二十四の一 漆黒の扇
文字数 3,808文字
大カラス?
どこをどう見ても人間だ。なのに異形の気配が半端ない。
「あなたは台湾をでるときに、ずいぶん騒ぎを起こしたようね。さっそく桃園空港に魔道団の連中が出没していたわ」
峻計がどこからか扇を取りだして、みずからをあおぎだす。いく枚もの黒い羽根でつくられた、おおぶりな扇だ。
「あいつらの目鼻は異常よね。おかげで私は石垣島まで漁船に乗って、那覇経由でようやく到着よ」
その背後では、男が能面のような顔で立ちすくんでいる。
「もう行っていいわ」峻計は振り向きもせずに言う。「
人間の男性は荷物を置いて、来た道を去っていく。
「楊偉天の妖術ではないか」思玲が目をひろげる。「あのジジイも来ているのか?」
「老祖師と呼べ!」
峻計が黒い扇をあおぐ。黒い光が一直線に思玲へと向かう。彼女は小刀を横にかかげ、押されてよろめきながらも
峻計が返す扇でさらにあおぐ。バックハンドで黒い光が放たれる。
光は思玲へと向かわない。
「グワアアア」
鬼の絶叫が響きわたる。胸もとをかきむしる。
「あのお方がおらずとも、傀儡の術なら私でも使えるわ」
峻計がのたうちまわる鬼へと目を向ける。
「緑松、捕囚は許されないよ。さすがは鬼だ。簡単に消えないね。ならば仲間に会わしてやる」
扇を持たない手の指を鳴らす。
「私だって結界を張れるようになったのよ。姿隠しだけだけど」
キャリーバッグがもぞもぞと動きだす。爆発したかのように開く。
「ああ狭かった」
「それより腹が減った。山羊か豚でもいないか」
いやしい声とともに、また鬼が二匹現れる。……もう一匹いる。
「峻計さん。こいつらと閉じこめるなんてひどいですよ。匂いが染みつきましたよ」
小さい奴がぼやく。たんこぶのような小さい角をはやしている。……小鬼だ。
「
峻計がくだらなそうに言う。……魔道団ってなんだ?
琥珀と呼ばれた小鬼は宙に浮かんでいる。俺を怪訝に見つめ、だぼっとしたパンツをずりあげる。飴色の冬仕立てなパーカーのフードを深めにかぶる。パーカーのポケットからなにか取りだす。
異形のくせにスマホかよ。
「そうだ。圏外だ」
小鬼が舌を打つ。
「急だったから設定し忘れた。穴熊は傀儡を消す術を覚えたのだろ。だから老祖師は峻計さんをも送りこんだ。お前を殺すためにな」
思玲はほくそ笑んでいやがる。俺と目が合い、
「樹上に行け!」いきなり怒鳴る。「見てのとおり奴は空に浮かべる。宙で術をだし、桜井達に波動をかけるかもしれぬ」
命じられるまま俺は浮かぼうとするけど、峻計の扇が向けられる。
「哲人君と言うのね。やはり人ね」
妖艶に俺を笑う。
「人の知恵と土着の護符を持つ妖怪なんて、ちょっと面倒臭いね。どうやって、おなかの四玉を返してもらおうかしら」
とっさに腹を抱えてしまう。なぜに端から分かる?
「電波を引っぱったらつながった」
小鬼はスマホを操作している。
「こいつは座敷わらしって奴ですね。星は一個だけ。でも護符があるなら、僕でも牙を向けられないな。思玲が盾にするにはもってこいだね。はは」
すべてお見通しの異形と、スマホを所有する小鬼。こいつらはなんなのだ。
「峻計さんよ、俺達はなにをすればいいんだ?」
「他の奴らはどこだ? そこで緑松が死にかけているけど、あんたの仕業だろ?」
対照的に、黄色い腰巻と水色の腰巻の鬼達は突っ立つだけだ。
「黄玉と海藍宝は思玲の相手をしな。先に来ていた連中はみんな殺されたようだね。おそらく、その哲人っていう座敷わらしに。こいつは弱そうに見えるけど、食べる前に溶かされるよ」
峻計は俺へと挑むような笑みを向ける。
「で、緑松はなんで峻計さんにやられたんだ?」
おそらく黄玉だと思われる黄色腰巻が聞きなおす。
「ただの懲罰だよ」峻計が苛立ちげに言う。
鬼達はなおもぽかんとしていたが、グヒヒヒと笑いだす。
「悪さがばれたのかよ。ついてない奴だ。緑松はチーム分けのサイコロでも、下から三番目だった。グホホホ」
「海藍宝。俺達だけで穴熊をやっちまおうぜ。犯して食ってやる」
鬼達が思玲へと顔を向ける。思玲は動じない。
「上に向かえと言っただろ!」
俺へとどなるだけだ。でも思玲一人で戦えるのか。むしろ、さっきの川田との連係プレイのように、二人で力をあわせるべきかも。
小鬼がぽろりと言ったな。護符がある俺が盾になる。その背後から思玲が螺旋の光を放つ。いや、待て。あの黒い光は一撃で鬼をダウンさせた。護符より、思玲の術より強い。……小鬼の目には智が灯っている。あの言葉は罠かも。
「座敷わらしなど僕に任せて、峻計さんは思玲を倒すべきですよ」
琥珀はまだスマホを操作している。「こいつらは――」
「私の背後でそれをいじるな」
峻計が苦々しげに言う。「こいつの相手は私でないと無理だよ。お前も欲望を我慢しな」
「聞いただろ? お前らだけで思玲を殺せよ」
小鬼が自分の十倍ぐらいある鬼達をにらむ。スマホをポケットにしまい峻計へと、
「僕は上を見ますよ。青龍ほか四神くずれを確認します」
煙突からあがる煙みたいに浮かぶ。
桜井達こそ守らないと!
