六十四の二 野郎どもの戦い

文字数 4,910文字

サワ……

 森が鎮まりだした。樹海の木霊だって月神の剣を恐れる。

「口の悪い熊だ。ウンヒョクは躾けておけ」
 デニーが雕の上に銀丹の残りを吐きだす。

「黒乱は犬だよ。飴がお口に合わなかったか?」
「喉に詰まって死にたくないからだ。これで柴犬の予言ははずれる」

「黒乱、虎はどこだ?」
 俺には魔道士二人みたいに余裕はない。

「ここから逃げたみたい。生まれ変わりからかな」

 俺達が夏奈達のもとへ戻れるはずなかった。白虎が恐れる藤川まで引き連れてしまう。

「冥界に潜んだか?」今度はデニーが尋ねる。

「ううん。ドロシーちゃんのところだと思う。助けてもらいたいのかな」

「暴雪がドロシーにすがる?」
 聞きなおしてしまう。あり得るのか?

「それはない」
 頭上の男が即座に否定した。
「夏奈を奪いに向かったのだろ。……松本のせいで何もかもぐちゃぐちゃだ。夏奈を魔女からこそ取りかえさねばならないのに、いつもいつも入り乱れての戦い」

「お前が乱入者だろ。乱戦を嫌うなら俺とだけ戦え」
 俺は鶏子から降りる。俺がこいつを足止めする。

「ふっ、松本より節操ない白虎のとどめを刺したかった……。邪魔するお前達へ一度だけ警告する」
 空に浮かぶ青白い光のもとで、藤川匠が俺達を見おろす。
「お前達は一人を除いて魔女に取り込まれた。紫毒で狩りをする者は逃げ帰れ。もう一人も改心を心がけろ。そうすれば命を奪わない。殺すのは松本だけだ」

 二度も殺されてたまるか。

「奴の望みどおりにしよう。二人は夏奈のもとへ向かって」
 そして大蔵司を守ってもらう。俺は一人で藤川匠を躾ける……。剣の一振りで俺の首は断たれた。あれを避ける方法はあるのか。

「哲人だけじゃ瞬殺されるよ。そしたらドロシーちゃんは冥界へ助けにいっちゃう。そのあいだに、みんなが暴雪と生まれ変わりにやられるよ」

 なんていう推察をする子熊だ。しかも想像できる直近の未来だ。

「奴は俺達の回答を待っているのか? 呑気だな」
 薄ら笑うデニーの手に冥神の輪が現れた!

 隣でびびりまくる俺に気づくことなく、それは投じられる。
 雕もびびる。黒乱もびびる。鶏子もコケコッコー。
 ペガサスだけが落ち着いたまま避ける。

「式神がいると使いづらい魔道具だな」
 デニーが戻ってきた輪を手から消す。「松本がいてもな」

 笑いやがって……ドロシーのせいだ。藤川に奪われたら俺は終わりだ。人間に戻りたくなった。

「お前の回答はこれか」藤川の声は醒めている。「もう一人はどうだ?」

「俺は人を殺したことがない」
 鶏子に乗ったままのウンヒョクがつぶやく。「あいつを殺さないとならないのか」

「私はある」デニーが答える。「松本もだ」

「ああ。たしかに俺が楊偉天を殺した」
 そう答えるしかない。法董とも張麗豪ともお互いに殺す気で戦った。
「だけど愛する人に誓って、二度としない」

 それに藤川匠はあいつらと違う。悪であっても邪ではない。それだけは間違いない。
 天上から失笑が聞こえた。

「松本のためらいを感じたよ。それがお前の弱さであり強さだよな。それが強い二人を――夏奈と魔女を惹きつけた。でもそろそろ臨界点ではないか」

「雕なにをしている? 跳ねて攻撃しろ。鶏子もだ」
 デニーが言う。「誰も藤川の言葉に惑わされるな」

「僕は警告していると言った。いつ戦いを再開してもいい。でも、このままだと何が起きるかを知っておけ。……人々は凄惨な朝を迎える。すべての存在への邪悪な敵を知る」
 藤川の声は静かなままだ。
「感情を制御できないから魔女だ。仲間を仲間と思わないから魔女。松本なら経験しているだろ」

 新月最後の戦い。窮地のなかで、ドロシーは純度百の白銀を輝かせた。峻計達も仲間達も溶けかけた。

「ドロシーはあのときと違う。彼女は」
「松本聞くな。答えるな」
 デニーに押しとめられる。

「彼女は強くなったと言いたいのだろ。だが真の力はこれからだ。……魔女が目覚めたら、僕はいなくなる。夏奈も。誰もがいなくなる。松本は生き延びる。そして魔女の機嫌をとるため異形のままで生きる。それでも魔女についていけず逃げだす。そして殺される」

