五十七の三 有能すぎるJK
文字数 5,090文字
「くっ」
紅色の光から現れた異形がよろめきに耐えた。……人の目に見える人の形の異形。若い女性の姿。
「さすが元異形とだ。哲人さんと交わるより力がこみあがる。添え木も消えた」
どくん
異形なんて言葉で済ませられない。こいつは魔物だ。人に害なすものだ。だけど……。
どくんどくん
踏んばる化け物のいでたちは紅色のチャイナドレス。前髪は薄くぱっつん。両耳の上でお団子になった黒髪を赤いリボンでデコレートしている……。いわゆる古典的チャイニーズガールスタイル。
「やばい、やばい」
屋上から浮かびそうになって、俺にしがみついてくる。
「へへ。慣れるまで哲人さんが重しになってね」
「え? あ、ああ」
払いのけるなんて無理だ。だって、この異形はかわいすぎる。しかも俺を見つめてくる。……挑発的なのに品よくふくよかな唇。切れ長のアーモンドアイ……。
即断しろ。
即決した。最優先事項ができた。
魅入られただろうが惑わされただろうが知ったことか。この子を人間に変えよう。無理やりだろうと人にしてしまおう。そのために大蔵司から陰辜諸の杖を奪う。
そして俺が人の世界へエスコートしてあげる。
「うーん……」
うなされた声に、俺は地面に目を向ける。赤いロングヘアの女の子が気を失っていた。黒色がラインで入った極めて薄紅色のジャージ姿。こいつも人の目に見える異形だ。
こっちもきれいだけど、なにより俺に抱きつき上品な香のかおりを漂わす人へと。
「お、俺の名前を知っているんだ。君の名は?」
「……忍も人の姿のままだ。君は見ちゃダメだよ」
これぞ異形。抱きついているくせに、人間の声に耳を傾けないではないか。
「ほほほ、いつもいつもドロシーちゃんは素敵ですこと。そちらはニョロ子ちゃん? いつの間に? さすが隠密の蛇、人の姿にもなれるのですね。しかも変わらずキュート、ほほほ」
「頭が痛い」ウンヒョクが眉間に手を当てる。「怖いほどの美人……ここにいた。それがこの異形? 中国のJKらしき異形が蛇?」
「へへ、混乱しているウンヒョクさんでは戦えない。夏奈さんのお守 りは交替だ」
きれいすぎる異形が俺に腕を組んで勝ち誇っている。……ドロシーと言う名前か。愛らしい忌むべき声は癖のある中国語。でも日本語混じりだから混乱しそう。しかも教室の窓から校庭を挟み校門へ呼びかけるほどの大声。俺はどちらも慣れたように平気だけど……。
押しつけられる感触からブラをしている。異形のくせになんて奴だ。だけどゆるす。
「その嫌らしい眼差しから察するに、哲人も記憶が消えたか?」
眼鏡をかけなおした思玲が舌をうつ。
「混乱していようが一緒に向かってもらうからな。飛べるだろうニョロ忍も連れていく」
「……私を忘れたの?」
かわいすぎる異形が俺の目をのぞきこむ。頭が痛くなる。俺は返事できない。
「覚えている。忘れられない」
その声に、誰もが夏奈を見る。
「そっちの子は知らない。でも人だったドロシーちゃんを覚えている。忘れたくない。もっと思いだしたい」
夏奈は泣いていた。
「異形になんかなるなよ。なおさら離れちまうだろ。人に戻れよおおおー!!!!!」
「ひい」俺は悲鳴をあげる。
「うわ」ウンヒョクもうめく。
「ちっ」思玲は舌を打つ。扇をまたも広げる。
ドロシーが俺から離れる。
「だめだよ」と夏奈にしがみつき、その肩に頭を乗せる。「耐えて。がんばって」
二人はふわりと浮かびあがる。太陽に南西から照らされる。
「……降りてきて。二人とも」
いなくならないように、俺は空へ手を伸ばす。
「夏奈も。……梓群も」
この人は異形なんかじゃないだろ。俺の最愛の女の子だろ。
「俺がドロシーを忘れるはずない。だからおいで」
「そ、そうだよ、ドロシーちゃん、愛する人が待っている。降りよう」
「龍にならないで。夏奈さんのままでいて」
ドロシーは浮かんだまま。涙声だった。
「……わかった。ほら、公園の子どもが指さしている。もう泣くな。私も泣いてない」
「……ほんとだ、へへ」
二人が俺のまえに降りてくる。二人そろって赤い目で俺を見てくる。
「やっぱり哲人さんは素敵だ。そして夏奈さんも一緒にいく。私しか守れない」
「ドロシーちゃんと一緒にいる。私は哲人より彼女が好きだった。ごめんな」
「私は夏奈さんより哲人さんが好き。だから哲人さんも守る」
「守られてきたくせに。ははは」
「へへ、相思相愛だからだ」
二人とも涙も拭かぬまま笑顔になる。
「……哲人は私とキスしまくったばかりだぞ。そんな奴でもいいのか?」
