三の二 こいつの名は王思玲
文字数 1,919文字
「また箱をしまえば、俺と桜井は人に戻れるのですか?」
「そのためのファーストステップだ」
女は簡潔に答えるだけだ。俺は彼女が手に持つ扇をうかがいながら近寄る。そういや、でかい犬も椅子にうずくまった白猫も、足もとで騒いでいたカラスもいない。
箱の中では、きれいだった青い玉が他の三つと同じ味気ない透明な玉になっていた……。かすかに淡いスカイブルーが残っている。それが太陽を照りかえす。
「これを作った老人は卑劣だ。魔道士封じの罠が間違いなく仕込まれている。ゆえに私は触れられない。貴様が箱をふさげ」
「その罠は俺には大丈夫ですか? また爆発しませんか?」
刃物を振りかざした人間の言葉を疑うに決まっている。「それと、貴様って呼ぶのはやめてもらえませんか」
それ以外にも乱雑な中国語が心に飛びこんでくるので、たまったものではない。
「物の怪にきく術が隠されていたら玉が作動できぬだろ。妖怪と化した貴様が実在するものに触れられるかを心配しろ」
こいつは人の話を半分も聞かず小馬鹿にするだけだ。
「しかし貴様は胆が座っているな。異形に堕ちたら誰もが取り乱す。気がおかしくものさえいるのにな。やはり正味が物の怪ではあるまいな?」
耐えられない。彼女と同じ目線まで浮かぶ。
「命令はやめてください。さきに俺をもとに戻してください。そしたら、いくらでも協力します」
「それができるのなら、とっくに戻している。その玉に触られるのなら、とっくに木箱におさめている。私は、この忌々しいからくりを作ったものよりはるかに力も術も劣る。要するに踏みつぶされたタンポポ程度に過ぎないからな」
高飛車に自虐されても対応に困る。ふいにお姉さんが目をそらす。
「じきに我が師がこの地においでになる。その圧倒的なお力ですべては解決する。貴様のこともな」
また俺へと目を向ける。「それまでは、貴様みたいなものに助けを乞うしかないのだ」
椅子に座りこみ途方に暮れていた彼女を思いだす。その彼女より俺はなにも知らない。
俺は木箱にふわりと降りる。
「協力して欲しければ、貴様呼ばわりするのはやめてくださいね」
嫌味に笑ってやる。
*
箱には普通に触れられた。自分の手が見えなくても感覚で金属のふたを閉じ木箱に収める。閉ざした箱を突きだしたら、のけぞって嫌がる。お前が持っていろなどと言う。それこそ邪魔だ。
「服の中にしまえ。その木札も隠しておけ。今のままでは、どちらも人の目には浮かんで見えるからな」
俺にも浮いて見えるけど、俺は服を着ているのか。妖怪にしては上出来だ。感覚で懐に入れると木箱が消えた。木札はポケットに入れようとするが消えない。どうやらポケットのない服らしい……。
財布やスマホはどこだ? 人間に戻ってから心配するしかない。木札も懐中にしまう。それも消える。
「なんと気配まで。まるで姿隠しだな」
彼女は一段落したように息を吐きだす。「ところで、お前の名は哲人でOKだな?」
自己紹介などしていない。
「なんで知っているのですか? 俺の心を読んだのですか?」
「お前の足もとに鴉がいただろ。あれがお前を、哲人、哲人と呼んでいたからだ。妖術など使うものか。私は魔女でない」
彼女は椅子を蹴とばしてどかし「私の名は王思玲。箱も隠せたところで、哲人も仲間に会わざるを得ないな。狼狽するなよ」
王思玲だかがテーブルの下に向かって扇をあおぐ。同類の気配があふれだす。さきほどの黒犬が狭苦しそうに横たわるのが見えた。寝息をたてている。
その前足にもたれて、白猫が丸く眠る。その手前では、カラスが足を上にひっくり返った姿勢でいた。生きているのか確信は持てないけど、足もとにいたカラス?
「玄武くずれは、蛇でも亀でもなく黒き獣と化した。それほどまでに、この者の血潮は熱いのか。それとも温かいのか」
わけの分からぬことを言いながら黒犬を扇で差す。猫へとずらす。
「白虎もどきは、ありきたりだが白猫に転生だ。こいつらは狼狽していたがゆえ、私の術で落ち着かせた」
彼女が二匹の頭を撫でたのを思いだす。
「台湾で色々あってな。どうしてもこいつを触れなかった」
カラスを扇でしめす。
「哲人が消えて、こいつの動揺はきわまった。俺は和戸駿だと、道行く学生どもに騒ぎだした。ゆえに少々荒い術で眠らせた。……この鴉がまさかの朱雀のなり損ないだ。和戸という奴は、よほどのへそ曲がりか?」
扇をひろげ、パシリと音をたて閉じる。
カラスが転がり起きる。羽根を上にしてうずくまり、きょろきょろと見まわす。
彼女はカラスを避けてしゃがみ、犬と猫にやさしく声をかける。寄り添い眠る犬と猫が、ゆっくりと目を開けた。
次回「畜生どころか座敷わらし」