一の三 お前を置いて帰らない
文字数 3,088文字
「な、なんで? なんのため?」
横根が椅子の中の体を桜井から遠ざける。
「邪魔になるお守りがあるか調べるの」
桜井の返答に沈黙が流れる。どこかでカラスが鳴いている。
「さすがに引いてきた」
ドーンの顔色が変わった。あいつはでかいだけと、隣町の公園で白人留学生と1オン1の勝負に切りこんだときの面 だ(負けはしたが)。
「でも見せてやる」
ドーンが立ちあがり、掲げた右足をテーブルの上に落とす(こいつの身体能力なら普通だ)。足首には色あせたミサンガが巻いてあった。三年目突入と、春休みにスーパー銭湯で自慢した奴だ。
「それってお守り? 確認はするけど」
棒読み能面の桜井がそそくさと木箱を開ける。固唾を飲む前に中身が見えた。青錆びた金属製の箱が入っていた。
「あつっ!」と俺は立ちあがる。
桜井が俺を凝視する。
「こ、この椅子が炎天下にあったからだよ。今日も気温は体温超えだし」
俺は咄嗟に言う。さっきから熱を持つものに感づいてきた。
「ふーん」
桜井は無表情のうなずきだから、なにを考えているか分からない。
「せっかくだから和戸君のを調べよう。この上に足をあげて」
ドーンは苦笑いで、俺の肩を支えに足を箱へとかかげる。
「その紐、熱くない?」
桜井は言うけど、俺の財布こそ焼けるほどだ。
「ちっとも。もう降ろしていい? 足短いから疲れるし」
ドーンは小馬鹿にした口調だけど……尻が燃えだした! ドーンの手をはらい、後ろポケットから財布をだす。
「やっぱりね。そんなのお守りじゃなかった」
「ざけんなよ!」
「み、みんなゲンかつぎだよ」
横根がドーンの顔色を見て、カバンからポーチをだす。
「私のはお土産とかだけど、三つも持ち歩いている。そんなのも見たいの?」
「そりゃ見るし。この上にかかげて」
「恋愛運っぽいのもあるけど笑わないでね」
女の子二人の会話を聞きながら、俺は財布の中身を確認する。コンロの上のやかんみたいなのに、なぜか手で持てる……。カード差しの中が白く光っていた。そこが沸騰している。そこにはお札を突っこんである。
「瑞希ちゃん、かわいいお守りだね。桜井、お守りがなにかだとなにかあるのか?」
「お守りが本物だったら、熱を帯びて持ち主の手から離れさせる。それが危ないものだったら、光を帯びて知らしめさせる」
「いい加減、AIみたいな喋りをやめろ」
川田と桜井の会話が耳に入り、みんなに背を向ける。目ざといドーンも俺に注意を向けてこない。
「カッ、楽しすぎだし。でも、このミサンガは想いが詰まった本物なんだよ」
「本物だったら立ち去ってもらうだけ。カラス達が許さないかもしれないけど。でも、偽物ばかりらしいから安心して」
「偽物だろうと立ち去ってやるよ」
ドーンの憤慨も聞きながしてしまう。
俺の財布にお守りはふたつあるけど、地元の神社のものだけが白く発光していた。その小さな木札をおそるおそるつまむ。熱いのに熱くない。実体のない熱?
