十六の二 弱みをさらせ

文字数 3,015文字

 モモンガかムササビの影が上空をよこぎる。

「今回もちょっとだけ座敷わらしになったよな。あれは意識してなのか?」
 ヨタカが俺の頭にとまる。誇張でなく、ずっと覗いていやがったのか。手で追いはらう。
「邪険にするなよ。それに松本も変げしたほうがいい。臨機応変だ」

 たしかに人の明かりとか心配する必要はないけど、わざわざか弱い妖怪になど……。琥珀から聞いた。楊偉天は座敷わらしである俺を恐れた。

「頭に乗っていい」俺は露泥無に言う。「代わりに教えろよ。座敷わらしの力ってなんだ。助けを求めたり、幸運を呼ぶ以外に」

 ヨタカが頭に着地する。

「おなじ新月系のよしみで教えてやるよ。それはハイリターンだ」
 キョキョキョと笑いながら言う。
「一例として、人に救われたとする。すると、その倍の力をその人間に渡す。物理的な力ではないけどな」

 ……かすかに覚えている。図書館で思玲が、半月の下では劉師傅も言った。俺を胸に抱いたら心に強さが戻ったと――。その程度の力こそ、楊偉天が恐れるはずない。

「哲人が新月なら、ゴンゲン様は満月かい?」

 フサフサが話に割りこむ。大学そばの神社のことだよな。夕立のあとに、みんなが揃いなおした場所だ。

「はあ? 意味分からないけど……。だから、あの界隈にきわものが集まったのかな。フサフサ。あの鴉。あの野良犬」
 ヨタカが答える。

 さすがに俺でも分かってくる。異形はふたつの系統に分かれる。満月系とは、ドロシーが言うけだもの系。新月系とは物の怪系。四神くずれは満月系だから、みんなが力を発揮できるのは二週間も先だ。……大カラスもだろうな。一方で新月系は、俺に琥珀に露泥無。
 明日の夜、こいつらはまさに力が増大する。おそらくロタマモとサキトガも――。

「あいつは?」俺は露泥無に尋ねる。

「峻計は両方だ。あいつは楊偉天により魔物が異形と化した。土壁は満月だ」

 野良犬は人の形となり、呼び名が少しだけ変わった。

「僕からも質問したい。――日月潭で祭凱志(ヂィカイチ)が劉昇達に敗れて死んだ。話を聞いているか?」

 そんな名前は初耳だ。

「ハラペコ。静かにしろ」
 川田が立ちどまる。

ホワ、ホワ、ホワ……

 尾根の上から笑い声が聞こえた。

「挑発か」ケビンが言う。「雅は賢い。こちらの意図はばれたな」

 反対側からもハイエナの声が返ってくる。マジで挟まれている。

「奴らはどうでると思う?」
 川田が俺に尋ねてくる。

「僕が教えてやる」露泥無が答える。「狼はこっちの陣営を確認して、勝ちきれないと判断した。後の先、もしくは先の先を狙っている」

「逃げようとしないのかね」
 フサフサは真顔だ。

「そうなんだよねえ」
 ヨタカは首をかしげていそうだ。「逃げてもおかしくないのに……」

 漆黒の谷底で、異形達はしばし黙りこむ。

「俺達が後の先をとる」屈強な魔道士が声をだす。「隙をつくるために二手に別れる」

 ……そう来たか。ならば俺はケビンと一緒がいい。別れるのは露泥無だけだ。

「だったら私はあんたと行くよ」
 フサフサがケビンに言う。「哲人とリクトは旧知だ。一緒に動きな」

 さすがフサフサ。それこそベストチームかも。俺は川田といるべきだ。

「手負いの獣を離すわけにはいかない」
 ケビンがきっぱりと言い、俺を見る。
「お前は猫を抑えられるし、猫はお前を助けられる」

 組分けが決まってしまった。川田はどや顔だ。Aチームのつもりでいやがる。

「僕も手負いの獣を監視する」
 露泥無がケビンへと飛びたとうとする。

「猫と旧知だろ。お前はそっちだ」
 男はまたきっぱりと言い、ヨタカは俺の頭にしぶしぶ居座る。
「お前達は林に入れ。俺達は沢で身を晒す」

 ……この人、大事なことを忘れているよな。

「ケビンさん。天珠のそばから離れると、使い魔に狙われるかも」

 苦悶の魂を残して死んだアンディを思いだす。誰も天珠をもつ俺から離れるべきではない。寄こせと言われたら拒絶するけど。

「一人でいる俺を狙う理由がない」
 ケビンはそう言うとしゃがむ。川田に、上流と下流のどちらを目ざすべきか聞いている。やがて立ちあがる。
「こいつをどうやって人に戻すつもりだ」