「だから? 私はたった今キスしたばかりだ。哲人さんはやさしく抱いてくれた。みんなが待っているのに、私は怪我していたのに、またも私を欲望で押し倒そうとした」
「嘘つけ。どうせ業務的に唇を合わせただけだろ。そんなのはキスと呼ばねーんだよ。いまの世の本当のキスってのはな、胸を直接――?」
「宝を護る龍……。おのれの身を削る咆哮だった」
ジャージ姿の女子高生が立ち上がっていた。……忍だ。ニョロ子は蛇に戻らず人の姿の異形になった。
「それを浴びたおかげで、私も
赤髪の忍がほほ笑みながら俺へと歩む。
「敵であった私を赦してくれた哲人様。かすれた私に何度も血を恵んでくれた我が主。私はどんな姿になろうと、あなたの式神です。あなた様の目であり、耳であり続ける下僕です」
温かい両手で俺の手を握ってくる。……真面目そうで隙のない女子なのに、夏奈よりドロシーよりセックスアピールがあるような。異形だろうと欲望を感じそう。
「ニョロ子は手をつなぐな! 通学姿なんてダサすぎだ!」
チャイナドレスのドロシーが水平に飛んできて、二人の手を離させる。代わりに自分が俺の手を握る。
「我が主のバディであるドロシー様。人の姿の私は忍とお呼びください」
真面目系女子高生が笑みを浮かべる。
「それと私に命じられるのは、
ばらしやがった。
「哲人が忘れるはずない。ドロシーちゃんがきれいすぎて見惚れただけ」
夏奈がフォローしてくれた。……違和を感じる。夏奈はドロシーしか見ていない。だとしても。
「そうだよ。俺はドロシーを覚えていた」
俺は嘘を続ける。だけど夏奈の言ったことも事実だ。たしかに俺はドロシーに呆けていた。何度も一目惚れさせる人。
「そうだ。哲人さんは二人の愛を忘れない」
ドロシーは忍をにらんでいる。
「それと私は女だからバディと呼ぶな。哲人さんのパートナーもしくは恋人と呼べ」
「さすがは我が主のパートナーであるドロシー様。……この服装をダサいとおっしゃいましたが、日本の中高生が体育で着るものと同じです。チャイナドレスよりこちらに嗜好を持たれる殿方のが多いでしょう」
「……蛇のくせに。人の姿のくせに」
ドロシーの握る手に力がこもったぞ。
「人の姿であるのは同じでは? 自慢の頭をもっとお使いになるべきでは?」
忍は笑い続けているぞ。ドロシーに挑戦的だぞ。
「それくらいにしとけ。蛇女は峻計の果し合いの地を覚えているか?」
思玲が割って入る。「飛べるか? ニョロ蛇ぐらいに使えるままか?」
「その思いを口の悪さでごまかす思玲様……。あなたになら従ってもよかった。幼いあなたがいたから、土壁は邪悪な行いを人に向けなかった。思玲様と我が主のおかげで、土壁は犬の魂で天に向かえた」
「質問に答えろ」
「玄武くずれである私の力を、我が主の許可なく晒すことはありません」
土壁のことをもっと聞きたいけど、
「野良犬を覚えているなら、ほかもみんな覚えているよね? 蛇だったときぐらいに素早く飛べるの?」
「もちろんです」
忍がほほ笑みながら浮かぶ。「人に見える姿だろうと、どこにでも忍びこめます。姿も隠せます」
その言葉通りにいきなりいなくなる。
「わあ」
すぐに俺の真ん前に現れる。
「きょきょ」と、ふざけた眼差しで俺を見つめてくる。「空腹ですよね。これをどうぞ」
コンビニのお茶とおにぎりをたっぷりと抱えていた。
「近すぎる。離れろ」
「万引きだろ。通報してやる」
「天晴だ。さすがは隠密の蛇」
ドロシーと夏奈は毒づくけど、思玲は絶賛するけど、忍の力はニョロ子のままだ。美人女子高生になっただけだ。
「ただし視覚を伝えることはできません。言葉で報告するだけです」
その方が混乱が少なくていい。戦いへのギアは間違いなくシフトアップした。
「哲人さん。お願いだから見つめあわないで。私を無視しないで」
ドロシーが忍を肘で押し、俺の正面にまわりこむ。
「……私だけ異形だから?」
違うよ。意図的に目を逸らしてる。どんなに忍がきれいでも、俺が惹きつけられるのは梓群だけ。夏奈がいようと口にしたい。でも言えない。
「現状確認しているだけだよ」
うぬぼれた俺は、フロレ・エスタスがよみがえることを恐れている。いまだって夏奈が俺を……見てないではないか。
「だったら早く人間に戻れよ、ははは」
「私はみんなのために異形になった!」
「ははは、さすがドロ……シーちゃんだ」
夏奈はドロシーしか見ていない。それもやさしく……幼い妹を見守るような眼差し。
さきほど夏奈は俺をかばってくれた。それはドロシーを落胆させぬために……ドロテアを悲しませぬため。
もしかして、みずからの身を削る咆哮で中身だけが、
「夏奈は思いだしたの?」目覚めたの?