「瑞希ちゃんのもOKだ。川田君と松本君も見せて」
「俺はお守りなんか持ってないが、どっちにしろこれ以上付き合えないな。お前こそ頭冷やしに帰るべきだぜ」
川田も桜井にあきれている。でも俺には分かる。桜井は違う世界に引きずりこまれたと、このお守りが教えてくれた。
はやく逃げだせと。
「桜井はおかしくない!」
俺は逃げださず、テーブルへと振り返る。「これを見ろ」
木札をテーブルの中央に突きだす。彼女は台湾でなにかに憑りつかれた。そこから救うのは俺だと信じて……。
「松本君、面白い」横根が無理したように笑う。
「なんだ、松本君のも偽物ね」桜井も感情のない声をだす。
俺は指さきを見る。交通安全と刺繍された原色に金文字のお守りがあった。母親の自治会旅行のお土産だ。発光も熱もない。
「じゃあ始めるね」桜井が四人を見まわす。
「……なにを?」俺は動揺を隠せない。
「みんなに渡す」彼女が俺を見る。「一人だけ抜けられるね」
三人は誰かがやめると言いだすのを待っている。桜井は無表情無感情のまま俺を見ている。
くそっ、
「俺は抜けない!」
叫んでしまう。照れ隠しみたいにお守りを財布にしまう。木札はうっすら光りながらひそんでいた。
学業運恋愛運、俺の願いなど叶うはずないただの小さな気休め。だけど、これを手に入れた冬の日を思いだす。雪の中のかき分けられた長く急な石段……。ただのお守りであるはずない。だから持ち歩いた。
ドライヤーの先端ぐらい熱くなったそれを、今度こそ確実に抜きだす。お天狗さん守ってくれよと念じながら。
「……その気概だよな」
川田が立ちあがる。ドーンの後ろを歩き、俺の肩をがしりとつかむ。川田の熱が汗ばんだTシャツごしに伝わる。俺の耳に口をよせ、
「ガキの頃、俺のごく近い奴もいかがわしい宗教にはまった。人間が180度変わった。そんなの家族と知人の熱意で抜けだせる。もちろん俺も仲間だから協力する」
ついで川田は横根の背後をまわり、こっちを向けと桜井を見おろす。彼女の細い両肩に手を乗せる。
「帰れと言われようが、お前を置いて帰らない。そしてお前は、松本に守りたい人がいることに気づいてやれ」
なんてセリフだ。俺のが赤面してしまう。
「カカッ、やっぱ川田は最高」
ドーンにはうける。こいつは機嫌を戻すきっかけを待っていた。こいつも川田が好きだから、このサークルを続けている。
つまりドーンも帰らない。
「大げさだよね」
横根が俺へと戸惑った笑みを向ける。
誰もが勘違いしている。これは生やさしいものではないと伝えるべきだ。……桜井を選んだ俺は言いだせなかった。
*
東京はカラスが減ったと聞いていて実際そのとおりだった。なのに群れで騒がしく飛んでくる。俺達の頭上を越えて、さきほどまでいた図書館に降りていく。
桜井が川田の手をはらう。
「始めよ。誰が必要とされるかは玉が決めると思う」
彼女が再び箱に手を伸ばす。目を見ひらき、なにかに押されたかのようにうつ伏す。
向かいに立っている俺からは、桜井の向こうに眼鏡をかけた長髪の女性が見えた。こちらへと片手を伸ばし、もう片方の手を斜め上へ曲線を描くようにかかげている。
その振る舞いは、高校の修学旅行で見た京劇の亮相 のようだ(『旅の思い出』のテーマに京劇を選んだから、亮相なんてマニアックな言葉も独学した。日本の歌舞伎で例えるなら、それは見得 だ)。
「夏奈ちゃん、大丈夫?」
横根が怯えと辟易が混ざった声をかける。
桜井はすぐに顔をあげる。向かいの俺をぽかんと見る。
「私なにしてたっけ?」
桜井の言葉に感情が戻った。照れ笑いで四人を見わたす。
「そっか、みんなにプレゼントだった。みんなラッキーだね!」
いたずらっぽい笑みへと変わる。
