五十七の二 そして誰もが途方に暮れる

文字数 6,878文字

「ここはどこですか? 私は誰ですか?」

 ニョロ子である女の子が全裸のままで見つめてくる。胸に垂れていた長い三つ編みを背中へと手ではらう。

「哲人は人のままでないか。ドロシーは何故に腕を押さえて泣いている?」
 思玲がやってきた。眼鏡の縁を上げる。
「その素っ裸は誰だ? 京はどこだ?」

「夏奈は?」
「私の質問に答えろ。能天気は屋上だ。ウンヒョクに預けた」

「ドロシーを怪我させてしまった」
 背筋が冷たくなる。戦いが始まる前に、頼るべき人へ傷を負わせてしまった。
「大蔵司京は裏切った。ニョロ子を人間にした」

 俺達の――俺の双璧を同時に失った。目を失い腕を切り落とされた。

「……わかった。そいつに私の服を貸してやるから、哲人はドロシーの処置をしろ」

 思玲がカバンから俺のシャツをだしながら言うけど、俺はそんなことを学んでいない。魔道士達と式神達に守られて生き延びただけだ。

「冷やそう。固定もする」それぐらいしか知らない。
(しー)。指を動かせない」

 腕を押さえるドロシーが起き上がるのを手伝う。

「やめてください」
「抵抗するな」

 思玲が扇でニョロ子を気絶させる。服を着させるのは見ないけど、無力になった俺の式神。

 *

 冷凍庫の氷をコンビニの袋に入れて、早くも腫れあがったドロシーの手首に当てる。
 大蔵司がいればさするだけで済んだのに。これくらい異形だったら気づけば回復しているのに。

「添え木になるものを探して。包帯も」
 ドロシーは歯を食いしばっている。
「そしたら屋上に行こう。置いていかれる」

「俺達を置き去りにするはずない」
「デニーさんならばする。あの人は一人でも珠を取り戻しに向かう」

 俺は一人では戦えない。亀になり財布になるだけだ。

「のろいよ。まな板があるよね」
 ドロシーが厨房を歩く。目当てのものがむき出しであるのを見つける。それへと無傷の手を垂直にして振りおろす。
(だっ)

 まな板がステンレスのキッチンごと分断される……。

「これはPKの術を応用した手刀。利き手じゃないから加減できなかった。ちょうどの大きさになったから、これを縛ろう」
 巻き添えを喰らった水道管から水があふれるのを気にすることなく、青ざめた顔で食器棚に寄りかかる。リュックをおろし、影添大社の修行衣をだす。
「記念に持ち帰るつもりだったけど、やっぱり不要(ぷやう)。掛け声しないほうが弱いかな」

 彼女は黙ったまま修業衣へそっとチョップする。

「やっぱりドロシーはすごい」

 破壊力のランクが違う。ある意味、魔道具より怖い。でも思玲だって手のひらを向けるだけでウチワを……。
 魔道士は素手に力を溜めこめないはず。すぐに放出されるはず。魔道具経由でなければ弱いはず。すべての理屈に反した技だ。

「手刀はたぶん私しか不可能。利き手なら力を剃刀ぐらいに抑えられた」
 床ごと裂かれた布を口にくわえ、自力で添え木を手首に縛りながら言う。

「それで思玲は自分の髪を切った」
 そして七葉扇を生んだ。

「さすがだ。でもその程度もできない人しかいない。私は日本刀ぐらい鋭利に凝縮させられる。それでいて斧ぐらい強くもできる。いいえ重機ぐらい……。ちっちゃいころからできた技。制御できるように何十万回と鍛錬した」

 俺は短機関銃と松葉杖を思いだす。力を制御するための魔道具。リミッターの本当の意味を知ってしまった。

「人に見せるな、戦いでも使うなと言われているから、おじいちゃん以外で見たのは哲人さんだけ……。存在をおじいちゃんに心の奥へ隠してもらってあるけど、使ってないよね?」
「どうだろう。たしかに人に見せるべきでないかも」

 ここの屋上や地下牢で見かけた覚えはあるけど、さらにうつむかれそうだから伝えなくていい……。
 白銀どころでない。常時銃刀法違反だ。彼女がその気になればいつでも誰でも殺せる。誰も彼女の距離に近寄らなくなる。
 でもドロシーは戦いで使ってこなかった。捕らえたフサフサにも。足を噛み砕いた折坂さんにも。白虎の口のなかでさえ。

「当然だ」と少し微笑んで、脂汗がにじんだ顔で俺を見つめる。
「ここまで重傷だと冷やす意味ない。……いまの哲人さんは痛みを感じないよね。だから私にキスして。その力が伝わるかも」

