五十三 は、はるばる来たよ函館へ
文字数 6,816文字
「ご、五稜郭だ」
横根がガラスの向こうを見下ろす。「ほんとに函館……なんで? どうやって帰るの?」
「そりゃ魄に往復便を頼む。そんで哲人が、なんとかの杖で全部倒す。でも五体しかいなかったよね。一体は死んだかな、ははは」
俺は五稜郭タワーの展望フロアで言葉を失っている。女子トイレから現れた五人を気に掛ける人はほぼいない。びしょ濡れで切り傷を負った隻眼の川田はいる。土方歳三の匂いを嗅いでいる。通報レベルだ。
「暗い霧というか影に包まれたような……でも大事なのは」
立ちすくんでいた七実ちゃんが覚悟したように一人でうなずく。
「急いでここを出ましょう。あの子の母親捜しはそれからです」
「ガラスを割って飛び降りるなよ」
「それくらい分かっている」
川田がエレベーターの行列の先頭に割り込む。
*
チケット半券のチェックはなかった。五人は五稜郭から離れるだけ離れる。無駄に広い道を走り、日曜閉店の薬局の駐車場で女子三人が息を整える。俺だって痛覚なくても息が切れる。川田だけ余裕。
「俺達は、魄という魂の乗り物に乗ってきた。細かい事情は聞かないで。俺も素人だから」
声帯を使っての説明がもどかしい。連絡をしなければ……水没してまた故障していたり……そもそもポケットにスマホはなかった。
「水牢で落としたのを水中で見かけた。俺のも落ちたが天珠はある」
川田が平然と言う。
俺はいかなる展開にも対応できるようになった。何もなかったようにみんなを見わたす。
「夏奈。誰かと連絡とれるかな?」
「京さんのナンバーだったら登録してある。でも母親を見つけるまでかけない」
「名前を判別できない着信履歴がある……。なんで?」
横根がスマホから俺へと顔をあげる。こめかみを押さえる。
「……それって怖いですね」
「なんでですか?」
七実ちゃんと横根の会話は続かない。部外者である二人が同時に俺を見る。俺の指図を待っている。だとしても、思玲や麻卦さんなど自己主張の強い人達のいないこの時間こそ貴重だ。
「率直に教えて。夏奈と川田は陰辜諸の杖を試したい?」
もっとも自己主張が激しい二人に聞く。
本人達の意見こそ尊重すべきだった。荒川区から北海道へのワープを経験した横根と七実ちゃんに聞かれたところで、どうせ忘れるのだからどうでもいい。……俺以外の全員が。きっとそのための遠回りだ。これも導きだ。
「私は哲人と一緒に戻る。そのときに試す」
夏奈が大きな瞳で見つめてくる。俺の心を読んだように「哲人のその目も一緒に消そう」
あの杖に力があるのならば、俺は忌むべき世界に関わらない人間へと即座に戻される。いまの俺には怖い杖かも。強い敵に渡すわけにはいかない。やはりケルベロスに守らせておくべきだった。
「使う意思はあるのだね? 川田はどうなの?」
「やっぱり俺は人間にならない。弱くなりそうだ」
「戻るのだよ。杖を試すかどうかを聞いている」
「思玲の話を聞いた。もっと強い異形になれるなら、ぜひやりたい」
俺は深呼吸する。苛立ちを抑えて、黙ったままの二人へと話題を変える。
「横根と七実ちゃんには悪いことをした。これで俺達がとんでもない事態なのが分かるよね」
「な、なにも分からないけど北海道なんて家族旅行以来。小四だった……私も関わっていたの? 川田君からそれらしきを聞いたし……。ごめん、また頭が痛い」
横根が両方のこめかみへ手を当てる。七実ちゃんは彼女の言葉を吟味している。
やはり何も話すべきではないだろう。記憶が復活する手助けをすべきでない。
「その頭痛は一過性だから気にしなくていい。それで今からだけど」
「だけどだよ! 私は覚えてないけど知っている。会っている! 眼鏡の女の子を、小さい女の子も!」
横根が痛みを紛らわすように声をたてる。思玲と無音ちゃんのことか。なおさら無視しろ。
「瑞希に祈ってもらったが回復しなかった。もっと思いださせるべきだ」
「だったらお前も人である記憶を取り戻せ」
川田へと荒い声をかけてしまい「今からだけど夏奈、無音ちゃんの母親はどこにいるの?」
「わかるはずねーだろ。哲人もいらつくなよ、みっともない」
「でも夏奈が行先を魄に指図したのだろ?」
「町を見渡せる場所ってね。函館山に行くと思った、ははは」
「ここにいると仮定してですね~、その人は何をしている人でどんな特徴ですか~」
「俺達は何も知らない。見つけようがない」
夏奈への非難めいた言葉にならないようにしないとな。
「可能性があるのなら、二十分だけ探してみよう。夏奈は大蔵司に伝えて。心配していると思う」
