二十五の二 朧げなままの六人

文字数 4,575文字

 ドロシーの夏奈への言葉に凍りついたのは俺だけだろう。とりあえず自分を妹に例えてくれてよかった。単純な二人は仲直りして、ドロシーの俺への呼称は『哲人さん』に戻ったし。

「ようやくドロシーちゃんに告白したでしょ? そりゃそうだよね、ははは」

 夏奈から言われたし……。何もなくて何もないまま終わりそうな俺と夏奈。違った、終わってしまった二人……なはずは。惑うな俺。

 ***

 傘を借りて、あらためて空飛ぶジムニーのもとへ向かう。一人だと冗談抜きで危険だから、へとへとのドロシーに付き合ってもらった。夏奈までついてきた。

「ここは冬になると風が強くて砂嵐が起きるんだ。ははは」
「ワンダフルだ」
「“ぼっち”って知っている? 冬に来てごらん。畑にいっぱいあるよ」
「日本の冬は寒いから嫌。香港もだけどヒーターは使わない。雪も降らない」
「千葉だってほぼ振らねーし、ははは」

 夏奈から心に伝わる漢字が間違っているなんて指摘しない。ドロシーが日本での用法を勘違いするだけだ。……心への声。夏奈にはあの棒がないのに忌むべき世界にいる。

『でかい声だから聞こえたぞ。振るじゃなくて降るだろ』
「わお、うちの畑でも車がしゃべった。羽根ぽいエアロがサイドって斬新だし、ははは」
「南極大燕の九郎ちゃんを私が封印した。影添大社以外だと初めてかもしれない」
『お前の声こそうるさいんだよ。はやく解けよ。詫びを入れてこい!』

 白黒ジムニーが羽根をばたつかせて抗議してくる。ボンネットへ鳩に糞を落とされたらしき九郎の機嫌は悪化していた。

「みんなは封印されると楽だと言っていたけど」
『逆だよ逆。俺が車を運んでいるみたいだった。懸命な琥珀を立てて我慢してたんだよ。っていうかなんで哲人がドロシーと桜井と並んで歩ける? 三人で朝も夜も仲よくかよ。どうせなら思玲様も入れてやれよ、チチチ』

 下品すぎるジムニーだ。会話にならないから用件だけ伝えよう。

「九郎は上海へ行ったことある?」
『ねーよ。このかっこで行かせるつもりか。哲人は我が主レベルの阿呆かよ。あそこの軍隊に撃墜されるぞ。日本からの未確認飛行物体だ。戦争になるぜ』

 俺はともかく思玲を馬鹿にされるとちょっとむかつく。このペンギンは劉師傅に脅されて思玲の式神になったらしい。思玲の力に屈したわけではない。

「低空で飛べばレーザーに(たぶん)探知されない。でも不夜会を知らないならば韓国にだけ飛んでほしい。白虎の主に泣きを入れてほしい」
『はあ? キム老人に?』
「松本哲人は一度殺されて、王思玲は傷を負い影添大社に捕らえられた。それで充分だと思う。しかも関係ない香港人まで食われかけた。暴雪を連れ帰るように頼んでほしい」
『……いい考えだな。あの方を日本に連れてくれば、影添大社も下手にでるしかない。空荷だし、ひとっ飛びしてくらあ』

 言うなりジムニーが垂直に飛び、低い雲に消える。口は悪いが頼りになる伝令だ。
 本当は上海の沈大姐も巻き込みたかった。それくらい俺達に打つ手はない。

「戻ろう」と二人に声かける。また雨が強まって、三人はそれぞれビニール傘を広げる。

 ***

 夏奈の家は母屋と別に離れがあった(でっかい倉庫もある)。どちらも新しくはないが、離れだけで俺の家ほどだ。祖父母も元気なので三世代五人が同居。夏奈の唯一の兄弟である兄は、船橋にある会社の寮で一人暮らしをしているそうだ。
 離れの一階は出荷などの作業部屋であり、二階は兄の部屋だったそうで、そこで夏奈と横根が寝泊まりしていた。川田とドーンは庭で寝ていたが、広くてばれなかったらしい。番犬が怯えていたそうだ。
 夏奈の祖父母は専業で畑を営み、母は手伝いながらパート、父はピーク時以外は工務店に勤務しているとのこと。なにも知ることなかった程度の二人の関係。

