十二の三 青よりも黒く

文字数 2,948文字

「痛!」
 夏奈が悲鳴を上げる。「何これ……やばすぎ」

 怯えた彼女はなおも遠ざかる。はずれるから目論見だ。

「六魄、いるか?」目を閉じたまま声かける。「俺と夏奈を運べる?」

「この世界と接しないものに触れられない」
「龍の娘は杖を恐れて捨てた」
「なので触れられない」
「王だけならば運べる」
「だがここは人里離れている」
「ゆえに娘は朽ちて死ぬ。誰かが魂をすすりに戻る。へへ」

「なんだよそれは……」

 夏奈を救うために、なおも俺に自力で動けというのかよ。目も開けられないほど毒まみれなのに。燃える槍で貫かれたのに……。
 夜明け前の屋上を思いだせ。三羽の大カラスと楊偉天。あの時のがはるかに絶望だった。これくらい余裕であがけ。

「夏奈……」

 俺は立ちあがろうとして動かない。彼女の姿を見ようとして瞳が開かない。でも感じる。夏奈でなく杖を。忌むべき魔道具を……。
 俺は体を引きずる。杖へ這う。
 俺のしようとすることに魄達はコメントしない。懐の中で死者の書が固唾を飲んでいやがる。俺こそ強い。俺は閉じこめられた死者達に囚われない。だからお前達とは決別しない。

「異形除けの罠……。思玲が言っていたけど、あるのかな?」

 誰も返事してくれない。俺を見ているだけ。そうだとしても手を伸ばす。
 指先が杖に触れる。なにも起きない。手の中へ掻きこむ。なにも起きない。夏奈の血がかすかについたそれを握りしめる。

「夏奈……」握ったままで声をだす。

「えっ?」怯えた声が遠くでした。

「夏奈……。松本だよ。戻ってきてくれ」

 異形な俺だって使えるじゃないか。藤川匠め。ざまあって奴だな。でもここまで。俺は妖怪のくせに気を失う――。

「呼んだのに寝るな!」
「ぐえ!」

 脳天への容赦ない衝撃に、俺は即座に目を覚ます。
 霞む目で見あげる。自分の二の腕ほどの丸太棒を両手で持った夏奈が見おろしていた。あれで俺を殴ったのか?

「あんたが松本哲人だね? その杖をあんたが持っているから、あんたが見えるの? キモすぎる杖。なんで怪我しているの? ここはどこ? みんなはどこ? たくみ君はどこ? 千葉に帰らせろ」

 杖がないから、また俺を忘れたようだ。杖を持つ俺が見えるだけ。それはそれできついけど……藤川匠の所在を聞いたよな。つまり際どかった。土壁に運ばれた夏奈は、無条件に魔導師の生まれ変わりを受けいれただろう。
 なんであれ、俺は動けない。

「夏奈はじっとして、ひと晩ここにいよう。俺は夜には多少回復する」
「ざけんな!」

ぼごん!

 またも、ぼろぼろの俺を丸太で殴りやがった。しかも頭を、手加減せずに、感情込めて。さすが夏奈だけどゆるせない。でもゆるす。

「たくみ君が私を呼んだよね? お前が邪魔したな。さっきも杖を奪おうとして私を怪我させた」
 夏奈は丸太棒を振りあげる。「杖を返せ。そしたらもう殴らないでやる」

 この滅茶苦茶女は何様だ? お前が杖を捨てたのだろ。記憶がないとしても、二人の間に絆めいたものを感じてくれないのか?
 ……俺だってそうだった。青色の光が再び体内に入るまで、横根のことも川田のことも夏奈のことも忘れていた。その存在が消失していた。
 冥神の輪に破壊された四玉の箱は俺が持っている。それを開けたところで、青い玉は輝いていない。夏奈が龍に戻ることはないけど、記憶を取り戻すこともない……。
 青色。杖に仕込まれたトラップ。都合よきことだけを思いださせようとしやがった。杖の存在は峻計が知っていたのだろう。
 思玲が傷つけたはずの夏奈の右腕を見る。痕も残っていない。

