二十七の二 ターニングポイント

文字数 4,385文字

 壁に押しつけた見えない存在をにらむ。
 こいつを式神に? ただの人である俺が?

「俺は魔道士じゃない。それに、こいつは法董を裏切った。今度は峻計を裏切る。そんな奴を信じられるか」
「いままでは力に服したからでない。自分の意志で従っただけだ。なので気が変われば立ち去る。琥珀や九郎のように」

 九郎はともかく琥珀も? ……楊偉天のもとから転がり込んできたと、思玲が言っていたな。それに対して、木霊を操った思玲に服従した雅。その違いか。

「松本には魔道士よりも強い力がある。それに従うもあり得る。配下にするならば手を緩めろ。薄れているぞ」
「おせーんだよ、なにしているんだよ」

 ドーンが降りてくる。俺の頭にとまろうとして塀から見おろす。充分に目立つ組み合わせ。
 俺は指の力を弱める。

「お前の主になってほしいのか? だったら姿を現せ」

 90センチほどの鈍い赤色の蛇が現れる。かすんだ姿で俺の手を起点に頭と尾をぐったりと垂れ下げている。

「顔を見せろ」

 蛇が鎌首をあげる。爬虫類系の感情なき目――ではない。すがる眼差し。
 小利口な奴め。まるで俺みたいだ。

「カー! それがあの有名な蛇かよ。さすが哲人っていうか、はやく仕留めろ。逃げられるぞ、マジで」
「静かにしろ。興奮すると腹を減らすぞ」

 人であったカラスが異形である狼にたしなめられる。俺はさらに力を抜く。代わりに片手で首をつかむ。

「大蛇になって川田と横根を食おうとしたな。俺は忘れない」

 蛇があきらめたように頭をおろす。
 こいつが有能すぎる飛び蛇……。俺達を待ちかまえていた法董。待ちかまえていた峻計。
 たった今も、待ちかまえていた貪。
 もう考えるな。決断しろ。いまの俺は、戦いのターニングポイントにいる。
 俺達を苦しめた最悪の裏方を、両手で抱えなおす。

「名前を付けてやる。雄か雌か?」

 待つ間もなく、また視覚が流れこむ。
 雅が人に見える姿となり沢で水浴びしている。続いて、まだ顔に傷を負わぬ頃の峻計が露天風呂で……。シャワーを浴びる夏奈。いまの体を鏡で確認する横根。住職の奥さんに着替えを手伝ってもらう幼い思玲。壊れたユニットバスでチャイナドレスを脱ぎ便座に座る……。

「分かった、分かった。もういい」
 さすがに押しとめてしまう。「お前も雌ってことだな?」

 飛び蛇がぐったりと首を縦に振る。
「なにがあった? なんで雌?」とドーンが騒ぐ。俺だけに見せたのか。

「だったらお前の名前は……蛇子……でなく、ニョロ子だ。もっといい名を思いついたら改名してやる」

 ニョロ子が尻尾をか弱く振るう。気に入ったのかは知らないけど了承してくれたみたいだ。

「さきほどの続きを教えろ――教えて」

 俺はどこぞの台湾の魔道士のように、配下に横柄な態度を取らない。でもニョロ子はぐったりしたまま。

「まだ無理強いするな。飛び蛇が力を回復するには血と肉だが、それぞれ好みが」
「カー、そいつを味方にするのかよ。やめとけって……ていうかありかも」
「私の話に割り込むな。お前は早く人に戻れ」

 雅は賑やかなドーンを苦手みたいだけど、ドーンの言うとおりに、こいつこそ仲間にすべきだ。有能かどうかなんかどうでもいい。こいつはゴルフ場で、俺へと土壁の命乞いをした。ニョロ子はドライじゃない。
 なにより、絶望だけだった俺へと……。

