五十五の三 俺と彼女の存在意義

文字数 4,859文字

「デニー様、遅くなり申し訳ございません。お怪我の具合は?」

 知らぬ間に入口に、黒くて長い髪の女性が立っていた。白シャツと紺色スカートの三十代。女性教師みたいに知的な雰囲気だけど。

「たいしたことない。(ディアォ)を借りるので屋上で待機させろ」
「承知しました。……香港の現状を教えてください」
「動きはないようだが、大姐は楽観視している」

 なんのことだろう? デニーは他の指示も矢継ぎ早に命じたあとに、

「君達が案ずる必要ない話だ。――彼女がリーダーの(ウェイ)。強いぞ。しかも靴を脱いで入室したように、常識を持ちあわせている。ここの守備は彼女達に任せて、私達はひと足先に屋上へ向かおう。
そこにコカトリスがいるらしい。見張りのつもりのようだ」

 鶏子のことだろうけど「人に見える姿なのに?」

「そうだ。近所迷惑なので私達の小型飛行機になってもらおう」
 デニーが薄く笑う。

 まずひとつ、決断しろ。

「鶏子はウンヒョクとデニーさんに任せる。俺はもう少しだけここに残る。冥界に向かい折坂さんを連れ戻す。それから杖で川田をひとに戻す。夏奈から龍を追い払う。それをここで試す」

「さすが哲人だな。冥界に行くってのは想定外だった」
 ウンヒョクが神妙な顔になる。「でも陰辜諸の杖をいきなり使うのは反対だ。上海さんに小鬼を借りて、まずそいつらで試してみろよ」

「小鬼の一匹ぐらいリックに差しださせる。だが、ここではやめておくべきかもな。富士山のふもと奥深くならば、月の光を浴びようと危害を及ぼされる人はいない」

 デニーが俺の肩を叩き去っていく。……川田も戦いの場に連れていけというのか。無責任だ。そのくせ自分は彼女を連れ去ろうとしている。
 でも川田はそれが正解だろう。夏奈も俺のそばから離すべきでないよな。もちろんドロシーだって俺の隣にいさせる。

「私は下の階に移動します。……ミスター松本。お会いするのは、これが最初で最後でしょう」
 魏さんが俺の青い目を見つめる。
「あなたが忌むべき世界から立ち去るまえに出会え光栄です」
 一礼して部屋から出ていく。

「急がせろよ」
 ウンヒョクがあとに続く。うなだれた露泥無がその後に……。

 *

 立ち去らないと言えなかった。むきになって否定することでもないからだ。
 そもそも今夜、俺はすべての世界から消えてなくなるかもしれない。恐怖はまだない。震えて怯えるのは直前だろう。

 夏奈の馬鹿笑いや大蔵司の寝起きの不機嫌な声が聞こえる。こんなときでも女子はのろい。何もなかったように昼寝してみんなと接する大蔵司を尊敬すべきか。忌むべき力を持った者はこんな奴らばかり。

「まだかな?」

「もうちょい、ははは」
「また覗くなよ」
「哲人さん、見て」
「呼ぶな」

 戦いに向かう女子からも恐怖は感じられない。屋上では、魏さんの四天王の一羽である空飛ぶキーウィ(もちろんニュージーランド生まれ)が待っている。デニー達は焦れているだろう。
 ここで思玲達を待つのは俺と川田とニョロ子。早々に戻ってきたこの子が道案内してくれる。

 (ベトナム生まれの)小鬼で治験しろとウンヒョクが言ったけど、倫理的に問題がある。人になったそいつの世話を誰がする? さすがに処分できないだろ。
 だとしても、川田か夏奈でいきなり試して失敗したらどうする。本当の化け物になってしまったら。また龍になってしまったら。

「やっぱりやめようか?」
「俺は最初にしないからどうでもいい。富士山のふもとに行ってもいい」
「待たせたな」

 思玲を先頭に女子四人がようやく出てきた。思玲は俺の上下。大蔵司は巫女装束。夏奈はコットンカラーの長袖Tシャツとジーンズ。パジャマだったドロシーは……。

「この服が一番しっかり術がコーティングされているから」
 蛇柄の紫色チャイナドレスのドロシーがはにかむ。
「もちろん下にはいている」

 そりゃ下着は……灰色のショートレギンスがスリットからすでに見えている。そっちのことか。それでもきれい。アンバランスに迷彩柄のリュックを背負っていようと、ほかの男の誰にも見せたくないほど美しい。また夏奈が俺を見ている。