「血が必要」俺は告げる。
「あん?」夏奈はぶっとい棒を構えたまましゃがむ。

「夏奈の血が少しだけでもついていたから、夏奈は俺が見える。でもそれだけ。……奴らと契ったから傷も消えた」
 体をかばうことなく、夏奈へさらす。
「この杖をもっと夏奈の血で濡らさないと、夏奈は真実を見つけられない」

「たくみ君の居場所が分かるの?」
「ああ」

 俺は嘘をつくのが平気だ。藤川匠も同類だから。
 峻計の計らいに乗り、奴は夏奈をこっちの世界に連れ戻そうとした。そして夏奈はあの男のすべてを受け入れる。偽りを真実と受けとめる。
 それに加担するものか。俺は俺のために、忌むべき杖をさらに血で濡らさせる。

「無理だよ。さっきだって悲鳴あげちゃったし、自分を傷つけるなんてできない。私、血が苦手だし」

 クーラーも苦手だし、嘘つくのも苦手だし、感情を隠すのも苦手だよな。
 そんな夏奈を真面目な横根は苦手で、真面目な川田は(人であったころは)露骨に嫌って、適当なドーンとは相性良くて、ずる賢い俺は無条件に受けいれたかった。

「俺も苦手……血だらけで化け物の俺って不気味かな?」

 夏奈はちょっと考えて、
「正直に言っていいの?」
 俺の返事を待つこともなく、
「松本はリアルに人の形をしていて、すげー気色悪い。身体が透けて血の色が黒なんてあり得ねー。でも置いていけない。それって分かるよね?」

 なんで置き去りにできないのか。夏奈の答えと違うけど、分かるに決まっている。
 俺達はなおもか細い線でつながっている。細いけど切れない糸。夏奈と藤川匠をつなぐ鎖に負けないほどに……。
 なんのために?

 なぜ別の人が目に浮かぶ。無条件に夏奈だけ思え。
 林に雨が垂れてきて夏奈が見上げる。異国の猿の鳴き声が遠くで聞こえた。
 俺の手に独鈷杵はよみがえる。
 夏奈があとずさる。

「怖がらなくていい。俺が夏奈に傷をつけてあげる。夏奈は目を閉じていればいい」
「怖いに決まっているよ……杖を返して。それだけあればいい」

 渡せば夏奈は俺を置いていく。夕闇が近づいて焦りだし、追いつめられて自傷する。そして藤川匠と二度と離れないほどにつながる。
 げほげほと、毒された黒い血を吐きだす。夏奈は目を背けるけど。

「松本哲人、死なないでよ。たくみ君が来れば助けてくれる。杖を返して」

 夏奈は俺に近づかない。さすが夏奈だ。危機察知能力。
 だけどね、俺と無理やりつなげてやる。

 俺は場違いなほどに鮮やかな青色の杖を、吐きだしたおのれの黒い血に転がせる。

「何やっているの……穢すな!」

 夏奈が俺へと飛びかかる。丸太棒を振り下ろす。
 弱りきった異形は転がったままでもたやすく避けて、左手に握ったままの独鈷杵を夏奈へ振り下ろす。法具の力で、むき出しの右腕を十センチに渡って切り裂く。
 深すぎた。加減などできない。

 肉の裂け目から血が流れだす。夏奈が狂気じみた悲鳴を上げる。

「ごめんね」

 俺である異形は感情のままに桜井夏奈を押し倒す。のしかかる。俺の血で穢れた杖に夏奈の赤い血をさらにまとわせる。

「これを握って」
「やだ。たくみ君助けて!」

 夏奈は拒絶する。湿った森の土の上で、泣き喚いて俺から逃げようとする。その手を抑えこむ。
 俺の指先は消えかかっているじゃないか。そうだとしても、ただただ俺は必至。黒い血と赤い血に汚されて青が消えた杖を、強引に彼女の手のひらへ押し込む。



「松本君?」
 夏奈が俺を見る。
「……思いだせたよ。私を大好きで私も大好きな松本君だ。死なないでよ」

 血まみれ泥まみれの夏奈の瞳に涙があふれだす。安堵した俺は彼女の上にぶっ倒れる。




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