二十一の一 座敷わらし対異端の魔道士
文字数 2,658文字
「楊偉天、あなたこそ人間もどきだ」
俺は老人をにらむ。俺の命に代えてもフサフサだけは助ける。お天宮さんの護符をかかげる……。
この臆病でためらってばかりの俺と似たり寄ったりの神様は、この期に及んでも俺に使われることに躊躇しやがる。戦えよ、戦ってくれよ。
「お前は不要だ」
雷型の護符を見えない襟へと放りこみ、幼児ほどの大きさしかない座敷わらしが、おのれの力だけを頼りに、びしょ濡れの老人をにらむ。すべての根源の萎びて小柄な老人に向かう。
「か弱き妖怪め。龍を呼んだな」
老人も俺をにらみかえす。
「神殺の鏡よ。このねじれはもはや戻せないのか。…そんなはずはないと言ってくれ」
老人が蜃気楼のように消える。横殴りの雨だけが残る。
ヒヒヒ
笑い声とともに鏡を持たぬ楊偉天が現れる。雷雨など意に介せぬように。
「ろ、老師……」麗豪の静かなる声がうわずる。「私達はいかがすれば」
「儂ならばここにいる」神殺の老人が言う。「お前達は儂とともに戦いなさい。命を賭してな。ヒヒヒヒヒ」
笑い声が響く。巨大な蜂が、蜂達を引き連れて上空で待機する。轟音とともに先走った雷が林に落ちる。対岸にも。
炎が河原を照らし豪雨に消えていく。フサフサは腹部を抱えて弱々しく痙攣している。
「さすがに大姐も気づいているはずだ」
背中に張りつく闇が言う。
「でも、あのお方は現れない。だとしても望むものを手に入れられるのなら」
友を誰にも渡さない。
「お前は黙れ」露泥無に命じる。「姿を現せ」
俺は風雨に叩きつけられる女の子にリュックを押しつける。身軽になった座敷わらしが浮かびあがる。
まずは楊偉天。そして峻計。倒す順番を頭に浮かべる。
露泥無である闇がリュックサックを覆う。見え見えだけど誰一人見ていない。
「お前は本物であろうが老祖師ではない」あいつは老人を笑う。「貴様には従わない」
指を鳴らす音は落雷にかき消されようが、峻計の姿が消える。麗豪も困惑しながら消える。
「オニスズメバチよ、追いなさい。人間には手をだすな。魔物だけ刺し殺せ」
蜂達の半数ほどが飛んでいく。残りは巨大な蜂とともに待機を続ける。老人が俺へと憎悪の目を戻す。
「座敷わらしよ――若者と呼ぶべきか。お前が選んだ道だ」
楊偉天が杖をあげる。
「どのみち龍は荒れ狂う。もはやお前の生死は関係ない」
楊偉天が杖をおろす。叩きつける雨が朱色に変わる。
浸みる……。この雨は朱色の酸だ。見えない体から、じゅうじゅうと煙がたつ。
たとうが、俺は老人へと飛びこむ。老人が杖をかかげる。
「白虎の光と青龍の破片。それを持ち、儂は立ち去る」
老人が杖をおろす。朱色の網が広がる。俺はひろげた傘ほどの横をかいくぐる。老人の頭をぶん殴ろうとして、
ヒヒヒヒヒ……
笑い声を残して消えられる。蜂達が動きだす。
酸の雨と落雷の、原初のごとき世界。稲光も見えない俺を照らせない。
巨大な蜂はなおも上空で指示を待つ。小鳥ほどの蜂達は俺めがけて飛ぶ。いまの俺のがずっと速い。中空に老人が現れたのを見つけ、蜂を引き連れて向かう。
忌むべき老人が俺へと杖を向ける。
無数の玉が揺らめきながら飛んでくる。俺へとロックオンされた光を、ぎりぎりまで引きつけて避ける。ふたつほど体をかすめてえぐられる。俺は顔をしかめるだけだ。老人へと握りこぶしを向ける――消えゆく幻を殴るだけ。
巨大な蜂が動きだした。
こいつに俺は小さすぎる。こいつを倒すことはできなかろうと、牙をたやすく避ける。エンマスズメバチは体を曲げて、俺に針を向ける。
あんなでかい針など刺さるものか。と思ったら、針の先から毒液を飛ばしてきた。
「うわっ」
悲鳴をだしかけてしまった。避けたところで、オニスズメバチ達に追いつかれる。蜂に囲まれて視界がなくなる。
「うわー!」
体をまるめて突破する。……刺されずに済んだ。見えない腕にたかる蜂が、酸の雨に溶けて落ちていく。
勝ち目はあるかも。大至急考えろ。
劉師傅は何度となく老人を倒した。あんな圧倒的な攻撃力は俺にない。……フサフサと川田は、麗豪を蜃気楼とさせずに押さえた。手放せば奴は消えた。
ならば素早い攻撃。つかんだならば二度と離さない。フサフサを救わせるまでは。
ヒヒヒヒヒ……