「京さんは私達のひとつ上だろ。呼び捨てるなよ。ドロシーちゃんにも言っておけよ」
夏奈は体育会的なところがある。忌むべき世界にきて知った。
「あの人が一番忙しいからショートメールにしておく。ラインとかの交換するほど仲よくね、ははは」
あれが忙しかったのはたしかだけど、その半分はイクワルが代行している。でも白神山地に付き合ってくれた。内宮で人に戻った俺達へ殺意を消してくれた。
「親子でも匂いはまったく違う。俺でも見つけるのは無理だ。俺はここで寝ている」
川田が駐車場のアスファルトに寝転がる。勝手にしろ。
「もう少し奥にいろよ。人が来ても攻撃するな。虫を食べるな。じゃあ出発しよう。夏奈が先導して」
「私も川田君と残ります」七実ちゃんがきっぱり言う。
「わ、私も。二人の邪魔したら悪いから」横根も目をそらしながら言う。
「哲人と函館でショートデートだ、ははは」
夏奈がスマホで検索しだす。
ばらばらじゃないかよ。……ここに敵はいない。現れたとして狙われるのは夏奈。そのときに、俺の手に護符は戻ってくるだろうか。ドロシーのもとから、夏奈を守るために。
二十分だけ二人で過ごそう。
「誰も家族や警察に連絡しないでね。抜けだせなくなる」
*
ドロシーが心配というか、なおもデニーと同室なのだろうか。思玲はトイレに行ってないだろうな。
「ドロシーちゃんのこと考えるなよ」
五稜郭へ戻りながら夏奈が言う。ソフトとジェラートを両方食べるらしい。無音ちゃんの母親を探す気はないようだ。
「考えてはないけど早く帰りたい。……夏奈はドロシーを助けるためにみんなを(母親探しを手伝わせるため)連れてきたんだね」
抱き合って泣いていた二人。憔悴したドロシー。動きまわる夏奈。
「そりゃ仲間だし。哲人は譲らないけど」
男の取り合いに関してコメント返さない。……仲間なら当然助けるか。夏奈はそういう奴だ。人を守ると決断したらエスカレーターから飛び降りる奴だ。
俺に好意を持ってくれたこの人を、手放したくない。だから横顔を見ないようにしている。俺は惑わない。ドロシーこそ離れてほしくない。
「またドロシーちゃんのこと思っていた。めめしい男」
「現状を考えていただけ。これはリスクある行為だよ。それに夏奈は、俺に休みなよと言ったのに巻き込んだ」
「たしかに言った。ここで休めばいい」
どちらも二股公認してくれないかなと夢想はしない。彼女達と交互にデートなんて、想像するだけで疲れる。……心身の慢性疲労を思いだしてしまった。
俺は空を見上げる。内地と変わらぬ青い空。まだ月は北海道にも上っていない。
母親を見つけても、その後の対応に困る。気張ってやる必要ない。函館まで探しにいったと報告はできる。努力義務は果たした。いまさら俺達が何をしでかそうと、みんな呆れるだけだろう。
「そうしようかな。あと十分だけ休む。そしたら帰ろう」
「だね。アイスを食べながらどこかベンチに座ろう」
「ひとつだけ言っておきたい。夏奈が龍の生まれ変わりだからって、俺は不気味に思っていない」
「態度で分かるし。それに私は千葉県出身二十歳の桜井夏奈だよ。ははは」
二人きりで北海道の観光地を歩いているのに、夏奈を遠く感じる。今朝がた何度もキスしたばかりなのに。
夏奈も俺の手を握ってこない。いずれこの瞬間も、彼女から夢にも幻にもならず消えるのか。それがハッピーエンドかよ。
藤川匠が現れないかな。人対人で思う存分ゼ・カン・ユをぶちのめしたい。
**横根瑞希**
私達は途方に暮れてコンクリートにしゃがむのに、川田君は鼾をかいて寝ている。彼の腕の傷はゆっくりだけど目に見えて塞がっていく。なにもかも怖くて気持ち悪い。
なんで私はここにいるのだろう。自撮りして送っても、どのお姉ちゃんも信じないだろうな。でもビデオ通話ならば……やめておこう。松本君が怖い目で告げたように、深みに嵌まりそう。
「横根瑞希さんだよね?」
七実という頭のよさそうな人が聞いてくる。ガラケー! を小さいバッグにしまう。
「まったく動揺してないね」
さきほどまでと違って早口かつタメ口だ。
「え、してますよ。……七実さんですよね、初めまして。和戸君から聞き覚えがあるけど、川田君の彼女ですよね」
「そうだったはずだけど……ずっと会えなくて、久々に会ったら人が変わっていた」
まさにそれだ。
「川田君って……人じゃないですよね」
七実さんが黙りこんでしまった。
私は松本君と桜井夏奈を思いだす。あてもなく人を見つけられるはずない。だったら仲良くデートしているのだろうか。……あの女は、平然と笑いながら、松本君とキスしまくったと教えやがった。くそう……それっていつ聞いた?