「私が哲人の部屋から持ってきて洗ってやったのだぞ。しかもハラペコに縫わせた。この服もな」

 思玲から手渡されたのは、ドロシーの父のシャツだ。

「へへ、私が薄く護りの術をかけてみた。だからそれに着替えて」
「なんだかやな感じ。龍になろうかな」

 夏奈による時間を止めさせる痛烈な一言。

「……桜井」
「ギャグだから思玲さん怒らないで。ははは」
「俺よりつまらない。だが龍になる覚悟があるなら試せ。大蔵司は杖をだせ」

 川田による時空を凍らせる一言。

「杖はドロシーだ。大泣きしながらも手に隠した」
 大蔵司だけが平然としている。「責任ありすぎだから私はやらない。試すのは折坂さんだけ」

 彼女は畳に手を置く。
「戻ってきてください。お願いします」

 だけど大和獣人が畳からぬっと現れることはなかった。

「何度やっても無駄だ。次なるアクションに移るぞ」
 思玲が言うけど。

「私は影添大社に残る。当然だよ」
 大蔵司が答える。

「へっ、大蔵司なんかいてもいなくても同じだ。私と哲人さんだけで充分」
「ざけんなよ。だったらお前一人で戦え!」
(とん)!」

 俺のもとへ来ようとしたドロシーへ、夏奈が思いきりショルダータックルした!
 ドロシーが転ぶ。レギンスが丸出しになる。

「貴様はさっきから何様だ!」
「きゃっ」

 思玲が夏奈の背中に飛び蹴りした!
 夏奈がおでこから畳に落ちる。

「大蔵司とめてくれ!」
 俺は叫ぶ。俺だけだと彼女達を抑えられない。
「ドロシー我慢して」

 それでも一番危険な人へ駆けより抱きおこそうとする。

「もちろん。さもないと夏奈さんは龍になる」
 彼女は自力で立ちあがる。
「そしたら私が成敗しないとならない」
 その手に九十九が現れる。

「俺も屋上へ行く」
「キョッ」

 白銀の苦無を見るなり、川田が部屋を飛びだす。ニョロ子まで消える。

「ドロシー。それは京がここを守るために必要な魔道具だ。返してやれ」
 思玲はそう言って、転がる夏奈を見おろす。
「桜井すまなかった。私は言葉より先に蹴りがでることがある」

「知っている」
 夏奈も思玲の手を無視して自力で立ち上がり、ドロシーをにらむ。

「思玲はともかく桜井もすごい。戦闘で大事なことを見させてもらえた。あんなの避けられないドロシーも違う意味ですごいけど」
「私はお前の攻撃をすべてかわした! だったらまた戦うか?」
「いいからはやく九十九を返せ」