上空からの笑い声。朱色の蛇が無数に落ちてきた。分裂しながら俺に牙を向ける。
座敷わらしはすべてを軽やかに避ける。朱色の雨が、じわじわと俺を溶かしていく。自分の姿が見えないのが幸いだ。
「生き延びただけはあるな」
上空に浮かぶ楊偉天が杖をかかげる。そしておろす。
俺は見えない壁に押される。下へと飛び、結界をくぐり抜ける。
……閉じこめられかけた。
息つぐ間もなく、蜂の群れに襲われる。だが俺に近づくと酸に溶けていく――。赤い雨がようやくやむ。叩きつけるあっちの世界の雨だけになる。これすらも龍がもたらす兆し。
冷静になれ。この老人を倒しても無駄だ。陽炎のビルと同じく、また別の楊偉天が現れるだけだ。あの鏡が生みだす、神殺の楊偉天が笑うだけだ。……本物がいるはず。臆病な老人は近くで鏡を持ち、龍の登場に怯えているはずだ。
「探せ」俺は木霊に命ずる。「探せ」
すべての異形に命ずる。……林がざわざわとうごめく。
「お前は素早すぎる。時間はないのだぞ」
老人の声が背後から聞こえた。
「破片を穢したくなかったが。ノウマカイ……」
『心で歌え!』
思玲の声を思いだす。とっさに浮かんだのは童謡だった。
「おてて、つーないでー」
おばあちゃんと歩きながら歌った。いまは空を逃げながら心に響きわたらせる。
「野道をゆけばー」
不快ですまない声から、暴れる沢の上まで逃げ――俺のまわりだけ雨がやんだ。
ぎりぎり気づけた。岸へと必死に飛ぶ。
透明な膜が奔流へと落ちる。跳ねかえしの結界が、竜巻のように沢の水を吹きあげる。
「きりがない!」老人が絶叫する。「あとで腹を割かねばならぬが。高針 よ、食い殺しなさい」
エンマスズメバチが歓喜のように羽根を震わせる。顎をひろげて俺へと向かってくる。避けるも羽根ではじかれる。飛んできた毒液を、空中でのけぞり避ける。
こいつはさっきより俊敏だが、餌でないと襲えない程度の異形だ。オニスズメバチの群れが俺にしがみつく。空中を転がり振り払う。
俺はまだ刺されない。俺へと一直線に向かうエンマスズメバチを待ちかまえる。顎を避けて、巨大な複眼へと頭突きする。
巨大な蜂が暴れだす。まき散らす毒を浴びたオニスズメバチが溶けていく。
次回「雷雨さえも平伏する」
俺は老人をにらむ。俺の命に代えてもフサフサだけは助ける。お天宮さんの護符をかかげる……。
この臆病でためらってばかりの俺と似たり寄ったりの神様は、この期に及んでも俺に使われることに躊躇しやがる。戦えよ、戦ってくれよ。
「お前は不要だ」
雷型の護符を見えない襟へと放りこみ、幼児ほどの大きさしかない座敷わらしが、おのれの力だけを頼りに、びしょ濡れの老人をにらむ。すべての根源の萎びて小柄な老人に向かう。
「か弱き妖怪め。龍を呼んだな」
老人も俺をにらみかえす。
「神殺の鏡よ。このねじれはもはや戻せないのか。…そんなはずはないと言ってくれ」
老人が蜃気楼のように消える。横殴りの雨だけが残る。
ヒヒヒ
笑い声とともに鏡を持たぬ楊偉天が現れる。雷雨など意に介せぬように。
「ろ、老師……」麗豪の静かなる声がうわずる。「私達はいかがすれば」
「儂ならばここにいる」神殺の老人が言う。「お前達は儂とともに戦いなさい。命を賭してな。ヒヒヒヒヒ」
笑い声が響く。巨大な蜂が、蜂達を引き連れて上空で待機する。轟音とともに先走った雷が林に落ちる。対岸にも。
炎が河原を照らし豪雨に消えていく。フサフサは腹部を抱えて弱々しく痙攣している。
「さすがに大姐も気づいているはずだ」
背中に張りつく闇が言う。
「でも、あのお方は現れない。だとしても望むものを手に入れられるのなら」
友を誰にも渡さない。
「お前は黙れ」露泥無に命じる。「姿を現せ」
俺は風雨に叩きつけられる女の子にリュックを押しつける。身軽になった座敷わらしが浮かびあがる。
まずは楊偉天。そして峻計。倒す順番を頭に浮かべる。
露泥無である闇がリュックサックを覆う。見え見えだけど誰一人見ていない。
「お前は本物であろうが老祖師ではない」あいつは老人を笑う。「貴様には従わない」
指を鳴らす音は落雷にかき消されようが、峻計の姿が消える。麗豪も困惑しながら消える。
「オニスズメバチよ、追いなさい。人間には手をだすな。魔物だけ刺し殺せ」
蜂達の半数ほどが飛んでいく。残りは巨大な蜂とともに待機を続ける。老人が俺へと憎悪の目を戻す。