「夏奈ちゃん大好き、夏奈ちゃん大好き」とうるさく尻尾を振る雑種らしき飼い犬へと、「私もだよ」と夏奈がにっこり手を振る。彼女が人から遠ざかったのを再認識できた。

「犬の声が聞こえるって怖い。いやな言葉を発していそう」

 ドロシーが言うけどそうでもない。俺も川田もドーンも聞こえるけど、早朝の野鳥(口悪くて露骨)以外は基本無口で互いに無関心だ(発情期は知らない)。
 フサフサとツチカベが例外だった。それとミカヅキ……。あの導きのカラスはどこにいるのだろう? もう会うことはないかもな。巻き添えを食らった他のみんなはいなくなったし。

 一階の天井が高いからか急傾斜の階段を登る。わお、氣志團のポスターが迎えてくれた。
 ヤンキー風味が残る東に面した部屋で、川田が寝ころび、横根がちょこんと座り、琥珀が浮かびながらスマホをいじくり、ドーンが開いた窓にとまっていた。俺も日焼けしきった畳に座ると、夏奈とドロシーが両隣に腰を下ろす。
 ペットボトルのお茶を茶碗で飲む。トレイに山積みのせんべいに手を伸ばしかけてやめる。六人と小鬼による今後を決める会議が始まった。

 とは言っても、俺がいない間は機能不全に陥っていたように、みんなが俺の言葉を待っている。

「やっぱり横にならせて」

 早々にドロシーがその通りの姿勢になる。……骨折せずとも打ち身青あざだらけの彼女には休息が必要。これは絶対だ。そうなると強いのは川田だけになる。俺は武器もなく果てるまで戦えるだけの人間だし、琥珀もレベル11が使えない……けど。

「琥珀はいにしえの呪い――」
「あれは我が主に使用を止められていない。だけど弱いくせに制御できない。味方も巻き添えになる」

 ライブ会場で兄ちゃん達が怒鳴りあっているけど何も聞こえないぐらいのシチュエーションがあったら、ぜひ試してもらおう。
 横根がいるのは心強い。鮮烈な祈りで、傷ついた川田と琥珀を珊瑚で回復してくれる。思いが昂ぶれば、おそらく十字羯磨がその手に現れる。……また透けるかもしれない。
 龍の資質が目覚めだしてしまった夏奈。ただの人でなくなったが、女子の股間を蹴りあげられる程度(よく仲直りできたな)。しかも標的だ。……ドーンはただのカラスじゃないけど、

「ガガ、また来た」
 そのドーンがいきなり鳴き声をたてる。「瑞希ちゃん笛をよろしく」
 部屋に飛びこむなり迦楼羅と化す。

「ち、ちょっと待って」

 横根が赤いカバンから横笛をだす。ドーンがひったくるように受けとる。目をつぶる。
 哀愁を帯びた旋律は、ただの人には聞こえない。ドーンは演奏がうまくなったけど、笛の音は明らかに小さくなっている。

「鴉天狗……はぐれものは迦楼羅と呼ばれる。法衣の背中に『迦楼羅夜露死苦』と刺繍が入るから判別は容易」
 妖怪博士らしきドロシーが寝ころんだままで言う。

「ちょっと待って。そんなの縫ってあるの?」

 いまだって赤文字でデカデカと記されている。知っていると思って指摘しなかった。

「ええ。星はどちらも0.5。空間機動力は高いが攻撃力は低い。鴉天狗は群れるとそこそこ強い。迦楼羅は微弱な魔道具を使いこなせるけど、我が強いので式神としては勧めない」
「カッ、どうでもいいし」

 ドーンが笛を吹きなおす。はぐれものだけど俺達と群れる鴉天狗が、いきなりハシボソガラスに戻る。畳の上に落ちた笛を、夏奈が拾い横根に手渡す。

「鴉の姿には戻った。でも満腹感はあるのか?」
 琥珀がスマホから目をはずして聞く。

「カカッ、本当は人に戻れりゃ最高だけどね。……あんまり腹の減りが減らないような」
「減りが減らないだって、ははは」

 夏奈は能天気に笑うけど、ドーンはいずれ笛を吹いても空腹はなくならず、迦楼羅のままになってしまいそうな気がする。そして人だったことを忘れて、仲間の鴉天狗を探す旅にでる……。
 夏奈だって老化が始まってるわけだし、タイムリミットだらけだ。
 俺はみんなを見わたす。

