三十の二 陰陽士の結界

文字数 2,330文字

 荒れた未舗装路だ。大蔵司が外にでて伸びをする。ドアを閉めてからやってほしい。数百匹の異形の蜂の羽音が聞こえてきた。横根がさらにしがみついてくる。大蔵司がハッチを開けて中をあさる。だから、さきに結界を張れ。
 大蔵司は張らずに後部座席へなにかを投げる。

「家ではメンズの上下なの」
 Tシャツと膝丈ほどの短パンだ。
「昨夜四時間着ただけだから、帰りの着替えに持ってきた。男性の裸は好きじゃないから着てもらえないかな」

 ゆったりめを選んでいるのかサイズ的には問題ない。こちらもプリントされた英語が恥ずかしいが、お言葉に甘えさせてもらおう。

「洗って返しますので」
 襟元に彼女のシャンプーの匂いを感じた、などとやっている場合じゃないだろ。

「結界を張るんだよね? もういいんじゃないの?」
 琥珀が緊張した声をだす。

「おしゃれじゃないペンダントだけど、彼女にくっついていなよ。運が良ければ刺されないかも」
 大蔵司が笑う。

 珊瑚のことか。……オニスズメバチ達は横に広がった。もはや靄でなく虫の集団だと視認できる。カチカチと顎を鳴らす音さえ聞こえる。

「陰陽士の結界は、いずれ消えるじゃない」
 彼女の手に神楽鈴が現れる。「ギリギリまで引きつけないと」

 引きつけ過ぎだ。蜂達がおもてにいる彼女に気づいた。大蔵司が神楽鈴をかかげる。

「人封」

シャリシャリシャリン

 鈴の音とともに、彼女の体がしめ縄に巻かれる。

「空封」
 蜂達を払い落としながら広がっていく。

「地封」
 ピンクの軽自動車は、丸に十字のしめ縄に囲まれる。

「五分ぐらいで消える」
 大蔵司がサングラスをはずす。「そのあいだはUVもカットされる」

 結界に当たったオニスズメバチが引き裂かれたように落ちる。なおも群がり、ちぎれていく。小さな結界を囲むように、蜂達の死骸が積もっては溶けていく……。
 この結界は危険すぎる。味方であったのが幸運だ。

「飛ばないほうがいいな」

 九郎が運転席から跳ねおりて、よちよち歩いて小さい羽根で伸びをする。琥珀もツノをさすりながら地面低くに浮かぶ。

「声もだせないよね」横根が言う。「こんなのばかりだね」

 車には彼女と二人きりだ。……横根は記憶よりもずっとかわいい。服や頬が汚れたままの異形であっても。

「あのとき、揺らめいた屋上に朝が来たよね」
 くりっとした目で見あげてくる。
「そして夏奈ちゃんは龍に、私は連れ去られ、川田君は犬のまま……。でもドーン君と思玲、松本君は戻ってきてくれた。私達を救うために」

 瞳が涙で満たされる。直視されると吸いこまれそうだ。

「横根の手紙のおかげだよ」
 俺は目をそらす。
「だからみんなを信じる。あの言葉がなかったら、俺は戻らなかった。戻れなかった」

 大蔵司は煙草に火をつけて、人の背の半分もない異形と談笑している。横顔さえも絵になる、きれいな人だ。けど媚びないドライな美しさだ。
 空を見ても、オニスズメバチはもはや飛んでいない。積もった死骸も消えている。彼女達は結界が自然に消えるのを待っているのだろう。

「なんで松本君が知っているの?」
 振りかえると、横根は赤面していた。
「あれを読んだの? ……私のカバンを見たんだ。勝手に見たんだ」

 照れて紅潮した彼女は極めてかわいかったが、忘れるはずない。横根こそヤバい。

「いろいろ事情があった!」
 横根へと身がまえる。
「あの紙切れが一番上にあった。ほかは見ていない!」

 財布は見たけど。
 横根はなおもにらんできたが、目を伏せる。

「あの箱を開けるまえの五人で会いたい」
 あわてて俺の目を覗きこむ。
「か、夏奈ちゃんを責めてるわけじゃないよ。……あのとき、夏奈ちゃんが松本君を助けてくれたんだよ。夏奈ちゃんが自分から龍にならなければ、誰一人もういないよ。絶対に」

 そうだと思う。陽炎がゆらめく屋上。俺はじきに楊偉天のもとに引きずられ、横根を生贄に儀式が始まっただろう。青龍が生まれ、俺は殺され、ドーンは消え、川田は忌みすべき異形のまま町をさまよう。封じられた思玲は、峻計達の前で人に戻される……。

「昨日、夏奈――、桜井の人の心とちょっとだけ会えた。だから、また会える」
 そうだ、あれを聞かないと。
「手紙の話に戻るけど怒らないで。桜井に教えることがあるって書いていたよね」

 横根がうつむく。彼女は紙に記すことさえためらっていた。ましてや口にだすなんて、ってことか。だったらなおさら聞かなければならない。なのに琥珀が戻ってきた。

「あの女がいると、日本からの外注がなくなりそうだな」

 後ろ指をさされた大蔵司が吸い殻を踏みしだく。

「縄が消えるなり飛ばすから、ベルトをしとけ」
 九郎が運転席に乗る。

 大蔵司も九郎が滑らぬように乗りこみ、
「彼女彼じゃなさげだね」俺達をにやりと見る。「私は今年二十一。君達は?」

「二十歳」
「私は早生まれだから、来年二十歳」

「二人とも利口そうだし学生でしょ。……瑞希はマジでかわいいよね」
 彼女はバックミラー越しに横根を見つめていた。
「かわいい同士で人間に戻ったら遊ばない?」

「京、一服は終わっただろ。アクセルの準備をしろ。あとはノンストップだからな。トイレにも寄らねえ」
 九郎も乗りこむ。

 体のだるさは取れないが唇が青ざめるほどの寒さは消えた。車からスマホに無料で充電させてもらう。十字のしめ縄がかすんできた。

「台輔、いきめよ」
 大蔵司が言う。エンジンの回転音が狂気じみた。
「発進!」

 しめ縄が消えると同時にピンクの車が飛びでる――。前方から飛んできた巨岩と、かすめるように交差する。

「お坊さん?」

 大蔵司が手を伸ばしクラクションを鳴らす。蜘蛛の巣のフロントガラスの向こうに、オレンジ色の服の男が立っていた。




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