五十七の四 戦場へとシフトアップ

文字数 4,401文字

 みんなでおにぎりをいただく。忍以外の人数分あった。
 異形なドロシーは不要(ぷやう)らしいが、俺が食べるタラコにぎりを、しがみつきながら物欲しそうに見ている。自分の取り分のちまき風おにぎりはリュックサックにしまっていた。
 俺はゆっくり食べる。ドロシーの気が変わってくれないか願いながら。

「鱈の卵ってどんな味?」
「半分食べる?」
「うーん……不要(ぷやう)。私が食べたいものは違う」
「ごほごほっ」
 思玲がむせた。

「やっぱり哲人とドロシーちゃんは仲いいね。私は存在しないみたい」
 紅しゃけにぎりを食する夏奈の言葉が、若干周囲を凍らせる。

「へっ、あきらめたんだ」
 ドロシーの言葉こそ凍らせる。

「俺には異形さん(ドロシーのこと)と桜井ちゃんのが仲良く見えるけどな。姉妹みたい」
 何も知らないウンヒョクが焼肉入りおにぎりをほおばる。

「ははは、そうかな?」夏奈がうれしそうに笑う。

 俺は確信しだしている。

「日本の料理は生臭いイメージ。だけど味見だけする」
 ドロシーは聞いていない。俺のおにぎりに指を突っ込み、手についたたらこを舐める。
「まあまあ好味(ほおめい)

「日本食が気にいった、ははは」
 夏奈がまた笑う。「忘れたままが一番だ、ははは」

 確定した。今ここにフロレ・エスタスがいる。

「気づかぬふりが最善です」
 忍がすかさずつぶやく。「この方も関わっているのなら」
 ドロシーをちらり見る。

 忍が有能すぎるのも確定した。ならばそれに従おう。

「お前らはのんびりしすぎだ」
 食事を提案した思玲が、真っ先に昆布のおにぎりを食べ終わる。ペットボトルのお茶をふた口飲みカバンにしまう。
「さきに行くぞ」
「コケコッコー」

 思玲がぼーっとしていたコカトリス矮小種に飛び乗る。ほかの者も急いで残りを口にいれる。

「四人も乗ると遅くなりそう」
 もごもご言いながら夏奈も鶏子のもとへ行く。騎乗するのをウンヒョクが手助けする。
「ありがとう。でっかい龍がいたらみんな乗せてひとっ飛びなのに、ははは」

「さっき異形さんは、桜井ちゃんを抱えて浮かんだよな。種を越えて愛しあっているなら、哲人は抱いてもらえばいい」

 ウンヒョクが自分も鶏子へ乗りながら言うけど、ドロシーに抱えられて運ばれろだと? 俺はただの人間だぞ。……夏奈だって、まだ一応はただの人だ。なのに思玲とウンヒョクに挟まれて、(正直言うと気色悪い)コカトリスに乗っている。

「わかった。その方法ですぐに追いかける。鶏子、行先は樹海だ」
「コケ?」
「鶏子ちゃん、富士山の裏側のふもとへ飛んで。湖が五個あるって」
「コケコッコー!!!」

 裏富士なんて呼び方は地元民に失礼だけど、鶏子はドロシーに雄たけびで答えて飛んでいく。さすがによたよたしている。思玲が姿隠しをかけたようで、いきなり消えた。

「では済ませましょうか」忍が微笑む。

 その時が来てしまった。ドロシーは人に戻って傷を治して、再度異形になる。絶対に俺の脳みそは改ざんと忘却で混乱の極致になる。……でも忍が、心配するなと言った。俺は彼女(いまは蛇ではない)を信じる。

 だったら今こそ伝えよう。まだ異形である彼女へと、人の世界に連れ去ろうとした俺が。

「その前に言っておくことがある」
 俺は二人に向かいあう。ドロシーを見つめる。
「俺が好きなのはドロシー。忍も、蛇であったニョロ子も好きだけど、選ぶのは一人しかいない。梓群だけだ」

