二十五の三 忘れられた朧な六人

文字数 4,313文字

「川田は運転免許証もってないだろ」
 ドーンが言う。

「そんなものは知らない。だけど、ここへ来るとき車に乗った。俺は後ろから人間を見ていた」
「あの時か。川田君にずっと覗きこまれて運転手のおじさんが怖がっていたね。助手席で夏奈ちゃんが道案内して、私はその後ろにいた」
「そして俺は千葉までタクシーを追いかけた、カカカていうか、それだけで運転できるはずねーし。ていうか交通ルールも忘れただろ。赤信号は止まれ進めのどっちだ?」
「知らん」

 俺と思玲が戻らず、桜井家に避難したときのことみたいだ。ちなみにドロシーは一人公園に残り、ずっと俺を待っていたらしい。切なすぎる。いとしすぎる。いきなり香港へ戻り三日間牢屋に入れられて、解放されるなり日本へ戻ってきたのだけど。

 ポケットでスマホが振動した。『七実ちゃん 川田彼女』と画面に表示されている。切れるまで放置する。

「あいつか?」と琥珀が聞いてくるので否定する――。
 琥珀との電車の旅を思いだした。あのときに七実ちゃんと電話でやり取りしている。人の世界にいない川田の名を告げると、彼女は怯えた。そして二人で会う約束をして、俺は再び人の世界から消えた。
 彼女は忌むべき世界に微かに触れているのかも。なおさら会うべきでない。俺達のように深みにはまらせない。

「タクシーにしよう。横根と夏奈は電話番号とアドレスを教えて。横根はここまでの経費もね。夏奈の家で食事や風呂も世話になったよね。そちらも精算する」

 不在着信の通知を消しながら告げる。札束は気持ちを大きくする。
 横根が新しいスマホの新しい番号を教えてくれて、夏奈は俺のスマホにワン切りしてアプリでタクシーを呼ぶ。横根は細かく記録してあって、お釣りの小銭を渡される。夏奈にはお金はいらないと言われる。川田のカードを思玲が濫用したが、そっちの補填はまだいいや。
 とにかく、これでまた遠く離れてもみんなと連絡できる。ドーンとドロシー以外とは。人でいるあいだは。

「二手に分かれるなら、やっぱり僕の電話番号を登録すべきだよ。いまの瑞希ちゃんと夏奈ちゃんなら連絡とれる」
「え、え、ま、まだいい」
「私もなんかやだ、ははは」
「俺のに入れろ」

 琥珀に賛同したのは一人だけだった。

「川田は登録済だろ」
「どうやる?」

 俺が川田のスマホを操作する。“琥珀”とそのまんま登録されてあった……頭に+886。国際電話だ。きっと高額だ。俺も登録しないと心で決めながら、試しに押してみる。『もしもーし』と琥珀の声がスマホからもした。

「聞こえたよ」
「聞こえたのかよ。京ちゃんレベルだ」
 琥珀がスマホを切りながら言う。「哲人こそ人のふりした化け物かな」

 なんだっていい。最後に大事な大事なことを伝えないとならない。

「ドロシーと夏奈と琥珀。俺だったらこっちを狙う。でも躊躇する。ドロシーはその意味を分かるよね?」

 あくびをかみ殺していた彼女はうなずく。

「私が白虎と対等に強いからだ。へへ」
「そう」

 もちろんそれだけでない。飛び蛇がいたならば、敵は彼女が隠し持つ冥神の輪を知っただろう。異形は怯えて現れない。来るならば藤川匠。でも夏奈は奴の味方にならない。

「何があっても夏奈とドロシーが協力する。そうすればどんな敵も逃げかえる」
「へへ、哲人さんの楽観的なのも好きだ。勇気をくれる」
「ドロシーちゃんには布団を貸してあげる。川田君には車を貸さないけどね、ははは」

「勝手にしろ。人に運転させりゃいい」
 寝転んだままの川田がそっぽを向く。「俺一人でよその人間まで守れるはずない」

 ***

 俺とドーンと川田と横根。誰にも必要とされない四人。だからって襲われないはずがない。俺達こそが邪魔だから。目ざわりな蠅でありゴキブリでありスズメバチ。

「気をつけてね」
「思玲様を忘れるなよ」

 夏奈とドロシーと琥珀とは部屋でそのまま別れた。布団を敷いてもらったドロシーは、すぐに寝息を立てだした。その枕もとにリュックサックを置いておいた。
 ……俺の本当のコンディションはどれくらいだろう。それこそ知る必要ない。ドロシーから癒しなんて名の妖術は授からない。

 雨は傘なしではいられないほどに強まっている。その空を、ドーンが高く低く飛ぶ。じっとしていられないのは人のときのまま。
 タクシーが到着して、三人は桜井家に挨拶せぬまま乗車する。俺は助手席に座る。行き先は日暮里駅と指定してある。俺達は、またここに戻ってこれるのだろうか。そもそも思玲に会わせてもらう――そんなことさえ為せるのだろうか。

「夏奈ちゃん達が仲直りしてよかったね」
 車が動きだすなり、横根が心の声を伝えてくる。「ドロシーもよかったね」

 俺がダーリンになったことを言っている。横根は気を配ってばかりだ。

「どうかな。でも……」
 でも、あの二人は姉弟だったらしい。喧嘩したって仲良くなるさ。
 横根にだけは伝えたくなる。
「でも夏奈はドロシーに八つ当たりしたのだよね。なんでだろう」

「夏奈ちゃんはみんなに怒っていたよ。次の瞬間にはけろりとして、私達を招いてくれた。だけど両親と大声で喧嘩しているのが聞こえてきたりした。ちょっと精神的に不安定。だから……」