「いや」
即答されてしまった。
「昔の龍の記憶のこと? それってうまくないよ。ゼ・カン・ユに……」
ドロシーが夏奈を見つめる。「あれ? 頭が痛くなってきた。……やめよう」
「そうですね。その話題は避けましょう」
忍がすかさず進言してくる。
眼差しで分かる。ドロシーは魔女だった自分を思いだしてない。だったら思いださせてはいけない。でも動きだそう。
「うん、やめよう。ドロシー。夏奈。思玲。出発しよう」
もう一人いただろ。「ウンヒョクも行こう」
「俺は力になれるのかな。そんな気がしてきた」
頭を押さえていたウンヒョクが顔を上げる。
「もちろん戦うけど、おにぎりもらおうかな。……結局、ドロシーってどっち?」
「私です。人間でもあります。細かくは黒乱ちゃんが覚えているので聞いてください」
「任せてね。僕はドロシーちゃんが大好き。大きくなると凶暴になるから処分されると異形のみんながいじめるけど、そしたらドロシーちゃんに助けてもらうね」
「……よくわからないけど、それもありかな。あと数年で成長期に入っちまう」
ウンヒョクが真顔になる。「あんたはきっと、人になっても強くてきれいでやさしそうだ」
「誰よりも素直で素敵なウンヒョクさんを、もう一度混乱させるかもしれません」
忍は笑みを浮かべたままだ。俺に貼りつきかなり怒っているドロシーに目を向ける。
「主の望みをくみとって、ドロシー様の傷を治癒させていただきます」
……えーと。ニョロ子は大蔵司の血を吸った。義憤の力を奪い、透けた自分の体を回復させた。なのでドロシーの骨折した手首も治せる。
さすがだ。俺がはるか先に思いつきそうなことを提案してくれた。最強の忍びであって参謀だ。
「治して。すごく痛かった」ドロシーも気づく。「だけどお前も人に戻れ」
「もちろんです。人間でないと、人間への力は生じませんから。我が主が望むなら再び人間となりましょう」
「人間人間言うな。哲人さん命令して」
困ったことになった。またドロシーを忘れてしまうかも。
「待てよ。忍が馬鹿になったら回復できないだろ」
夏奈は口汚い。
「記憶をなくすって意味だからな」
「私からは何も言えないですが、我が主の力で記憶を残すかもしれません」
忍は使い魔みたいな口ぶりだ。
「ウンヒョクや桜井が混乱するのは避けたい。なので今する必要はない」
思玲が言うけど。
「いいえ。ウンヒョクさんはすでに混乱している。夏奈さんと王姐は平気。だから現状と変わらない。哲人さんも
嘘を重ねるとこういう窮地におちいるのか。でも夏奈が叫べば……
「そうは言っても時間が限られてます。やはりウンヒョクさんと夏奈さんは、思玲様とともに出発させましょう」
また女軍師が進言しだしたぞ。
「心やさしい鶏子さん(そうだったのか)は、三人を乗せてくれますよね」
「コケコッコー」
「そうしよう。だが、せっかくなので腹に入れさせてもらう」
思玲がおにぎりを抱えた忍へ手を突きだす。
「我が主は何らご心配なさらずに」
ジャージ姿の女子高生がウインクしてくる。
次回「戦場へとシフトアップ」
紅色の光から現れた異形がよろめきに耐えた。……人の目に見える人の形の異形。若い女性の姿。
「さすが元異形とだ。哲人さんと交わるより力がこみあがる。添え木も消えた」
どくん
異形なんて言葉で済ませられない。こいつは魔物だ。人に害なすものだ。だけど……。
どくんどくん
踏んばる化け物のいでたちは紅色のチャイナドレス。前髪は薄くぱっつん。両耳の上でお団子になった黒髪を赤いリボンでデコレートしている……。いわゆる古典的チャイニーズガールスタイル。
「やばい、やばい」
屋上から浮かびそうになって、俺にしがみついてくる。
「へへ。慣れるまで哲人さんが重しになってね」
「え? あ、ああ」
払いのけるなんて無理だ。だって、この異形はかわいすぎる。しかも俺を見つめてくる。……挑発的なのに品よくふくよかな唇。切れ長のアーモンドアイ……。
即断しろ。
即決した。最優先事項ができた。
魅入られただろうが惑わされただろうが知ったことか。この子を人間に変えよう。無理やりだろうと人にしてしまおう。そのために大蔵司から陰辜諸の杖を奪う。
