四十四の一 ファイナルカウントアップ
文字数 3,347文字
「横根、手を離せ」
俺の声はどうしても荒くなる。
「桜井はあとまわしだ。瑞希、剣に祈りをささげろ」
思玲がうしろ手で俺へと剣を渡す。
彼女は扇だけをかまえ、楊偉天達と向かいあう。俺は屈み、横根の前へ剣を差しだす。胸もとの珊瑚が濡れたように光る。
「私には守りたい人がたくさんいます。その人達は私も守ってくれます――」
横根は涙顔で必死に言葉に心を込める。彼女の背へと、子犬が後ろ足を引きずりながら陣どる。
「素晴らしい扇だな。日本製か? 儂が授けた白露扇より性にあっているようだ」
楊偉天が流範から浮かびあがる。
老人が放つ赤さび色の光の下を、流範が俺達へと飛ぶ。
墓石を砕いたくちばし。なのに思玲は俺達を背に避けようとしない。
「――だから、どうか穢れを消してよ!」悲鳴のごとき祈り。
月神の剣に重みが増した。
俺は穢れが消えた剣を手に思玲を退かす。剣で風を受けとめる。
流範の突進は重機を彷彿させた。転ばぬのが精一杯だった。
「流範を止めるとは……。破邪の剣に選ばれたとでもいうのか?」
楊偉天は感心するけど、剣は俺の手から落ちる。……左腕がざっくりと切られていた。あふれだした血は、妖怪のくせに地面へぼたぼた落ちていく。痛みで手がしびれる。血は落ちたそばから消える……。
はやく終わりにしなきゃ。右手で剣を拾おうとしてよろめく。
「護符がないのか。教えておけ!」思玲が俺を抱える。
「言った!」俺は抱擁をどかす。
彼女は鬼神のような面相で涙の筋が幾重にもあった――。
琥珀の話を思いだす。もう一度奴らを消してやる。
「盾になってください。あいつらを一か所にまとめてください」
俺はポケットからスマホを取りだす。
彼女の顔にえげつない笑みがひろがる。それでこそ思玲だ。
「薄焼き餅は無理でも喰らわしてやるか」
笑みを飲みこんだ思玲の顔に画面を向けて電源を入れる。「私の顔がハートで囲まれたぞ。気色悪い」
思玲が扇と剣を両手に背を向ける。俺はおそるおそる画面を覗く。無事に起動していたが、なんだこりゃ? それどころではない。
「結界野郎、喰らえ!」
思玲が竹林へと扇を向ける。
「それはお前だろ」
流範が竹林の前へと浮かぶ。
「ちんちくりん、いつまでもぼっとしているな。薄くていいから姿を隠せ」
こいつらは残忍なくせに仲間意識だけは強いカラスだ。あとは俺が仕上げる。
思玲の肩を引き、片腕をぶら下げて前にでる。
「竹ちゃん、スマホを見たくないか?」
大カラス達に嫌味な笑いをかける。今のひとことに興味を示さなければ、こいつらだけでも吹っ飛ばしてやる。でも、
「それは琥珀のものだ。渡しなさい」
楊偉天が竹林と流範の前に現れる。厳しい顔だ。「……峻計の術を受けたな。かわいそうに」
楊偉天が杖をかかげる。俺の手からスマホが離れようとする。必死に握る。
「返す前に、琥珀からのメッセージを教えてやるよ」
深傷でしびれる左手で画面の隅のアプリマークを押す。どくろマークの11。
「お前達は北七だってさ」
画面を奴らへと向ける。流範が楊偉天の前へと飛ぶ。
「お逃げに! こいつは姑息――」
ゴワワワアアアアアアアン…………
とてつもない衝撃波が、画面から広角に飛びでる。おもわず目をふさいでしまう。……すぐに目を開ける。楊偉天達はいなくなっていた。
角度的に餃子の皮にはなっていないが、どこか遠い空まで飛ばされただろう。桜井の説が正しければ、鏡から離れた楊偉天は消えたかも。
電子音にスマホを見ると、英語と中国語(繁体字だ)でなにか書かれていた。
二回使用でロックしました。支払い確認後に再開します。特別使用料、計198000香港ドル。連絡先:夏梓群(Dorothy)
英語を翻訳してみたが、つまりもう使えないらしい。
「香港のドロシーって人に問い合わせ――」
「ぼさっとしているな。無茶苦茶娘の名前をだすな」
思玲に怒鳴られる。「流範はじきに戻る。別の楊偉天が来るかもしれぬ。はやく箱をだせ」