「俺とドロシーに何があったかは説明したよね。それで、俺達はドロシーの件を影添大社へ謝罪にいく。彼女を傷つけたことを謝ってもらう。思玲を解放してもらう。そして宮司から俺達に告刀をかけてもらう」

 こちらの都合丸出しの、受け身すぎで成り行き任せな作戦。だけど、そこに隠されたもうひとつの案も披露する。

「ドロシーはここで休む。琥珀は付き添い。五人だけになれば、藤川匠が四玉の箱を持って現れるだろう。修復されたそれを奪い、俺は異形になる。そして貪を殺す。その肝をみんなで食う。白虎も現れるかもしれない。その肝もみんなで食べる」

 案の定の沈黙。すぐにそれしかないことに気づくだろう。でも、
 たくみ君と戦わないで。
 反論があるとすれば夏奈。やはり彼女はすぐ隣にいる俺の顔を覗きこむ。

「ドロシーちゃんが狙われるかもしれない。ちっこい鬼だけじゃ不安だし、私もここに残る」

「違う。私がここで夏奈さんを守る。連れ回すべきでない」
 ドロシーが即座に言うが同じ意味だろ。

「僕もレベル10なら放てる。でも、ただでさえ弱いのにふたつに別れるのは愚だ」
 琥珀が俺をにらむ。

「だったら琥珀の案を教えて」

 俺の言葉にも、小鬼は考えるそぶりを見せない。またスマホに目を落として、

「思玲様を救う。それだけを目的にすれば打開につながる。だけど桜井ちゃんは向かわせない。このメンバーで一番強いドロシーと三番目に強い僕がここで彼女を守る。そして二番目に強い川田が松本の用心棒だ。天宮の護符を持っていけ。瑞希ちゃんもついていきな」

 仕切りだしやがったが、たしかにその通りだ。
 ドロシーには白銀がふたつもある。弱っているからと峻計でも襲撃してきたら、返り討ちにできる。残念のことにあいつらは臆病に感じるほど慎重だ。
 俺しか守らない天宮の木札は、俺が窮地になればアグレッシヴと化す。問題は川田が俺を守るかどうかだ。間違いなく横根を優先するだろう。

「だ、駄目だよ。夏奈ちゃんから変なのを抜かないといけないから、一緒にいかないと駄目だよ」

 横根が言葉を濁して言うけど、夏奈が貪を食べたら龍の資質が強まりそうだ。でも宮司の告刀がある。存在さえ朧げな究極の祈り……。

「まだ上海の宝がある。沈大姐ならば貸してくれる(かも)。夏奈はそれに頼ろう」
「哲人。俺も一緒に行くぜ」

 ドーンか……。見た目はカラスだけど異形。でもそれだけ。でも異形だから横根の祈りを授かれる。

「もちろん俺と川田と一緒だよ。さあ、タイムリミットがある俺達は立ち止まってはいけない。戻ってきた俺が率先して動きだす」

 すべてが朧だ。でも、月へんに龍でおぼろだ。明日の夜にはすべてが幻になっている。
 かっこいいセリフを吐く俺を、ドロシーが上気した瞳で見つめるのを感じる。夏奈も無言だけど、強くうなずいてくれた。
 気になることは峻計のなにげない一言。俺のなかの龍の光は不要と言った。嘘でないとしても、夏奈を守ることに変わりはない。だけど置いていく。ドロシーと一緒に置いていく……。
 思玲を見習え。ぐだぐだ考えずに動け。その先に沼が待っているのを覚悟すれば、たぶん落ちない。

「九郎はいないのだろ? 足はどうする?」
 ドーンが窓のサッシから言う。

「タクシーにしよう。ドーンはいつも通り空から追いかけて」
 リュックサックに札束がある。

「いや。ここの車を使う」
 川田がのそりと起きあがる。
「俺が動かす。狩りの始まりだ」




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