろ?」

 思玲のことを言っているのか。野良猫は残念そうに続ける。
「でも声をかけたからおしまいだ。すごいのに憑りつかれたね」

 死臭を感じた。サラリーマンの霊が俺に手を伸ばしていた。
 俺は急いで浮かびあがる。下を見る。横根は軽やかに女子高生の霊から逃れていた。
 白猫は玉砂利の上を駆けて、野良猫のいる塀へと向かう。

「こっちに来るな」
 野良猫があわてる。「畜生、目が合っちまったじゃないかい」

「子どもは嫌いだ」
 サラリーマンの霊は浮かびながら俺を追いかけてくる。
「子どもも大人も、みんな大嫌いだ」

 俺もふわふわと野良猫のもとへ向かう。横根はまさに猫そのもので、生け垣から灯篭へ、門へと飛びのり、「助けてよ」と野良猫にすがる。

「私はただの猫だ。どうやって助けろというのだい」
 さきほどと違い真剣な口調だ。
「お前さんは半分は妖怪変化だろ? あんたらのがずっと力がある。くそったれ、寄ってくるな」

 浮かんできた女子高生の霊を避けて、野良猫が地面に降りる。白猫があとを追う。
 女子高生の幽霊も追いかけようとして、宙に浮かぶ俺に気づく。

「……かわいい」
 女子高生が笑いかける。
「ずっと一緒にいようね」

 身震いする。

ドクン

 手の中の木札が、ずしりと存在感を増した……。そうだった、俺はたぶん大丈夫だ。だったら横根を守れ。

「こっちに来い」

 野良猫を追って生け垣に飛びこんだ白猫に声をかける。サラリーマンの霊が瞬間移動で現れる。

「生きているものはすべて嫌いだ」

 サラリーマンが生け垣に手を突っこむ。毛むくじゃらの野良猫が、フーと威嚇しながら飛びだし、霊の顔に爪をたてる。その脇から白猫が顔をだす。俺へと駆けぬける。俺もそこへと降りる。

「服に入れ」
 思玲がドーンを隠せと言った。それなら猫も隠せるはずだ。

「や、やだよ」

 横根はこの状況下で恥ずかしがる。今なんて猫と妖怪だろ。かまわず俺は帯をほどく仕草をする。フンドシでもしていたらいいのだが。

「猫ちゃんも一緒にいよう」

 女子高生が現れた。横根が悲鳴をあげて俺へと飛びこむ。抱えると胸もとで白猫が消える……。服に入れると同時に横根の人としての魂を感じまくる。というより、
 人である横根が、全裸で目の前にいた。隠そうともせずに、俺を見てきょとんとしている。彼女の目線が下にずれる。
 俺も裸かよ! 横根より先に股間を隠してしまう。今はそれどころではない。頑張って外だけに意識を向ける。

『目をつぶっているからね』

 おなかから横根の声がする。そっちに意識を向けるな。

「急いで追いはらうから我慢してね」

 見えない服を押さえながら、木札を突きだす。
 女子高生の幽霊の動きが止まった。

「……大きい猫でいいや」

 女子高生がふっと消える。入れ替わりに、幽霊のサラリーマンが目の前に現れる。

「なにもかも許せない」

 サラリーマンの霊が近づく。その目は絶望で塗り固められていた。

「こっちに来るな。火伏せの、土着の札だぞ」
 俺は木札を突きだしながら後ずさる。

「それは神様か? 神様なんて大嫌いだ」
 サラリーマンの目に憎悪が浮かぶ。
「困りきった俺を助けてくれなかった」

『どういう状況なの?』

 横根が聞いてくるが、返事どころではない。目の前にいるのは、まさに怨霊だ。俺の首へと手を突きだしている。木札があろうが体中が震える。

「成仏してくれよ。俺にはお札があるんだよ」
 怯えまくって、怨霊から目をそらすことも体を浮かすこともできない。鐘楼(しょうろう)の石垣まで追いつめられる。
「お願いです。消えてください」
 哀願しかできない。手の中の木札が怒りに震えているようで、それも怖い。