「で、これが四玉!」
もったいぶることもなく、青銅色の箱を開ける。同時に白目をむく。さきほどの女性がまた中国風の見得をきっていた。手にしたなにかを俺達へと突きつけている。
箱の中では、黄色い布の上で四個の玉が光っていた。ゴルフボールより若干小さいぐらいだ。黒、白、赤、そして青色に輝いている。
うわ! 黒い光が俺へと飛んできた。光は目の前ではじかれたようにV字に曲がる。
俺と桜井以外の悲鳴があがる。手の中の木札がさらに熱を帯びたが、かまわず強く握りしめ……
…………えーと。
中学三年生の二月二十二日は、明け方までの大雪で町は白く輝いていたよな。生まれ育った地区のお祭りが、毎年この日におこなわれるから覚えている。山奥の無人の小さな神社同様に、お天狗さんとだけ呼ばれる小さな祭り。
あの日は、
次回「木札を握っていた」
横根が椅子の中の体を桜井から遠ざける。
「邪魔になるお守りがあるか調べるの」
桜井の返答に沈黙が流れる。どこかでカラスが鳴いている。
「さすがに引いてきた」
ドーンの顔色が変わった。あいつはでかいだけと、隣町の公園で白人留学生と1オン1の勝負に切りこんだときの
「でも見せてやる」
ドーンが立ちあがり、掲げた右足をテーブルの上に落とす(こいつの身体能力なら普通だ)。足首には色あせたミサンガが巻いてあった。三年目突入と、春休みにスーパー銭湯で自慢した奴だ。
「それってお守り? 確認はするけど」
棒読み能面の桜井がそそくさと木箱を開ける。固唾を飲む前に中身が見えた。青錆びた金属製の箱が入っていた。
「あつっ!」と俺は立ちあがる。
桜井が俺を凝視する。
「こ、この椅子が炎天下にあったからだよ。今日も気温は体温超えだし」
俺は咄嗟に言う。さっきから熱を持つものに感づいてきた。
「ふーん」
桜井は無表情のうなずきだから、なにを考えているか分からない。
「せっかくだから和戸君のを調べよう。この上に足をあげて」
ドーンは苦笑いで、俺の肩を支えに足を箱へとかかげる。
「その紐、熱くない?」
桜井は言うけど、俺の財布こそ焼けるほどだ。
「ちっとも。もう降ろしていい? 足短いから疲れるし」
ドーンは小馬鹿にした口調だけど……尻が燃えだした! ドーンの手をはらい、後ろポケットから財布をだす。
「やっぱりね。そんなのお守りじゃなかった」
「ざけんなよ!」
「み、みんなゲンかつぎだよ」
横根がドーンの顔色を見て、カバンからポーチをだす。
「私のはお土産とかだけど、三つも持ち歩いている。そんなのも見たいの?」
「そりゃ見るし。この上にかかげて」
「恋愛運っぽいのもあるけど笑わないでね」
女の子二人の会話を聞きながら、俺は財布の中身を確認する。コンロの上のやかんみたいなのに、なぜか手で持てる……。カード差しの中が白く光っていた。そこが沸騰している。そこにはお札を突っこんである。
「瑞希ちゃん、かわいいお守りだね。桜井、お守りがなにかだとなにかあるのか?」
「お守りが本物だったら、熱を帯びて持ち主の手から離れさせる。それが危ないものだったら、光を帯びて知らしめさせる」
「いい加減、AIみたいな喋りをやめろ」
川田と桜井の会話が耳に入り、みんなに背を向ける。目ざといドーンも俺に注意を向けてこない。
「カッ、楽しすぎだし。でも、このミサンガは想いが詰まった本物なんだよ」
「本物だったら立ち去ってもらうだけ。カラス達が許さないかもしれないけど。でも、偽物ばかりらしいから安心して」
「偽物だろうと立ち去ってやるよ」
ドーンの憤慨も聞きながしてしまう。
俺の財布にお守りはふたつあるけど、地元の神社のものだけが白く発光していた。その小さな木札をおそるおそるつまむ。熱いのに熱くない。実体のない熱?