また頭が痛くなる。脳が何かを必死に拒絶している。
「違う世界に巻き込まれてそうなったみたい。でも怪しい杖でなく、松本君が人に戻してくれると思う」
七実さんが私を見つめてくる。
「本来の川田君になっても、もう色目を使わないでね」
どくん
「私は思わせぶりな態度をとったことない。絶対に」
怒りを抑えなさい。
「それどころか迷惑していた。辟易としていた」
うざかった。邪魔だった。川田陸斗が私に好意丸出しにしなければ、こいつの親友の松本君は私に目を向けたかもしれない。やさしいあの人だから、友に遠慮してピーナッツを選んで、なのに今度は年下の超美人に……そいつは誰だよ。誰かが隣室で寝ていたよな。
「おえっ」吐きそうになる。なにもでない。「ごめんなさい」
「……あなたこそ平然だ。正直怖い。松本君の言うとおり、やっぱり関わってはいけなかった」
七実さんが立ち上がる。「私は記憶を残して生きる。警察に相談する。川田君起きて……陸斗君起きなさい!」
「松本が戻ったか?」
川田君がのそりと地面に腕をつく。……鼻をくんくんさせた。
「ここにいるべきだよ。川田君からもこの人に言って」
「瑞希がただしい。七実はここにいろ」
川田君はまた寝転がる。
「だったら私は一人で行く」
「やめろ。ボスが怒る。そしたら姉御が震えてもっと怖くなる」
……川田君があり得ぬ速さで立ち上がり、七実さんを背後から抱いた。
「……この匂いと柔らかさに馴染みがある。やっぱり七実は俺の女だったな」
髪に鼻をうずめながら言う……。
それでいて私へと振り返る。人じゃない。獣みたいな目で私へと笑う。
「た、助け……」
私は固まる。でも……この目は子犬の目だ。私を守ってくれた狼の目だ。そして私は……猫?
そんな夢物語あるはずないけど。
「み、みんなで松本君と合流しよう。川田君ならば追えるよね。……その前に傷を治そう」
無意識にポケットから緑色の勾玉をとりだしてしまう。頭痛はひどくなる一方。
**松本哲人**
金髪で青い瞳のかわいい白人の子。大きな赤い龍。憂いある瞳……。
あの人が悪であるはずない。強いてあげるならば、魔女どころかサタンと呼ばれた悲しげな……。
君はうつむいてばかりだね。過去を悔やんでいるのは、たっぷり俺に伝わったよ。だから顔を見せてよ。微笑みを正面から見たい――
「瑞希ちゃんがこっちに来ちゃった」
夏奈に肩を揺すられて目が覚める。見ていたはずの夢が霧散する。
「どこ?」
夏奈に寄りかかっていた俺は、ベンチから辺りを見回す。手にしたカップ入りソフトクリームがずいぶん溶けている。
「寝ぼけるな。はやく母親捜しをしよう。さぼっていたのがばれる」
夏奈が人の声を発して歩きだす。
俺はソフトクリームだったのを飲み、カップをごみ箱に捨てる。スマホの紛失届をしないとな。まだ寝ぼけている。夏奈を追いかける。
「何分経った?」
俺も人の声で尋ねる。不審な若い男女と思われずに済む。
「正確に計ってないけど哲人は五分ぐらい寝ていた。トータルニ十分は過ぎたと思う」
「だったら東京へ帰ろう。川田達と合流する」
「一度だけ試させて」
「はい?」
「私はその人にかかった記憶消しを消せるかも。おい魄、もう一度運べ。さもないと魂をやらねえ」
また影が漂いだしたぞ。
「どこへ?」
「お前らが怖がる女の子の母親のところ。お前らならわかるだろ、ははは」
「たしかに感じた。ならば向かおう」
「お前の望みが叶ったなら」
「ようやく私達は死に近づける」
「お礼に三人も連れてこよう」
不吉すぎる言葉と特別サービスを聞きながら、またもや凍える暗闇………………地面に足がついた状態で即座に現実社会へ現れる。
周囲は林。北海道のままだったらヒグマがいるかも。でも川田が真横にいた。ならば平気だ。こいつは熊より強い。
「瑞希達は向こうだ」
川田が指をさす向こうに十字架が見えた。教会らしき屋根も。
「……海外かな。いまの時代かな」
不安になってきた。荒川区に戻れないかも。
「さっきの場所のすぐ近くだ。俺と松本は入れないから弾かれた。ここで待てば桜井が見つけてくれる」
川田が森のなかで横になる。傷が塞がっている。
