二の一 木札を握っていた

文字数 3,082文字

 お天狗さんのメインイベントは、日付が二十二日になった瞬間に始まる祭事だ。執りしきられる祠宮へは、険しい山道を二十分ほど登り、急傾斜の長い石段の末にたどりつける。
 その夜は、参拝者は花火を合図に深夜の山道を登り始める。祭りの夜だけまばらに灯った道しるべのランプと、お天狗さんのお宮を目ざす懐中電灯。すこし離れた自宅から眺めれば、幻想的な灯し火だ。
 ふもとに行けば、凛とした如月の空気、少ないながらも屋台の賑わい、暖をとるための焚き火の匂い。ごく一部の人達だけが知る真冬の風物詩。

 その年は深夜の祭事にいく予定だった。初詣で高校合格をおもに願い、叶ったのならお祭りの夜にお礼に参りますと心でつぶやいたからだ。俺に無理やり連れてこられた弟もなにかを拝んでいたな。山腹に位置するお天狗さんからは、正月二日の澄んだ空と茶色い盆地がよく見えた。
 推薦入試も無事合格した。


 二十一日からの雪は何十年に一度の大雪となった。夜半の祭事は後日昼間に変更だそうだ。お天狗さんとの約束は果たせなかった。

 ***

 翌朝は土曜日だったので、父や弟と雪かきに精をだす。一段落したところで母が作った膜の張ったココアを飲みほし、汗でしめった雪かきスタイルのままでお天狗さんを目ざす。青い空と雪景色だけの世界のなか、車道の(わだち)をピチャピチャと歩くのは爽快だった。

 参拝口では今年の当番の人達がぼやきあいながら、潰れた屋台をほじくり返していた。俺は黄色のバーで通行止めの参道を横からすり抜ける。振り向いても誰も気に留めていない。雪の踏みあとは数歩でなくなった。

「よっしゃ、完璧一番乗り」

 中学生だった俺は喜びやがる。お天狗さんとの約束を半日遅れで果たす。そんな目的は瞬時にすり替わった。無垢の雪に足をあげて踏みだす。ズボリと嵌まる。かき分けて登るのは想像以上にきつかった。
 ブドウ畑を過ぎると、マウンテンパーカーの中が汗だくになる。膝下で絞った長靴の中はすでにびしょびしょだ。足の指がかじかみ痛い。……まだ四分の一も来ていない。遭難したら危ないなと言い訳を考えだす。

 つかんだ灌木が折れて、背中から転がり埋もれかける。雪が落ちて顔が埋もれる。
 一年生の夏の出来事が脳裏によみがえる。パニックを起こし這いあがる。心臓の鼓動が音漏れしそうだ。

「ヤバくね?」

 つぶやいてしまう。念のため、お天狗さんに行くと、弟と友人にメールしておく。
 振り返れば畑も町も真っ白だ。ここからの景色のために三十回は登っている。雪だらけであろうと、下界を見れば山腹のどの辺りか見当がついた。
 もうすこしだ。再びよじ登りはじめる。

 白い息の向こうに雪をかぶった鳥居が見えた。埋もれるように雪をかき分ける。曲がれば長く急勾配な石段だ……。
 雪はきれいに取り除かれていた。

「なんだよ。くそっ」

 すでに大人が林道経由(こちらにもイノシシよけのゲートがあるから一般車は入れず、遠回りでひたすら長いコース)で除雪していやがった。しかも完璧に。

 石段は雪のかけらもなく乾いているぐらいだ。最後の気力をふり絞って駆けあがる。
 こじんまりした祠宮に手をあわせ、賽銭箱に百円玉を入れる。お天狗さんのまわりもきれいに雪かきされていた。
 祭りの夜に参拝した人は、金札といわれるお守りを買えるはずだった。祭りの日限定の宮司さんも氏子総代もいるはずない。それでも俺は満足した。
 完璧なまでに雪かきされた石段と神社以外は、これまた完璧なまでの白銀の世界。修学旅行で見た京都のお寺の庭園みたいに、ここだけが存在している。まわりには踏みあとすらない……。

 誰がどうやってここまで来て、こんなにきれいに雪かきした? ……かいた雪はどこだよ。
 急に怖くなった。林道へ続く裏道なんて雪に隠されてどこにあるか分からない。それどころか、祠宮の屋根にも雪がまったくないのに気づいてしまった。

 お天狗さんの仕業だ!