 告げておけば、二人が戦いで死ぬはずない。未来が待っているのだから。
 ドロシーは潤みだした目で俺を見ている。

「夏奈だって好きだ。彼女から龍の資質を抜くのに命を賭していい。でもその結果、夏奈はいまの俺を忘れて、大学のサークル仲間に戻る。川田もだ。俺とドロシーだけになる。二人きりのカウントアップが始まる」
 姑息な言い分だろうと、ニョロ子であった忍がいなければ、抱きしめながら告げていた。
「だから上海へ行かないで。香港に帰らないで」

 九月の青い空はまだ(かげ)らない。でも都心の雑多なビル群の東の空に、白い月が知らぬ間に浮かんでいた。

「プロポーズされた。ドリームカムツルーだ」
 ドロシーが赤らみながら拡大解釈する。
「だけどまだ未成年だ。だから三年待って。そして一緒に香港へ……もう帰れないよね。だったら最高の夢のままでいい」

「結婚は置いといて、未来は夢でなくて――」
「それぐらいでいいでしょう。鶏子さんに追いつけなくなります」
 忍のきつい声がした。

「そうだった。戦いの時間だ」
 ドロシーが首肯する。強い眼差しで空を見あげ、手をひろげて深呼吸する。

「でも俺の言葉を覚えていてね。そしてすべてが終わったら考えてよ」

 その瞬間は、もうすぐそこにあるはずだから。
 川田が人に戻る。夏奈が龍でなくなる。ついでに諸悪を倒す。それで終わりだ。

 ドロシーは戦場への眼差しのままで俺を見つめなおす。

「いまの君の言葉は宝物だ。たとえ哲人さんと離れ離れになっても、きっと我慢できる。愛しあっていられたら、海を隔てて時が過ぎようと耐えられる」

 そして手にしたままのリュックサックへつぶやく。

「決戦だ。おびえろ」

 それは悪しき化け物達への宣戦布告。藤川匠への挑戦状。

 玉が震えだし、二人の姿が瞬きの間に変わる。思玲の服を着た忍がよろめく。ドロシーが肩までの黒髪を耳にかける。

「どっちのドレスもかわいいね。ずっと見ていたい」
「へへ」

 紫色のチャイナドレス。人に戻ったドロシーがはにかむ。すぐに右腕を押さえて顔をゆがませる。

「忍。記憶が残っているなら早くさすって」
「あなたは誰ですか? ふふ、冗談です。しかし我が主に命じられなければ」
「すぐに治してあげて」

 戦いが終わっても俺とドロシーは離れない。愛しあっているのなら耐えられるはずないから。愛しあっていられるのだから……。

 君はドロテアの生まれ変わりだろ。夏奈と何度抱きあっても忘れたままなの? フロレ・エスタスは身を削り護るほどの宝物を思いだしたようなのに。
 君は過去より俺を選んでくれたの?

 そんな言葉を告げるはずない。夏梓群のままで終われるのが、きっとドロシーにとって最善なのだから。
 そして夏奈から赤い龍に消えてもらえばハッピーエンドだ。

「哲人様の思いを汲んで、私はドロシー様にも従います」

 先回りしすぎの忍は、三つ編みの女の子になろうと記憶を残したままだ。ドロシーの手首の添え木をはずし、紫色に腫れた手首をさする。

「へへ、治った。忍ちゃん、人間のくせにありがとう」
「当然の行いです。代わりに、私の所業に目をおつむりください」

 興味津々に眺めていた俺へと、忍がすっと顔を寄せる。唇を重ねてくる。
 俺とドロシーの時間を止めた五秒間。忍が唇を離す。

「大蔵司などの血の力を利用させてもらった、主と式神の関係を越えるための誓いです。これで哲人様がただの人に戻らぬ限り、互いを忘れぬことはないでしょう。私とともに人や異形と化す方さえも覚えたままです」
 悪気なくウインクする。
「身に余るふたつ名ですが、私は有能と冠されます。そのような式神を誰もが我が物にしたい。例えばデニーさん。彼は私も欲しています。でもこれで、あの方に名を呼ばれても哲人様から離れることはありません」