そうだった。四玉と、浄化された破邪の剣。ようやくそろった。Tシャツの中から木の箱をだす。敵がいないうちに人の世界に退散しないと……。人に戻れることに現実感が湧いてこない。
余計なことを思うな。こんな世界に残ることなど考えたくもない。
「いよいよかよ」
ドーンが緋色の布ごと這いでてきて、地面にずり落ちる。
ぼろぼろだろうがみんなもいる。俺は木箱を地面に置く。まずは、この箱にかかった護りの術を消す……。唐突すぎてだけじゃない。今さら妖怪の感がうずく。
「瑞希、こっちに来い。手をだせ」
思玲が扇をくわえ、剣を天にかざす。
「月神の剣はすなわち破邪の剣。私を認めぬはずがない」
思玲のかかげた剣が輝く。
彼女は深く息を吸い、両手で持ち直した剣を横根の手へとおろす。寸止めされた剣の下で、横根の手が離れる。
小鳥がコンクリートに落ちる。俺へと飛び、服にもぐりこむ。
思玲が剣をおろし、
「おそらく白い光が瑞希に向かうから、箱はまだ開けぬ。まず術を裂き、ふたをどかす。それから箱を裂き怯えさせる」
指をほぐす横根を見る。
「瑞希には最後に大仕事が待っている。他の連中は人に戻ればふぬけになる。引っぱたいてでも安全なところに連れていけ。お前に今の記憶が残っているうちにな」
人に戻れば記憶が戻り、今の記憶は消える。人任せのタイトロープはまだ続く。
「みんなで警察に行く。自衛隊だって呼んでもらう」
横根がきっぱりと言う。
「それよか、思玲はあいつらを足どめするつもりかよ?」
片羽根を垂らしたカラスが思玲を見あげる。
「だったら俺もぎりぎりまで付き合、ゴホゴホ」
「和戸ふんばれ。人に戻れば治癒する。……剣を振りかざす女と師傅の遺体を見れば、お前でもあわてて逃げるだろうな」
思玲が笑い「すまぬが護布を渡してくれ」
俺は傷口を押さえながら、倒れたままの師傅の体を見る。心で手をあわせ、伝えきれるはずない感謝を伝える。
思玲が扇を胸もとに差しこむ。……彼女だって傷だらけだ。しかも使い魔達が苦しむほどの結界に閉じこめられていた。さらには人の身で受けた傷。痛みも跡も残る傷……。
『思玲さんは師傅さんのあとを追うつもりだ』
桜井が俺にだけ伝える。
『私は引きとめない。……思玲さん、ごめんなさい』
……ずっと昔のように思える。コンクリートの踊り場で、桜井が告げたこと。
心も術も弱い女道士が身を挺して、俺達を助けるかもしれない。
でも破邪の剣は彼女の手もとにある。身を差しだす必要などない。思玲が剣を緋色のサテンに包む。俺に顔を向ける。
「手順を言うぞ。術が消えたら外の箱を開ける。そしたら剣を持ち、内の箱を開けるなりぶっ壊せ。怯えさせろ。……今の川田には無理だが、今の哲人ならたやすいだろ。
人に戻っても狙われるなら、以後は魔道団を頼……やっぱり頼るな。でも若手連中なら」
なにを言っている……。思玲がまた笑みを浮かべる。
「もたもたしていると瑞希がミャーちゃんになるからな。この剣があれば、箱を護る術を消すのは容易だ。だが魔道士除けの妖術を跳ねかえせるのは師傅だけだ。哲人、頼んだぞ」
彼女は箱へと剣をかざす。
「や、やめろ!」
俺の叫びなんかこいつは聞かない。剣からの光を浴びて、箱にかかった術が霧散する。
箱から朱色の煙が湧きたつ。彼女の体が術の煙に包まれる。思玲が剣を手放す。抗う間もなく、彼女の体が消えていく。
「松本! 思玲はどこだ!」川田が吠える。「追うぞ! どこにいる!」
煙はまた箱へと戻っていく。次なる魔道士を待ちかまえるように。
「思玲」
横根がしゃがみこむ。うつろな目で箱を見ている。俺も同じだ。思玲が消えたあとを呆然と見ていた。
……違う。
「先に進もう。思玲にまた怒られる」
俺はみんなに言う。
横根が涙の飲みこみ、強い顔で俺へとうなずく。
「松本……」
川田は、きかない鼻を闇へと向けていた。
誰がいる? 思玲であるはずがない。
「ふふ。愚かな思玲。老祖師のおっしゃったとおりね」
あざけりの笑い声。
「今の私は穴熊より弱いから、見物だけさせてもらったわ」
俺達は悲しむことも混迷することも許されない。あいつなら、これくらい簡単に蘇るのだろう。