そして俺が人の世界へエスコートしてあげる。
「うーん……」
うなされた声に、俺は地面に目を向ける。赤いロングヘアの女の子が気を失っていた。黒色がラインで入った極めて薄紅色のジャージ姿。こいつも人の目に見える異形だ。
こっちもきれいだけど、なにより俺に抱きつき上品な香のかおりを漂わす人へと。
「お、俺の名前を知っているんだ。君の名は?」
「……忍も人の姿のままだ。君は見ちゃダメだよ」
これぞ異形。抱きついているくせに、人間の声に耳を傾けないではないか。
「ほほほ、いつもいつもドロシーちゃんは素敵ですこと。そちらはニョロ子ちゃん? いつの間に? さすが隠密の蛇、人の姿にもなれるのですね。しかも変わらずキュート、ほほほ」
「頭が痛い」ウンヒョクが眉間に手を当てる。「怖いほどの美人……ここにいた。それがこの異形? 中国のJKらしき異形が蛇?」
「へへ、混乱しているウンヒョクさんでは戦えない。夏奈さんのお
きれいすぎる異形が俺に腕を組んで勝ち誇っている。……ドロシーと言う名前か。愛らしい忌むべき声は癖のある中国語。でも日本語混じりだから混乱しそう。しかも教室の窓から校庭を挟み校門へ呼びかけるほどの大声。俺はどちらも慣れたように平気だけど……。
押しつけられる感触からブラをしている。異形のくせになんて奴だ。だけどゆるす。
「その嫌らしい眼差しから察するに、哲人も記憶が消えたか?」
眼鏡をかけなおした思玲が舌をうつ。
「混乱していようが一緒に向かってもらうからな。飛べるだろうニョロ忍も連れていく」
「……私を忘れたの?」
かわいすぎる異形が俺の目をのぞきこむ。頭が痛くなる。俺は返事できない。
「覚えている。忘れられない」
その声に、誰もが夏奈を見る。
「そっちの子は知らない。でも人だったドロシーちゃんを覚えている。忘れたくない。もっと思いだしたい」
夏奈は泣いていた。
「異形になんかなるなよ。なおさら離れちまうだろ。人に戻れよおおおー!!!!!」
「ひい」俺は悲鳴をあげる。
「うわ」ウンヒョクもうめく。
「ちっ」思玲は舌を打つ。扇をまたも広げる。
ドロシーが俺から離れる。
「だめだよ」と夏奈にしがみつき、その肩に頭を乗せる。「耐えて。がんばって」
二人はふわりと浮かびあがる。太陽に南西から照らされる。
「……降りてきて。二人とも」
いなくならないように、俺は空へ手を伸ばす。
「夏奈も。……梓群も」
この人は異形なんかじゃないだろ。俺の最愛の女の子だろ。
「俺がドロシーを忘れるはずない。だからおいで」
「そ、そうだよ、ドロシーちゃん、愛する人が待っている。降りよう」
「龍にならないで。夏奈さんのままでいて」
ドロシーは浮かんだまま。涙声だった。
「……わかった。ほら、公園の子どもが指さしている。もう泣くな。私も泣いてない」
「……ほんとだ、へへ」
二人が俺のまえに降りてくる。二人そろって赤い目で俺を見てくる。
「やっぱり哲人さんは素敵だ。そして夏奈さんも一緒にいく。私しか守れない」
「ドロシーちゃんと一緒にいる。私は哲人より彼女が好きだった。ごめんな」
「私は夏奈さんより哲人さんが好き。だから哲人さんも守る」
「守られてきたくせに。ははは」
「へへ、相思相愛だからだ」
二人とも涙も拭かぬまま笑顔になる。
「……哲人は私とキスしまくったばかりだぞ。そんな奴でもいいのか?」
「だから? 私はたった今キスしたばかりだ。哲人さんはやさしく抱いてくれた。みんなが待っているのに、私は怪我していたのに、またも私を欲望で押し倒そうとした」
「嘘つけ。どうせ業務的に唇を合わせただけだろ。そんなのはキスと呼ばねーんだよ。いまの世の本当のキスってのはな、胸を直接――?」
「宝を護る龍……。おのれの身を削る咆哮だった」
ジャージ姿の女子高生が立ち上がっていた。……忍だ。ニョロ子は蛇に戻らず人の姿の異形になった。
「それを浴びたおかげで、私も
我が主も
すべてを思いだせた。夏奈さん、ありがとうございます。それと」赤髪の忍がほほ笑みながら俺へと歩む。