 ドロシーが目を閉じる。……授かった癒しを返すというのか。それができるか分からないけど、厨房は水浸しになっていくけど……その中で唇をあわせる。俺からは初めてだ。夏奈の悲しげな笑みが浮かぶ。
 離れてしばらくして、彼女は目を開ける。

「へへ、これで夏奈さんよりキスの回数多いかも」
 俺を見つめながら笑う。「やっぱり痛みはとれない。なので片手しか使えない。だから異形になる」

 畳から見上げた巨大な大蔵司を思いだし、唇の余韻が吹っ飛んだ。

「デニーかウンヒョクに相談しよう。骨折を治せるかもしれない。……自分に癒しを与えられる?」
「あれは愛する人にしか無理。……私は自分を好きじゃない」

 抱きしめたくなった。だけど彼女は怪我をしている。
 正直に言おう。

「ドロシーと一緒に異形になってもいい。だけどなりたくない」
「ウミガメだと哲人さんは戦えないものね。魔法陣を完璧に模写できたらな」

 ドロシーのためなら、また仲間に嫌悪されるレオタードを着よう。だけど人でなき映像記憶力を持つ彼女に無理なら、デニーでも無理だろう。
 止めようがない水道管をあきらめ、健気に歩く彼女をかばいながら戻る。

「医務室に麻酔があると思う」
「私は毒に耐性があるから効果ない。……大蔵司から杖を取りかえす。違う。奴に私を異形にさせる。そのために本気で躾ける」

 その腕なら逆にやられるよと言いかけて、さっきの手刀を思いだす。武器にも魔道具にも頼ることなく、組み合った時点で人を終わらせる。その体を分断できる。
 異形にならなくていいよ。戦わなくていいよ。それも言えない。ドロシーに頼りきっていた自分がいる。
 それよりも川田。人に戻せるとてつもなき可能性。最後の望み。なのに大蔵司が持っている。

 *

「私が飛び蛇だった? 飛べるはずありません。怖い目で見ないでください」
 ニョロ子だった女の子は服を着て意識も戻っていた。しゃがみこみ、思玲へ中国語で震えていた。

「いいから跳ねてみろ。峻計との果し合いの場所だけでも思いだせ」
 苛立った思玲が俺へと顔を向ける。「ニョロ蛇は使い物にならなくなった」

「ただの人間だ。気持ち悪いからこっちを見るな」
 ドロシーが腹いせのようになじる。

「誰か助けて。私は誰なの」
 かわいい女の子が胸を抱えて嗚咽しだす。

「君の名は(しのぶ)。日本的だけど古風で似合っている。仲間が待っているから屋上へ行こう」

 俺の中国語に、飛び蛇だった女の子が見上げてくる。

「は、はい。あなたに従います」
 彼女はすくっと立ち上がる。日本語ではないか。

「式神のままか? ドロシーはその腕で戦えるのか?」
 思玲が歩きだしながら聞く。

「異形になる。もともとその予定だった。だからこれは不要(ぷやう)だ」
 怪我した右手に苦無が現れる。握ることできず廊下に落ちる。
「へへ。哲人さんが持って。王姐でもいい」

 それでも彼女は純度百を隠し続けている。大蔵司とは違う。ドロシーは虎視眈々と待っている。おのれが倒すべき――おのれが認めた敵にそれを向ける瞬間を。そんな敵だらけだろうと。

「持ち主に返してやれ。私は京を信じている」

 思玲は見向きもしない。だったら俺が使おうかと思ったけど、こんなのを手にして異形に変えられたら、大蔵司に指をさされて笑われるのが最後の景色になる。
 行き場のない九十九をドロシーのリュックサックに入れる。

 *

 ドロシーも思玲も土足のままだった。忍の靴はない。大蔵司のものらしきサンダルを拝借する。

「俺がリュックサックを持つったら」
「まだ不要(ぷやう)

「誰だ?」
 思玲が裏殿の玄関の向こうに言う。その両手に魔道具が現れる。

「不夜会です。水流の音が激しいが何事ですか?」

 引き戸を開けると、見知らぬ小柄な十代の男性が立っていた。女子三人を無遠慮に眺めて、

「王さんと夏さん。写真以上ですね。この一般人は? 資料に載ってない」
 ニョロ子であった忍で目がとまる。

「水道の元栓を閉めてください」

 不夜会のエリート部隊の一員らしきに頼み、四人はもう一度ドアを開けて非常階段を上がる。

「川田も玄武だ。あいつと玉を囲め」
 思玲が忍の背後に張り付きながら、俺と並んで前を歩くドロシーに言う。

 なんか嫌だな。向かい合うのを独り占めしたい。でも亀になりたくない。川田に託す。

「絶対に嫌だ。あれは神聖だから愛する人としかしない」

 だったら無理強いするはずないけど……川田を人に戻す。そのために大蔵司を追う。しかし俺だけで彼女を屈伏させられない。杖を向けられたら亀になり財布になる。
 それでもドロシーを戦わせられない。