俺は今の川田を、それでも信じる。夏奈も横根も七実ちゃんさえ信じる。だったら俺がすべきことはひとつだ。
「俺も夜のために休む」
しゃがんで木に寄りかかり目をつむる。……死に近づけるか。もと死者の王でも意味わからねーよ。
**横根瑞希**
「また転送した……教会?」七実さんが言う。「陸斗君は?」
「ちょっと待って。現在地確認する」
また現れた桜井夏奈がスマホを操作しだす。
「……松本君は? はぐれたかな、ははは」
こいつこそ平然だ。
「お、女だけだと、まずいよ絶対に」
辺りを見わたす。私達は畑のなかにいた。農作物には疎いから、足もとの緑が何かは分からない。
「どうせ親父君と真面目君はいつもどおりセットでいるよ。そんでここは、まだ函館だ。そこの修道院の……これは芋の葉っぱだよね。その畑にいるっぽい。……あの人かな?」
桜井夏奈がスマホから顔をあげ、人へ指さしやがった。
100メートルほど向こうで、麦わら帽子をかぶった女性が一人だけで農作業をしていた。私達に気づき歩いてくる。
「こんにちは。お邪魔してます」
桜井夏奈が大声で手を振り「私は魔道士にもできないことができる」
企みの笑みを浮かべる。
とっても嫌な予感がした。
「こちらは立ち入り禁止です。表へお戻りください」
鍬(使ってるの初めて見た)を手に、その人はきつい目で言う。肩のタオルで汗をぬぐう。三十前後かな。若く結婚していたなら、母親なのもありかも。……きれいで背高くて真面目そうな人だ。
「すみません~紛れ込んでしまいました~」
七実さんがのんびり頭を下げる。「ひとつだけ教えてください。あなたの出身は?」
「言う必要ありません。はやく立ち去りなさい」
この人はにらむだけだ。
「お子さんはいますか?」って単刀直入に聞きたい。でも聖職に順ずる人に、してはいけない質問だ。
「日暮里で無音ちゃんが待ってますよ、ははは」
粗暴落花生がダイレクトに聞きやがった。でもこの人は怪訝な顔をするだけ。
「……やっぱり記憶を消されているね。だけど耳がそっくり」
そう言って、桜井夏奈が息を吸い込む。
おそらく大声をあげて驚かすつもりだ。そんなの更に怒らせるだけだ。そもそも、
「か、夏奈ちゃん。この人の記憶を戻しちゃダメだよ」
それは忘れたいものだったかもしれない。
「ですよね……。今日は充分だと思います。帰りましょう~」
「あなた達は何者ですか? 失礼すぎる態度です」
この人は本気で怒っている。桜井夏奈のせいだ。私は無思考シナプス直結人間の背中をにらむのに、こいつはいきなり振り返る。私へと親しみの笑みを向ける。
悔しい。かわいすぎる笑み。
「私を見ても怯えない。つまり、こっちの世界に関わってない」
なぜだか寂しげな笑みになる。次の瞬間に能天気な笑みへ変わる。
「だけどデブ親父か無音ちゃんに本人確認してもらおう。魄よ全員を運べ」
「ひいっ」
悲鳴を上げてしまう。赤黒い影が私達を囲んだ。しかも声が聞こえる。
「叶ったのだから、お前に従う時間は過ぎた」
「五人だけをあの社へ送ろう」
「桜井夏奈は別の場所に招待する」
「我々の食卓へ」
「その強き力が我々を死へ、すなわち人としての生へ近づける」
またひんやりと包まれて、私は時空を越える……。
次回「プレリュード」
横根がガラスの向こうを見下ろす。「ほんとに函館……なんで? どうやって帰るの?」
「そりゃ魄に往復便を頼む。そんで哲人が、なんとかの杖で全部倒す。でも五体しかいなかったよね。一体は死んだかな、ははは」
俺は五稜郭タワーの展望フロアで言葉を失っている。女子トイレから現れた五人を気に掛ける人はほぼいない。びしょ濡れで切り傷を負った隻眼の川田はいる。土方歳三の匂いを嗅いでいる。通報レベルだ。
「暗い霧というか影に包まれたような……でも大事なのは」
立ちすくんでいた七実ちゃんが覚悟したように一人でうなずく。
「急いでここを出ましょう。あの子の母親捜しはそれからです」
「ガラスを割って飛び降りるなよ」
「それくらい分かっている」
川田がエレベーターの行列の先頭に割り込む。
*