「敵であった私を赦してくれた哲人様。かすれた私に何度も血を恵んでくれた我が主。私はどんな姿になろうと、あなたの式神です。あなた様の目であり、耳であり続ける下僕です」
温かい両手で俺の手を握ってくる。……真面目そうで隙のない女子なのに、夏奈よりドロシーよりセックスアピールがあるような。異形だろうと欲望を感じそう。
「ニョロ子は手をつなぐな! 通学姿なんてダサすぎだ!」
チャイナドレスのドロシーが水平に飛んできて、二人の手を離させる。代わりに自分が俺の手を握る。
「我が主のバディであるドロシー様。人の姿の私は忍とお呼びください」
真面目系女子高生が笑みを浮かべる。
「それと私に命じられるのは、
あなたを一度は忘れられた
哲人様だけです」ばらしやがった。
「哲人が忘れるはずない。ドロシーちゃんがきれいすぎて見惚れただけ」
夏奈がフォローしてくれた。……違和を感じる。夏奈はドロシーしか見ていない。だとしても。
「そうだよ。俺はドロシーを覚えていた」
俺は嘘を続ける。だけど夏奈の言ったことも事実だ。たしかに俺はドロシーに呆けていた。何度も一目惚れさせる人。
「そうだ。哲人さんは二人の愛を忘れない」
ドロシーは忍をにらんでいる。
「それと私は女だからバディと呼ぶな。哲人さんのパートナーもしくは恋人と呼べ」
「さすがは我が主のパートナーであるドロシー様。……この服装をダサいとおっしゃいましたが、日本の中高生が体育で着るものと同じです。チャイナドレスよりこちらに嗜好を持たれる殿方のが多いでしょう」
「……蛇のくせに。人の姿のくせに」
ドロシーの握る手に力がこもったぞ。
「人の姿であるのは同じでは? 自慢の頭をもっとお使いになるべきでは?」
忍は笑い続けているぞ。ドロシーに挑戦的だぞ。
「それくらいにしとけ。蛇女は峻計の果し合いの地を覚えているか?」
思玲が割って入る。「飛べるか? ニョロ蛇ぐらいに使えるままか?」
「その思いを口の悪さでごまかす思玲様……。あなたになら従ってもよかった。幼いあなたがいたから、土壁は邪悪な行いを人に向けなかった。思玲様と我が主のおかげで、土壁は犬の魂で天に向かえた」
「質問に答えろ」
「玄武くずれである私の力を、我が主の許可なく晒すことはありません」
土壁のことをもっと聞きたいけど、
「野良犬を覚えているなら、ほかもみんな覚えているよね? 蛇だったときぐらいに素早く飛べるの?」
「もちろんです」
忍がほほ笑みながら浮かぶ。「人に見える姿だろうと、どこにでも忍びこめます。姿も隠せます」
その言葉通りにいきなりいなくなる。
「わあ」
すぐに俺の真ん前に現れる。
「きょきょ」と、ふざけた眼差しで俺を見つめてくる。「空腹ですよね。これをどうぞ」
コンビニのお茶とおにぎりをたっぷりと抱えていた。
「近すぎる。離れろ」
「万引きだろ。通報してやる」
「天晴だ。さすがは隠密の蛇」
ドロシーと夏奈は毒づくけど、思玲は絶賛するけど、忍の力はニョロ子のままだ。美人女子高生になっただけだ。
「ただし視覚を伝えることはできません。言葉で報告するだけです」
その方が混乱が少なくていい。戦いへのギアは間違いなくシフトアップした。
「哲人さん。お願いだから見つめあわないで。私を無視しないで」
ドロシーが忍を肘で押し、俺の正面にまわりこむ。
「……私だけ異形だから?」
違うよ。意図的に目を逸らしてる。どんなに忍がきれいでも、俺が惹きつけられるのは梓群だけ。夏奈がいようと口にしたい。でも言えない。
「現状確認しているだけだよ」
うぬぼれた俺は、フロレ・エスタスがよみがえることを恐れている。いまだって夏奈が俺を……見てないではないか。
「だったら早く人間に戻れよ、ははは」
「私はみんなのために異形になった!」
「ははは、さすがドロ……シーちゃんだ」
夏奈はドロシーしか見ていない。それもやさしく……幼い妹を見守るような眼差し。
さきほど夏奈は俺をかばってくれた。それはドロシーを落胆させぬために……ドロテアを悲しませぬため。
もしかして、みずからの身を削る咆哮で中身だけが、
「夏奈は思いだしたの?」目覚めたの?
