知恵もつ小鬼

文字数 2,750文字

「分かった。ドロシーを起こす」
 琥珀はスマホを切り、二人へ目を向ける。

 夏梓群は横向きに丸まって熟睡だ。桜井夏奈は横根瑞希と何度か連絡取りあっていたけど、変わらずスマホで漫画を観ている。たまに馬鹿笑いする。
 琥珀は平静を装ったまま告げる。

「桜井ちゃん、怖いのが来るらしい。タクシーを呼んで」
 やっぱり別れたのは愚策だった。でも動かねばどうにもならぬ状況。もっと仲間が欲しい。味方が欲しい。

 桜井が不機嫌そうに顔を向ける。
「どこに行くんだよ。ドロシーちゃんを匿えるのはここだけだし」

 またスマホに目を落としやがる。……こいつは待っているのかも。

「影添大社の近くまで行こう。そこで松本達と合流してもいい」
「くどくどくどくど。分かったよ。敵が来たらお前も戦えよ。タクシー代もお前が払え」

 桜井が柄悪く答えてスマホを操作しだす。

「ドロシーのリュックに哲人の金が入っている。でも手を入れるなよ」

 ドロシー……。祖父がいようと、魔道団からデッド・オア・アライブの手配を受けるかもな。どのみち香港に帰れるはずない。二千万円の保証人は思玲様だから、それまで被ることはないけど。レベル11は二人を助けるためだから被ってもらうしかない。
 取り立てが始まる前に、連帯保証人を(生き返った)哲人へ変更するのを忘れないようしないとな。アパートの玄関にあった三文判を持ちだしてある。筆跡をまねるのは得意だ――。
 じっと見つめてしまった。我が主より(はかな)げな寝顔。こいつはもう少し眠らせてやるか。

 哲人が生き返った理由は分かる。異形として冥界に潜んでいたから。僕と九郎も白虎に送られたから知っている。我が主が影添大社に頼まなければ、ずっとそのままだっただろう。だけど哲人は、殺されたのに霧散せず、とてつもない執念だ。見習わないとな。

 それ以上がドロシー。人が死んで生きかえる。世の摂理の絶対的基本に反した所業。哲人達は漫画で慣れているからか、忌むべき世界だからと受け入れているけど……。理屈として考えられるのは……老祖師が言っていたもっとも忌むすべき存在に、またはそれに近いのものになれた。もしくはその正反対の存在。
 そもそもがこの子は人ではないかもな。化けて人の世にひそんでいる。そういう奴らはいるらしい。もちろん見つかるなり成敗の対象……ドロシーは白銀を輝かす者だった。そいつらを根こそぎ倒しそうな存在。

 しかし想定外をしでかす二人と一緒だと落ち着けない。でも僕は動じてはいけない。我が主の名にかけて二人を守る。

 琥珀はまたスマホに目を落とす。誰にも見せられるはずないコレクション――隠し撮ったおのれの主の笑顔をぼんやり眺める。
 ……思玲様は幽閉されたままがいいかもしれない。そうすれば殺されることはない。全滅という名のありふれたバッドエンディングならば、玲玲でもあきらめて台湾に戻るだろう……。
 僕はなんで主を玲玲と呼ぶときがあるのだろう。分からない。覚えていない。楊聡民だったのかもしれない。どうでもいいことだ。ただただ僕は、楊偉天の寵愛を拒否して思玲様に従う知恵ある小鬼だから――。

 そいつが部屋のドアを開けた。赤いシャツ。小柄でずんぐりした体躯。彼女は靴を脱ぎ弦楽器を持っていた。

「見事なまでに追いつめられたね。奴らはあの四人が離れるのを待っていた」
 上海不夜会の頭領が笑みを浮かべる。目は笑っていない。
「罠にはまりすぎだが、逆に生き延びられる可能性もある。死地で生を求めた結果だ」

 琥珀はスマホをつなげる。川田でてくれよ。

「琥珀、たしかに天珠はすでに使えない。でも電波も当然ゆがめてある」
 黒い猫も部屋へ入ってくる。浮かぶ小鬼を見上げる。
「いまから大姐が望むことを進める。それで傷つくものはいない」

 こいつも現れる気はした。しかし主がいれば偉そうな態度かよ。……こいつは常にこんな感じだったな。心の奥になにかを隠す、いけ好かない奴だった。

「私はあなたを覚えている。知っている。たくみ君の敵。松本君の敵……」
 桜井は怯えていた。おおきな目をさらにひろげている。

「だが、あんたの味方だ。私と一緒においで。庇護下に置いてやる」

「桜井だめだ。哲人だけを信じろ」琥珀が叫ぶけど、

「選べるわけねえよ。あの女好きは、そこでいびき立てる女に確定したのだから」
 南極大燕がパタパタと部屋に入ってきた。
「このお方が俺を封印から解いてくれた。車は対馬沖に落ちたけどな。そんで俺はこのお方の力に感服した。なのでこの方の式神になる。
思玲様とは腐れ縁だった。そろそろ終わりにする頃合いだ」

「ふざけるな!」
 琥珀は馬鹿をしあった友へと怒鳴り「ドロシー起きろ。桜井を守れ」
 疲れ果てた若い女魔道士にすがる。

「そいつは起きないし、起きたら上海と香港が血みどろになる」
 沈大姐が言う。「賢そうな小鬼、意味は分かるよね」

 目を覚ましたドロシーを抹殺するのを厭わない。そういう意味だろ。

「露泥無、どうにかしてくれ」
 琥珀はいじめまくった貉を初めて名で呼ぶ。

「僕は式神だ。主が傍らにいるならば、その言葉しか耳に入らない。ただひとつ言えるのは、ようやく横根瑞希が桜井と離れてくれた。身を削るあの子は限界だ。戦いの場に置いてはいけない。だからこそ桜井はぐえ」
「だらだら喋るな」
 沈大姐が二胡の先で黒猫を小突く。「桜井おいで。あんたがいなくなれば、誰も傷つけあわない」

 それでも桜井は怯んだまま。でもドロシーの寝顔を見つめ、大姐へと顔を向ける。

「たくみ君も傷つかない?」
「生まれ変わりのことか。奴もさ」
「私はもう龍になりたくない」
「そりゃそうだろうね。そのために保護してやる。じきに私が一番に信頼する坊やとも合流する。色男だよ」

 座ったままの桜井夏奈が逡巡の態度を見せる。

「あなたはみんなを本来の人に戻せる。そんな宝を持っている。私の龍の資質も消せるの?」
「……物知りだね。露泥無が教えたのか?」
「ぼ、僕ではありません。おそらく琥……誰の仕業でしょう?」
「まあいい。もちろん消せるが、あれは一度使うと消えてなくなる。しかも一人だけだ。そうだよな、露泥無」
「え? は、はい。たしかに」

 桜井夏奈が覚悟した眼差しで見上げる。

「それがあれば、川田君も人に戻せますか?」
「どうだろう。だが、一度きりをそれを試すのに使ってもいい。露泥無はどう思う?」
「ぬ、主がどこまで本気かわかりませんが、ぼ、僕は、あの珠を使うのは……?」

チリチリチリ……

 琥珀のパーカーのポケットから鈴の音が鳴りだした。これは哲人が持っていた草鈴。劉師傅が折ったもの……強敵の襲来を告げる音色。

「中国人は嘘つきだな。言葉ひとつひとつの匂いで分かる」

 また新たな心の声が闖入してきた。




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