チケット半券のチェックはなかった。五人は五稜郭から離れるだけ離れる。無駄に広い道を走り、日曜閉店の薬局の駐車場で女子三人が息を整える。俺だって痛覚なくても息が切れる。川田だけ余裕。
「俺達は、魄という魂の乗り物に乗ってきた。細かい事情は聞かないで。俺も素人だから」
声帯を使っての説明がもどかしい。連絡をしなければ……水没してまた故障していたり……そもそもポケットにスマホはなかった。
「水牢で落としたのを水中で見かけた。俺のも落ちたが天珠はある」
川田が平然と言う。
俺はいかなる展開にも対応できるようになった。何もなかったようにみんなを見わたす。
「夏奈。誰かと連絡とれるかな?」
「京さんのナンバーだったら登録してある。でも母親を見つけるまでかけない」
「名前を判別できない着信履歴がある……。なんで?」
横根がスマホから俺へと顔をあげる。こめかみを押さえる。
「……それって怖いですね」
「なんでですか?」
七実ちゃんと横根の会話は続かない。部外者である二人が同時に俺を見る。俺の指図を待っている。だとしても、思玲や麻卦さんなど自己主張の強い人達のいないこの時間こそ貴重だ。
「率直に教えて。夏奈と川田は陰辜諸の杖を試したい?」
もっとも自己主張が激しい二人に聞く。
本人達の意見こそ尊重すべきだった。荒川区から北海道へのワープを経験した横根と七実ちゃんに聞かれたところで、どうせ忘れるのだからどうでもいい。……俺以外の全員が。きっとそのための遠回りだ。これも導きだ。
「私は哲人と一緒に戻る。そのときに試す」
夏奈が大きな瞳で見つめてくる。俺の心を読んだように「哲人のその目も一緒に消そう」
あの杖に力があるのならば、俺は忌むべき世界に関わらない人間へと即座に戻される。いまの俺には怖い杖かも。強い敵に渡すわけにはいかない。やはりケルベロスに守らせておくべきだった。
「使う意思はあるのだね? 川田はどうなの?」
「やっぱり俺は人間にならない。弱くなりそうだ」
「戻るのだよ。杖を試すかどうかを聞いている」
「思玲の話を聞いた。もっと強い異形になれるなら、ぜひやりたい」
俺は深呼吸する。苛立ちを抑えて、黙ったままの二人へと話題を変える。
「横根と七実ちゃんには悪いことをした。これで俺達がとんでもない事態なのが分かるよね」
「な、なにも分からないけど北海道なんて家族旅行以来。小四だった……私も関わっていたの? 川田君からそれらしきを聞いたし……。ごめん、また頭が痛い」
横根が両方のこめかみへ手を当てる。七実ちゃんは彼女の言葉を吟味している。
やはり何も話すべきではないだろう。記憶が復活する手助けをすべきでない。
「その頭痛は一過性だから気にしなくていい。それで今からだけど」
「だけどだよ! 私は覚えてないけど知っている。会っている! 眼鏡の女の子を、小さい女の子も!」
横根が痛みを紛らわすように声をたてる。思玲と無音ちゃんのことか。なおさら無視しろ。
「瑞希に祈ってもらったが回復しなかった。もっと思いださせるべきだ」
「だったらお前も人である記憶を取り戻せ」
川田へと荒い声をかけてしまい「今からだけど夏奈、無音ちゃんの母親はどこにいるの?」
「わかるはずねーだろ。哲人もいらつくなよ、みっともない」
「でも夏奈が行先を魄に指図したのだろ?」
「町を見渡せる場所ってね。函館山に行くと思った、ははは」
「ここにいると仮定してですね~、その人は何をしている人でどんな特徴ですか~」
「俺達は何も知らない。見つけようがない」
夏奈への非難めいた言葉にならないようにしないとな。
「可能性があるのなら、二十分だけ探してみよう。夏奈は大蔵司に伝えて。心配していると思う」
「京さんは私達のひとつ上だろ。呼び捨てるなよ。ドロシーちゃんにも言っておけよ」
夏奈は体育会的なところがある。忌むべき世界にきて知った。
「あの人が一番忙しいからショートメールにしておく。ラインとかの交換するほど仲よくね、ははは」
あれが忙しかったのはたしかだけど、その半分はイクワルが代行している。でも白神山地に付き合ってくれた。内宮で人に戻った俺達へ殺意を消してくれた。
「親子でも匂いはまったく違う。俺でも見つけるのは無理だ。俺はここで寝ている」