「座敷わらしよ――若者と呼ぶべきか。お前が選んだ道だ」
楊偉天が杖をあげる。
「どのみち龍は荒れ狂う。もはやお前の生死は関係ない」
楊偉天が杖をおろす。叩きつける雨が朱色に変わる。
浸みる……。この雨は朱色の酸だ。見えない体から、じゅうじゅうと煙がたつ。
たとうが、俺は老人へと飛びこむ。老人が杖をかかげる。
「白虎の光と青龍の破片。それを持ち、儂は立ち去る」
老人が杖をおろす。朱色の網が広がる。俺はひろげた傘ほどの横をかいくぐる。老人の頭をぶん殴ろうとして、
ヒヒヒヒヒ……
笑い声を残して消えられる。蜂達が動きだす。
酸の雨と落雷の、原初のごとき世界。稲光も見えない俺を照らせない。
巨大な蜂はなおも上空で指示を待つ。小鳥ほどの蜂達は俺めがけて飛ぶ。いまの俺のがずっと速い。中空に老人が現れたのを見つけ、蜂を引き連れて向かう。
忌むべき老人が俺へと杖を向ける。
無数の玉が揺らめきながら飛んでくる。俺へとロックオンされた光を、ぎりぎりまで引きつけて避ける。ふたつほど体をかすめてえぐられる。俺は顔をしかめるだけだ。老人へと握りこぶしを向ける――消えゆく幻を殴るだけ。
巨大な蜂が動きだした。
こいつに俺は小さすぎる。こいつを倒すことはできなかろうと、牙をたやすく避ける。エンマスズメバチは体を曲げて、俺に針を向ける。
あんなでかい針など刺さるものか。と思ったら、針の先から毒液を飛ばしてきた。
「うわっ」
悲鳴をだしかけてしまった。避けたところで、オニスズメバチ達に追いつかれる。蜂に囲まれて視界がなくなる。
「うわー!」
体をまるめて突破する。……刺されずに済んだ。見えない腕にたかる蜂が、酸の雨に溶けて落ちていく。
勝ち目はあるかも。大至急考えろ。
劉師傅は何度となく老人を倒した。あんな圧倒的な攻撃力は俺にない。……フサフサと川田は、麗豪を蜃気楼とさせずに押さえた。手放せば奴は消えた。
ならば素早い攻撃。つかんだならば二度と離さない。フサフサを救わせるまでは。
ヒヒヒヒヒ……
上空からの笑い声。朱色の蛇が無数に落ちてきた。分裂しながら俺に牙を向ける。
座敷わらしはすべてを軽やかに避ける。朱色の雨が、じわじわと俺を溶かしていく。自分の姿が見えないのが幸いだ。
「生き延びただけはあるな」
上空に浮かぶ楊偉天が杖をかかげる。そしておろす。
俺は見えない壁に押される。下へと飛び、結界をくぐり抜ける。
……閉じこめられかけた。
息つぐ間もなく、蜂の群れに襲われる。だが俺に近づくと酸に溶けていく――。赤い雨がようやくやむ。叩きつけるあっちの世界の雨だけになる。これすらも龍がもたらす兆し。
冷静になれ。この老人を倒しても無駄だ。陽炎のビルと同じく、また別の楊偉天が現れるだけだ。あの鏡が生みだす、神殺の楊偉天が笑うだけだ。……本物がいるはず。臆病な老人は近くで鏡を持ち、龍の登場に怯えているはずだ。
「探せ」俺は木霊に命ずる。「探せ」
すべての異形に命ずる。……林がざわざわとうごめく。
「お前は素早すぎる。時間はないのだぞ」
老人の声が背後から聞こえた。
「破片を穢したくなかったが。ノウマカイ……」
『心で歌え!』
思玲の声を思いだす。とっさに浮かんだのは童謡だった。
「おてて、つーないでー」
おばあちゃんと歩きながら歌った。いまは空を逃げながら心に響きわたらせる。
「野道をゆけばー」
不快ですまない声から、暴れる沢の上まで逃げ――俺のまわりだけ雨がやんだ。
ぎりぎり気づけた。岸へと必死に飛ぶ。
透明な膜が奔流へと落ちる。跳ねかえしの結界が、竜巻のように沢の水を吹きあげる。
「きりがない!」老人が絶叫する。「あとで腹を割かねばならぬが。
エンマスズメバチが歓喜のように羽根を震わせる。顎をひろげて俺へと向かってくる。避けるも羽根ではじかれる。飛んできた毒液を、空中でのけぞり避ける。
こいつはさっきより俊敏だが、餌でないと襲えない程度の異形だ。オニスズメバチの群れが俺にしがみつく。空中を転がり振り払う。
俺はまだ刺されない。俺へと一直線に向かうエンマスズメバチを待ちかまえる。顎を避けて、巨大な複眼へと頭突きする。
巨大な蜂が暴れだす。まき散らす毒を浴びたオニスズメバチが溶けていく。
次回「雷雨さえも平伏する」