「瑞希ちゃんのもOKだ。川田君と松本君も見せて」
「俺はお守りなんか持ってないが、どっちにしろこれ以上付き合えないな。お前こそ頭冷やしに帰るべきだぜ」
川田も桜井にあきれている。でも俺には分かる。桜井は違う世界に引きずりこまれたと、このお守りが教えてくれた。
はやく逃げだせと。
「桜井はおかしくない!」
俺は逃げださず、テーブルへと振り返る。「これを見ろ」
木札をテーブルの中央に突きだす。彼女は台湾でなにかに憑りつかれた。そこから救うのは俺だと信じて……。
「松本君、面白い」横根が無理したように笑う。
「なんだ、松本君のも偽物ね」桜井も感情のない声をだす。
俺は指さきを見る。交通安全と刺繍された原色に金文字のお守りがあった。母親の自治会旅行のお土産だ。発光も熱もない。
「じゃあ始めるね」桜井が四人を見まわす。
「……なにを?」俺は動揺を隠せない。
「みんなに渡す」彼女が俺を見る。「一人だけ抜けられるね」
三人は誰かがやめると言いだすのを待っている。桜井は無表情無感情のまま俺を見ている。
くそっ、
「俺は抜けない!」
叫んでしまう。照れ隠しみたいにお守りを財布にしまう。木札はうっすら光りながらひそんでいた。
学業運恋愛運、俺の願いなど叶うはずないただの小さな気休め。だけど、これを手に入れた冬の日を思いだす。雪の中のかき分けられた長く急な石段……。ただのお守りであるはずない。だから持ち歩いた。
ドライヤーの先端ぐらい熱くなったそれを、今度こそ確実に抜きだす。お天狗さん守ってくれよと念じながら。
「……その気概だよな」
川田が立ちあがる。ドーンの後ろを歩き、俺の肩をがしりとつかむ。川田の熱が汗ばんだTシャツごしに伝わる。俺の耳に口をよせ、
「ガキの頃、俺のごく近い奴もいかがわしい宗教にはまった。人間が180度変わった。そんなの家族と知人の熱意で抜けだせる。もちろん俺も仲間だから協力する」
ついで川田は横根の背後をまわり、こっちを向けと桜井を見おろす。彼女の細い両肩に手を乗せる。
「帰れと言われようが、お前を置いて帰らない。そしてお前は、松本に守りたい人がいることに気づいてやれ」
なんてセリフだ。俺のが赤面してしまう。
「カカッ、やっぱ川田は最高」
ドーンにはうける。こいつは機嫌を戻すきっかけを待っていた。こいつも川田が好きだから、このサークルを続けている。
つまりドーンも帰らない。
「大げさだよね」
横根が俺へと戸惑った笑みを向ける。
誰もが勘違いしている。これは生やさしいものではないと伝えるべきだ。……桜井を選んだ俺は言いだせなかった。
*
東京はカラスが減ったと聞いていて実際そのとおりだった。なのに群れで騒がしく飛んでくる。俺達の頭上を越えて、さきほどまでいた図書館に降りていく。
桜井が川田の手をはらう。
「始めよ。誰が必要とされるかは玉が決めると思う」
彼女が再び箱に手を伸ばす。目を見ひらき、なにかに押されたかのようにうつ伏す。
向かいに立っている俺からは、桜井の向こうに眼鏡をかけた長髪の女性が見えた。こちらへと片手を伸ばし、もう片方の手を斜め上へ曲線を描くようにかかげている。
その振る舞いは、高校の修学旅行で見た京劇の
「夏奈ちゃん、大丈夫?」
横根が怯えと辟易が混ざった声をかける。
桜井はすぐに顔をあげる。向かいの俺をぽかんと見る。
「私なにしてたっけ?」
桜井の言葉に感情が戻った。照れ笑いで四人を見わたす。
「そっか、みんなにプレゼントだった。みんなラッキーだね!」
いたずらっぽい笑みへと変わる。
「で、これが四玉!」
もったいぶることもなく、青銅色の箱を開ける。同時に白目をむく。さきほどの女性がまた中国風の見得をきっていた。手にしたなにかを俺達へと突きつけている。
箱の中では、黄色い布の上で四個の玉が光っていた。ゴルフボールより若干小さいぐらいだ。黒、白、赤、そして青色に輝いている。
うわ! 黒い光が俺へと飛んできた。光は目の前ではじかれたようにV字に曲がる。
俺と桜井以外の悲鳴があがる。手の中の木札がさらに熱を帯びたが、かまわず強く握りしめ……
…………えーと。
中学三年生の二月二十二日は、明け方までの大雪で町は白く輝いていたよな。生まれ育った地区のお祭りが、毎年この日におこなわれるから覚えている。山奥の無人の小さな神社同様に、お天狗さんとだけ呼ばれる小さな祭り。
あの日は、
次回「木札を握っていた」