川田が駐車場のアスファルトに寝転がる。勝手にしろ。
「もう少し奥にいろよ。人が来ても攻撃するな。虫を食べるな。じゃあ出発しよう。夏奈が先導して」
「私も川田君と残ります」七実ちゃんがきっぱり言う。
「わ、私も。二人の邪魔したら悪いから」横根も目をそらしながら言う。
「哲人と函館でショートデートだ、ははは」
夏奈がスマホで検索しだす。
ばらばらじゃないかよ。……ここに敵はいない。現れたとして狙われるのは夏奈。そのときに、俺の手に護符は戻ってくるだろうか。ドロシーのもとから、夏奈を守るために。
二十分だけ二人で過ごそう。
「誰も家族や警察に連絡しないでね。抜けだせなくなる」
*
ドロシーが心配というか、なおもデニーと同室なのだろうか。思玲はトイレに行ってないだろうな。
「ドロシーちゃんのこと考えるなよ」
五稜郭へ戻りながら夏奈が言う。ソフトとジェラートを両方食べるらしい。無音ちゃんの母親を探す気はないようだ。
「考えてはないけど早く帰りたい。……夏奈はドロシーを助けるためにみんなを(母親探しを手伝わせるため)連れてきたんだね」
抱き合って泣いていた二人。憔悴したドロシー。動きまわる夏奈。
「そりゃ仲間だし。哲人は譲らないけど」
男の取り合いに関してコメント返さない。……仲間なら当然助けるか。夏奈はそういう奴だ。人を守ると決断したらエスカレーターから飛び降りる奴だ。
俺に好意を持ってくれたこの人を、手放したくない。だから横顔を見ないようにしている。俺は惑わない。ドロシーこそ離れてほしくない。
「またドロシーちゃんのこと思っていた。めめしい男」
「現状を考えていただけ。これはリスクある行為だよ。それに夏奈は、俺に休みなよと言ったのに巻き込んだ」
「たしかに言った。ここで休めばいい」
どちらも二股公認してくれないかなと夢想はしない。彼女達と交互にデートなんて、想像するだけで疲れる。……心身の慢性疲労を思いだしてしまった。
俺は空を見上げる。内地と変わらぬ青い空。まだ月は北海道にも上っていない。
母親を見つけても、その後の対応に困る。気張ってやる必要ない。函館まで探しにいったと報告はできる。努力義務は果たした。いまさら俺達が何をしでかそうと、みんな呆れるだけだろう。
「そうしようかな。あと十分だけ休む。そしたら帰ろう」
「だね。アイスを食べながらどこかベンチに座ろう」
「ひとつだけ言っておきたい。夏奈が龍の生まれ変わりだからって、俺は不気味に思っていない」
「態度で分かるし。それに私は千葉県出身二十歳の桜井夏奈だよ。ははは」
二人きりで北海道の観光地を歩いているのに、夏奈を遠く感じる。今朝がた何度もキスしたばかりなのに。
夏奈も俺の手を握ってこない。いずれこの瞬間も、彼女から夢にも幻にもならず消えるのか。それがハッピーエンドかよ。
藤川匠が現れないかな。人対人で思う存分ゼ・カン・ユをぶちのめしたい。
**横根瑞希**
私達は途方に暮れてコンクリートにしゃがむのに、川田君は鼾をかいて寝ている。彼の腕の傷はゆっくりだけど目に見えて塞がっていく。なにもかも怖くて気持ち悪い。
なんで私はここにいるのだろう。自撮りして送っても、どのお姉ちゃんも信じないだろうな。でもビデオ通話ならば……やめておこう。松本君が怖い目で告げたように、深みに嵌まりそう。
「横根瑞希さんだよね?」
七実という頭のよさそうな人が聞いてくる。ガラケー! を小さいバッグにしまう。
「まったく動揺してないね」
さきほどまでと違って早口かつタメ口だ。
「え、してますよ。……七実さんですよね、初めまして。和戸君から聞き覚えがあるけど、川田君の彼女ですよね」
「そうだったはずだけど……ずっと会えなくて、久々に会ったら人が変わっていた」
まさにそれだ。
「川田君って……人じゃないですよね」
七実さんが黙りこんでしまった。
私は松本君と桜井夏奈を思いだす。あてもなく人を見つけられるはずない。だったら仲良くデートしているのだろうか。……あの女は、平然と笑いながら、松本君とキスしまくったと教えやがった。くそう……それっていつ聞いた?