「ドロシーは後方から援護して。傷ついてほしくないからだ」
「……私は夏奈さんを守る。それぐらいなら人のままでもできる。でも……」

 ドロシーは言葉を飲みこむ。それでも以心伝心する二人。

 哲人さんこそ戦えるの? 私がいなくて。異形にならなくて。

「俺は戦える。なので(火伏せの)護符は俺が持っている」
「もちろんだ。この護符は誰が持つべきかな」

 ドロシーの左手に現れた天宮の護符は、いまは静かだ。

「川田に渡す」

 紙垂型の護符で俺と戦ってもらおう。俺の親友に戻ってもらうために……。
 圧倒的コバルトブルーを思いだしてしまう。もちろん資質爆発間際の夏奈を戦わせるはずない。

「……私は川田さんと向かいあう。大切な人を守るために異形になる」
 ドロシーがつぶやく。「夏奈さんはどうしよう」

 その言葉の意味も俺には伝わる。
 俺も大蔵司から術を受けて人に戻ったのに、まだ忌むべき声が聞こえている。ちっぽけな龍が宿った青い目のままだ。
 陰辜諸の杖でも夏奈から龍は抜けない。

 ***

「遅すぎる。途方に暮れていたよ」
「デニーさんは巨大なキーウィに乗っていったよ。子分四人とハラペコを連れていった。しかも川田君がジャンプして乗っていった。……このクマかわいい。爪が痛いけど癒される」

 屋上にはウンヒョクと、居眠りする黒乱にすりすりする夏奈しかいなかった。

「コケコッコー」
 よく見たら鶏子がむき出しでいた。

「オホホ、京様は内宮手前で門番ですか?」
 空には桃子もいた。「台ちゃんがすごい勢いで跳ねていきましたけど、何事でしょう?」

 大蔵司の式神は、主を忠実に追ったのか。あのピンクのイルカも敵になってしまった。

「その子は?」
 ウンヒョクが忍を凝視する。忍は俺の影に隠れる。
弘大(ホンデ)にもいない美女すぎるけど、資質なき人だよな?」

 俺達を見る目がきつくなる。これ以上の厄介事はごめんだと告げている。
 俺は天珠をタップする。

『松本か? 結界で隠されたでかい鳥に乗っている。もうすぐ着陸らしい。うまそうだがちょっとだけ食べていいか?』
「噛んだ途端に不夜会に袋叩きにされる」
『そんな感じだ。こいつらは俺を化け物扱いする』

 それが普通だよ。なんて言う必要ない。化け物でなくなればいいだけ。

「俺達もすぐに追いかける。無茶するなよ」
『姉御は置いてこい。あんなのを持っていると、背後から首を裂きたくなる』

 川田が一方的に天珠を切る。けだもの系の祭りまで二時間半。

「哲人無視するな。ハードならばこそ、みんなに頼れ。で、その子は誰だ?」

「こいつは飛び蛇のニョロ子です。人間なんかになりやがった。私は哲人さんにいきなり押し倒されて怪我をしました」
 ドロシーがウンヒョクに答える。

「ニョロ子もドロシーも大蔵司の仕業だ。俺達を裏切り影添大社から逃げた。藤川匠のもとへ向かうと思う」
 俺は告げる。隠す必要ない。

「オホホ、力ある陰陽士が去るのは、たまにあること。そして狩られます」
 桃子がゆっくり羽ばたきながら平然と言う。
「私はここで門番を続けます。でも鶏子ちゃんはデニー氏に名を呼ばれました。ドロシーちゃんに従えと命じられました」
「コケコッコー」

「毒子は有能な飛び蛇を覚えているか?」
「桃子ですわ。思玲ちゃんはわざとそう呼びましたね。優秀な蛇はたまにおりますが、どのような子でしょう?」
「とびきり有能でつやつやした鱗の雌蛇だ。哲人の式神でニョロ子と呼ばれる」
「……鶏子ちゃんは存じていますか?」
「コケ?」