俺も反射的に浮かびあがる。小鬼を追いかける。護符を喰らわ
尻への衝撃。
ズドン
俺は吹っ飛び、大ケヤキの幹に激突する。ごつごつと老いた樹皮は静かに受けとめてくれたが、体の裏側が焼けるほどの激痛だ。悲鳴をあげながら、ずるずると地面に落ちる。あえぎながら振り返る。
「さすがは土着だね」
カラスの羽根のような扇を握った峻計が、きれいな顔を歪ませて笑っていた。
「かと言って本気で打つと、先に四玉がおしゃかになりそうだしね」
鬼達へと顔を向ける。「どれくらい木札が弱まったか、この子に触って試してみな」
鬼達がぎょっとした顔をする。思玲の亮相の構えが見えた。両手を交差させる。なのに峻計が半身になって扇をあおぐ。
螺旋の光は黒い扇の上に乗り、俺へと振るわれる……。
「哲人避けろ!」
思玲は叫ぶけど俺は動けない。金色と銀色がぐるぐると――。
光の直撃を受ける。妖怪としての自分が切り裂かれる衝撃だ。木札が守ってくれない。
「松本君!」桜井の悲鳴が聞こえる。
「この小さい奴はなんだよ」ドーンの怯えも聞こえる。
「思玲、松本君、助けて」かぼそい横根の声も……。
俺はなにもできない。意識が遠ざかるのをこらえるだけだ。
――すみません。あっという間に逃げられちゃいました
小鬼の声が聞こえた。
――なにをやっている。青龍は私達を受けいれなかったのか?
――完全に傀儡の術が消えちゃったようですね。それに小鳥になっていた。ちなみに朱雀もどきは鴉で、こいつも飛べるんですよ。どっちも僕よりずっと速い
体中が痛い。思玲はどこだ? 目を開けられない。
――よりによって飛べるのか。もう一匹、四神くずれがいただろ? 青龍への傀儡が消えたのならば、対局の方角に位置する奴が必要になる
えっ? 峻計の言葉に意識が覚醒する。
――そうなんだ。まさに白猫がいたけど、歯向かってきたので弾いちゃいました。いちいちにらまないでください
傷ついた横根になんてことを。生意気な口ぶりの小鬼が許せない。立ちあがりたいけど体が動かない。
――思玲が消えやがったけど、どうしやしょう?
鬼達が野太い声でおずおずとうかがう。
――役立たずばかりだ。お前達は私の弾よけになれ
セミも鳴かない。小鳥もさえずらない。車の音さえ聞こえない。ここにはもう、俺とこいつらしか存在しないと思えてくる。
「じっとしていろ」思玲の声がした。「危急の結界だ。あいつは気づく。機会を待つぞ」
彼女は姿を隠している。逃げずに俺を助けようとしている。
「みんなは大丈夫ですか?」
「今はおのれの身だけを案じろ」
思玲はすぐそばにいる。体熱すら感じるほどそばに。俺は視線を動かす。
いら立つ峻計が見えた。
「緑松、いつまでもわめくな。集中できない」
あいつが横たわる鬼へと扇をふるう。
鬼が断末魔の叫びをあげるなか、俺は腕を引っぱられる。思玲が目の前に現れる。……俺が結界へと入ったのだ。結界に包まれても木札は抵抗しない。
「
彼女の言うとおりだけど、俺だって好きで鬼やカラスを殺したわけではない。思玲は小声を続ける。
「峻計に術を当てるのは至難だ。当てられる確率のが高い。ゆっくり動くぞ。離れたら全力で逃げるからな」
全身が焼けているみたいだ。おそらく俺は動けない。彼女に任せるしかない。
「木札はもとに戻るのですか?」抱えられながら尋ねる。
「割れているか?」
彼女は身を引きずるように地面を進む。俺は木札を見る。ひびすら入っていない。
「お前のように強い札だな。ならば祈れば戻る」
そんな簡単に済むのならば俺の体も回復してもらいたい……。俺は彼女の胸もとを見る。思玲も俺の視線に気づく。
「珊瑚がなかったな」小さく舌を打つ。「どのみち私には無用の長物だ。近所に清い場所はないか? この木やさっきの社など比較にならぬ所だ」
俺に分かるはずがない。思玲がまた舌を打つ。峻計が鬼達に背中を守られながらケヤキに近づいてくる。
次回「差しだすものあり」