また頭が痛くなる。脳が何かを必死に拒絶している。
「違う世界に巻き込まれてそうなったみたい。でも怪しい杖でなく、松本君が人に戻してくれると思う」
七実さんが私を見つめてくる。
「本来の川田君になっても、もう色目を使わないでね」
どくん
「私は思わせぶりな態度をとったことない。絶対に」
怒りを抑えなさい。
「それどころか迷惑していた。辟易としていた」
うざかった。邪魔だった。川田陸斗が私に好意丸出しにしなければ、こいつの親友の松本君は私に目を向けたかもしれない。やさしいあの人だから、友に遠慮してピーナッツを選んで、なのに今度は年下の超美人に……そいつは誰だよ。誰かが隣室で寝ていたよな。
「おえっ」吐きそうになる。なにもでない。「ごめんなさい」
「……あなたこそ平然だ。正直怖い。松本君の言うとおり、やっぱり関わってはいけなかった」
七実さんが立ち上がる。「私は記憶を残して生きる。警察に相談する。川田君起きて……陸斗君起きなさい!」
「松本が戻ったか?」
川田君がのそりと地面に腕をつく。……鼻をくんくんさせた。
「ここにいるべきだよ。川田君からもこの人に言って」
「瑞希がただしい。七実はここにいろ」
川田君はまた寝転がる。
「だったら私は一人で行く」
「やめろ。ボスが怒る。そしたら姉御が震えてもっと怖くなる」
……川田君があり得ぬ速さで立ち上がり、七実さんを背後から抱いた。
「……この匂いと柔らかさに馴染みがある。やっぱり七実は俺の女だったな」
髪に鼻をうずめながら言う……。
それでいて私へと振り返る。人じゃない。獣みたいな目で私へと笑う。
「た、助け……」
私は固まる。でも……この目は子犬の目だ。私を守ってくれた狼の目だ。そして私は……猫?
そんな夢物語あるはずないけど。
「み、みんなで松本君と合流しよう。川田君ならば追えるよね。……その前に傷を治そう」
無意識にポケットから緑色の勾玉をとりだしてしまう。頭痛はひどくなる一方。
**松本哲人**
金髪で青い瞳のかわいい白人の子。大きな赤い龍。憂いある瞳……。
あの人が悪であるはずない。強いてあげるならば、魔女どころかサタンと呼ばれた悲しげな……。
君はうつむいてばかりだね。過去を悔やんでいるのは、たっぷり俺に伝わったよ。だから顔を見せてよ。微笑みを正面から見たい――
「瑞希ちゃんがこっちに来ちゃった」
夏奈に肩を揺すられて目が覚める。見ていたはずの夢が霧散する。
「どこ?」
夏奈に寄りかかっていた俺は、ベンチから辺りを見回す。手にしたカップ入りソフトクリームがずいぶん溶けている。
「寝ぼけるな。はやく母親捜しをしよう。さぼっていたのがばれる」
夏奈が人の声を発して歩きだす。
俺はソフトクリームだったのを飲み、カップをごみ箱に捨てる。スマホの紛失届をしないとな。まだ寝ぼけている。夏奈を追いかける。
「何分経った?」
俺も人の声で尋ねる。不審な若い男女と思われずに済む。
「正確に計ってないけど哲人は五分ぐらい寝ていた。トータルニ十分は過ぎたと思う」
「だったら東京へ帰ろう。川田達と合流する」
「一度だけ試させて」
「はい?」
「私はその人にかかった記憶消しを消せるかも。おい魄、もう一度運べ。さもないと魂をやらねえ」
また影が漂いだしたぞ。
「どこへ?」
「お前らが怖がる女の子の母親のところ。お前らならわかるだろ、ははは」
「たしかに感じた。ならば向かおう」
「お前の望みが叶ったなら」
「ようやく私達は死に近づける」
「お礼に三人も連れてこよう」
不吉すぎる言葉と特別サービスを聞きながら、またもや凍える暗闇………………地面に足がついた状態で即座に現実社会へ現れる。
