四十一の二 異形は捨て駒

文字数 4,489文字

「さらには結界を消すことなく、こんなこともできる」

 藤川匠が剣を再び薙ぐ。
 紺碧の閃光。

「ひい」

 ソファに叩きつけられて、情けない悲鳴をだしてしまった。……思いだしたくない痛み。剣の一振りで、両方の二の腕が熱傷で裂傷。砕けた小刀の破片も刺さっている。
 しかも、顔をかばった七葉扇が手のなかで崩れていく。私の作った魔道具が消えた……。
 動じるな。だがもう戦うな。生き延びることだけ考えろ。

「王思玲。唐が来るまでもっと時間を稼げ」

 無理すぎるし、素早すぎる。沈大姐を囲った闇はベランダに移動していた。大姐が露泥無を引きずったのだろう。

「逃がさない」

 藤川匠が私へと破邪の剣を向けたままで、露泥無である闇へ何かを投げる。

「ぐえっ」

 闇がずり落ちて、沈大姐がむき出しになる。
 それは藤川匠の手に戻る。哲人の独鈷杵……。

「憤怒の法具だが、僕の心にも呼応してくれた……一発で倒せないか」
 こいつは涼しげに笑う。

「怒りが足りない。笑う余裕があれば無理さ」
 沈大姐もなおも笑う。
「お前の狙いは分かっている。渡すはずがない。……役立たずの王思玲も助けてやるからこっちに来い。露泥無はいつまでも寝ているな」

「は、はい」
 闇が黒猫経由で夜鷹になり、大姐の背後に浮かぶ。

「僕の狙いはふたつに変更された。ひとつは、いまの世で最も強い祓いの者の一味を、見せしめとして壊滅させること。それは呆気なく成功した。そこで一番の、つまりいまの世で一番強い男は、ただの人に敗れる。僕が駒にするのは異形だけではない」

「駒? 式神が駒だと?」
 言いながら思玲はベランダへにじり寄る。
「人も?」
 両手の出血が雫になり床へ垂れる。

「それ以上歩くなら心臓を狙う」
 藤川匠が思玲へと法具を向ける。
「ああ。強い心を戦場で壊してしまった人がいた。その人に導きを与えた」

「傀儡にしたのか?」
 沈大姐がにらむ。その背後に露泥無である夜鷹が浮かぶ。

「下品な言い方はやめよう。おのれの意志を強めただけさ。僕は峻計より術がスマートだ。……この女の子以外は逃げていい。ただし胸にある珠は置いていけ」

 なぜ私が? ……青龍の対面に位置する資質。そんなの四分の一の確率でいるだろ。峻計め、主におねだりしたな。

「下種め、余裕を見せるな」
 もはや大姐も顔を引きつらせるだけだ。
「ドロシーを知っているよな。あの娘が龍を狩りにでかけた。次に狩られるのは、手下を失くしたお前だ」

 そうだそうだと、思玲は心でうなずく。あの化け物カップルでないと、こいつに太刀打ちできない。

「彼女と松本がいないから、僕はここに来たのだけどね。……いずれ邪悪な連中は僕を裏切る。あらたな奴らがすがり寄り、また裏切る」

「裏切らせるなよ」
 思玲は立ち止まったままでにらむ。両手が痛い。
「責任もって従えておけよ。哲人達に成敗されるまで」

 武器が欲しい。あるにはあるけど、あっても戦いたくないけど、雷木札は哲人しか守らない。
 それでもカバンからだす。……試しに掲げてみようかな。光らなければ、その瞬間に殺されそうだな。だとしても……あれをカバンにしまったよな。
 魔道具はもうひとつある。それを使うには覚悟が必要だ。あの日と向き合う覚悟。
 師傅、無理です。あれは人相手に使えません。

「もちろんそのときが来たら、連中は僕が倒す。フロレ・エスタスと、おばさんの預かる古代の狐。じきに出会うであろう、悪しき心をもつ善なる異形。いまだ閉ざされたままの怪物。その四体とともに世を変える。でもそれはまだ先だ。
……過去においても、力あるもので忠誠を続けたのはロタマモだけ。サキトガだってあのフクロウがいなければ、僕のもとを去った」

「王思玲、聞き入るな、死を待つだけか! 戦え!」
 大姐が胸に手を入れながら叫ぶ。
「露泥無は持って逃げろ!」

「ならば全員に消えてもらう」

 藤川匠に躊躇はない。大姐へと剣を向ける。
 紺碧の閃光。

「はっ!」

 このおばさんは転がり避けやがった。
 私こそ躊躇するな!

