三十四 戦場からの離郷

文字数 3,902文字

 とりあえず重たいトレーナーを脱ごう。首を抜くなり軽くなる。
 イウンヒョクはそれをパンツのポケットに突っこむ。偶然かもしれないけど、男の魔道士でカバンを持ち歩く人を見かけない。

「歩けるか?」満身創痍のウンヒョクに聞かれる。
「なんとか」と全身打撲の俺が答える。木札をポケットにしまう。

 白虎の前半の攻撃を凌いだのは、ウンヒョクに借りた服のおかげだ。俺が木札を手に入れたのは、おそらく白虎を殴る直前だろう。立ち向かう覚悟が生まれた直後。

「すぐ下に道がある」
 ウンヒョクがスマホを見ながら言う。

「林道だ。遠回りだけど歩きやすいです」

 道なき藪を登りかえしたくないから下ることを選ぶ。かなりしんどかったけど、五分ほどで道にでる。山に向かって一礼する。あとは比較的まともな道。二人は足を引きずり歩く。

「白虎はしばらく現れない。俺達よりダメージあるだろ」
 ウンヒョクが言う。知らぬ間に手にした濡れタオルで顔などを拭き、ビニール袋に入れてポケットに突っこむ。

「車はどうするのですか?」
 見かけてないけど、拝借したという情報は得ている。

「交番のまえに乗り捨てたから、もう持ち主に連絡がいっているだろ。別の車を借りて日暮里に向かう。でも近ごろはカメラがたっぷりあるから、松本は特定される恐れがある。俺は影添大社に金を払っているから平気なんで、思玲ちゃんを連れて急いで帰る」

「後ろで横になっています」
 借りるだけならば非難しない。モラルを保つにはきつい環境だから。

「敬語は苦手だ。ため口にしてくれ」
 前を歩くウンヒョクが人の言葉で言う。「どちらの国でも敬われる人生を送ってない」

 *

 国道にでたところでウンヒョクがヒッチハイクする。ワゴン車を運転する初老男性は、「山で怪我した」を簡単に信じてくれた。病院に連れていくというのを断るうちに、あっという間に自宅近くについた。
 数百メートルだけ歩く。我が家は昔から壊れていたかのように、なんの騒ぎにもなってなかった。弟と思玲と子熊が玄関前に腰かけていた。

思玲(しれい)ちゃん、めっちゃかわいくね。都内の高一なんてすげー。土曜に連れだす兄ちゃんもすげー」

 直近の記憶が消えた壮信は、破壊された家に動じることなく、日本人を(かた)る台湾魔道士にデレていた。

「記憶がガス爆発にすり替わっている。消防や警察も現場検証済らしい。おそろしいほどの歴史改ざんだ」
 思玲が心の声で言う。「恋人というには歳の差があるから、哲人を家庭教師に仕立てた」

 お前の本当の年齢とのが離れているだろ。教え子を地元に招待なんて、下心丸出しのエロ目的バイトだろ。心の声で返さない。

「親父の具合は? 母さんは?」弟へ尋ねる。

「母さんは見舞い。親父はたぶん来週退院。でも家がこんなとか不幸が重なり過ぎだよ。たぶん温泉ランドで過ごすことになるけど……これってどう見ても熊だよね。思玲ちゃんは、柴犬って言い張るけど。そういや思玲ちゃんの苗字は?」

「松本です。同姓なので哲人さんと結婚しても夫婦別姓できません」
 思玲が微笑みながら心の声にチェンジして「お前の弟は馴れ馴れしい。ハラペコから聞いたのと正反対だ」

 弟は女子の容姿で態度を変える系だから。言う必要ない。

「ようやく麻卦と連絡がとれた。タクシーを使えだと。金は松本に払ってもらえといわれたが、どうする?」
 イウンヒョクも心の声で言う。スマホを手にしていた。

「換わってください。……もしもし」
『松本君か? 警察に追われても手を回さないからな。当社の名をだしたら、君はジ・エンドだ』
「ここからだとタクシー代は――」
『こちらは異常なし。ヤッパが死んだそうだな。それは請求対象にならないが、バイクは持って帰ってくれ。中型トラックならば載せられる。しっかり固定しろ』
「話を聞いてください。俺の実家は壊されました。いろいろ報酬が溜まっているでしょうけど、タクシーなんて贅沢はできません」
『この現状で金の心配をする君は見込みあるよ。こちらも

のヘリが無事だったら桃子を送れたのだけどね。みんなと相談してくれ』

 電話を切られた。なんてドライな奴だ。でも家の心配より金の心配より東京に戻ることが先決だ。
 壮信と向き合う。

「ガスの元栓はとめただろな。安全な場所で勉強を続けろ。現役合格以外は認めないからな」
「こんな状況でよく言えるね。さすがとしかいいようがない」
「悲運を嘆くな。俺はセンター試験にあわせてインフルエンザになった。うつした奴のせいにしなかった」
「分かっているよ。でも医学部遊べないよな。兄ちゃんは女の子連れ歩けるのに……。思玲(しれい)ちゃんは朝はやくから兄貴と一緒なんだよね?」

 鼻をほじくりかけていた思玲(スーリン)がにっこりと顔を向ける。

「それは哲人さんの本物の彼女かな。十八歳のかわいい人です」
「あの瘦せた眼鏡の挙動不審な人?」
「それはモトカノ。今度のはさらに不審です」
「つまり思玲ちゃんはフリー?」