「……ざけんな」
「松本! 奴の言葉に怯えるな」

 そう言うデニーだって頭上をにらむだけだろ。

「ははは、俺もデニーも死ぬっていうのか?」
「ウンヒョクも聞くな。問答はいらない」
「いいやデニー。こいつの話は魔女よりも滅茶苦茶だ。もちろんドロシーちゃんがそんな存在であるはずないけど……ないと思うけど、ともかくだ。藤川本人も死ぬのだろ? だったらお前こそ逃げ帰れ。まだ二十歳だろ? すべて忘れて青春しろよ」

「最悪の展開を言っただけだ。僕とフロレ・エスタスがいればサタンさえ倒せる。警告は以上だ。お前は立ち去れ。さもないと殺す」

 俺は思う。藤川匠は何も知らない。ドロシーは魔女にならない。そして龍になど倒せない。彼女は龍を倒す者だから。純度百の白銀弾をはずそうが、その手に戻ってくる人だから。

「俺達は誰一人殺されない。お前の言葉は何も受けとめない」
 異形である俺は、羽根のはえた白馬に乗る人へ宣言する。
「俺がドロシーを守る。夏奈も守る。そのためにお前を殺さない。だけど半殺しにしてやる」

「哲人待てよ。……こいつは本当に悪人か?」

 ゼ・カン・ユこそ正義。だけどねじれた正義。
 俺は答える。

「藤川匠は人を龍に変えようとしている。それ以上の悪があるものか」

「そうだとも。奴は悪の大魔導師の生まれ変わり。そしてドロシーを敵視していると見せかけて、じつはこいつこそが彼女に執着している」
 デニーが薄く笑う。その手に冥神の輪が現れる。
「お前こそ取り込まれていないか? 因縁を断ち切ってやる。雕、跳ねろ!」

 それは冥界の王による至上命令。またもすぐ脇に現れた白銀の輝きに、俺は腰を抜かす。黒乱はウンヒョクにしがみつく。鶏子がウンヒョクを乗せて逃げていく。

「ひえええ、くそおおおお」
 雕は無我夢中で跳躍する。

 藤川が乗る天馬は怯えない。むしろ迎え撃とうとする。

()!」

 デニーが浮かぶ雕から跳ねる。藤川匠は待ちかまえている。
 冥神を冠された輪を、月神が冠された剣が迎え撃つ。
 白銀と青白い光の衝突。木霊達が悲鳴をあげた。

 青と白の拮抗。青が勝りだす――。
 奪われるな。
 俺はそれを願う。

「冥神を消し去れ」つぶやいてしまう。「二度と復活させるな」

 藤川とともにいる月神へ命じてしまう。

「なに?」デニーの声がした。
「なぜ?」藤川の声もした。

 急激に青色が肥大する。白銀を圧倒して、デニーが手にする輪が粉々に砕け散る。闇に溶けて消える……。

()!」
 それでもデニーは藤川へ飛びかかる。

「たいした男だ」
 藤川匠が剣をはらう。

「くっ」
 デニーの左腕が斬れ落ちる。本人も森へと落ちていく。

どくん

 気は合わないけど、互いに反目を隠しきれないけど、至高の正義の人――

「デニー!」
 俺も森へ飛び降りる。

「この野郎!」
 鶏子に乗ったウンヒョクが矢を乱射するのが見えた。

「デニー!」
 異形である俺はズドンと地面に着地する。溶岩石が砕ける。

サワサワ
サワサワサワ

 殺し合いに樹海が歓喜してやがる……。デニーは切断された腕を傷口に当てていた。

「抜け駆けして済まなかった。しかも返り討ちされた」
 この人は森の底でそんなことを言う。

「俺とウンヒョクが情けなかった」
 しかも俺は冥神の輪が負けることを望んだ。伝えられるはずない。

「いいや。藤川匠の言葉は心を侵す。振り払うにはそうするしかなかった」

 それは真理だから。藤川匠こそ正義だから。
 だけど俺とデニーにとって正義は夏梓群のみ。

サワサワ
サワサワ

 やけに枯れ葉が落ちてくる。腐葉土が寄ってくる。

「撤退します。大蔵司なら治せる。異形だとできないのなら人に戻させる」
「あの人の癒しもあるだろ。……私だけが戻り、猫耳にすがる。松本はウンヒョクを援護してやれ。これより雕は松本に従え」