 王思玲は雷木札を掲げる。切れかけた蛍光灯みたいにちかちか輝く。
 ふざけるな。だったら何故私の手もとにある。それはだな、声高々に叫べ!

「お、弟を守れなかった私が、代わりに松本哲人を守ってやる。私しか哲人を守れない! 私がここで死んだら哲人も死ぬぞ!」

 室内が金色に照らされる。天宮の護符が煌々と輝いた。

「……これだけで結界が消えた。素晴らしいけど、やはり松本経由で魔女に取り込まれ済か」
 黄金色のなかで、藤川匠は思玲へ憂いある瞳を向けていた。きつい顔になり、
「逃げるな!」
 ベランダへと独鈷杵を投じる。

「わあ」
「くっ」

 このおばさん、かっこいいほどにすごい。九尾狐の珠をくわえた夜鷹へ向かった法具を、跳躍して背中で受け止めた。
 背中に刺さった法具は消えて、藤川匠の手に現れる。

「……ぼ、僕にこそ導きがあった。大姐ありがとうございました」
 ホバリングしていた夜鷹が夜空に向かう。雨はあがっていた。
「この珠を手にするためだけに、僕はあなたに従っていた。僕が使わせてもらいます」
 闇へと飛んでいく。

「くそっ」

 おっと。クールを気どった優男が悪態をついたぞ。

「……珠を盾にしたな」

 裏切ったらしきハラペコへと独鈷杵を投げるのを躊躇したぞ……。くらっとした。私の両手の出血、うまくないぞ。

「……薄々分かっていたよ」
 沈大姐が部屋を向いて立ち上がる。
「露泥無のがこいつよりまともな使い道をするだろうが、狩りの対象がひとつ増えちまった。王思玲、こっちへ駆けろ! ベランダから飛び降りろ!」

 このおばさんは言うなり実践するじゃないか。フェンスを乗り越えやがった。ここは最上階だろ? だとしても!

「ゼ・カン・ユめ!」
 王思玲は金色の護符を投げる。同時に駆けだす。

 背中に閃光を浴びながら飛び降りる。……どっちにしても死ぬな。
 でも王思玲は巨大なクッションに受け止められる。その中に沈んでいく。……虹色がきれい。やさしい気に包まれている。
 体が停止すると、真横で大姐が大の字になっていた。

「唐よ。影添大社まで必死に逃げろ。あそこに頼るしかない」
 喘ぎながら言う。

「んだ」異形の声がのんびり響く。

 唐って噂の大海月(クラゲ)だよな。つまり間に合った。全滅寸前で。藤川匠は無傷で……。

「私と彼女の傷も治してくれ。二人とも完治は無理だろうが均等に癒せ」
「んだ」
「……お別れだな。世話になったな」
「殲は生ぎでる。あいづをこぎづがってけろ。……おでは大姐を慕っていますた。もっとずっと生きてけろ」
「私も大好きだったさ。再見」
「んだんだ」