 俺は唇に手を当てる。……血がついた。お天狗さんは発動しなかった。
 心のなかで我が式神に感謝する。忍とともに異形になったドロシーを忘れないで済むようだ。

「二度とするな。つぎは成敗する。……私

だと? デニーさんは他に誰を手にしたい?」
「賢いドロシー様、ささいな言葉尻をとらえないでください。……火伏せの護符は、我が主が引き続きお持ちになるべきです。ただの人に過ぎないのですから」
「当然だ。私には不要(ぷやう)。おにぎりも不要(ぷやう)

 俺は生身のままで戦場へ向かう。誰もが当然だと思っている。頼りになるのはお天狗さんの木札だけでない。俺を愛してくれるドロシーと、怖いぐらいに忠実な忍がいる。

「何度もやると玉が壊れるから丁寧に唱える……はやく触れろ」
「焦らずとも鶏子さんに追いつけますよ」
「さっきと言ってることが違う」

 二人はまた紅色に包まれて異形と化す。麗しきニ体の魔物に俺の記憶は混乱しない。さすが忍のキス。

「どっちのドレスが似合う?」
「両方とも」
「へへ」

 紅色のチャイナドレスの異形になったいまのドロシーのが素敵だ。でも人間のドロシーのが大好きだ。

「私も気絶しませんでした。経験したことを力に変える。これも有能と呼ばれる由縁かもしれません」
「俺こそそう思うよ。式神になってくれてありがとう」

 しかも今はナチュラルな赤髪のエキゾチックな美女だし。ジャージだけど。やはりブラをしていそうだけど。

 異形ドロシーがリュックサックの紐を調整して背負う。ようやく出発だ。まずは思玲達に追いつく。そしてデニーと川田に合流する。日没を迎えたら峻計が待っている。
 作戦を練らないとな。思玲と二人だけと見せかけて、みんなであいつを消滅するまでタコ殴りする作戦。成功しそうもない。策は忍に任せよう。

「いってらっしゃいませ、オホホ」
 桃子がいたのか。ずっと見られていたと思うと、モモンガ顔の巨大毒蛾相手でも恥ずかしい。

「ここを任せるよ……。忍は俺とドロシーにも姿隠しをできるの?」
「私が身を隠すのは結界ではございませんが、私にだって手落ちはあります。そうでなければ哲人様に捕まることなく式神になれませんでした」

 つまり空を飛ぶ俺達を隠せないってことか。

「どっちにしろ閉じ込められるのは嫌だ」
「ドロシー様は身をさらしてください。私は飛び蛇のときと同じく、抱きかかえたものを消すことできます。なので我が主と抱き合い向かいます」
「忍が一人で飛べ。出発だ!」

 浮かぶドロシーに左手を握られる。同時に肩が抜けるほどに引っ張られる。だけど痛くない。
 俺は宙に浮かんでいた。体が水平になる速度で、手を握りあうだけで東京上空を高速で飛ぶ。信じているから怖くない。

「ご案内します」

 やはり水平に飛ぶジャージ姿の忍が、俺の右手を握ってくる。両手をつかまれて空を引きずられる。さらにさらに安心できた。
 加速しながら空飛ぶ丸見えの三人。愉快なぐらいだ。お天狗さんはポケットではらはらしている。ギアはファイナルへ向けてシフトアップが完了した。

 ……夏奈はドロシーを求めているようにさえ見える。それへの嫉妬はない。危うさも、いまはまだ感じない。……赤い龍。金髪の女の子。
 時間も場所も違う。出会えるはずなくても抱きしめてあげたい。龍だって。

 晴れた空の向こうに茶色い富士山が見えた。導きのように、川田も夏奈もそこへ向かう。到着すれば前哨戦が始まる。
 そして過去も未来もそこへ集結する。龍も虎も。最後の敵も。

 俺は確信している。満月の霊峰のふもとに、善きも悪しきも全てが集まる。藤川匠も。




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