「俺を主と認めるならば、休むまえにひとつだけ教えて。俺が峻計に殺される間際に、なぜドロシーの笑みを見せてくれたの?」

 林の上へ駆けていく子犬がうっすらと視覚に飛びこむ。
 俺が空に導いたとでも言いたいのかよ。そのお礼かよ。でも、それを伝えてくれたニョロ子を俺は信じられる。ただの人の目には見えない空飛ぶ蛇をしっかりと抱いてやる。

「ありがとう。今後は大蛇になっても人を襲わないように。代わりに俺の血を吸っていいよ。ちょっとだけね」

 周婆さんのように自分の蛇に血を分けてやろう。
 ニョロ子は俺の目をしばらく見ていたけど、腕へと嚙みつく。痛いけど我慢できる。献血程度だ。

「では行こう」
 ドーンと雅に告げる。「執務室長にお土産ができた。とりあえず俺達は無下にされない」

 あいつらの思惑はさらされる。藤川匠をようやく裸にできる。俺の着替えはそのあとでいいや。

 ***

 通報も保護もされず公園にたどり着けた。サイレンの音は断続的だ。

「夏奈ちゃんは異常なしだって」
 合流するなり(鏡の前でバストサイズを気にしていた)横根が教えてくれた。

「うまそうだが、松本の子分ならば喰えないな」
 川田のコメントはニョロ子を見ても相変わらずだった。

「ふうん。松本があの蛇を式神にね」
 公園で再会した大蔵司は雰囲気が変わっていた。彼女は視覚で見せてもらってない。もちろん命じない。
「さすがはあれの彼氏だけあるね。……人に戻ったのを見たら、いろいろ思いだした。あの坊主を倒したらしいね。あんたも平気で人を殺せるたちか」

「大蔵司は、生死をかけた戦いを知らないんだね。俺もドロシーも経験している」

 言い争う必要はないけど伝える必要はある。彼女がじっと見てくる。きれいな人だから落ち着かなくなってしまう。
 納得しない顔のままで、彼女から目をそらす。

「相談するから待っていな。台輔はしっかり見張っていて」

 きゅーきゅーと真下の地面から返事が聞こえた。

「い、いきなり川田君が告げたんだよ」
 横根が小声で言う。「松本の女は本当の松本の女になった。じ、じきに子作りに励む。今度倒したら松本が怒る。俺も敵になる。って」

 励むもなにも、実質宣戦布告じゃないか。下っ端の大蔵司が聞いただけでよかった。

「風軍を知っている?」感情を見せなくなった大蔵司へ尋ねる。

「生きている。香港へ帰った」
 彼女は背中を向ける。
「その蛇が知っているんじゃないかな。見せてもらえばいい。自分の彼女が何をして、どうやって殺されたかも。そんで見切りをつけな。つけないだろうけど」

 本社ビルへ去っていく。いろいろと言い返したいけど我慢する。

「なんでスマホを使わない。あれは便利だ」
 その背へと川田が言う。

「術を高める妨げになると思玲から聞いたから」
 大蔵司は振り向かずに答える。

「カカッ、あんなの思玲の負け惜しみだし。ドロシーちゃんなんかパソコンまで使っているのに強いのに」
 ドーンが遊具のロープから笑ったあとに「哲人。また腹が減りそう。……間隔が狭まっている」
「あの女は瑞希を狙っている。女のくせにだ」
「カー、人の話に割り込むなよ。その話題は瑞希ちゃんが嫌がるからやめろって」

「ま、松本君ちょっといいかな。あっちで話をしよう」

 ドーンと川田の会話を聞こえないふりした横根が寄ってくる。
 満腹になって(俺は貧血になっていない)居眠りしているニョロ子を抱えて、二人だけで公園の隅へちょっと離れる。この一角だけは安全地帯だ。暴雪も峻計も現れない。
 ヘリコプターが上空を飛んで二人とも見上げる。

「俺達のせいで誰か死んだよね」
「私達も犠牲者だよ。でも誰も責めない」

 行きつくところは楊偉天。四玉の箱。俺達を選んでそれを開けた夏奈。

「そうだね。話ってなに?」
「たいしたことではないけど」
 小六か中一ぐらいの横根が、意を決したように俺を見上げる。「川田君がちょっと怖くなってきた。必要以上に触ってくるし……変な目で見てくる。明日が満月だからかな?」