「いや」
即答されてしまった。
「昔の龍の記憶のこと? それってうまくないよ。ゼ・カン・ユに……」
ドロシーが夏奈を見つめる。「あれ? 頭が痛くなってきた。……やめよう」
「そうですね。その話題は避けましょう」
忍がすかさず進言してくる。
眼差しで分かる。ドロシーは魔女だった自分を思いだしてない。だったら思いださせてはいけない。でも動きだそう。
「うん、やめよう。ドロシー。夏奈。思玲。出発しよう」
もう一人いただろ。「ウンヒョクも行こう」
「俺は力になれるのかな。そんな気がしてきた」
頭を押さえていたウンヒョクが顔を上げる。
「もちろん戦うけど、おにぎりもらおうかな。……結局、ドロシーってどっち?」
「私です。人間でもあります。細かくは黒乱ちゃんが覚えているので聞いてください」
「任せてね。僕はドロシーちゃんが大好き。大きくなると凶暴になるから処分されると異形のみんながいじめるけど、そしたらドロシーちゃんに助けてもらうね」
「……よくわからないけど、それもありかな。あと数年で成長期に入っちまう」
ウンヒョクが真顔になる。「あんたはきっと、人になっても強くてきれいでやさしそうだ」
「誰よりも素直で素敵なウンヒョクさんを、もう一度混乱させるかもしれません」
忍は笑みを浮かべたままだ。俺に貼りつきかなり怒っているドロシーに目を向ける。
「主の望みをくみとって、ドロシー様の傷を治癒させていただきます」
……えーと。ニョロ子は大蔵司の血を吸った。義憤の力を奪い、透けた自分の体を回復させた。なのでドロシーの骨折した手首も治せる。
さすがだ。俺がはるか先に思いつきそうなことを提案してくれた。最強の忍びであって参謀だ。
「治して。すごく痛かった」ドロシーも気づく。「だけどお前も人に戻れ」
「もちろんです。人間でないと、人間への力は生じませんから。我が主が望むなら再び人間となりましょう」
「人間人間言うな。哲人さん命令して」
困ったことになった。またドロシーを忘れてしまうかも。
「待てよ。忍が馬鹿になったら回復できないだろ」
夏奈は口汚い。
「記憶をなくすって意味だからな」
「私からは何も言えないですが、我が主の力で記憶を残すかもしれません」
忍は使い魔みたいな口ぶりだ。
「ウンヒョクや桜井が混乱するのは避けたい。なので今する必要はない」
思玲が言うけど。
「いいえ。ウンヒョクさんはすでに混乱している。夏奈さんと王姐は平気。だから現状と変わらない。哲人さんも
忘れない
のだから、いまのうちに治したい」嘘を重ねるとこういう窮地におちいるのか。でも夏奈が叫べば……
「そうは言っても時間が限られてます。やはりウンヒョクさんと夏奈さんは、思玲様とともに出発させましょう」
また女軍師が進言しだしたぞ。
「心やさしい鶏子さん(そうだったのか)は、三人を乗せてくれますよね」
「コケコッコー」
「そうしよう。だが、せっかくなので腹に入れさせてもらう」
思玲がおにぎりを抱えた忍へ手を突きだす。
「我が主は何らご心配なさらずに」
ジャージ姿の女子高生がウインクしてくる。
次回「戦場へとシフトアップ」