 たしかに夏奈の攻撃は電光石火だ。完璧な不意打ちだ。おそらく俺でも避けられない。その夏奈が笑う。

「勝てるはずねーだろ。台湾でも私に蹴られて泣いていたし、その前も一人だけ大怪我してリタイアしたし。ははは」
「桜井てめえ!」

 思玲がまた夏奈に蹴りをいれた。でも夏奈は避ける。
 でも思玲の顔を見て後ずさる。

「ドロシーはみんなのために傷を受けた。それを笑うなら立ち去れ」
「もうやめてくれよ」

 俺は弱々しく女子四人に懇願する。……一連の発端は夏奈だ。彼女は苛立っている。しかもドロシーに。理由は俺だろうけど。

「ふん。哲人なさけね」
 俺にも八つ当たりして背を向ける。

「待て。マジにするな」
 思玲が追いかける。「お前らはまだ来るな」

 三人が残る。内宮で死闘を繰りひろげたばかりの三人が。

「はやく九十九を返せ。折坂さんが戻ってきたら怒られる」
 大蔵司がドロシーに手を突きだす。

不是(ぷーしー)。もうちょっと貸して」
 ドロシーの手からそれは消える。
「代わりにこれを返す。これは邪だ」

 入れ替わりに現れた陰辜諸の杖を投げる。

「……そうだ! 私で試せ。私を異形にしてみろ」

 この人は……。なんで俺は好きが終わらないのだろう。

「ほんとにいいのか?」
 大蔵司が馬鹿にした笑いを浮かべながら杖を拾う。でも、
「え? ……やめておく」
 杖を手にした途端、真顔に戻る。

「できないくせに。折坂だって帰せないくせに」

 夏奈が怒るのも理解できる。俺はなんでこの人から離れたくないのだろう。
 大蔵司がドロシーをにらんでいる。マジで第2ラウンドが始まりそう。

「やめやめやめ。……内宮だったらどうだろう?」
 俺だって折坂さんに戻ってもらいたい。

「もう入れてもらえない。私にそんな力がなかっただけ」
 大蔵司が杖を手から消しながら伏し目になる。

 力はある。台輔や鶏子と桃子をたやすく呼び戻すのを、この目で見た。足りないのは潜水夫。冥界の奥底まで潜る人。

「大蔵司に頼みがある。俺を冥界に送ってほしい」
「どうやって?」
「……さあ」

「哲人さんが潜るなら私も行く。だけど折坂は救出しない。代わりに暴雪や貪を倒してやる。だから私と哲人さんに陰辜諸の杖を向けろ。哲人さんが亀になったら冥界でもきっと泳げる」
「だったら九十九を返せ」
「いやだ」

 ……駄目だこりゃ。
 折坂さんには申し訳ないけど、やっぱり後回しだ。その代わり、俺は必ずあの闇へ潜る。

「私も桜井を追う。トイレ行ってから」
 落胆を隠せない大蔵司も部屋から出ていく。

 最後に残ったのは俺とドロシー。なのに時間切れだ。

「俺達も屋上へ行こう」
 もはやコンディションなど聞けない。それでも非常階段を歩きながら二人だけで話そう。

(つい)。でもパパのシャツに着替えて」

 そしたら上海へ行かない? 香港へ帰らない? ずっと日本にいてくれる?

「それと、これは返しておく」
 その手にお天狗さんの木札が現れる。「哲人さんを守ってもらいたいから。……山神の護符はまだ持っている。私が哲人さんを守るために」

 そう言ってくれるのなら、彼女に問いただすことなんて何もない。

「両方ドロシーが持っていて。お天狗さんはドロシーこそ守りたいみたい」
 夏奈に遠慮する木札。大蔵司にデレる木札。俺みたいな木札。
「お父さんの服だって喜んで着る。ドロシーとつながるものだから」

「へへ……。君とは心でたっぷりつながっている。だけど持っていて。もっと哲人さんとつながれる」
 お天狗さんの護符を無理やり手渡ししてくる。
「恥ずかしいからここでは着替えないでね」

「内宮の聖水で、この火伏せの護符も浄化されたかな」
「そんな必要ない」

 以前も言ったな。でも穢れると力が弱まってしまう。

「必要だよ。ドロシーが祈りを捧げれば」
「だから必要ない! はやく着て」

 断定されてムカついたけど、ここは彼女に従おう。俺は隣部屋に向かう。布団ぐらい畳めよ。女子が四人もいて。
 上着を脱ぎながら思う。俺が彼女に惹かれる理由。

 美人だから。俺のことを好きだから。

 それくらいで桜井夏奈に勝てるはずない。夏奈の大きな目。感情豊かな笑み。絵に描いたような天真爛漫。
 それに勝るドロシーの魅力はなんだろう。

 異国の人。たどたどしい日本語。ちがう慣習で育った違和感。

 そんなのはデメリットにしかならない。だったら俺が夏奈でなく彼女を選んだ理由。それは。

 滅茶苦茶だから。破綻しているから。人でない力をもつ不気味な人だから。
 誰もが辟易とする大声だから。気づくと黙っているから。
 暗いから。人のいない世界で、陰キャが頑張ってはしゃいでいるだけだから。
 たまに見せる優しさ。しょっちゅう見せる利己主義。
 人を憎み、人に怯えているから。……過去に囚われているから。
 そこから逃れるため俺にすがったから。

 俺と同じだから。でも俺は、使い魔にさえ読まれないほど心の奥底に――誰にも知られぬようにさらに奥、どん底にしまいこんだ。そして平然と生きてきた。

 いつか会う人にだけ打ち明けよう。聞いてもらいたい。そんなことは思ってなかったけど……。

 一緒にきれいさっぱり抜けだすため出会ったのかも。ともにあがくために。夏奈も川田も思玲も横根もドーンも劉師傅もアンディもフサフサも折坂さんも露泥無もみんな、藤川匠さえ巻き込んだうえに。……そうかもしれない。

 俺は思いだす。弱い自分に気づかされた日。いずれ会う大切な人を強く導くために、なんて思ってなかったにしろ。




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