周囲は林。北海道のままだったらヒグマがいるかも。でも川田が真横にいた。ならば平気だ。こいつは熊より強い。
「瑞希達は向こうだ」
川田が指をさす向こうに十字架が見えた。教会らしき屋根も。
「……海外かな。いまの時代かな」
不安になってきた。荒川区に戻れないかも。
「さっきの場所のすぐ近くだ。俺と松本は入れないから弾かれた。ここで待てば桜井が見つけてくれる」
川田が森のなかで横になる。傷が塞がっている。
俺は今の川田を、それでも信じる。夏奈も横根も七実ちゃんさえ信じる。だったら俺がすべきことはひとつだ。
「俺も夜のために休む」
しゃがんで木に寄りかかり目をつむる。……死に近づけるか。もと死者の王でも意味わからねーよ。
**横根瑞希**
「また転送した……教会?」七実さんが言う。「陸斗君は?」
「ちょっと待って。現在地確認する」
また現れた桜井夏奈がスマホを操作しだす。
「……松本君は? はぐれたかな、ははは」
こいつこそ平然だ。
「お、女だけだと、まずいよ絶対に」
辺りを見わたす。私達は畑のなかにいた。農作物には疎いから、足もとの緑が何かは分からない。
「どうせ親父君と真面目君はいつもどおりセットでいるよ。そんでここは、まだ函館だ。そこの修道院の……これは芋の葉っぱだよね。その畑にいるっぽい。……あの人かな?」
桜井夏奈がスマホから顔をあげ、人へ指さしやがった。
100メートルほど向こうで、麦わら帽子をかぶった女性が一人だけで農作業をしていた。私達に気づき歩いてくる。
「こんにちは。お邪魔してます」
桜井夏奈が大声で手を振り「私は魔道士にもできないことができる」
企みの笑みを浮かべる。
とっても嫌な予感がした。
「こちらは立ち入り禁止です。表へお戻りください」
鍬(使ってるの初めて見た)を手に、その人はきつい目で言う。肩のタオルで汗をぬぐう。三十前後かな。若く結婚していたなら、母親なのもありかも。……きれいで背高くて真面目そうな人だ。
「すみません~紛れ込んでしまいました~」
七実さんがのんびり頭を下げる。「ひとつだけ教えてください。あなたの出身は?」
「言う必要ありません。はやく立ち去りなさい」
この人はにらむだけだ。
「お子さんはいますか?」って単刀直入に聞きたい。でも聖職に順ずる人に、してはいけない質問だ。
「日暮里で無音ちゃんが待ってますよ、ははは」
粗暴落花生がダイレクトに聞きやがった。でもこの人は怪訝な顔をするだけ。
「……やっぱり記憶を消されているね。だけど耳がそっくり」
そう言って、桜井夏奈が息を吸い込む。
おそらく大声をあげて驚かすつもりだ。そんなの更に怒らせるだけだ。そもそも、
「か、夏奈ちゃん。この人の記憶を戻しちゃダメだよ」
それは忘れたいものだったかもしれない。
「ですよね……。今日は充分だと思います。帰りましょう~」
「あなた達は何者ですか? 失礼すぎる態度です」
この人は本気で怒っている。桜井夏奈のせいだ。私は無思考シナプス直結人間の背中をにらむのに、こいつはいきなり振り返る。私へと親しみの笑みを向ける。
悔しい。かわいすぎる笑み。
「私を見ても怯えない。つまり、こっちの世界に関わってない」
なぜだか寂しげな笑みになる。次の瞬間に能天気な笑みへ変わる。
「だけどデブ親父か無音ちゃんに本人確認してもらおう。魄よ全員を運べ」
「ひいっ」
悲鳴を上げてしまう。赤黒い影が私達を囲んだ。しかも声が聞こえる。
「叶ったのだから、お前に従う時間は過ぎた」
「五人だけをあの社へ送ろう」
「桜井夏奈は別の場所に招待する」
「我々の食卓へ」
「その強き力が我々を死へ、すなわち人としての生へ近づける」
またひんやりと包まれて、私は時空を越える……。
次回「プレリュード」