 逃げだすように石段を降りる。

 *

 雪道に入るところで登ってきた一団とでくわし、おたがいに声をだしてびっくりする。ヘルメットをかぶった五人連れだ。それぞれがスコップを持っていた。

「君だったんだ。中学生? 一人で?」
 その問いにうなずくとお兄さん達がどよめく。怒られるかと思ったが、「低くても雪山は危ないよ」などと言われたくらいで、ほとんどの人は笑っている。残り酒の匂いが雪の中だとよく分かる。

「くだりはもっと危ないから一緒に下りようね」
 一人がそう言うと、俺を横にどかせて石段へと向かう。愕然とした顔で振り向く。
「これ、君がしたの?」

 俺は首を横に振る。

 ***

 ふもとの鳥居をでたところで、消防団の人達に合わせて山へと一礼する。
 家まで送るというので、大型四駆車の後部座席に乗りこむ。手袋をはずすと、木札が転がりでてきた。親指ほどの小さなものだ。
 どこで手にしたのだろう。こんなのが入っていたら邪魔だったはずなのに、なんで気づかなかったのだろう。
 札には解読不能の呪文のような字が両面に書いてある。汗や溶けた雪にもにじんでいない。

「俺らが二日酔いなのにあちこち雪かきして、迎え酒してまで雪ん中を登ったから、お天狗さんもご苦労さんって雪かきしたんずら」
 一番酒臭かった人が窓をすこし開けて一服しながら言う。

「いや、神様が松本君に感激して道を作ったのだろ」
 しらふの運転手がすべての窓を全開にしながら言う。「祭りの夜に誰も来なかったから、さみしかったのかもな」

 そのとおりかもと、俺は内心思う。お札をリュックの中へ無造作に放りこむ。

 *

 木札の存在はすぐに忘れた。一人暮らしを始める際に机を整理したら、久しぶりに日の目を見た。あの雪明けの日の出来事も三年ぶりに思いだす。なつかしいなと、一緒に登った連れのように感じる。

 三年間自分なりに尽くした結果だから受けいれよう。
 新しい日々には一緒に行こうぜと、母からのお守りとともに財布にしまう…………って、
 なぜ、お天狗さんなんか思いだした?



 夢から覚めたばかりみたいに、俺は手の中の木札を見つめる。熱く輝いているようだ。背中への日ざしもきびしくて体中が汗ばんでいる。
 いつからここにいたのだろう。目の前にある椅子に座る。テーブルを挟んだ向かいでは、桜井がぼうっとしていた。俺に気づき顔を向ける。彼女にヒマワリのような笑顔が咲く。

「たくみ君?」

 そいつは誰だよ。

 俺だと知り、わっとした顔であたふたする。それでもぎこちなく微笑みかけてくる。半年前に告白めいたことをしてから、俺に対する態度はいつもこうだ。

「暑いね」と、桜井はしかめ面をこしらえてそっぽを向く。シャツの胸もとをつまみ風を入れる。テーブルの上には古びた箱がふたつとウチワ、お茶のペットボトルもふたつ置いてある。
 桜井は台湾から帰ってきたんだ。俺は呼びだされて、喜び駆けつけた。彼女は前に会ったときよりもすこし日に焼けている……。
 桜井と二人きりかよ! (邪魔な)三石は今日から合宿まで里帰りだ!

「台湾は楽しかった?」

 彼女だけには、向かいあうと当たり障りのないことしか口にだせない。三石達には悪いが、4‐tuneには人目をひくほどの女の子は桜井しかいない。先輩でも露骨に狙っているのが数人いる。合宿に参加できないのがもどかしい。
 二人だけの今は、それまでに仲を変えるチャンスかも。

「楽しかった?」
 桜井がきょとんとする。いたずらっぽい笑みに変わる。
「聞きたい?」

 テーブルへと顔を乗りだす。なにから話そうかといった感じだ。俺は至福を感じだしている。




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