「お前も俺と同じになれ」

 サラリーマンの幽霊にのしかかられる。俺は目をつぶり、小さな木札を盾にする。怨霊がはね返される。

 この世のものではない絶叫が響きわたる。俺の中で横根が震える。俺は見えない服を押さえながら目を開ける。

 サラリーマンの幽霊はもだえ苦しんでいた。両手で自分の顔をかきむしりながら体を溶かしている。幽霊は崩れおち、なおも地面を転がり悶絶する。俺の存在に気づき、助けを求めるように手を伸ばす。口からどす黒い液体が流れる。目を見開いたまま消えていく。

『松本君、なにがあったの? お願いだから教えて』

 横根がまた声かけてくる。俺は木札を握りしめるだけだ。



『松本君、私はでて大丈夫なの?』

 再びの横根の声でわれに返る。おぞましいものを目の前にされて、茫然と自失していた。あられもない彼女に意識を向けたいけど、
「まだ悪霊はいる」

 俺はあたりを見まわす。正門から白い影が飛びこんできた。
 ふさふさの毛をたなびかせて、野良猫が俺達へと走る。

「おとなの男の霊は?」
「消えた」

 俺のそっけない返事に野良猫は目を大きくひろげる。
「あんたが消したのかい? そんな力があるのに、なんで私なんかを呼ぶのだい」

 呼んだ? さっきも言っていたな。

「俺が(猫など)呼ぶわけないだろ。それより女子高生の幽霊は?」
「ジョシコーセー? (さか)りのついた女のことだね。あれはしつこいよ。あいつも消しておくれ」

 あんな悲惨な光景は二度と見たくない。でも野良猫が振り返る。

「ほら、また来やがった」

 女子高生が暗い境内に一人立っていた。俺は幽霊が触れないようにと木札をしまう。
 野良猫は目ざとく気づく。

「あの娘も隠したのだね。お前さんは人に見えず、フクにしまえば、あいつらにも見えなくなる」
 野良猫がふくみ笑いする。
「私もかくまっておくれ」

 そう言うなり、俺のお腹に体当たりする。横根の魂が俺によろめく。
 こいつ、生身のくせに俺に触れられる。思玲と同じだ。でも、長い毛に木っ端をからませた薄汚い体を腹に入れられるか。膝蹴りして追いはらおうとする。

「呼んでおいて、それはないだろ」

 俺は余裕で押したおされる。こいつは害意がないから(ドーンが爪をたてて俺によじ登ると同じ理屈だ)、木札が発動しない。

『ま、松本君。私がでるから、おばさんを隠してあげてよ』

 横根が余計なことを言う……女子高生の幽霊は目の前にいた。

「一緒に行こうよ」

 幽霊が野良猫の尻尾を引っぱる。野良猫が絶叫して、俺の中に無理やりもぐりこむ。帯がほどけた感じがして、白猫と木札と、木の箱が露わになる。

 遠くで風の音がした。

 突風が近づいてくる。俺はあわてて箱を服で覆う仕草をする。
 箱も横根も消えたけど。

「な、なにが来るのだい?」
 野良猫が耳とひげを極限までたてる。

 生暖かい風が境内を一周する。砂煙があがる。女子高生の幽霊でさえ固唾を飲んでいるようだ。
 境内の灯篭に、黒いなにかが舞いおりた。遠目にも異様なまでにでかいカラス。

「思玲の奴は、また結界にもぐっていやがるのか?」
 大カラスが響きわたる声を俺達に向ける。
「カッ、いつまでも隠れていろ。四玉を渡すまで、おもての奴をひとつずつ殺していくだけだ」

 流範に見つかってしまった。




次回「境内の異形と野良猫」
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