三十九の四 サスペンデッド

文字数 2,670文字

 琥珀がわざとらしく舌を打つ。
 風圧のかたまりは俺達の横の地面に激突した。衝撃が人である横根の髪を揺らす。紫色の煙が霧散する。

「しまった。黒い子犬が来るというのに、毒が飛んじゃった」

 川田が向かっていることも教えてくれた。

「ならば貴様が殺してこい!」

 峻計の声とともに小鬼がはじかれたように落ちる。地面で腹を抱えてもだえる。
 あいつの光を浴びたな。助けに向かいたいが、守るべき優先順位は……。
 手長が寄ってきた。悪いけど、守るのはドーンと横根だ。

ウングォ、ウングォ

 おぞましい化け物がふたつの棍棒を乱雑に振りまわす。残りのふたつの手で俺をつかもうとする。右側のフェンスが大きく歪む。左側のフェンスもひしがれる。俺は護符除けのために燃えるように熱い木札を、伸びてきた長い手に押しあてる。
 異形の大ザルが手を引っこめる。空に向かい怒りの吠え声をあげる。棍棒をひとつ投げ飛ばし、四つの腕で握った棍棒を俺へと突いてくる。俺は護符を握りしめた左手を、さらに右手で握りしめる。それを前へとかかげる。
 俺は巨大な棍棒を受けとめる。俺達を押しつぶそうとする力を……、押しかえす!
 彼女達を抱えたままだと、それだけで精一杯なのに、

ザザザザ

 多足のおぞましい顔が壊れたフェンスを伝い近づいてくる。俺は木札を親指と人差し指でつまんで、多足へとかかげる。
 護符を見て、大ムカデが無数の足の動きをとめる。鎌首をあげて怒りだし、俺へと毒の煙を吐きだす。なんらダメージを受けない俺は、横根とドーンを抱きしめる。……お天狗さん、こいつらも守ってください。

ウング……

 手長が足もとに漂う煙を見る。ついで多足を見た。化け猿はひとつだけの目をさらに赤くして、棍棒を投げる。ぶつけられた大ムカデが地面に落ちる。半身をあげて、大ザルへと毒牙を向ける。
 その隙に俺は駆ける。ベンチの上に二人を横たえる。その前に立ちはだかる。

「こんな相性の悪い奴らを一緒にお送りになられるとは」

 あいつはなおも姿を見せない。注意力を持続させないと……もう極限だ。

「琥珀、尖兵が来たよ。お前の旧知かもしれない。そっちを見にいきな」

 峻計が転がる小鬼に声をかける。
 尖兵? 旧知? 俺はなにも分からない。

「僕は十二磈じゃないから、黒羽扇を喰らってすぐに動けませんよ」
 ようやく起き上がった琥珀は、役者を続ける。
「仲間割れはやめましょうよ。あいつらが真似しているじゃないですか。こんな目にあわされても盾がないなんて、僕こそ一番の『北七』だ!」

 ……合図かよ。
 琥珀は盾抜きで矛になろうとする。でも姿を見せない峻計にどうやって隙を作らせるのだ?
 琥珀と目があう。

「座敷わらし。お前は白虎の盾のつもりかよ。あきらめて僕の盾になりやがれ。怒りんぼの峻計さんからのな。ハハハ」

 俺におとりになれと言うのか。この状況で。琥珀は頭に血がのぼっていそうだ。でも四玉を取り戻すには、作戦に乗るしかないのか?

「白虎の娘だけは逃がさないぞ。喰らえ!」
 小鬼が横根へとスマホを向ける。

「やった! フェンスに穴が開いた。また瑞希ちゃんを抱っこしていいから、そこから逃げてよ」

 桜井が上空で騒ぐ。……俺はまだ逃げられない。逃げるわけにはいかない。俺が盾となり琥珀が矛となり、奪われたあの……大事なことを忘れていた!
 あいつは扇を隠し持てるように、今も箱を隠し持つのかも。それでレベル11だかを喰らったら、四玉まで餃子の皮になってしまう。

「桜井まだだ! 俺はまだ逃げない!」
 俺はあわてて叫ぶ。
「四玉を壊さぬためにだ! 取り戻すまでは、

、あきらめない!」

 俺は琥珀に目を向ける。小鬼は呆気にとられていた。俺の言いたいことは伝わったようだが、やはり四玉の件を失念していたな。

「あんたは平気でも、みんなは平気じゃない!」
 桜井の怒った気配が遠ざかる。

「せ、青龍が逃げやがったな」
 地面にいる琥珀は安堵を隠せない。「峻計さん。哲人は多足と手長に任せて、僕達は青龍を追い――」
「なにが哲人だ」

 峻計の声とともに、琥珀が宙に浮かぶ。首をつかまれて持ちあげられたかのように。

「く、苦しいです。やめてください」琥珀がうめく。

「お前が劉昇、いや思玲の犬だったとはね」

 あいつの声が静かに響く。……ばれてしまった。あいつの怒りが暗渠からわき出ている。

「僕の由緒を知っていますよね? 裏切るなんて、あるはずないですよ」

 小鬼のフードが後ろにずれる。助けにいくべきか? リスクと比較して、そこまでの関係か? 姑息な俺は考えてしまう。

「知っている。あの三人以外では私だけが教えられた。だから、どんなに疑わしくても信じざるを得なかった。なおさらゆるせない」

 峻計の怒りの声に、二匹の異形さえかたまっている。琥珀は腹のあたりでスマホをいじっている。俺は駆けだす。

「殺すのは二匹のでかぶつにしてください。僕をやったら楊偉天が――」

 琥珀がスマホを顔の前に持ちあげる。操作を完了させようとする。

「老祖師と呼べ!」
「あいつらは餌だ!」

 画面をあいつへと向ける前に、小鬼の前で巨大な黒い光がさく裂する。……闇を飲むほどの暗黒の光。俺は立ちどまる。

カタカタン

 小鬼のスマホが地面へ落ちた音がする。琥珀は一声残して、瞬時に消されてしまった……。あいつが琥珀の消えた中空から目をそらすのが、なぜだか分かる。

 小鬼はリスクなど考えもせず、必死に俺達を守っていた。琥珀がいなければ、今だって俺達はどうなっていた? それなのに俺は見捨てようとした。
 とばっちりだ。自分への怒りもあいつへと向けそうだ。でも俺はこらえる。

「峻計……」

 それでも見えないあいつをにらんでしまう。
 俺はわきあがる感情から必死に耐える。さもないと四玉ごとあいつを消滅させてしまう。……峻計が俺を見つめている。震える手で黒羽扇を握っている。

 あいつが結界を消し、姿を現す。震えながら俺をにらんでいた。

「貴様を殺せぬ」あいつも怒りを飲みこむ。「貴様と思玲は、老祖師への生き証人になってもらう。私は一度たりとて殺されたくない」

 あいつが自分へと黒羽扇をかざす。帯びていたカジュアルが消え、その裸体へと黒いチャイナドレスがまとわれる。闇を吸いこむほどに漆黒のドレス。

「貴様と思玲が老祖師に殺されるのを見届ける。それが琥珀への最後の仕向けだ。――多足、手長、命乞いにいくよ」

 巨大な異形達が素直に従い、あいつの背後へもそもそと動く。峻計が俺をにらみながら指を鳴らす。楊偉天の式神達が消える。




次回「届かぬ灯を求めて」
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