二十二の二 わたつみの玉

文字数 2,035文字

 草鈴が聞こえて、そちらに向かう。

「車を使わせてもらったが、右ハンドルは不慣れゆえここまでにした。傷をおった身で結界をまとうのは厳しすぎる」

 大学の手前で早々に思玲と合流する。彼女が扇を振るう。軽トラックの荷台に現れた川田が地面へ飛びおりる。
 車を奪った経緯など聞きやしない。すぐに四人合流できたことを喜ぶだけだ。

「カカッ、やっぱお前達は目立つな。で、呼ばれた理由は?」

 ドーンの声だ。コザクラインコを引き連れて、空から降りてくる。

「哲人を呼んだだけだ。お前達までいたら目立ちすぎだ。はやく戻れ」

 思玲が草鈴を投げる。インコがくちばしでキャッチする。

「さすがにひどくね」

 二羽は連なり去っていく……。たしかにインコとカラスと狼がいたら目を引くな(そのうちの九割は狼だけど)。結界に頼りきりなのがよく分かった。

 思玲が荷台にあったロープで、狼に仰々しいひもをつける。俺は浄財の一万円札を何枚かワイパーに挟む。二枚だけ服の中に残しておく。
 横根に触れたが猫の感触のままだ。もしかしてこのまま白猫になってしまうのかと、また不安になってくる。

「こんなのこそ悪目立ちだ」
 自分の首に直接結ばれた黄色と黒の太いロープを見ながら、川田がぼやく。
「まとう結界って奴を俺にだけかけろ。引きずってやるから」

 片目になった狼はすごみを増している。思玲も小馬鹿にしない。

「人に当たれば弾き飛ぶ程度を試してみるか」
 思玲が扇を川田へとまわす。狼が消える。「重いだろ。私がまとっていたのはそれの数倍だ」

「へでもない」

 強がる川田の声が聞こえる。やけに音漏れする結界だけど、動けるみたいだ。

「人にだけはぶつかるな。身が露わになるぞ」

 なにもないところから狼が現れたら、誰だって卒倒する。

 *

 思玲に破壊された正門は封鎖されていて、通用口だけが通れる。夏休みの土曜であろうと理工学部の院生は休みなしみたいだが、警備員との押し問答を見ると入場制限されているみたいだ。
 俺達は信号脇から頃合いを見さだめる。人の目に見えているのは、目つき悪く周囲に気をくばる思玲だけ。俺だけなら校内にいけるが、彼女が来るまでは横根をおもてにだしたくない。彼女も川田を見守っているわけだし、一緒に残ることにする。
 絶えない人の流れに舌打ちした後に、思玲が俺を見あげる。

「瑞希はどうだ?」
「息がまだ荒いです。あまり変わっていないです」

 フサフサの言うゴンゲン様をでても、横根の人としての気配が伝わってこない。木札もまだピリピリしている。血に穢れた異形とずっと同じ場所にいるからだろうか。
 血は消えていた。思玲が押しつけていた赤い玉のおかげか?

「あの珊瑚はなにですか?」
海神の玉(ハイシェンイー)と呼ばれる。代々の女道士に受け継げられし宝珠だ」
 簡潔に答えられる。詰所だけをじっと見ていたが「祈りと癒しの玉だ。私のごとき生半可者でも、慣習ゆえに持つことを許された」
 ようやく付け足す。

「その玉が効かなくなって、瑞希ちゃんが苦しみだしたのか?」

 いきなり真横から川田の声がしてびっくりする。結界は存在を忘れさせる。

「効くもなにも、あれがなければ瑞希は消えてなくなる」
「どういうことだ?」
「珊瑚は瑞希の体の中にある。瑞希の心臓の代わりになっている」

 そう言えば、彼女の体に包帯を巻くときに見かけなかった……。ちょっと待て。

「そ、それって、どういう意味ですか?」
 今度は俺が尋ねる。

「いまさらなにも隠さぬ。瑞希は一度死んだ。桜井の情念があふれかけたので、いにしえの海の力が詰まったあの玉を、傷口から奥へと差しこんだ。今後は私のことを妖術士とでもなんとでも呼ぶがいい」
 理解しづらい事象を、思玲は目を合わせぬまま一気に言う。

「……横根は生きているのですよね?」
「抱えているお前が一番分かるだろ。――川田、好機かもしれぬ」

 思玲が会話を中座する。正門へと目を向けると、近辺から人間がいなくなっていた。

「あの木に行けば、瑞希ちゃんは元気になるのか?」
 結界でこもった川田の声が聞こえる。

「魂は身体に残っている」

 この女はみなまで説明しない。……カラス風に言えば、抜け殻になっていないってことか。ならば、
「川田、行こうぜ」

 見えない狼に声かける。「分かった」と川田が即答する。ガムを踏んだとぼやく声が遠ざかる。
 ……また学生達が通用口に向かってきた。若い守衛がおもてにでる。

「触れるなよ」
 思玲が人の耳には聞こえない声をかける。扇を握りしめながら通用口を見つめる。川田はすでに門のあたりか。
「無理するな。右に寄れ。休むな、もうすこしだ。……よし、そのまま裏へ向かえ」

 彼女は扇で頭上に円をえがき、おのれの姿をかき消す(周囲に気をくばってから消えろ)。俺も横根を抱えたまま校内へと入る。

「横根、学校だよ」

 おなかへ声かけても返事などない。詰所の時計を覗くと四時近くだった。あれから丸一日たったのか。あと一日しか、もとい、まだ二十四時間もある。




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