 横根も言葉を濁した。続く言葉は分かる。だからドロシーとまた喧嘩するかも。

 タクシーは田舎道を進む。日暮里までは一時間以上かかる。心の声を交わすだけだから静かなままの車内。ワイパーの定期的な音だけ。汚い木の棒を握りしめる少女と雷型の木札を握る大男に気を留めず、運転手のおじさんは黙って運転している。
 川田は後部座席から、それをじっと見ている。と思ったらいきなり心の声を発する。

「信号が薄い血の色になったら停める。車や人に当てたらいけない。理解できた。こいつは降ろしていい」
「運転手さんに手をだしたら駄目だよ、絶対に。……川田君はなんで運転したいの?」
「ケビンは馬に乗った。俺は車で狩りをする」

 犬の異形だったときの記憶か。こちらは本能的にマウントを取りたがってばかりだ。満月系の川田。明日になったらどうしよう? 影添大社で牢に入れてもらうとか。そのまま出してもらえなかったり……。
 ドーンも満月系すなわちけだもの系だった。でも琥珀は気に留めてなかった。月が満ちようが誰もが凶暴になるわけではないのかも。

「ケビンは馬に乗った。俺は車で狩りをする」

 相手せずにいたら、同じ言葉を繰り返しやがる。

「九郎が帰ってきたら乗りな。空から狩りができる……着信だ」

 スマホがポケットで揺れた。夏奈からだ。ひと月前だったら声をうわずらせてでたかも。ドロシーの声が聞こえてきた。

『ごめんなさい。寝ちゃって言い忘れた』
 たどたどしい日本語がかわいらしい。だけど彼女は広東語に切り替える。
『六魄ちゃん達が来ると思う。ダーリン違った哲人さんが死んだあとも香港に現れなかったから、あのはぐれ魄達はまだ日本にいる。そしたら私と哲人さんのチームのどちらに加える? あの子達に決めてもらう?』

 霞めいた六体の人影。俺もすっかり忘れていた。王様と女王様のどちらを選ばせるより、おかげで思玲とのやり取りを思いだした。

「夏奈に聞かれないようにしたんだね。でも彼女に確認しないとならないことがある。換わって」
(つい)
『私んちは松本くんちより田舎じゃね? ここからだとサークルも学校も行くの面倒って分かるよね。香蓮とシェアって話もあったんだけどさあ、ずっと一緒だと疲れるって断られた。ひどくね、ははは』
「夏奈はドロシーを香港から台湾へ呼んだときに、六魄と約束を交わした? 魂を譲るとか」
『うん』

 かなりの地雷を話題にしてしまったが、やはり即答した。

『中国語覚えられねー。禁止して英語にしよ。カナトークイングリッシュ』

 自分が主語でも三人称だからトークスだよ。なんて指摘しない。もう一度ドロシーに換わってもらう。正直に伝えておこう。

『いまの英語? 哲人さんの発音よりひどい』
「それより、夏奈は六魄達に魂を渡すと約束した。だから奴らはこっちに来させて。場合によっては退治してもいい」
『殺せないし殺させない。でも明日は満月だ。魄は星が少ないのに乱暴になるから、代わりのものを差しだすべきかな』

 あいつらもけだもの系か。凶悪度も星の数で決まるのか。

「何が代わりになる?」
『ほかの人間の命を数人分』

 六魄達に囲まれたように全身に震えが走った。……ドロシーは平然と言った。人でなきものが、人の命を値踏みするかのように。

倒される悪

 死者の書に記された一文が脳裏によみがえる。

『そんなのさすがに無理だ。どうしよう?』
「とにかく魄達が現れたら俺に合流させて。説得してみる」
『哲人さんでも無理だと思うけどそうする。私はトイレに行ったらもう少し休む。青い光を奪われないでね、へへ』

 この光はいらないらしいよ。伝えてはいない。どっちであろうと散々に狙われてきた。
 俺の広東語に聞き耳を立てまくっていた横根(いまの彼女も多国語を操れるはず)がうかがっている。でも俺は無視する。目をつむる。俺こそ休むべきだ。……藤川匠こそが正義なのか?
 なにも考えずに休むべきだ。

 ***

 クラクションで目覚める。
 隣で運転手がなにか毒づき、バックして隣車線に移る。荷崩れしかけた廃品を乗せた軽トラックの横を通り過ぎる……。首都高を降りて一般道に合流したところらしい。
 マジで眠ってしまった。かなり無理しているのだろうな。ここは広い川にかかる広い橋。また荒川か。渋滞はしていない。雨は降り続いている。

「もうすぐだよ」と横根が緊張した声で教えてくれる。川田は運転手の一挙一動をあいかわらず見つめていた。この運転手は心が強いな。

「うわあ!」

 強いと思った運転手が悲鳴を上げる。フロントガラスにカラスがタックルしてきた。

「ドーン君!」横根が窓を開ける。

「やばい、もう腹が減った。はやく杖だして」
 カラスが車内に飛び込む。

「な、なんなんだよ」
 運転手が狭い路側帯に寄りながらブレーキを強く踏む。

ドグオン

 同時に前方の道がなくなる。……レベル11?

「貪だ。お前は降りろ」

 川田が人の言葉を口にして、呆然とする運転手のシートベルトを引きちぎる。
 運転手がドアを開けて自分から道へ転がり落ちる。必死に逃げていく。
 運転席を引き倒して、川田がそこへ移動する。ドアを閉めて、壊れたシートベルトを肩にかけて、ハンドルを握る。ウインカーが右折を合図。同時にタクシーが急旋回する。
 俺達がいた場所で、また橋が破壊されるのが見えた。大型トラックが川へと落ちる。
 波動なんかじゃない。はるかに邪悪な強襲。




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