「弟君、服貸してくれないかな。背丈が同じぐらいだし」

 イウンヒョクが会話に割り込んでくれた。悠長だと目で訴えている。でも仕方ないだろ。自宅の前で弟と一緒。みんなが待っていなければ、このままここにずっといたい。

「いいっすよ。汚い家だけどどうぞ」
 壮信は何でも受け入れる。家へと土足であがっていく。

「俺は、思玲(しれい)ちゃんを東京に送り届ける。近々ちゃんとに帰省する。親父達には心配するなと伝えろ。壮信はしっかり勉強しろ。俺は弁護士、壮信は医者。約束を叶えるからな」

 はーいと間延びした声を残して、弟は半壊した階段を伝って二階へ消える。

「仲よい兄弟だな」
 にやりと笑いかけて、イウンヒョクも弟のあとを追う。モフモフ黒乱が追いかける。

 俺と思玲だけになる。

「ウンヒョクにバイクをお願いして、俺達は電車で帰ろうか」
 中型トラックなどレンタルするはずない。

「私がバイクを運転する。後ろに乗りたければ乗れ。……ズボンが泥だらけだし腰が痛そうだが、山から落ちたのか?」
 黒目がちな瞳で聞いてくる。

「白虎にやられてね。でも、ついに返り討ちにした」
 俺はポケットに手を入れる。思玲へと木札を見せる。
「おっと、お帰り」

 ニョロ子が肩に降りてきた。
 高速を走るトラック。その荷台をしばらく追う。
 かゆいところに届くじゃないか。標識まで視覚で教えてくれる。

「あいつは荷台に乗って東京へ向かった。ここは安全。病室も安全だね」
 俺の言葉にニョロ子がうなずく。

 思玲は飛び蛇と護符を交互に見ていたけど、企みめいた笑みを俺へと向ける。
「形勢大逆転だな。これで負けたら、腑抜けぞろいと末代まで笑われる。まずは眼鏡を探させろ」

 *

 隣の庭まで飛ばされた黒ぶち眼鏡をニョロ子が持ってくる。弟の服に着替えたイウンヒョクも降りてきた。

「机は無事だったから受験勉強するってさ。日本も同様に大変だ。……記憶さえなくなれば、白々しいほどにこっちの世界に関わらなくなる。俺達が異形との戦いで死んでも忘れられるだけ」
 そう言ってウンヒョクは子熊を抱きあげる。
「明日先生が日本に来るかもしれない。それまでに白虎の目を覚まさせるか、殺さないとならない。君達はタフのようだし、俺も単独行動を続ける。これは俺の責任だ」

「俺と思玲と一緒のほうが――」
 言いかけて気づく。白虎はもう俺を襲えない。峻計や貪がドロシーを襲えないように、純度百の白銀に匹敵するものを、俺が手にしたから。
 そこまで甘くないだろな。だが峻計には護符は効果ある。
「でも俺達と合流してください。ウンヒョクさんと協力して戦いたい」

「考えておくよ。思玲ちゃんとなら二人で行動してもいいかな。若い男性教諭と女子生徒の誰にも言えない秘密のバカンス」
「私は家庭教師と東京へ帰る。世話になったな。礼を言う」

 眼鏡をかけた思玲が即座にきっぱり言い、アフリカツインに向かう。

「鍵が刺さったままだ」
 彼女はまたがることなくエンジンを起動させる。「ヘルメットはないか。日本も必要みたいだが仕方ない」

 彼女は一度エンジンをとめたあとに、颯爽と飛び乗る。さきほどまで地面に座りこんでいたとは思えない。

「かっこいいな。つま先しか地面に触れないけど、運転できるの?」

「私は台湾人だぞ」
 思玲はイウンヒョクのちゃかしをいなす。
「哲人。帰りはお前が後ろだ」

 どうすべきだ?
 俺は一瞬だけ考える。無免許運転。二人乗り。もっと危険なことをしてきた。父と母。すぐに会える。破壊された家。俺のアパートだって壊された。でも生きている。
 何のために生きている?
 誰もが本来に戻るため。二度と忘れられないために戦い続ける。……そしたら未来が待っている。お天狗さんの神様が告げたこと。ポケットには、いつか出逢う人へ渡すものがある。

「了解だけどちょっと待って」

 屋外の物置も半壊してドアがはずれていた。そこから中学時代の自転車通学で義務づけられた白いヘルメットをふたつだす。ひとつを頭に乗せ、壮信のヘルメットを思玲に渡す。彼女はコメントせずにかぶる。顎ひもの長さを調整する。

「もう少し前に寄って。いてて」
 颯爽とはいかないけど、痛む身体にむち打ってタンデムシートへ腰かける。サイドのキャリアをそれぞれ握る。
「準備オーケー」

 思玲がエンジンを再びかける。

「生きて会おうな」
 イウンヒョクが笑いながらバイクのサイドスタンドを蹴る。

「よ、よせ。いきなり」

 思玲は巨体のバイクを辛うじて制御する。
 紺碧でなくなったアフリカツインが、二人を乗せてよたよたと動きだす。すぐに疾走を始める。信号がちょうど青で、国道へと曲がる。




次回「年上の年下女子を部屋に連れこむ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み