 思玲は背中の致命傷を感じるまえに、温かい光に包まれる。
 海のなかのようだな……。

「王思玲、寝るまえに聞け。露泥無が上海へと魄をふたつ連れてきた。私が弔ってやった」

 とてつもない安堵。思玲は感謝しながら眠りに落ちる。

「だが一体は拒否した。おそらく冥界へ……聞かないなら私も寝るよ」



 **松本哲人**

 ドロシーどこだよ。ドロシー朝になっちゃうよ。出会えるはずだろ。

「ドロシー! ニョロ子!」
 俺は叫ぶ。彼女が太平洋にいるのか宇宙にいるのか何も分からない。

「ヅゥネも呼んで」
「コケコッコー」

 ドロシーどこにいるんだよ。俺には見つけられない。俺の呼ぶ声に答えてくれないと見つけられない。

「ドロシー! 夏梓群!」
「コケ」
 
 天珠が振動したのをヅゥネが教えてくれた。いまさら露泥無からだ。

『哲人さん! 私でも天珠を使えた。初めて使った。スマホのが便利かも』
「うわあ!」

 ドロシーの馬鹿でかい声が飛びだしてきて、耳から離す。

『ずっと一人で空にいた。あっ飛び蛇ちゃんはいてくれた。だけど寒くて怖くてずっとずっと泣いていた。哲人さんは全然来てくれなかった』
 離していても聞こえる。

「ドロシーを探していた。いまどこ? 露泥無と一緒なの? それと声を小さくして」
『夜鷹になってよろよろ飛んでいた。新月の廃村で助けられたから赦してあげたのに、私から逃げようとした。だから天珠を無理やり借りた。ほかにも持っていたみたいだけど、なにより私は哲人さんと連絡することにした。だから早く来て』
「どこにいる?」
『富士山の山頂。ここより上には浮かばないからいられる。でもすごく寒い。早く来て抱いて』

 その霊峰のシルエットが西に見えた。俺は静岡県沖にいるみたいだけど、導きのように近い。俺の声は届かなくても二人はまたひとつになる。 

「すごくそばにいるよ。ヅゥネはあの山に向かって」
「コケコッコー」
『鶏の声が聞こえた。もしかしてコカトリスに乗っているの? 絶滅してなかったんだ』
「矮小種らしい。……ニョロ子はそこにいるの? 道案内してくれなかった」
『ニョロ子ちゃんは、疲れ果てて私の首で休んでいる。リュックサックを海の向こうへ運んだあとに私を捜しまわったぐらい疲れている。へへ、視覚で教えてくれたから知っている』
「俺の代わりに頭をなでてあげて。……合流するまでずっと喋っていよう。ずっと声を聞いていたい」
『あっ、遠くに見えたよ。朝日を背に飛竜に乗り迎えにくるなんてロマンス。哲人さんは王子様だ』

 満月の日の朝がやってきた。異形なままの俺達はじきに合流する。……ドロシーの声を聞けて、ようやくみんなを心配できる。思玲の怪我はどれくらいだろう? でも彼女は大蔵司と仲がよい。率先して治癒してもらえるだろう。
 しかし藤川匠め。なぜ俺と相まみえない? 俺に三度目の死を与えようとしない?

 富士山頂が近づいて、赤いドレスが手を振るのが見えた。横向きの姿勢で手を羽ばたかせることなく、俺達へすいすいと飛んでくる。

「……コ、コ」
 彼女を見て、またヅゥネが怯えだす。
「コ、コケコッコー!」

「きゃあ」

 ドロシーへ紫毒の波動砲を放ちやがった。速いし、横幅も縦幅もあるし、至近だし、実質だまし討ちだし、これを避けられるものはいない。
 でも彼女は紫色に染まりながら、俺のもとへ来る。

「ゴホゴホ、オエ……いまは異形だから全く平気。でもコカトリスちゃんはもうやめてね。哲人さん……我愛你(うごほいねー)!」

 貪にとどめをさしたものを浴びても平気なのか。だとしても毒まみれに抱きつかれたら、俺は平気じゃない。

ドクン

 やはりお天狗さんが発動したし。

「や、やめて。毒が落ちるまで待って。影添大社に向かうよ。話すことがいっぱいある」

 俺の言葉に彼女はさみしそうな顔になる。

「……ごめんなさい。オエッ。だったらコカトリスちゃんの尻尾をつかんでいる。コカトリスちゃんは怒っちゃだめだよ」

 ヅゥネは黙ったままで再び羽根をひろげる。俺とドロシーは距離を開けたままで、東北東を目指すはめになる。火伏せの木札はまだ怯えている。
 紫色の飛び蛇が、ぐったりと俺の前に現れる。俺の目を見つめる。

「さようなら。ありがとうね」

 いつのだろう? 誰へだろう?
 夏奈の寂しげな笑みを視覚で伝えて、そのつぶやきを聴覚で伝えて、紫毒を浴びたニョロ子が透けていく。
 抱きしめたくても護符は発動したまま。




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