次回「吹きさらしの五人」
俺の声はどうしても荒くなる。
「桜井はあとまわしだ。瑞希、剣に祈りをささげろ」
思玲がうしろ手で俺へと剣を渡す。
彼女は扇だけをかまえ、楊偉天達と向かいあう。俺は屈み、横根の前へ剣を差しだす。胸もとの珊瑚が濡れたように光る。
「私には守りたい人がたくさんいます。その人達は私も守ってくれます――」
横根は涙顔で必死に言葉に心を込める。彼女の背へと、子犬が後ろ足を引きずりながら陣どる。
「素晴らしい扇だな。日本製か? 儂が授けた白露扇より性にあっているようだ」
楊偉天が流範から浮かびあがる。
老人が放つ赤さび色の光の下を、流範が俺達へと飛ぶ。
墓石を砕いたくちばし。なのに思玲は俺達を背に避けようとしない。
「――だから、どうか穢れを消してよ!」悲鳴のごとき祈り。
月神の剣に重みが増した。
俺は穢れが消えた剣を手に思玲を退かす。剣で風を受けとめる。
流範の突進は重機を彷彿させた。転ばぬのが精一杯だった。
「流範を止めるとは……。破邪の剣に選ばれたとでもいうのか?」
楊偉天は感心するけど、剣は俺の手から落ちる。……左腕がざっくりと切られていた。あふれだした血は、妖怪のくせに地面へぼたぼた落ちていく。痛みで手がしびれる。血は落ちたそばから消える……。
はやく終わりにしなきゃ。右手で剣を拾おうとしてよろめく。
「護符がないのか。教えておけ!」思玲が俺を抱える。
「言った!」俺は抱擁をどかす。
彼女は鬼神のような面相で涙の筋が幾重にもあった――。
琥珀の話を思いだす。もう一度奴らを消してやる。
「盾になってください。あいつらを一か所にまとめてください」
俺はポケットからスマホを取りだす。
彼女の顔にえげつない笑みがひろがる。それでこそ思玲だ。
「薄焼き餅は無理でも喰らわしてやるか」
笑みを飲みこんだ思玲の顔に画面を向けて電源を入れる。「私の顔がハートで囲まれたぞ。気色悪い」
思玲が扇と剣を両手に背を向ける。俺はおそるおそる画面を覗く。無事に起動していたが、なんだこりゃ? それどころではない。
「結界野郎、喰らえ!」
思玲が竹林へと扇を向ける。
「それはお前だろ」
流範が竹林の前へと浮かぶ。
「ちんちくりん、いつまでもぼっとしているな。薄くていいから姿を隠せ」
こいつらは残忍なくせに仲間意識だけは強いカラスだ。あとは俺が仕上げる。
思玲の肩を引き、片腕をぶら下げて前にでる。
「竹ちゃん、スマホを見たくないか?」
大カラス達に嫌味な笑いをかける。今のひとことに興味を示さなければ、こいつらだけでも吹っ飛ばしてやる。でも、
「それは琥珀のものだ。渡しなさい」
楊偉天が竹林と流範の前に現れる。厳しい顔だ。「……峻計の術を受けたな。かわいそうに」
楊偉天が杖をかかげる。俺の手からスマホが離れようとする。必死に握る。
「返す前に、琥珀からのメッセージを教えてやるよ」
深傷でしびれる左手で画面の隅のアプリマークを押す。どくろマークの11。
「お前達は北七だってさ」
画面を奴らへと向ける。流範が楊偉天の前へと飛ぶ。
「お逃げに! こいつは姑息――」
ゴワワワアアアアアアアン…………
とてつもない衝撃波が、画面から広角に飛びでる。おもわず目をふさいでしまう。……すぐに目を開ける。楊偉天達はいなくなっていた。
角度的に餃子の皮にはなっていないが、どこか遠い空まで飛ばされただろう。桜井の説が正しければ、鏡から離れた楊偉天は消えたかも。
電子音にスマホを見ると、英語と中国語(繁体字だ)でなにか書かれていた。
二回使用でロックしました。支払い確認後に再開します。特別使用料、計198000香港ドル。連絡先:夏梓群(Dorothy)
英語を翻訳してみたが、つまりもう使えないらしい。
「香港のドロシーって人に問い合わせ――」
「ぼさっとしているな。無茶苦茶娘の名前をだすな」
思玲に怒鳴られる。「流範はじきに戻る。別の楊偉天が来るかもしれぬ。はやく箱をだせ」
そうだった。四玉と、浄化された破邪の剣。ようやくそろった。Tシャツの中から木の箱をだす。敵がいないうちに人の世界に退散しないと……。人に戻れることに現実感が湧いてこない。