 転回点を迎えたと思ったばかりなのに、難問が次から次へと……。
 川田は本能丸出しになって、横根を守るどころか襲う存在になる。夜のリクトを思いだせば、充分すぎるほどあり得る。

「たぶん明日の夜までは大丈夫。それまでにはフォーチューンで終わっている」

 4ーtune。忘れかけていたサークル名をネタにして笑いかける。

「それって嫌だな。五人だからファイブチューンにしよう」
「昔の川田みたいな親父ギャグ」

 無理した横根の笑いに、無理した笑いで答える俺。その五人に思玲もドロシーも含まれてないけど、つっこむ必要ない。

「こうして見るとかわいい蛇だね。目がインコみたい」

 ただの人なのに杖のおかげで異形が見える横根が、いまの裸体を俺へ伝えた蛇にほほ笑む。ニョロ子は目を覚ますけどそっぽを向く。俺以外に媚びるつもりはないらしい。

「俺達の切り札だよ。これからたっぷり働いてもらう。で、さっそくだけど、ニョロ子はさきほどのデニーの話の続きを教えてよ」

 俺の血を吸って元気になった飛び蛇に頼む。
 すぐに聴覚が飛び込む。


「大姐ならば封印の解除もたやすかった。そして私とともにこの国に来た。いまは千葉にいる」
「すべてを忘れるのだから教えてあげよう。大姐は復活した魔導師を出し抜くために落花生畑へ向かった。さきに龍を蘇らせるためにな」
「それこそが、今世でもっとも偉大な魔道士であられる方が望み求めることだ。そのために私が儀式を取り仕切る。そっちの邪魔はするなよ」


「ど、どういう意味? この声は誰?」
 横根が青ざめる。彼女にも聞こえていた。

「ニョロ子、何があったのかを横根にも見せてあげて。みんなと合流するまでに急ぎ足で」

 俺の手から飛ぼうとしない蛇へ命ずる。
 俺は冷静だ。ここで夏奈の家に向かっても何もできない。ただただ影添大社に力になってもらえ。早急に。必ず。

 *

 横根が夏奈に電話したけど、まだ異常なしだった。

「こっちへ向かうように言っておいた。理由を聞いてこないから言わなかった。……あの人は私と松本君を助けてくれた。笛がなければドーン君は異形になっていた。あの人がそんなことをするとは思えない」
「俺もだよ。こまめに連絡して」

 かすかに楽観的な自分がいる。沈大姐を信じているからでないし、おのれの失態を認めたくないからでもない。夏奈とドロシーが力を合わせれば、とてつもないことが起きる。儀式どころではない。そんな気がする。やっぱり楽観だよな。

 みんなのもとに戻ると、早くも太鼓腹の麻卦がいた。……これから懇願する相手だ。心の中でもリスペクトして執務室長をつけよう。
 大蔵司が俺と横根の背後へ移る。敵意を隠そうとしない。

「飛び蛇が大魔導師を裏切ってくれたか」
 麻卦執務室長が電卓のような目で俺の手もとを見つめる。俺の顔を見る。
「特例中の特例だ。全員を社内に招いてやるから、たっぷりと吐かせろ」

 執務室長はすぐにビルへと歩きだす。やっぱりこの人は利にさとい。願ってもない即決即断だ。ドロシーの件など忘れたような顔でだ。

「ニョロ子は自発的に教えてくれます」
 俺もそれに付き合い、それだけを言う。彼のもとへ早歩きする。

「ニョロ子? 奇抜なネームセンスだな」

 麻卦が素っ頓狂な声を出しやがる。ニョロ子も同意したように鎌首を下げやが――

「いて!」

 腕で抱えたままの飛び蛇に噛まれる。はらいのける。
 同時に執務室長が吹っ飛ぶ。




次回「影添大社外宮」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み