 俺に聞いてくる。川田のことだ。分かるはずない。

「女の子二人を取りもどしてから、みんなで考えます」
「その二人はどうやって人に戻す?」
 畳みかけてくる。

「龍に人の心を取り戻させて、四玉を怯えさせます」
 これぐらいはやってやる。
「もう一人は、使い魔達を倒して(こいつらだけは消す)、そいつらの主人を説得して……」

 こっちの道のりが険しすぎる。しかも、あのコウモリがそろそろカウントダウンを始めそうだ。

「どちらも至難だな」
 ケビンが槍を手に現す。
「さきほどの話だが、妖魔だからこそ関わらぬ者を無作為に殺せまい。だが俺の心を弱めようとするかもしれない。関わってしまった仲間を惑わせるために」

 ならば天珠を渡せと言わないで欲しい。そしたら露泥無に食べさせよう。

「ならば俺の話を聞け」ケビンが言う。「心の弱みはさらせば、もはや弱みでなくなる」
 闇の中で男が槍先を見あげる。


 *****


 俺の名前は黄虎剡(ホワンフーイェン)東莞(トングァン)のスラムに生まれた。父も兄も妹も屑だった。全員を捨てた母もドランカーの屑だった。俺はさらに屑だった。俺は眠った力を使って、若い屑どもの頂点にいた。人を何人か殺し殺させ、女を何人も犯し犯させた。
 地獄に落ちるべき屑を、この力のためだけに魔道団は拾った。これは団員の誰もが知っていることだ。そして俺は死ぬために生き続け戦う。いつか死ぬまで、人のために戦い続ける。だから悔いない。悔いなき者を責めようがない!


 露泥無と川田も聞き入っている。フサフサは爪で爪の手入れをしている。ケビンは槍へと語りつづける。


 ひとつだけ卑しいものに突かれることがある。二十三歳のとき、女が香港に来た。見せしめの公開私刑のはずが、あの女はぼろぼろになりながらも戦い続けた。上の奴らが、俺も戦えと言った。俺は扇を持たないのにだ。さきに敗れたアンディとシノが貸そうとした。俺は断った。素手で戦おうとした。それを見て、あの疲れはてた女は扇を地に投げた。お前だけ槍を持てと笑った。上の者にうながされ、俺達は魔道具なしで戦った。
 なにも持たぬ女は印を結んだ。加減されても強烈であった。俺は術を使うことなく、彼女を押し倒した。吐息と汗だけを感じた。
 俺は女から離れた。これでは屑のときと同じだから。だから俺は槍を手に現した。彼女も扇を拾った。
 あの日から、汗と吐息と押し伏した顔を思いだすたびに、俺は十四五のガキのように眠れぬ夜を過ごした。屑どもに恐れられた黄虎鬼様が。……そうだ、俺は鬼と呼ばれていた。
 俺は衛兵でもあった。あの女を、茶会の屑どもの背後で見ていた。媚びた顔も、開き直った顔も、安堵した顔も、すべて焼き付いている。いまも焼き付いている。
 あの女を信じるために、この異形どもを信じる! だから式神でもない異形を引き連れる。魔道士にありがたき行為を責めても、黄虎鬼の胸には届かない!


 *****


「俺は秘めるべきことが少ない」
 ケビンの心の決壊がおさまる。
「面白おかしく言いふらせ。つけいられる隙がなくなる」

 男が岩のような背中を向ける。かける言葉なんてない。この男の心をとらえた思玲……。

「松本」
 川田は俺を見あげていた。
「俺には隠すべきものがない。守るべき過去がない。…俺はどこから来た?」




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