余計なことを思うな。こんな世界に残ることなど考えたくもない。
「いよいよかよ」
ドーンが緋色の布ごと這いでてきて、地面にずり落ちる。
ぼろぼろだろうがみんなもいる。俺は木箱を地面に置く。まずは、この箱にかかった護りの術を消す……。唐突すぎてだけじゃない。今さら妖怪の感がうずく。
「瑞希、こっちに来い。手をだせ」
思玲が扇をくわえ、剣を天にかざす。
「月神の剣はすなわち破邪の剣。私を認めぬはずがない」
思玲のかかげた剣が輝く。
彼女は深く息を吸い、両手で持ち直した剣を横根の手へとおろす。寸止めされた剣の下で、横根の手が離れる。
小鳥がコンクリートに落ちる。俺へと飛び、服にもぐりこむ。
思玲が剣をおろし、
「おそらく白い光が瑞希に向かうから、箱はまだ開けぬ。まず術を裂き、ふたをどかす。それから箱を裂き怯えさせる」
指をほぐす横根を見る。
「瑞希には最後に大仕事が待っている。他の連中は人に戻ればふぬけになる。引っぱたいてでも安全なところに連れていけ。お前に今の記憶が残っているうちにな」
人に戻れば記憶が戻り、今の記憶は消える。人任せのタイトロープはまだ続く。
「みんなで警察に行く。自衛隊だって呼んでもらう」
横根がきっぱりと言う。
「それよか、思玲はあいつらを足どめするつもりかよ?」
片羽根を垂らしたカラスが思玲を見あげる。
「だったら俺もぎりぎりまで付き合、ゴホゴホ」
「和戸ふんばれ。人に戻れば治癒する。……剣を振りかざす女と師傅の遺体を見れば、お前でもあわてて逃げるだろうな」
思玲が笑い「すまぬが護布を渡してくれ」
俺は傷口を押さえながら、倒れたままの師傅の体を見る。心で手をあわせ、伝えきれるはずない感謝を伝える。
思玲が扇を胸もとに差しこむ。……彼女だって傷だらけだ。しかも使い魔達が苦しむほどの結界に閉じこめられていた。さらには人の身で受けた傷。痛みも跡も残る傷……。
『思玲さんは師傅さんのあとを追うつもりだ』
桜井が俺にだけ伝える。
『私は引きとめない。……思玲さん、ごめんなさい』
……ずっと昔のように思える。コンクリートの踊り場で、桜井が告げたこと。
心も術も弱い女道士が身を挺して、俺達を助けるかもしれない。
でも破邪の剣は彼女の手もとにある。身を差しだす必要などない。思玲が剣を緋色のサテンに包む。俺に顔を向ける。
「手順を言うぞ。術が消えたら外の箱を開ける。そしたら剣を持ち、内の箱を開けるなりぶっ壊せ。怯えさせろ。……今の川田には無理だが、今の哲人ならたやすいだろ。
人に戻っても狙われるなら、以後は魔道団を頼……やっぱり頼るな。でも若手連中なら」
なにを言っている……。思玲がまた笑みを浮かべる。
「もたもたしていると瑞希がミャーちゃんになるからな。この剣があれば、箱を護る術を消すのは容易だ。だが魔道士除けの妖術を跳ねかえせるのは師傅だけだ。哲人、頼んだぞ」
彼女は箱へと剣をかざす。
「や、やめろ!」
俺の叫びなんかこいつは聞かない。剣からの光を浴びて、箱にかかった術が霧散する。
箱から朱色の煙が湧きたつ。彼女の体が術の煙に包まれる。思玲が剣を手放す。抗う間もなく、彼女の体が消えていく。
「松本! 思玲はどこだ!」川田が吠える。「追うぞ! どこにいる!」
煙はまた箱へと戻っていく。次なる魔道士を待ちかまえるように。
「思玲」
横根がしゃがみこむ。うつろな目で箱を見ている。俺も同じだ。思玲が消えたあとを呆然と見ていた。
……違う。
「先に進もう。思玲にまた怒られる」
俺はみんなに言う。
横根が涙の飲みこみ、強い顔で俺へとうなずく。
「松本……」
川田は、きかない鼻を闇へと向けていた。
誰がいる? 思玲であるはずがない。
「ふふ。愚かな思玲。老祖師のおっしゃったとおりね」
あざけりの笑い声。
「今の私は穴熊より弱いから、見物だけさせてもらったわ」
俺達は悲しむことも混迷することも許されない。あいつなら、これくらい簡単に蘇るのだろう。
次回「吹きさらしの五人」