 人が異形となり忌むべき世界に行けば、人から忘れられる。異形も人間になり人の世界に紛れたら、奴らの記憶から消えるのか。

「ニョロ子違った忍。哲人さんから離れろ」
 またドロシーが忍をにらむ。まだ歯を食いしばっている。手首が完全に折れた痛みなんて想像できない。

「そうだ。お前は飼い主に色目を使っていただろ。哲人を奪うために人になったのか?」
 夏奈が怖い形相でやってくる。龍の気配。

「わあ」黒乱が彼女から飛び降りる。
「ひいい」忍はなおさら俺の背に貼りつく。

「ドロシーは封印できる。私の車で樹海へ向かおう」
 思玲が夏奈の進路をふさぎながら言う。その手に茶色い扇が現れて半円にひろがる。

「そうだな。地下駐車場へ急ごう」
 ウンヒョクが夏奈の背後にまわりながら言う。その手にも扇が現れる。

 彼の前へと、ドロシーがすっと出る。
「あれは出来るか試しただけ。私は二度と異形を封印しない。あの子達を虐げない」

「そ、そうだよな」
 間近でにらまれて、女性慣れしていそうなウンヒョクさえ目を逸らす。
「ドロシーちゃんは怪我している。桜井ちゃんをここで見張って――守っていてね」

「いいえ。私も行きます。戦いながら夏奈さんを守ります」
 ドロシーはさらにウンヒョクへと近寄る。片側の肩にだけかけたリュックをおろす。
「手を入れなければ術は発動しません。だから持ってください。そして開けてください」
 超間近でウンヒョクを見上げる。

 水商売の人とデートするほどのウンヒョクの頬が赤らんだ。

「け、怪我しているものな」
 言いながらも扇を消す。彼女の言葉に従いだす。

 俺はドロシーの狙いに気づく。やはりリュックサックから大きな透明な玉を表面だけだす。そして企みの笑み。

「ウンヒョクさんも触って」
「え? ああ」

 ドロシーが、何も知らないウンヒョクの手を玉へ導く……。

「やめろ」俺は叫ぶのに、

「どうせルーレットだ。試してみろ」
 思玲は驚蟄扇を手にしたまま腕を組む。

 ドロシーがぶつぶつ唱えだす。

「……もしかして、俺を異形にしようとしている?」
 ウンヒョクがようやく気づく。

(つい)。愛する人のためにです。でも駄目でした。リュックを哲人さんに渡してください」
 ドロシーが何もなかったようにきびすを返す。また顔をゆがませる。

「四分の一の確率だからな。……ウンヒョクと私と哲人。三人ならば鶏も運べるだろ」
「コケコッコー」

 ドロシーに夏奈と忍を託すしかない。彼女とニョロ子がいないキツい戦いが始まる……。
 ドロシーには青龍の資質もあるから、25%ではなく50%の確率だろ。白虎の資質の思玲も向かい合わせになれる。でもドロシーの青龍の資質は並みの上。強い異形になれないかも……もう一人いるではないか。しかも可能性は高い。

「もう一度試そう。ドロシーと忍で向かいあう」
 しかも蛇だった。玄武は亀と蛇がミックスした四神獣。うまくいけばニョロ子が復活する。

「あなたの仰せの通りにします」
 忍がウンヒョクのもとへ歩む。リュックを受けとる。

「キモい女。哲人が脱げと言ったら脱ぐのか」
 夏奈が悪態つくけど、

「もちろん」とリュックを持った忍がドロシーへ向かう。

「哲人が添い寝しろと言ったらどうする」
 思玲がはずした眼鏡に息を吹きかけながら聞く。

「……喜んで」忍が頬を赤らめる。

 そうなのか。だけどそんな命令はしない。彼女には浮かぶ蛇に戻ってもらう。

「これで私が誰か分かるのですね」
 純朴そうな忍がドロシーの前に立つ。

「賢いね。見ていただけで理解した。このリュックの危険性もだ」
 ドロシーが不快丸出しで受けとる。
「お前は蛇が似合っている。哲人さんは私しか愛さない……。そうだった。さきにレギンスを脱がして。ウンヒョクさんと哲人さんは見ないでね」

 忍がチャイナドレスの前にかしずきスカートに手を入れる。俺達は後ろを向く。

「忍の脱がし方、なんかいやらしい。……忘れるんだよね」
 夏奈がぽつり言う。「人であったドロシーちゃんを、哲人も忘れる」

 忘れるのを忘れていた! ……冷静になれ。このシチュエーションは初めてだ。本来ならば、人である俺は異形になったドロシーを忘れる。でも俺は青い目だ。なにより俺とドロシーには絆があるはず。俺の心から彼女が消えるはずない……。
 新月の戦いで藤川匠により青い光が抜けた途端、ドロシーを忘れた。

 俺は振りかえる。二人はリュックから顔をだした透明の玉に触れていた。
 ドロシーがつぶやきだす。

「やっぱりやめろ」万が一、混乱がパワーアップする。

「へへ、成功だ」だけど彼女は笑う。

 玄武を圧倒する朱雀の赤。二人が紅色の光に包まれていく。




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