「了解ですが、あなた様はどうやって魔物女ども略して魔女と合流するのですか?」
 我れながらうまいこと言ったみたいな甲高い声が、足もとからした。そのまま鳥であるキーウィがいた。
「俺は小さくなれる。でかいままだと剣でやられるから、一旦退避した」

 細長いくちばしで意味なく俺をつついてくるけど、風軍と同じか。でもモース硬度を自慢していただろ……。つまり冷静だ。さすが四天王。それを名乗るものは、決まってやられ役だけど。

「また考えだしたな。……そこまで離れていない。歩いて向かう」
 デニーが必死の面で立ちあがる。

サワサワ
サワサワザワザワ
サイショノ、ゴハン

 ……デニーの言葉に木霊どもが真っ先に反応した。餌として見だしやがった。

「無理です。ウンヒョクと鶏子に送ってもらおう。俺はここに残る」

 俺だけが戦っていない。木霊におびえ冥神の輪におびえただけだった。異形になったのに。
 空が紫色に見える。

「……あのおばさんは木から木へ跳ねて毒を発射しまくっている」
 キーウィが空を見上げる。鶏子のことか。異形であれ女性の年齢にコメントしない。
「やはり俺が巨大化して運びます。破邪の剣で斬られて消えるまで車になりますわ。どうせ俺も忌むべき邪だから、成敗されて終わるが筋ですんで」

 なんてかっこいいキーウィだ。でもそんなで死なれてほしくない。ウンヒョクが運ぶのが一番……。キーウィがちょちょこと俺とデニーの間に来たぞ。
 いきなり巨大化しだしたぞ。また木々を押し倒しやがった。

ザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワ

 木霊が怒りだした。もういや。

「だったら急いでくれ」
 デニーが羽毛の上に横たわる。出血はとまらない。

「でかくなるなよ。デニー大丈夫か」
 ウンヒョクと鶏子が戻ってきた。
「こいつの羽根はもう回復した。満月の夜に復活しまくる一番うっとうしいタイプだった」

 新月の夜の俺もその特性だったが……毒が漂っていたはずなのに苦しくない。すべてが消え去っている。月の神の力で。……その所有者の力で。

「やはり白虎は夏奈のもとへ向かった。弱いくせに傲慢な異形」
 藤川匠も戻ってきた。またも俺達を夜空から見下ろす。また剣を輝かす。
「ここでの戦いを終わらせよう」

 その光は激怒した木霊さえも退かせる。
 俺は紺碧ブルーに照らされながら思う。狙われるのは本人が言う通り、真っ先に巨大な雕。続いて俺。そして鶏子。
 いまは異形だから分かる。なんのかんの言っても俺達は捨て駒だ。そして藤川匠こそ仲間である異形の死に平然とした。慕っていたサキトガや忠実な獣人達の死にも涼しい顔だった。いま乗る一本角の美しいペガサスさえも、どうせ駒として扱っている……。

「デニー」俺は思いだす。「ペガサスの名はカブト」

 彼は青ざめて脂汗まみれなのに空を見上げる。

「カブトという名か。洒落た名をつけてもらったな。忠実に従うわけだ」
 デニーが薄く笑う。「主を殺せと言わない。だが振り落としてやれ。そして私のもとへ来い」

 どんなに藤川匠が異形に慕われて怖がれようと、この馬はデニーの声から逃れられない。奴が異形を捨て駒として扱う限りは。

 カブトが無言のまま空で暴れだす。騎乗する男を払いのけようとする。

「なに?」

 藤川匠の狼狽した声。カタルシスって奴かな。

「毒のない矢もある」
 ウンヒョクが洋弓の狙いをさだめる。そして放つ。

「うっ」
 肩に矢を刺した藤川があっけなく森へ落ちていく。

「よくて重傷。悪けりゃ俺も人殺し」
 ウンヒョクが弓をおろす。

「落ちながら結界を張ったよ。僕には見えた。だからウンヒョク様はまだ人殺しでない」
「はは。黒乱、どうでもいいさ。だがドロシーちゃんの言うとおり、今夜は説得だけで――ん?」

 カブトが俺達のもとへ降りてきた。デニーへと首を垂れる。

「きれいな馬だな。故郷を思いださせる。羽根も角も生えていなかったが」
 蒼白な面のデニーが腕を押さえながら立ち上がる。やさしい笑みを浮かべる。
「カブトにずっと似合う人がいる。紹介してやるから彼女のもとまで乗せてくれ。あらたな名を授けてくれるだろう」

 カブトという名前だったペガサスが、小さくいななく。




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