十九の二 真打ちはここぞで現れる

文字数 2,686文字

「麗豪さんとは相性があわない! 俺に指図するな! 俺が従うのは一人だけだ」
 土壁が怒鳴る。

 叩きつける雨はなおもやまない。俺はフサフサの顔の前に浮かぶ。

「フサフサ聞いて。……峻計が来る。マチでクルマに乗っていた異形」

 か弱き妖怪の感が怯えることを、野良の言葉を交え伝える。だからどうすべきなのか、それが分からないまま……香港から来た女の子の顔がまた浮かぶ。

「えっ、本当かよ」
 地面から露泥無である華奢な女子がわきでてくる。
「ならば善意の第三者として、これは松本に渡しておく。朝まで生き延びたら返してくれ。……フサフサの傷はふさがったが毒は消しきれない。これ以上祈っても厳しい。いったん猫に戻すべきだ」

 またたく間に眼鏡を曇らせながら矢継ぎ早に喋り、俺に天珠を手渡す。溶けて消える。

「ふん。ハラペコの分際で。あのおっかない女が来るのだろ。気づいていたさ」
 フサフサが血の垂れる口もとを、にやりとゆがませる。
「でも、それより先に奴らが来る」

 ……俺も感じた。あいつの気配を追い越し近づいてくる。人の目に見えぬ蹄がおこす地響きさえも感じる。

「へっ、麗豪さんはこの気配さえ分からないのだろ」
 土壁が闇へと身がまえる。
「術も峻計さんより弱いし、あんたは空を飛べるだけか?」

 土壁が俺に背を向けている。姑息な俺はその背に護符を掲げるが、

「巻き添えを喰らうよ」
 荒い息のフサフサに引き戻される。
「ハラペコも姿をだしときな。踏まれるよ」

 空はさらにうごめいていく。なにもない闇から隠しきれぬ蹄音が聞こえる。土壁の手に槍が現れる。

「さきほど逃走した若者か?」
 麗豪がようやく眼鏡の縁をあげる。

 うなり声が闇から漏れた。
 まとう結界を振り払うように、片目の黒い猟犬が現れる。浮かぶ張麗豪の足へと噛みつく。

ゴリッ

 骨が砕ける音は雨音にも消されなかった。

「くっ」
 男を地面へと引きずりおろす。

「復讐を果たす!」

 ケビンの叫び声。結界をぬぐいながら、襲歩のガブロも現れる。河岸の岩を踏み砕くように突進する。
 待ち受ける土壁の槍を、馬上のケビンの槍がはらう。
 疾走する軍馬が土壁を押し倒し、蹄がその体を蹂躙する。

「俺一人では、お前達には勝てない。だがガブロとなら別だ!」
 走りをゆるめ向きを変える軍馬の上で、ケビンが吠える。
「ましてやリクトもいる!」

 ガブロが再び突進する。土壁はなおも立ちあがろうとして、ケビンの槍を腹に受ける。よろめき濁流に落ちて消える。

「松本。俺達はハイエナをすべて倒したのに、お前達は狼を逃がしたな」
 川田はまだ麗豪の足をくわえていた。
「それよりなんとかしてくれ。俺が口を離すと、こいつは消えて逃げそうだ」

「俺が終わらせる」
 ケビンが軍馬から降りる。
「張麗豪だと? 恥ずかしい名前だな。本名なら親も笑ってやる。……俺は人を殺すのに躊躇しない。貴様達と同様にな」

 槍を持つケビンが麗豪へと歩いていく。俺は四方の闇へと身がまえる。あいつはそこまで来ている。

「ならばもっと冴えた名前をつけてくれ。通り名もな」
 麗豪はなおも笑う。
「私はノスリなどと呼ばれているが、じつのところ不死鳥だ。……老師の影さえ触れられぬ出来栄えだから使いたくはなかった。――ノウマキインガロゼ……」

 降りつづく豪雨にも消えず、麗豪が不快な言葉を声として現す。あわてて耳をふさぐ。

 ……どうやら俺は平気だ。フサフサも怯えるだけだ。なのにガブロがいななく。ケビンが膝を落とし、川田の牙が麗豪の足から離れる。

「研鑽がなおも足りない。二千年前の呪文を身を削り唱えようが、まだ人も異形も殺められない」
 麗豪が砕かれた足をさする。なにもなかったように手をついて立ちあがる。
「野良犬が人になる……。あの忌まわしい異形は私を咎めたな。私こそあんな化け物といたくない。本心では、あのまま溺れ死んでもらいたい」

「ガブロ!」

 膝をあげたケビンが叫ぶ。鋼をまとった軍馬が麗豪に突進する。
 麗豪の体は蜃気楼のように静かに消えていく。
 ケビンがガブロに飛び乗る。その背後にあらわれた麗豪が宙へ舞う。
 忌むべき気配。

「避けろ!」

 フサフサが叫んだ。俺は身を固くする。

ズドン!

 人と馬が飛ばされる。ケビンが転がり落ち、ガブロの装甲が溶けていく。黒味がまさる芦毛の体があらわになる。

「カラスだな! こいつらは殺す!」
 川田が馬の前へと駆ける。「そこにいるのだろ! 姿を現せ」

 狼であった川田を傀儡にし、子犬であった川田を連れ去った異形。

「玄武くずれ、どこを見ている」

 その異形の声が俺の背後から聞こえた――。頭上を桎梏の螺旋が通りすぎた。向かう先は、

「私が盾になる」

 ガブロの声をはじめて聞いた。
 馬が川田を蹴り、ケビンの前に立ちふさがる。装甲なき身で邪悪な光を一身に受ける。ガブロが砕け散る。

「岩と化せ!」
 ケビンが命じる。黒い血を雨とともに浴びながら、男が足もとの石を拾う。

「峻計、どこだ!」
 俺は叫ぶ。

「やめな」
 フサフサの俺を抱える手がさらに強まる。

「まだ待ちな」あいつの声。そして黒い螺旋。

「くっ」
 ケビンが槍で受けとめようとする。槍は折れ、血を吐きながら川へと落ちる。

「だんな!」

 川田が濁流へと飛びこむ。俺も川田を追おうとして思いとどまる。まだ深手のフサフサがいる。なにより抱きとめられている。

「露泥無、どこだ?」だったら闇に声かける。

「もうハラペコを巻きこむのはやめておくれ」
 フサフサが吐きだすように言う。
「まだなにが来るのだい? こんなことはやめにしよう」

 守ろうとしたフサフサに、逆に抱きしめられる。……暗雲はさらに降りてくる。溜まりきった雷達があふれだしそうだ。

「峻計、素晴らしかったよ。さあ、はやく姿を見せてくれ」
 麗豪が地上へと戻る。

「もう少しだけお待ちください」姿を隠した声が返る。

 ふいに雨があがる。濁流がとまり、川は池のように落ち着いていく。上流では堰きとめられたかのように、水が行き場を探していた。
 豪雨さえも届かない。巨大な結界に閉じこめられた。

「お待たせしました。すべてが揃っていますので、いそぎ儀式を始めましょう」

 ずぶ濡れのあいつが姿を現す。長髪を結びうなじを見せ、ノースリーブのトップス。少しだぼっとしたパンツ、ウエストを強調するベルトまで、すべてブラックで統一したコーデだ。黒いフラットなサンダルから見える爪さきだけを赤く塗っている。

「この雷雨は前兆。龍がじきに現れます。気づいているよね? 松本哲人」

 あいつが俺へと憎しみの目を向ける。感づきはじめたことを確信させられる。




次回「魅入られた男」
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